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短大卒業後、私は小さな事務機器リース会社に就職した。
母の店を手伝うことも考えたが、外を見ておいでと言われて、ひとり暮らしを決めた。
それから三年。だいすきな人ができた。
一緒に暮らし始めた。
彼のこどもができた。
でも彼は堕ろせと言う。
こどもを産めば、たぶんきっと彼とはもう、一緒にはいられない。
――好きな男と、一生一緒にいるにはね
ふと母の声を思い出した。
引越しの前夜、祖母ご自慢の甘辛おいなりの夕食の後。吐きだした二枚のうち、水浅葱のうろこをてのひらにのせてささやく、しめった母の声。
――母も、祖母も、曾祖母も、わが家の女はみんな、おこなってきた、好きな男と一生一緒にいられる、おまじない。
私は、小瓶をかたむける。さらさらと白藍のうろこが、カレーの上にふりつもる。
――好きな男に、自分のうろこを食べさせれば
おたまでくるりとかきまぜれば、それは紙のように跡形もなく溶け消えた。
――ずっと一生一緒にいられる、ずっと一生一緒
くつくつとカレーは変わりなく煮える。しあげにスイートコーンをいれ、火を止める。
できあがったカレーとご飯を皿によそい、ガラス戸のむこうの部屋に運んだ。
小さな丸いローテーブルにひじをつきテレビを見ている彼と並んで座る。
テレビに目をやったままカレーを一口食べ、彼の手が止まる。そのままカレーをにらんで固まっている。
やはりまずいのか。だめだったのか。意味がなかったのか。
うつむく私の前から、カレーが消えた。顔を上げれば、彼ががつがつとたいらげていた。からになった彼の皿は床に落ちている。
あまりの食べっぷりに呆然とする私をよそに、私の皿もからにした彼は台所に行くと、おたまで鍋からカレーを食べはじめた。
とめようかどうしようか迷っているうちに、鍋もからになったらしく、今度は蛇口に口をつけて水を吞んでいる。
長長と水をむさぼり、ようやく気がすんだのか、彼はふらふらと部屋に戻ってきた。
顔から胸元までびしょぬれのまま、その場に寝転がる。
「どう、したの? 気分悪い? 病院、行く?」
蛍光灯がまぶしいのか手で目元をおさえながら、たずねる私にこたえないまま、彼は眠ってしまった。
彼の奇行は、私のせいだろうか。
おろおろとふれた額はひんやりとして熱はないようだ。いびきもかいてない。
すこし悩んだが、むりに起こして怒られるのもいやだったので、タオルケットをかけそのままにしておくことにした。
つけっぱなしだったテレビを消し、私は食べ散らかされた皿と鍋を洗って、水びたしの床をふく。
後片付けをおえ、部屋をのぞきこんだ私は息を呑んだ。
そこに彼はいなかった。