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File3 後輩、襲来

 倉川の依頼のお陰で何とか首の皮二枚分は繋がった。


 …いや、むしろ彼女が幸運の座敷童だったのではないかと思う程、それからコンスタントに仕事の依頼が入り始めていた。それまでひと月に一回も無かった割合の仕事が一月に一回、二回…と増えていった。


 倉川のケースから三ヶ月…局を辞めて半年になる今月の業績は、既に三件の怪異事件と一件の身辺調査をクリアしている。閑古鳥が鳴いていたあの時期がはるか遠い昔の様に感じられる。


 中には勿論、不倫調査や交際予定の相手の身辺調査等々、そう言った他の探偵所が引き受けるような仕事もあったが、自分の力が発揮される仕事…怪異相手の探偵業務も確実に増えていた。


 ただ、その内容はそれ以降どれも対霊弾…銃を使うまでも無い、動物霊や一山いくらの怨霊相手の些細な仕事だった。

 …仕事がコンスタントにあり、それが楽なのは飯の種とする者としては結構な事だが、現代人のメンタルがそれだけ弱まっているという証左でもあった。

 

 例えるなら…本来なら風邪薬で済むような風邪を一々入院して治すようなものだ。倉川のような波長による相性以外にも、心の弱った人間ほど怪異が付け入りやすくなる。…そしてメンタルはセルフケアが困難なパラメータの一つだ。


 実は、自分は鋼のメンタルだと思って疑わない人間ほど豆腐だったりする。

 …強い弱いの問題では無いのだ。そんな物差しで測れる程人の心のメカニズムは単純ではない。人の精神構造とメカニズムを完璧に理解したと豪語する者が居るなら…ペテン師とは言わないが、少なくとも自分は信用しない。


 …現に、鋼のメンタルを持っている筈の人間が狂い、しょうも無い過ちを犯しては社会的に抹殺されている例など枚挙に暇がない。…どんなきっかけで、いつ壊れるかなど、神のみぞ知る世界なのだ。


 自分は大丈夫と言うのは、とりあえず今は大丈夫というだけだ。

 かくいう自分も、精神汚染耐性と強烈な自我…言い換えれば自分はこうでなければならないという我儘な自我…を備えていなかったら、疾うにイカレて、怪異に乗っ取られて何をしでかしていたかも分からないのだ。


 …まぁ、自分が現代人のメンタルを心配した所でどうにもならない。自分にとっての回復方法を各々が見つけ出すしか対症療法は無いのだ。


 怪異や人間より更に怖い…憂鬱な今月分の支払いを終えると途端に肩が軽くなり、軽やかな気分のまま久しぶりに専門店でコーヒー豆を買い、その豆をコーヒーミルで挽いた。


 自分の場合はコレが、精神の回復であった。


 …この瞬間がたまらない。ゴリゴリと豆が砕かれる小気味よい音と感触を味わい、鼻腔は粉々にされたコーヒー豆が放つ濃厚なあの香りが支配する。この瞬間だけしか味わえない、触覚、聴覚、嗅覚の至福…

 

 この香りだけは、開封したてのレギュラーコーヒーでも敵わない。インスタントコーヒーに至っては爪先にも及ばない。


 …ただ、粉をカップに落としてお湯を注ぐだけで、ある程度の香りと味わいが楽しめるインスタントならではの手軽さ…本来物臭な性格の自分との相性の良さは気に入っているのだが。


 事務所の中に素晴らしい香りが充満していく。


 本日も無事開店休業中。外は自分好みの淑やかな雨が降っている。…昔からこの小雨が家や車の屋根を叩く音を聞くのが好きだった。




「ごめんください! …あっ、凄い良い匂い!」


 …懐かしい声だ。…出来れば聞きたくなかったが。

 

 …果たして開かれた出入り口には鼻息を荒くした霧原悠乃(ゆの)が立っていた。


 …ビジュアルだけでいえばすぐにでも付き合いたい、可愛いらしい元・後輩だ。相変わらず黒髪をベリーショートに切りそろえたどこか勝気な雰囲気と、女性エージェントが標準的に好むパンツスーツ。

 …生まれつきと言う、鋭めな目つきの悪さも変わらないが、根は良い子だった。


 …ただ、付き合えたとしても…二十歳を迎えたばかりの、未来を信じて疑わない輝かしい瞳が…自分には眩しすぎる。

 彼女は自分をヒーローか何かだと錯覚している節があった。


「こんにちは。ご依頼ですか?」


「やめて下さいよ虚崎先輩! 局から復職の催促が行っているでしょう?…どうして応じてくれないんですか!?」


「応じるかどうかは俺の意志だよ」


 コーヒー粉をフィルターに包み、ドリップの準備に取り掛かった。


「…もしかして、喫茶店始めたんですか?」


「バカ言え。 …だがまぁ、丁度いい所に来たな。折角来たんだ、開店…じゃない、開所祝いに一杯奢ってやろう」


「先輩、ガチで戻って来てくれないんですか!?」


「ああ」


 …ついにあの復職の催促も破り捨てた。…これで探偵所が潰れる様なら、その時はその時だ。…新潟の田舎には最小規模だが農家を営む父母も居る。…いざとなればそこへ戻ってもいいし、もし、両親が自分を拒むようなら…どうせ妻子も居ない身だ。いっそ、本当の流浪人になって気楽な生活を送りながら人知れず死んでいくのもアリだ。…自分の死後の死体と霊体がどうなるかまで心配する必要はない。


 …まさか、目の前の後輩に除霊される事は無いだろう。


「何でですかぁ!?先輩、滅茶苦茶強かったのに!S級入りもあり得るんじゃ無いかって噂だったのにィ!」


「…逆に、どんな理由があれ一度辞めておいて、禊も無しにホイホイ戻ってくるような奴を信じるな」

 

「だってあれは!」

「止めろ。越村はわざと嫌われ者をやっているだけだ。…どうあれ、命令を無視して俺はスタンドプレーをやらかした訳だ。…そりゃ、結果的には保護対象も無事だったし、結果オーライだったさ。…けどな、それで俺にお咎め無しにしたらどうなる?」

「それは…」


 …分かっている筈だ。…後輩が次々俺の真似をし出して、みんながみんな結果オーライだったら?…誰も上司の言う事なんか聞かなくなって、舐め腐るようになる。…で、組織は腐敗一直線って訳だ。


 それでは俺が本能に従ってスタンドプレーする裏で、それでも忠実にじっと耐え、チームプレーを守って事態の収拾の為に戦い続けた連中に対して申し訳が立たない。


 それもあって自分は辞めると啖呵を切り、辞めたのだ。上司…越村の事は怨んでなど居ないし、向こうも俺を嫌って退職に追い込んだわけではない。


 どころか、こんな自分を引き留めようと軽い処分で済ませようとした。…越村と揉めたのはその部分でだ。


 …ただ、仕事が無かった時は未練がましく復職の誘いを捨てきれなかったが。


「…ほら、これでも飲んで落ち着け。 …仕事…怪異対策局の方は順調か?」


「…いただきます。 …あ、おいしっ! …仕事は先輩が居ないのでイマイチです。 …ついでに悠乃ちゃん、寂しいデス」

「はやくいい人を見つけるんだな。目の前に手遅れになりつつある見本が居るぞ」 

「…」

 まじまじとサンプルのように観察され、虚崎は複雑な気分になった。

「…お世辞でもいいから一言否定しろ」

「自分で言ったんじゃないですかぁ!」

「はは、確かにな」

 自身もコーヒーを傾けた。 うん、豆が良いから美味いに決まってる。


「…あーあ、今に先輩が戻ってきてくれると思ってたのに…噂を聞きつけて来てみれば、本当に怪異探偵やってるし…」

 悠乃はテーブルに突っ伏して愚痴り始めた。


「普通の探偵も慣れれば面白いもんだ。他人様のプライバシーを取り扱うのはアレだがな」


「…私が局を辞めて助手になるって言ったら、雇ってもらえます?」


「生憎と今のところ、助手を養えるほどの余裕は無いのだよ、ワトソン君」


「うぅー…残念です」

 

 悠乃はあからさまに凹んで見せた。…冗談ではなく本当に気落ちしているようだ。

 …だから…会いたくなかったんだ…


「…とりあえず俺は局には戻らん。 …が、局が対応しきれない、人手が欲しい時には一時的にアウトソースとして協力する事はやぶさかではない。 …一応越村にそう伝えておいてくれ」


 ぱっ、と悠乃が顔を上げ、その顔が見る見る持ち前の明るさを取り戻して行く。


「わ、分かりました!伝えておきますね! コーヒー、御馳走様でした!」


「ああ。またな」


 まったく、と思いながらも、まんまと目的を達成して事務所を出て行こうとする悠乃を見送った。 悠乃は最後に出入り口のドア口で振り返り、手を振ってきた。


「先輩っ、また一緒に戦いましょうね!」


「…機会があればな」

 

 …できればそんな機会も無く、いつか悠乃にも幸せな形で退職してもらいたいと思った。


 …望まぬ形で…任務の中で命を落とす事も珍しくない世界だった。

 …既に何人もの親友や、そして憧れていた先輩、そして…彼女のように自分を慕ってくれていた後輩も…既にこの世にはいないのだから。


 …あの日、自分は啖呵を切って辞めた体だが…実際には逃げただけなのかもしれない。

 雨音を聞きながら一人、虚崎はぬるくなり始めたコーヒーを口に運んだ。

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