File2 追加調査: 限界集落にて
バイクを停め、ヘルメットを脱いだ。…濃厚な緑の匂いが鼻腔を通って肺に充満していく。
S県の山奥に到着したのは正午前だった。 件の家はポツンと佇んでいた。
二階建ての一軒家。マメに修繕されていたのかそれほど荒れた様子もなく、玄関脇の塩ビ波板で屋根を拵えた駐車スペースの下に停められたシニアカーが、最近まで人が暮らしていた気配として残されていた。
周囲の下草は刈ってあるが、老婆ではどうにもできなかったであろう巨木はそのまま取り残されている。…暖かな日差しに促されるように、その木々には新緑の葉が色づき始めていた。
「あちらのお家にはご夫婦が住んでいますが、反対側の…木に隠れて見えないかな…あの家にはもう誰も住んでいません。もう少し離れた場所にもう一軒ありますが、そこには一人暮らされているだけで。…祖母も半年前に施設に移ったばかりなんですが、今は三人だけの集落です。 …昔は養蚕や林業で栄えていたそうなんですが」
そう説明してくれながら倉川は祖母宅へと入っていく。…その左肩に微かに残っている痕跡は自分が霊を除霊した事で薄れつつあった。
これが浄霊なら、綺麗に消えていただろうが、あの状況では不可能だった。
…後悔の念はあるが、あれが自分の限界だった。
「散らかってますが、どうぞ上がって下さい。…って、言うのも変ですけどね。ほとんどの家具や荷物は父が一人で片付けてくれてあるので、何もありませんし…」
倉川に先導されるように虚崎は家に入った。
件の階段はすぐに分かった。
倉川の肩に残る残滓と同じ…薄れゆく気配が二階に続く階段を辿っていた。
「失礼します」
倉川に断り、二階への階段を上った。年季の入った板が、祖母よりは確実に重いであろう自分の体重に軋む。
「そこです。今、虚崎さんが立っているそこに立って、ちょうどここに立っていた私を見て笑い出したんです」
実況見分のつもりか、倉川が詳細に説明してくれた。
「なるほど」
相槌を打ちながら残滓の跡を辿っていく。後に続くように恐る恐ると倉川も階段を上って来た。
日当たりの悪い、薄暗い二階。 痕跡を辿って奥の部屋に入ると、その元に一つの押入れがあった。…襖の紙が一部剥げかけた、古めかしい押入れ。
「私、この部屋は昔からなんだか不気味で、苦手でした…」
「…でしょうね」
押入れの元へ歩いていき、開いた。 …黴臭く埃っぽい布団が残されているだけで、何も無い。ペンライトを取り出し、壁や天板なども検め、息を止めて布団を退かして隈なく調べてみたが…妙なシミだとかお札だとか、そういった怪しいものは何も無い。
…天袋を見上げた。
「脚立かなにか、お借りできますか?」
脚立を借り受け、天袋内を覗いた。…何も…あった。奥の奥に隠すように仕舞い込まれた桐箱。そこだけ、一際濃厚な気配が残っていた。天袋内に身を潜り込ませ、その桐箱に触れた。
…レザーグローブを通して一瞬、静電気のような痛みが走り、思わず顔を顰めた。
そのまま桐箱を引きずり出した。…小さめの筆箱…もしくは箱入りの線香サイズ。
天袋を閉めて脚立に降り立ち、不安そうに見上げる倉川の前に戻った。
「恐らく…髪の毛とか爪とか、そういった類のものが入っていますね」
「あの女の子の…」
「九分九厘そうでしょうね」
「でも、どうしてこんな所に…」
倉川が天袋を見上げた。 …故人の遺品を置く場所としてはあまりに不自然だ。
「…何かの手違いか…それともご家族の誰かが捨てるに捨てられず、そこへ収納したか…それについては調べようがありませんね」
まず倉川に見せぬよう、蓋を自分の方にだけ開けて中身を検めた。…黒々とした髪の毛。障子越しに差す午後の光に照らされて微かに輝き、それが動いたような錯覚を覚える。
「…髪の毛でした。…無害ですが、ご覧になりますか?」
「は、はい」
倉川にも見せた。恐る恐ると髪を見つめ、それから困惑したように虚崎と視線を合わせた。
「…家系図であったり、できればお父様から直接お話を伺えると解決に近づくのですが…」
ここからが泣き所だ。…自分は警察犬の様に怪異の跡を辿る事は出来るが、さすがになぜ少女の髪がここにあるのか、彼女がこの家…祖母やその家族たちとどういった関係があるのかまでは、それを知る人から話を聞き出すか文書から調べるしかない。
…ここからは基本的に普通の探偵や興信所でできるレベルだ。…心霊を信じてまともに調査してくれるなら。
ただ、それにしても、資料や父親や第三者の協力が必要になってくる。
「…父は、私が軽いノイローゼかヒステリーになったと思っているようですから…虚崎さんを紹介してもその…」
「…いかがわしい霊感商法の詐欺師だと思うでしょうね」
それで警察を呼ばれるのも御免被りたい。…たとえ電話だろうと、父親への接触は避けた方が賢明か。
「…今日、鉢合わせる可能性は?」
「今日は平日で仕事ですから大丈夫です」
倉川は介護職だと聞いた。…極めて深刻な労働環境と人手不足に喘ぐ様子が伝わる業界である。 …この為に無理矢理休んで来たのだろう。
まずは、と家系図を探した。…経験上、こういったものは仏間周りに保管されている印象がある。倉川と共に仏間を漁っていると、倉川が「あっ、これかな?」と喜色を露わに古めかしい糸綴じの家系図を掲げて見せた。
虚崎は桐箱をもう一度開け、箱の内外を調べた。…蓋の裏に糊で張り付けられた和紙に筆で「キヨ」と書かれていた。
「…これが私の祖母で…」
「御祖母様のお姉さん…大伯母様に当たる訳ですか」
「大伯母がいたなんて話は、私が記憶している限り聞いた事がありません。…少しくらい聞いた覚えがあってもいい筈なのに…」
キヨの名には亡と書き加えられ、その下の年齢は八歳となっていた。…祖母との年齢差を考えると、当時祖母は六歳。…いくら姉妹とはいえ、どれだけ姉の記憶を残していたかは怪しい。
…ましてや、終戦期。近世以降、命の価値が日本で最も安く、全日本国民が死と隣り合わせに生きることを強いられた時代だ。 誰しもが自分が生き残ることに必死で、今の平和な世の様に家族の死ときちんと向き合う暇すら無かったかもしれない。
…実際、局に在籍中、そうして誰からもまともに弔ってもらえなかった霊を相手にしたこともある。
「…山下さんなら何か知っているかな…」
倉川が思い出したように呟いた。
「さっき説明した、おひとりで暮らしている方です。…長くここに住んでいるので、もしかしたら…」
「行きましょう。 …あぁ、昼時だったのがタイミングが悪かったな」
独り言ちながら空き家を一軒通り過ぎ、その老人が一人で住むという家に向かった。
歩いて5分程で辿り着いた先にその家があった。玄関口に立つと、そこからでも微かに屋内からニュースアナウンサーの声が聞こえてくる。
インターホンを押した。
…反応なし。もう一度押そうとすると、倉川が制して勝手に玄関の曇り硝子戸を開けながら大声で呼びかけた。
「ごめんくださーい、山下さん!」
奥の居間から響いてくるテレビの音量にも負けない声量。
やがてのそのそと人が動く気配がして、居間の戸口に小柄な7、80代の老人が立った。その年齢にしては動きが若々しく、健康そうに見えた。
「はぁい」
「お昼時すみません、京子です」
老人が廊下をこちらに向かって来ながら目を細めた。
「…あぁ、京ちゃんかい!? イトさんは気の毒だったなぁ。家のは…あれ、お父さんじゃないな? あにさんは?」
「お昼時に申し訳ありません。 倉川さんの同僚で、虚崎と言います。…ご自宅の家具整理をお手伝いしに来たら、…ちょっと変わった遺品が見つかって。…お父さんに聞いても分からなかったので、ご近所の方なら御存知かと思って訪ねてきたのですが…キヨさんという方はご存知ですか?」
それまで温厚で、倉川の存在に好奇心を露わにしていた山下の瞳孔が見開かれた。
「…私も、当時の人間ではありませんので…親や、集落の人々から伝え聞いていた事です。…もーぼれたこの頭の記憶だけですが」
山下の話によると、八十年近く前、確かにこの村で子どもが亡くなったという。…当時、山下はまだ生まれていなかった。物心ついた十代の頃、肝試し感覚で当時の子供たちの間で噂され、それを両親や大人達に訊ねた所、真実だと知ったのだ。
その子供が少女で、倉川家の子であったことは間違いないという。
「その女の子がどこで、どんなふうに無くなったかという事はわかりますか?」
「…確か…」
山下は玄関に下りるとゴム長靴を履き、二人を促した。
「…今はもうあの通りススキだらけですが」
「…あれは、棚田の跡ですかね?」
「棚田だったり鍬畑だったりしたんだ。…あの上に、今は草畑になっているが農道があるんだが…そのどこかで子どもたちと遊んでいて転落死したと」
「…ありがとうございます。それだけ分かれば十分です」
「…どうするんだい?」
「これも何かの縁ですから。線香と…手を合わせたいと思いまして」
山下に深く頭を下げて礼を言い、廃れた農道を進み始めた。
「…かなり藪が濃いな。倉川さん、お車で待機していた方が良いのでは?」
虚崎はウェストポーチから大型ナイフと虫避けスプレーを取り出し、スプレーを自分の手足や首元に掛けながら倉川を振り返った。
「…いえ、この通り藪に入っても問題ない格好ですし…見届けたいので」
「…でしたらこれを。…マダニが居ないとも限りませんので」
虚崎はウェストポーチから軍手とタオルを取り出しながら虫よけスプレーを手渡した。
刃渡り20センチほどの大型ナイフを振るい、藪を払いながら虚崎が坂道を進む。足元はかつて軽トラックでも行き来していたのか、車の轍の跡の様に真ん中を残して両端の地面が凹んだ砂利道になっていた。杉林を抜けると小高い山道から集落と、下に棚田…そして沢を流れる小さな川が見えた。
…あの岩が転がる小さな川にでも転落したのだろうか。
前を行く虚崎が小さな電子コンパスのような物を取りだしてそれを頼るように進む。
藪を払いながら進むと、何の変哲もない農道で虚崎は立ち止まった。
「…ここです。ここから彼女は転落して命を落としました」
虚崎が身を引き、京子もそこに立った。
…鬱蒼とした木々に埋もれ、廃村となりつつある限界集落と、かつて棚田や桑畑だったという眼下のススキ原、そして小川が見えた。
…京子の脳裏にイメージが過った。
鬼ごっこで鬼から懸命に逃げる自分。危険に気付いて足を止めたが…足元の細かな砂利が草履を滑らせ…勢い余っていた体は急速に重力を失っていき…
虚崎がポーチから取り出した紙パック入りジュースとキャラメルを備え、周囲に細心の注意を払いながら線香に火を点けた。香の香りを嗅ぎ、倉川も受け取った線香に火を点けた。
「…何で面識のない私だったんでしょうか?」
「…あなたしか見えなかったからです。 …あの想像すら及ばない厳しい国難の時代、多感な時期にここで死に…それから八十年。ずっとあの家に居たのでしょう。そこへ、初めて自分を知覚できるあなたがやって来た。…生命を全うできなかった誰にも向けようのない恨み辛み、待ちわびた存在が来てくれたことへの喜び…幼心に長年孤独に抱え続けていた彼女のその心中迄は、今となっては察しきれませんが…」
最早、これくらいしかできることは無かった。
…魂魄の一部はここにあった。至近距離からようやく探れる微かなものだったが。
「…ありがとうございます、虚崎さん。…我儘を聞いてもらって」
「とんでもない。…少しでもお力になれたなら幸いです」
線香の煙が昇る先…青空を見上げ、虚崎は除霊したキヨの冥福を祈って目を閉じた。




