言葉の壁
「ようこそいらっしゃいました。第二世界『SPATIUM』へ」
気がつくと、左右に並ぶ幾本かの蝋燭の道上に俺はいた。
暗闇に包まれた空間を危うげな火が燃え上がる。
床と壁は木で覆われており、歴史的な香りを漂わせていた。
向かい側には、白色と緋色の、一言で言うなら巫女のような服を着た、黒髪の女性が座っている。
そう、俺に話しかけてきた女性だ。
ここだけの話、かなりタイプである。
「ご説明をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「あっ、はい」
いかんいかん。ボーっと眺めてしまっていた。
「まず、私はこの度、第二世界の説明係として開発されましたプログラムです。
一定の質問以外には答えることができませんので、ご了承ください」
「あっ、はい」
なんだ、プログラムか。
ネットで可愛い娘を見つけては、プログラムだとばらされるという悪質な悪戯に何度も引っかかった俺からすれば慣れた経験だ。
まぁ、慣れてはいてもショックなことに代わりはないが。
「では、この世界の概要から説明させていただきます」
「ど、どうぞ」
どうにもプログラムと分かっていても、女の子相手だと緊張してしまうな。
「この世界、スパティウムは地球を模倣して変化が加えられております。
そのため地形、気候、特産物。これらに多くの共通点があります」
まじでそのまんまなのかよ……。
分かってはいたが多少のロマンは捨てきれなかったというのに。
特に食い物!
「しかし、異なる点も多数あります。
例えば、地球では魔法や超能力と呼ばれるような特殊な力があったり。
幻獣と呼ばれるような生物が生息したりしております」
「は? 魔法? 幻獣?」
俺は耳を疑った。
だって、ネットでは絶望視されていた男のロマンだぞ?
事前にそれがあると言われていたら、俺は間違いなく深夜待機でゲートの前に並んでいたであろう。
今さらながら、滾ってきたぁぁぁ!
っと、本件を忘れるところだった。
俺は姿勢を正して、彼女に面する。
「ところで、地球への帰還方法を教えてもらってもいいですか?」
すると彼女はにっこりと笑い、
「お答えできません」
と言いやがった。
説明プログラムが知らないはずがない。
他の人間が帰ってこれないことを考えるに、おそらくバグの一種だろうな。
「じゃあ、他の移動してきた人たちの状況は?」
「お答えできません」
世界中のプログラマーは、可愛い外見よりもまず先に中身に力を注げよ。
バグりすぎてて、この説明係、使えねぇぞ。
俺はあらゆる質問を投げかけた。
しかし、そのほとんどの答えがNO。
こいつがプログラムじゃなければ巫女服をはぎ取ってやりたいぐらいむかついた。
どうやらこれ以上聞けることもないようだと判断した俺は、信之たちを探すためにも速やかなる転送を願い出る。
「分かりました」
俺は身体が淡く光りだす中で気がついた。
……まだ、通常の説明が終わってないんじゃね?
「ちょ、まっ!」
気づいた時には時すでに遅く。
俺はほとんど何も知らない状態で見知らぬ異世界へと送られた。
‐‐‐
「アディスアベバぁぁぁあ!」
とある国の首都の名前を叫びながら、俺は唐突に街中に姿を現した。
突き刺さる周りの視線が痛い。
なぜか全身を黒い布で隠したお姉さま方なんかは、おもむろに俺から目線を逸らしていた。
つーか、あれブルカじゃね?
イスラム教徒の女性が素顔や肌を隠すために着るやつ。
そこで俺はようやく周りを見る余裕ができた。
相も変わらず視線は突き刺さっているが。
黒人と白人。
大きく分けるならそんなところだろう。
周囲の人々は皆それらに分けられていた。
しかしよく見ると、黄色人種の姿もちらほら見かけるので、まったくの場違いというわけでもないようだ。
見れば白や黒のモザイク柄の建物が目立つ。
一本の道に沿うようにして並ぶそれらは、どう見ても日本の風景ではない。
目に入る人種も考えれば、どうやら日本とは違う土地へ来てしまったようだ。
異世界なのに変わりはないがな。
さて、ここはどこだろうか?
説明係のプログラムを途中で切ってしまったことが非常に悔やまれる。
俺がそれ以上の行動を起こさないからか、始めは俺に注目していた一同も、やがて喧騒の一部となっていった。
(それにしてもうるさいっ!)
なんだここは!
英語の単語が聞こえたと思ったら、ボンジュールだのサバーヒルなんとかだの、
こいつら何か国語喋れるんだよ!
俗にいう国際都市なんですか!? そうなんですか!?
答えてくれる人は誰もいない。
しかし、彼らの服装が代わりにそれを物語っていた。
先ほどのブルカのお姉さん方の近くでは、バニーなお姉さんが魅惑的な恰好で男性の人に迫っているし。
腰に三日月型の物騒な物を下げた人が、全身鎧の大男にへこへこしてるし。
うん、確かに国際色豊かだわ……。
というか、恰好がみんなぶっ飛んでいて、まさに異世界というイメージだった。
俺はとりあえず無意識にウォッチャーに手をやっていた。
「困ったときにはウォッチャーで検索!」が俺のスタイルだからな。
しかし、伸ばした手はスカッと空を切った。
「え……?」
まさかと思って己の目で左手首を見る。
ない。
ウォッチャーがない。
……信じられるだろうか? いや、信じられない。
「ウォッッッチャああああああああ!!!」
俺は半狂乱になって走り出した。
それほどウォッチャーは俺にとって大事なものであった。
落ち着こうと考える余裕もなくなるぐらいに大事なもの。
それは、かつての携帯とパソコンをまとめあげたエジソンもびっくりの発明品。
さらに俺の端末の中には、湊のアルバムとか大和と映ったクラス写真とかがあるというのに……。
まさに俺の魂。
そう、俺の半身は、今はもうないのだ……。
「あのー」
しばらく泣いた後、ようやく平常心を取り戻した俺は、行動を起こすことにした。
右も左もわからない。
こんな状況でコミュ力どうこうと言っている余裕は、俺にはなかった。
目の前で地面にシートを敷いて商売をしていた黄色人種に声をかける。
「是是不是事情什么?」
……おう。
どうやら中国だか韓国だかの人らしい。
「しぇいしぇいっ! しぇいしぇいっ!」
俺はとりあえず言葉は適当に、両手を合わせて謝罪してますとジェスチャー。
伝わっているといいのだけれど、と半ば諦めながらその場を後にした。
首をかしげていたから、おそらく駄目だったのだろう……。
俺はその後も手当り次第に黄色人種に話しかけたが、やつら使いものにならねぇ。
中国語っぽいのならまだしも、ヨーロッパっぽいのや奇声のような言葉を話すやつもいた。
……こんなことなら英語以外にも外国語を勉強しとくんだった。
うん、分かっている。
俺には英語という最終砦があることぐらい。
でもなぁ。
自慢じゃないが、俺は英語が苦手なんだよ……。
あああああああああ!
しっかり勉強しておくんだったああああああ!
といくら後悔したところで進展はない。
俺は覚悟を決めて、優しそうな白人のお兄さんに話しかけた。
大丈夫、一応勉強はしたんだから!
「え、えきゅすきゅーずみー!」
「J'ai été surpris ?!」
「え、なんて?」
「Bien que ce soit mauvais, je ne peux pas parler anglais」
……だ、だめだ。
何を言ってるのかわからねぇ。
俺の英語力なんて所詮この程度だったのか……。
俺は絶望した。
日頃、日本語を使っていたからわからなかったが、
言葉が通じないという状況はとてつもなく心細かった。
「腹へったな……」
どれほどの人に話しかけてみたのだろう。
一縷の望みをかけた俺の挑戦は尽く打ち破られた。
というか、俺から逃げ出す人間が割といたのだが……。
はっ、と気づいた俺は自分の臭いをくんかくんか。
いや、くさくはない。
……くさくはない、よな?
「……あれ?」
そこでだ。
そこでようやく、俺は自分の状況が一つ飲み込めた。
腰に刺さった一振りの鞘。
上半身には前合わせの着物、下半身にはひらひらしたズボン。
手首足首には紐がついており、脇はなぜか開いておりスースーする。
今さらながらだが、俺は自分の恰好が変わっていることに気がついた。
いつからだろうか?
もはや驚く余裕もなく、俺はただそれだけを考えていた。
とはいえ、あまりに他のことに気を取られていたために、まるで落し物をどこで落としたのかを考えるような難しさがある。
なので俺はすぐに諦めた。
分かったところで、なにも解決はしないだろう。
今はとにかく、この場所の把握。
そして、これからどうするかの方が先決だ。
俺は腰に光る一筋の凶器を見つめる。
……最悪、これがあればなんとかなるだろ。
それは本当に最悪の場合だが。
それから数時間。
それでも言葉が通じる人は見つからない。
「もう……無理だ……」
空腹に耐えかねた俺は、ゆっくりと刀の柄へと手を伸ばす。
俺はどうやら我慢弱いようだ。
俺の様子に、慌てて何人かが各々の武器を掴んだ。
「あ、ちょっと待てよ」
が、俺はあることに気づいて刀から手を放した。
刀があるということは金もあるんじゃないだろうか?
俺は大河ドラマなどでよく見るように、袖の中に何かないか探してみる。
……お? マジでなんかあったぞ!
周囲で警戒していた人たちも、急に脇に手を突っ込み始めた俺を見てキチガイだと思ったのか、矛を収めた。
キチガイではないけどな!
見つけ出したるは小さな巾着。
俺は期待を胸に、紐をほどく。
中には銀貨二枚と丸薬のようなものが入っていた。
俺、歓喜。
すぐさま目の前の店に行き、りんごを指さして銀貨をテーブルに叩きつけた。
「Questa moneta di argento non può essere usata in questo negozio 」
「え? どういうこと?」
銀貨を手のひらに返される。
まさか、人種差別?
黄色人種なめてんの?
「てめぇ、日本人だからって馬鹿にしてんのか!?
こちとら侍だぞ! この刀が見えねぇのか?!」
もはや俺も我慢の限界だった。
こんなどこだかわからないようなところで、なんでこんなに飢えなくてはならないのか。
相手が弱そうな青年だからか、俺は強気に出る。
俺は迷わず、刀を掴み、腕を振ろうとした。
「なっ!?」
しかし、振れない。
どころか、首から下が動かない。
慌てる俺。怯える店主。
「坊や。この銀貨はここでは使えないって言ってるのよ」
突然、グラマラスな黒人のお姉さんが現れた。
イスラム教徒ではないのか、大胆に露出した服装の上に白いマントを羽織っている。
なによりも特徴的なのが、その鋭い眼差し。
蛇のような瞳で、俺に微笑みかけているのだ。
めっさ、美人やわ……。
「そ、そうでしたか……って、日本語!?」
驚く俺をちらりと見て、お姉さんは俺の持っているのとは違う模様の銀貨を店のテーブルに置いた。
「Per favore mi dia una mela」
そう言って、彼女はリンゴを受け取る。
「行きましょう、坊や」
瞬間、身体が動くようになった。
俺はわけもわからず謎のお姉さんの後について行った。
それでも、ようやく言葉が通じる人が現れたのだから、当然の行動だったのかもしれない。