File1 怪異探偵
営業開始三ヶ月目…東部戦線、本日も開店休業中。 …後悔と不安の日々は続く。
内装だけは立派なものだ。予てより知人の伝手で目をつけていた中古物件を知人家格で買い取り、当面、人が問題なく使えるように最低限のリフォームを施した。
主要な駅や繁華街からは離れているが、自分の場合は寧ろ好都合だ。…それに、一応都内に居を構える個人経営者…一山さえ当てれば金持ちの仲間入りである。
多くの男の憧れであろう…高級車を乗り回し、高いスーツに高級腕時計なんかつけたりして、綺麗な姉ちゃんをとっかえひっかえしながらお高いメシ屋に入るのだ。
…馬鹿馬鹿しい。
…仮にこの仕事が軌道に乗ったとして、その収入はせいぜい…すっかり下火にある霊能者のそれより良いかもしれないくらいだ。どううまく転んでも、とてもそんな贅沢をする商売にはならない。
…この東京中で毎日のように怪異騒ぎが起こらない限りは。
…ついでに高級車にも高いスーツにも高級腕時計にもお高いメシにも興味は無い。
…高級車は要らないが、出張がやりやすくなるよう、屋根のある車はいつか欲しいものだ。…それまでは愛車の450ccが相棒だ。
…ふと、机の上…郵便物入れの隣に一通だけ分けられた封筒に目が行ってしまう。
…だめだ、あんなものを取っておくから要らぬ誘惑に負けそうになって弱気になるのだ。俺は決めたんだ、独立すると…
…それでも、この三か月の間に入った仕事は僅か二件。…あまりに少なすぎて、どちらの内容も完璧に記憶している。…内容が薄い事もあるが。
…記念すべき一件目はそう、浮気夫の追跡だ。 …受話器を取った時にはそれは嬉しくて飛びつくようにして出たが、内容を聞いて情けなくなった。
…それでも、相手にとっては大事な事だし、どんな内容であれ仕事を貰えるのは実にありがたい。何せ、収入無しでは食っていけないのだから。
それに、「怪異専門探偵所」などと看板にする訳にも行かず、「虚崎綜合探偵所」などと名付けたのだから、文句を言える筋も無かった。
他人様の浮気現場の証拠を探るなど気は乗らなかったが、仕事と割り切ってしっかりとこなして来た。 十分な証拠材料を揃えて依頼者から報酬を得た。
…散々人ならざるモノや、ある意味でそう言った怪異よりよっぽど恐ろしいモノを相手にしてきた自分からすれば、児戯…ままごとに等しかった。…いや、子どもが苦手な分、児戯の方が遥かに困難ですらあった。
その気になれば、たとえカードキーで施錠されていようとマンション内に侵入し、防犯カメラを欺きつつ問題の現場に潜入し、情事に耽る二人に気付かれぬまま激写して帰還する事だってできる。…そこまでしろとは依頼されなかったのでしないが。
…本来の得物の代わりに一眼レフの望遠カメラを手に、夜のビルとビルを縫うようにして動く自分の姿を想像すると悲しくなったが。
二件目の依頼はそれからすぐの事だった。誰あろう、自分が尾行した男が自分を尋ねてきたのだ。まさかと思ったがポーカーフェイスを貫いている自分に、男は妻の写真を見せながら依頼してきた。 …妻の浮気現場を突き止めてくれと。
…こうして、ある意味で仲の良い夫婦の珍騒動…もとい依頼を終えたまでは良かったが、そこからが苦難の日々だった。 それから二ヶ月…つまり今日まで、全く電話は鳴らない。 留守電すら無し。
自分が仕事を選り好んでいられる御身分でも無いと思い知らされるのだった。
…再び、例の封筒に目が行く。 …既に中身は見ている。元勤めていた局から復職のお誘いと言う、こうして窮地になってみると大変魅力的なものだ。
…だが、このプライドらしいプライドを持たない自分でも僅かに…一分だけ残っている自尊心がそれを邪魔する。
自分の独断専行が元で同期…上司と揉め、責任を取って辞職する、と一方的に啖呵を切って局を去ってきた手前、いくら局の方から和解とお誘いが来たとはいえ、今からおめおめとどんな面を下げて戻れるというのか。
…巷で流行りのざまぁとかいうやつの悪者じゃあるまいし。
…かといって、その魅惑の通知書を破り捨てる度胸も無い…そんな煮え切らない今日この頃である。
そんな自分のBGMを体現するかのようにしとしと淑やかな雨音が古いトタン屋根に響く。…その音に幾らか心を癒され、気分転換のコーヒーを淹れて気長に仕事を待つ。
(金の心配さえ無けりゃこんな日々でも悪くないんだが…)
部屋に微かに漂う香りを楽しみながらコーヒーを傾けた。
永遠に…少なくともあと一ヶ月は鳴らないと思っていた電話が鳴ったのはその時だった。噎せそうになりながらも飲み下し、カップをデスクに置いて受話器とメモ、ペンを取った。
さて今度は何だ…? 迷子になった猫ちゃんの捜索か?
「はい、虚崎綜合探偵所です。どのような些細なご相談でもお引き受け致します」
…何度も練習した営業ボイス…地のままだと「怖い」と評される事もままある、低く硬い声を可能な限り和らげ…虚崎連は電話の相手に応対した。
『あの…こんな事を言ったら馬鹿にされるかも知れないんですけれど』
来たな。
久々に…三ヶ月ぶりに本来の仕事の匂いを感じ取り、知らず受話器を握り締めた。
…そして虚崎の猫撫で声に近かった営業ボイスは地声…困窮しきった者ほど縋りたくなる、低くも頼りがいのある声に変わっていく。
「どうか遠慮なさらず。「どんな些細な・奇妙な相談」もお引き受け致しますので」
僅かな逡巡のあと、電話口の女性は語り始めた。
『…あの、じゃあ笑わないで下さいね? …離れて暮らす祖母が亡くなったんです。それで、一週間前、祖母の遺品整理をしに祖母の家に向かったんですが…そこで…なんというか、妙な事が…』
「…分かりました。詳しくお話を伺いたいのですが、どこかでお会いできませんか?ああ、ファミレスや喫茶店、コンビニのイートインなど、ご指定頂ければどこでも」
『あ、はい。それでは三時に、〇〇三丁目にある喫茶店でお願いします』
「了解しました。それでは三時に〇〇三丁目喫茶店で」
受話器を置き、すぐに身だしなみを検めた。
まだ20代の面影を残している…と信じたい…その顔は、久方ぶりの本来為すべき仕事ができることに生き生きとしていた。
…普段は不愛想なその表情をひと工夫さえすれば、振り返らない女性がゼロでは無い事を、当の本人は知らなかった。
…着慣れた私服のスーツにネクタイ。…高級では無いが、高耐久腕時計。 短めに切った髪は…どうしても癖っ毛が飛び出てしまうが、清潔感を損なう程では無い。
元々、この事務所に直接訪れる依頼者を想定して身だしなみは整えてある。…問題無し。
バイクの鍵とヘルメットを抱え…今更雨音を思い出した。
「…早い所車が欲しいもんだ。…軽でもいいから」
そうぼやき、どこのコンビニでも売っているような安物のビニール傘と…簡単な仕事道具の入ったナイロンのビジネスバッグを手に事務所を後にした。
…
喫茶店に入り、問題の女性はすぐに見つかった。相手は自分だとは分からなかったようだが、こちらからすれば…例えどれだけ店内がおひとりさまの女性客でごった返していようと一目瞭然だ。
…肩に黒い靄のようなものを纏った人間が一人だけいるんだから。
…いや、よく見たら奥にも変な…本当のおひとりさまが居たな。
だが、アレは犬か猫が自分が死んだのも気付かず、ペットロスで落ち込んでいる飼い主にくっ付いて不思議そうにしているだけだ。 …悲しくも微笑ましくもある光景だが、害は無い。
虚崎は自分同様、三十代前後の女性客の側に立った。小柄だが程よい肉付きの、健康そうな妙齢の女性だ。…ただ、その健康体に反して表情は酷いものだった。
怪異による恐怖で精神的に参ってしまったのであろう、本来なら美人顔だというのに、その疲れ切った目じりが見た目を老けさせてしまっている。
…怪異に限った事では無いが、他人に打ち明けられずに抱え込む悩み程、人間を弱らせるものは無い。
虚崎を見上げると、その死にかけた表情…淀んでいた眼を縋るように輝かせた。
「倉川さん…ですね?虚崎です。無理を言ってすみません」
「い、いえ、無理なんて。 倉川京子です。…お世話になります」
自身の携帯電話番号も記載した名刺を差し出し、 虚崎は倉川の対席に座った。店員を呼び、二人分の飲み物を注文した。
「早速ですが、詳しいお話を教えて頂けますか? …お祖母様の自宅で何が?」
訊ねながら、その肩にかかる黒い靄を観察した。 残滓の類か…憑りついている訳では無さそうだが、きっかけが一週間前の祖母宅の整理だとして、その際の痕跡がこれだけ色濃く残るというのは相当なものだ。…そのお祖母ちゃんだとか、良いモノでは無い。
「…あまりに現実離れし過ぎていて…信じてもらえるかどうか…」
「ご安心を。…ここだけの所、そういう依頼も多いのです。…どちらかというと、私はその手の依頼をメインとして仕事をしているものでして」
…半分は嘘だが、半分は本当だ。独立して以来の相談は開業三ヶ月目にして記念すべき第一件目だ。 しかし、局に在籍していた時はこの手の対処をメインに、今とは比較にならない程忙しい日々を送っていた。
「…父と二人で手分けして整理をしていたんですが、その途中…祖母宅の二階をふと見上げたら見知らぬ女の子が立っていて。その祖母の家はご近所もご老人ばかりで、子どもなんて一人も居ないので…だから、あり得ないと思ったんです。…怖くなって…そうしたら女の子がさも嬉しそうにニタニタ笑って…」
「何かされましたか?」
「…いえ、そのまま具合が悪くなったと言って、父を連れ出してすぐに逃げ帰りました。…でも、それから毎日のように見られているような気がして…そんな事を考えていたせいなのか、私のアパートにまで出てくるようになって…」
「その少女が? …何か言ってきたり、何かしてきますか?」
「いえ…ただ、気を抜いている時に、物陰や暗がりに佇んで、ニタニタと不気味に笑ってくるので…どうにも精神的に…家に帰るのが嫌で」
自分の家に招かれざる客が居ておかしくならない方がおかしいだろう。…よく耐えている。
しかし、今は憑いていない。…場所に憑くタイプで、祖母宅から倉川宅に移ったか?…しかし、だとしたら父親には?
「お父様にはその少女は見えていないのですか?」
「はい…祖母宅から帰る車の中でその話をしたんですが信じてもらえなくて…自宅に出るようになってから、一回だけ見に来てくれたんですが、目の前に居ても「何も居ない」って」
彼女にだけ波長が合ってしまったのか。 まぁ、ファーストコンタクトで反応してしまっただろうから、それでほぼ確定か? で、自宅に勝手にお邪魔してきた、と。
「…宜しければ、御自宅に案内していただければ、そして可能ならばそのまま対処致しますが?」
「あ、ああ、是非! すぐにでもお願いいたします!」
倉川はこちらが恐縮するほど何度も頭を深々と下げながら懇願してきた。
「どうか御顔を上げて下さい。…その、ぬか喜びさせるつもりは無いのですが、場合によっては時間が掛かる場合もあります。…脅かすつもりもありませんが、無理矢理対処しようとすると、その人の体に…まるで脳に寄生した寄生虫のように摘出困難になる場合がありますので」
「そ、そんな…」
「でも、今は倉川さんの左肩に痕跡こそありますが、憑いてはいません。…恐らく、倉川さん自体というより、場所に執着するタイプなのでしょう。…まずは見てみない事には始まりませんが」
「…すぐにでもお願いいたします」
「わかりました。 …行きましょう」
会計を済ませ、腰を上げた。
…
「…なるほど、ここまで来れば案内不要ですね」
「…」
倉川が半信半疑…というより、恐ろしいモノでも見るように隣の虚崎を見た。
喫茶店から歩いて五分して、路地に通りがかる頃には…痕跡が道にまで残っていた。その痕跡を先頭に立って辿っていくにつれ、倉川が息を呑む気配があった。
…どんな理由であれ、初対面の男に自宅を精確に辿られたら、誰だっていい気持ちはしないだろうが。
「ここですね?…二階の右から三番目の部屋」
「…はい」
「できれば私が部屋に侵入した後悪さ…窃盗などしない事を確認して頂くため、立ち会って頂きたいのですが…宜しいですか?」
「…はい」
「では念の為これを。 …お守りです」
倉川に一枚の札を持たせた。 …見た目より高くつくので、何も無ければ後で返してもらわねばならない。
倉川立ち合いの上、203号室に入った。玄関すぐ横にキッチン…そしてリビング…の暗がりに…居た。
お雛様の髪を解いて、おかっぱにしたらこんな感じか?昭和初期の美少女か。
…ニタニタ笑いを止め、無表情の少女。
いや、無表情にしたって分かるぞ、その殺意は。だが生憎と、俺にその手の精神攻撃は通じないんだ。…俺は局内でもきっての脳筋バカだったからな。…例えるなら電子戦ができない代わりに電子戦の影響を屁ほども受けず、マッハ2、有線ミサイルと機銃で戦える、イカれたレシプロ戦闘機みたいなもんだ。
「あー、お嬢さん。前世で何があったか知らんが、もうこんな事は止めなさい。何があったか教えてくれれば、できる事ならなんでも…」
拒絶の空気。
…そうかい。 まぁ、こちらも説得は専門じゃ無かったんでな。…可能な限り穏便に済ませたいと思っていたのだが…
…お前だって、元から人を苦しめたい訳じゃ無かったんだろう?どうしてそうなってしまったんだ?何があった?
拒絶。
バッグから重い金属質の物体…拳銃を取り出す。
「ああ、モデルガンです。…火薬臭くなるかも知れませんがご容赦を」
燃焼弾頭に混ぜた対霊体処理加工済弾…通称・対霊弾を装填した模型銃…パーツごとに合法に個人調達し、違法に組み立てた実銃だ。だが、この対霊弾を撃つ分には実質・モデルガンでしかない。
発射された燃焼式弾頭は対霊物質…法力を込められた灰と微量の銀を撒き散らしなら二十メートル程推進する。 …児童向け遊戯銃以下の殺傷性能だ。《《人には》》。
…最後のチャンスだぞ。どうしてこんな事をするのか、教えてくれないか?…この女の人がお前に何か酷い事をしたのか?
…ダメだった。
ためらわず、凶暴化して壁を蹴って跳んでくる少女に向けて立て続けに二発撃ち込んだ。 一発目が少女の胸を消し、二発目が頭部を消した。
硝煙に混ぜられた香とごく微量の銀が残された霊体を強制的に除霊していく。
「や、やっつけた…?」
「…はい。殺しました」
…幽霊を殺した、と言うのも妙な話だが。
拳銃からマガジンを抜き、再びバッグに収納した。
「もう、御祖母様の御宅に戻られても二度と同じ事は起きません。…ご安心を」
虚崎はその場でテーブルを借り、バッグから取り出した請求書に請求内容を書き込み始めた。
「あ、ありがとうございます!…あの、あの少女は一体…?」
「…世の中には知り過ぎない方が良い場合もあります。…それに」
それでも倉川は恐る恐る虚崎を見上げた。
「…それに…?」
「…調査には出張含めた追加料金が掛かりますから」
苦笑を浮かべながら虚崎は書き終えた請求書を倉川に手渡した。 倉川は渡された五桁の数字を眺めていたが、それを返して静かに顔を上げた。
「…追加調査を、お願いできますか?」
「…お望みとあれば」
複雑な思いのまま、虚崎は手の中で請求書を丸めた。




