アギフの慈悲
お姉さんの後についていくと、表通りに並ぶ装飾の多めな店に辿り着いた。
外見からは何の店なのか検討もつかない。
店内に入ると、さらに謎は深まる。
銀製のアクセサリーなら分かるのだが、なにやらまじないのような怪しげな人形なども置いてある。
彼女は近くにあった半身が獣の像を手に取った。
「私の職業は魔術師だから、こういった小物に力を与えて売っているのよ」
店のカウンターに座っていた女性に一言二言の言葉をかけ、彼女は店の奥へと進んでいく。
店の雰囲気に飲まれていた俺も、慌ててその後ろ姿を追った。
「お座りなさい」
「あっ、はい」
俺は促された席に座る。
店の奥には応接室というにはややラフな感じの部屋があった。
テーブル上の紅いバラの花が印象的だ。
「綺麗でしょう?」
俺がバラの花を見ていたことに気づいて、彼女は問う。
俺は素直に頷いた。
「イスラム教では、白いバラはムハンマドを表し、赤いバラが唯一神アッラーを表すのよ」
「はぁ……」
唯一神アッラーって誰ですか?
「ごめんなさい。日本人にはつまらない話だったわね」
お姉さんはそう言って苦笑いする。
俺は慌てて弁明した。
「す、すみません!
つまらないというより、俺馬鹿なんで……その、イスラム教の神様の名前とか知らなくて」
俺の馬鹿さ加減に驚いたのか、彼女は一瞬きょとんとした後、口元を隠しながら笑い出した。
「ば、馬鹿ですみません……」
「あはは、そういうわけじゃないのよ。
ただ、日本からしたらアッラーすらも覚えなくていい存在なのかと思ったら、ね」
彼女はテーブルに肘を乗せて頬杖をつく。
さすが魔術師。
胸元の魔力が俺の眼を引き付けて止まない。
彼女はそれに気づいているのかいないのか、話を続けた。
「私はエジプトの出身なの。
だから、両親も友達もみんなイスラム教徒。
何かあったら、すぐ『コーランに載っているだろ』って言うようなところ」
コーランとはイスラム教でもっとも大切にされている啓典、と後でお姉さんに教えてもらった。
「私はそんな環境が嫌だったわ。
本ではたくさんの女の人が肌をさらけ出しているというのに、イスラム教徒はそれを許されない。
だから、この世界ではそんなことやめたの!
見て、こっちの方がずっといいでしょ?」
「き、きれいだと思います……」
立ち上がって肩やへそ、膝がしらの露出した服装をアピールしてくるお姉さん。
俺は胸元に誘導されて顔を上げ、全身を見る。
しかし童貞の俺には刺激が強すぎたので、反射的に目を背けて答えた。
再び笑われたのは気のせいだと思いたい。
「そういえば、自己紹介がまだだったわね。
私はアギフ。あちらの世界では考古学者をしていたの。
大学の付き合いで色々な人種の方と話したわ。
だから日本語も話せるし、英語やヨーロッパ圏の言葉ならお手のものよ」
なるほど。
これが世にいう才色兼備というやつか。
ほんと、お姉さ―――アギフさんに会えて助かった。
「えっと、俺、じゃなくて、僕は伊勢漱汰っていいます。
日本では高校生、つまり学生をしてました」
「高校生、というと何歳かしら?」
「十六です」
へぇー、と言うアギフさんに俺は問い返す。
「お姉さんは?」
すると、彼女は人差し指を紅色の唇につけ、
「女性に年齢は聞いちゃいけないものよ」
と俺を諭した。
日常で女性に年を聞くことがなかったから、紳士憲章に違反した行為だと気づかなかった。
お互い自己紹介も済んだところなので、俺は気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、さっき言ってた魔術師って……どういうことなんです?」
「まさか、説明プログラムの話を聞かなかった?」
「途中までは聞いたんですけど……」
「まあ……」
呆れられてしまったのか。
呆れられてしまったのだろうな。
「この世界ではね、地球からやってきた人全てに職業というもの、まあ、そのままなのだけれど。
それが与えられているの」
「てことは、俺にも?」
「そうよ。坊やの恰好は昔の侍と呼ばれている人たちに似ていない?」
はい、その通りですね。
「始めはみんな職業によって服装が変わるの。
坊やは武士だから、その恰好っていうわけ」
「着替えられないんですか?」
「できるわよ。分からなかったから着替えていないの?」
「いや、そもそも着替えるよりも食事が先だったといいますか……」
「それって……一か月近くも?」
一か月? 俺がこっちにやってきたのは一日違いのはずだぞ?
「それに、君は銀貨の違いも分からなかったようなのだけれど……。
もしかして、ゲートが開かれる当日じゃなくて翌日に来たのかしら?」
俺は頷く。
どうやって入ったかは言えないが。
「でもそれはそれでおかしいわね……。
それなら私たちがあちらと連絡を取れなくなったことぐらい報道されているはずなのだけれど」
「そ、それは、ギリギリだったんじゃないですかっ?」
「……そうね。そうなのかもね」
俺がそういうと彼女はそれ以上詮索することはしなかった。
納得してもらえたのだろうか?
「ところで、一か月って……?」
「ああ。この世界とあちらの世界を渡る際に時間差が生じるそうよ。
私の学者仲間が言っていたわ」
「時間差ですか」
空間理論やなんたらなんて俺が知るはずもない。
だけど、そういう謎には興味はある。男子として。
「アギフ様」
「あら、ありがとう」
やってきた長身の男性は、カットされたリンゴを持ってきてくれた。
その品が、テーブルに置かれる。
それに俺の腹が再び要求を開始する。
「食べていいわよ」
「ありがとうございます!}
俺はウサギに飛び掛かる獅子の如き勢いで、リンゴを食べ始めた。
そんなにお腹空いていたの……、とアギフさんと男性が圧倒されていたが関係ないね!
あまりに俺が腹を空かせていたからだろうか、男性は次々と食べ物を持ってきてくれた。
あの人、ええ人やわ。
一時間後ぐらいだろうか、俺はようやく食事を終えた。
「ずいぶん食べたわね」
「す、すみません……。後で必ずお金払います。というか、今にでも!」
再びここでは使えない銀貨を取り出した俺に、アギフさんは、
「いいのよ。お客さんだもの」
困っている人に無償の愛を。
みなさん、これが女神というものです。
腹も満ちたことで、俺はようやく本件を思い出した。
「ところで、すっごい今さらなんですけど……ここってどこの国ですか?」
そう、地理である。
「そうよね。ここに来たばかりなら、わからないわよね。
ここは聖地エルサレム。といえば分かるかしら?」
聖地エルサレム。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれの聖地であり、
千年近く前には十字軍、百年ちょっと前には中東戦争という宗教戦争が起きた場所。
馬鹿な俺でもわかる場所であり、政府が手を出せない今なら紛争が起きてもおかしくない地だ。
「ここって、あぶないんじゃ……」
「大丈夫よ。始めの一週間ほどは殺し合いが起きたけど、今はそれぞれの宗教の代表者が話し合って収まっているから」
「こ、殺し合い……」
「あっ。平和なところから来たあなたには、向かないお話だったわね」
情けない話だ。
自分が今いるところで最近殺し合いがあったと聞いたら、足が震えてしまった。
口では減らず口を聞いていても、身体は正直なようだ。
まったく情けない。
「大丈夫よ、あなたは武士じゃない。その辺の人には負けないわ」
そう言って近くによって俺を抱きしめてくれるアギフさん。
抱きしめられた拍子に、体温が高まるのを感じた。
本当に、身体は正直である。
しばらくそうした後、彼女は離れていった。
至福の時でした、本当にありがとうございました。
俺が心の中でお礼をしていると、席についた彼女は話を切り出した。
「考えてみたら、漱汰くんはお金を稼ぐ方法も食料を集める方法もわからないのよね?」
「はい」
「実際はね、職業に合った方法で生活していくの。
そのスタイルは大きく三つに分かれるわ。
幻獣と戦うことと、商売することと、食料を作ること。
あとは盗賊なんていう職業もあるから、盗むこともあるにはあるんだけど。
ほら、漱汰くんがくだもの商人の前で刀をちらつかせて脅していたでしょ?
あれも―――」
「勘弁してください」
自分の悪行を自分の耳で聞くのがこんなに心苦しいなんて思わなかった。
悪かった、ひ弱な商人……。
「でも、そういう人は本当にいるから気を付けた方がいいわ。
まあ、武士ならば大丈夫でしょうけど」
「あの、随分と武士というだけで買っていただいてますけど……俺、弱いですよ?」
喧嘩とか小学生以来してないが、剣道は大したことなかったもんな。
「大丈夫よ、武士には戦闘向けの『アーツ』という魔法のようなものがあるから。
店先で剣を抜こうとしていたのに、身体が動かなくなったでしょ?
あれもそうよ」
ああ、あれですか。
ていうか、身体が動かなくなるならアギフさんの方が強い気がするのだが……。
聞くと、どうやらあれを行うには条件が必要なようで実際に戦ったら勝てないとのこと。
「一応、もう一回試してみるけど、いい?」
「あっ、はい」
同意すると、彼女は俺を見つめた。
やべ、恥ずかしい。
「視線は逸らさないで」
「あっ、すみません」
俺は再びアギフさんを見つめる。
いやー、美人だ。
外国人だからか、顔の造形は濃いが、それがより彼女の鋭利な瞳を映えさせる。
罵倒とかされた日には、俺もMの仲間入りをしてしまいそうで怖い。
俺が妄想でにへらにへらしているうちに、彼女は目を閉じた。
見られていたと思い出した俺は、よだれとか垂らしていなかったか心配になったが後の祭り。
「できたわ」
そう一言。
そうして、近くにあった紙を手にアーツとやらの名前を書き連ねていく。
「さきほど、相手のアーツをのぞき見るアーツを使ったわ。
これも相手の承諾が必要っていう条件つきなのだけれどね」
そう言って、俺に自分の隠された能力を書き連ねた黒歴史ノートの切れ端のようなものを渡してくる。
俺は震える手でそれを受け取った。
だって、これって成績表みたいなものだろ?
やべぇよ、怖ぇよ!
そこに並ぶのは、「~な構え」といったものばかり。
しかも「攻めの構え」やら「守りの構え」やら。
そこは正眼の構えとかじゃないんだ!
続く妙剣、絶妙剣とかいうやつの中に「払捨刀」という名があった。
どこかで聞いたことがあるような気もするな。
どうやらアーツはかなりたくさんあるようで、数えてみると百個ほどあった。
覚えられる気がしないのだが、と気落ちした。
というか、中に「潜伏」というのがあるが、これ本当に武士だからなのか。
「中にはその人特有のものもあるわ。
それにアーツは新しく身につけることもできるから、少ないからといって何もできないわけではないの」
「テンション上がりますね!」
つまりあれだろ。
ここに書かれていないような、魔法を覚えられるってことだろ?
「でも、全てのアーツに共通して適性があるの。
だから、だれでも簡単にというわけにはいかないわ。
戦闘に強いアーツが多い武士が強いという由縁もここにあるわ」
「魔法は!? 武士に魔法は!?」
「少し難易度が高いけど、可能よ」
「ほ、ほんとうですか」
魔法が使える。これほどの喜びはない。
俺はアギフさんの前だから抑えたが、泣き叫びたいぐらい嬉しかった。
だって、魔法だぜ!
男の夢だろ!
ロマンがあるだろ!
「とりあえず、明日アーツの条件や効果を判定してくれる人を呼んであげるから、今日は泊まっていきなさい。お金もないのだし、野宿は嫌でしょう」
「あっ、ありがとうございますっ!」
なんていい人なんだ、アギフさん。
「この御恩はいつか必ずお返しします」
俺は日本男子最強のアーツ『土下座』を使った。
いや、そんなアーツはないけどな。