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ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


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56/62

part56 2年の行方

【弓視点】


画面の右上で、赤い点がふっと灯る。


それだけで、胸の奥の温度が変わる。


息が浅くなる。


マイクの前で、笑う準備をする。



あれから二年が過ぎた。


二年って、長いようで短い。


長いようで、短いって言うと、全部が軽くなる気がして嫌だった。


でも短い。


本当に、短い。


森さんが配信に来なくなった日から。


あのアイコンが、当たり前みたいにそこにあった日々から。



夜の配信が終わると、部屋がいきなり静かになる。


さっきまで人の声が流れていたのに、空気だけが残る。


音が止まって、湿度だけが残る。


洗い物がシンクにある。


泡が乾いて、白い線みたいになっている。


それを見るたびに、ため息が出る。


(明日でいいや)


そう思って、手を洗って、顔だけ落として、そのままベッドに倒れる日が増えた。


眠い。


本当に、眠い。


眠いのに、頭だけは冴えてしまう時がある。


そのときは、スマホの明かりが眩しすぎて、画面の白が痛い。


仕事の連絡が入っていれば、そのまま準備をする。


服を選んで、髪を乾かして、カバンに入れて。


心は追いついていないのに、体だけが動く。


連絡がなければ、少しだけ練習する。


笛を構えて、息を入れて。


音が出ると、少し救われる。


救われるって言葉が好きじゃないのに、そうなる。


気合があれば、洗濯を回す。


回して、干して。


干しながら、なぜか泣きそうになるときがある。


理由はわからない。


わからないから、余計に嫌になる。


昔は、その隙間に森さんへ電話をかけようとした。


一日の空いたところ全部が、森さんで埋まってほしいみたいに。


埋めたら安心するみたいに。


でも今は、そういう気持ちがない。


ない、というより。


そこまで熱くならない。


(私って、こんなに簡単に変わるんだ)


そう思って、自分が怖くなる。


森さんが悪いわけじゃない。


私が、私のままなだけだ。



「今日もお疲れさま」


配信で言う言葉が、だんだん上手になった。


上手になった、っていうか。


ちゃんとそれっぽく言えるようになった。


優しく。


丸く。


相手が安心する形に。


それをやっている間だけ、私はちゃんと存在している気がする。


褒められる。


「かわいい」


「今日も癒された」


「音色が好き」


「頑張ってる」


コメントは、あたたかい。


あたたかいのに。


胸の内側まで入ってこない。


ガラス越しに触られているみたいで、温度だけが手前で止まる。


(私がガラスを置いてるんだろうな)


その答えが見える瞬間がある。


でも、見えるだけで、外せない。


外すと、崩れる気がする。



生ライブを増やした。


ライブハウス。


小さいバー。


イベントスペース。


配信だけの世界にいると、全部が配信の正しさでできてしまう。


そこに溺れかけたことがある。


スイッチを入れれば、誰かが褒めてくれる。


肯定される。


わかりやすい。


でも、残らなかった。


本当に残らなかった。


一週間。


一か月。


半年。


一年。


節目みたいに、ふっと消える。


何も言わずにいなくなる人が多い。


それが普通なんだってわかっている。


わかっているのに、体の奥が冷える。


生ライブは、冷える。


空気が、はっきり冷える。


会場の照明が眩しい。


汗の匂いがする。


ドリンクの氷が溶ける音がする。


誰かの笑い声が、近い。


そして、演奏が終わった瞬間の拍手が、逃げない。


スマホみたいに閉じられない。


そのまま残って、こっちを見る。


私はその視線が苦手で。


苦手なのに、欲しくて。


欲しいのに、怖い。


(私、めんどくさい)


その言葉が、二年経っても消えない。


むしろ、濃くなる。


みんな素敵だった。


前向きで、努力している。


自分のことを笑える人が多い。


自分の弱さを、弱さとして見せられる人が多い。


私は音楽に対してはストイックだと思っていた。


練習も、勉強も、ちゃんとやっているつもりだった。


でも、人間性としては自信がない。


自己肯定感が低い。


褒められても、心が動かない。


(動くのが怖いのかもしれない)


動いたら、また誰かに預けてしまう気がする。


預けて、また、失う気がする。



私は異質なんだって、わかった。


わかった、というより。


知ってしまった。


ライブでたくさん会った人たちの中で、私は浮いていた。


浮いているのに、笑っていた。


笑っているのに、どこにもいなかった。


「弓ちゃんって、儚いよね」


そう言われると、胸の奥が縮む。


儚いって、褒め言葉の形をした、距離だ。


「儚い」と言われた場所に、触られたくない。


触られたくないのに、触ってほしい。


矛盾が、ずっと消えない。


(私って、何なんだろう)


たまに、鏡の前で考える。


鏡の中の私は、ちゃんと化粧してる。


髪も整ってる。


目だけが、少しだけ薄い。


薄いのが、わかる。


自分の目が、自分を信じていない。



恋愛の話も、増えた。


年頃だねって言われる年齢になっていく。


街中でのナンパ。


忘年会でのお誘い。


紹介。


リスナーからのDM。


ライブでの告白。


私は断るのが苦手だから。


あと、可能性に賭けたい気持ちもあるから。


会ってみることもあった。


デートも数回した。


みんな紳士で、優しかった。


私を肯定してくれた。


私みたいな面倒な人なのに。


それが、逆に怖い。


優しさが、続く気がしない。


(本当の私を知ったら離れていく)


そう思ってしまう。


そう思ってしまうような形で、私は喋ってしまう。


本音を出さない。


楽しいねって言う。


うんって笑う。


帰り道、ひとりになると、空気が冷たい。


その冷たさが、一番正直だ。


森さんでさえ、配信から離れていった。


あの人は大人だったのに。


あの人は紳士だったのに。


あの人でさえ、距離を取った。


(自業自得だ)


それもわかっている。


わかっているのに。


それでも、寂しい。



結婚は、したいと思う。


思うだけだ。


誰かと暮らす想像をすると、息が詰まる。


私の機嫌。


私の気分。


私の面倒くささ。


それを毎日誰かが見続ける。


見続けられる。


それが、怖い。


恋愛に向かない。


じゃあ何に向くんだろう。


音楽に向いてると言えるほど、才能があるわけじゃない。


演奏ひとつで人を感動させる人がいる。


本当に一握り。


私はそこじゃない。


努力で上がる分だけ、上がっている。


でも、限界みたいな壁が見える瞬間がある。


そのとき、胃の奥がひゅっと縮む。


(上手く吹けないのが一番つらい)


それは嘘じゃない。


だから、場数を増やした。


知り合いのライブのサポート。


配信時間の拡大。


ソロライブはまだ力がないから。


他のライバーさんとの合同ライブ。


できるだけ、外に出る。


できるだけ、人に会う。


できるだけ、自分を追い込む。


追い込むと、考える暇がなくなる。


暇がなくなると、泣かなくて済む。


泣かなくて済む日が増えると、私は元気になった気がする。


気がするだけで。


本当は、根っこは変わっていない。



森さんとの連絡が減ったことで、活動時間が戻った。


戻った、って言い方が嫌だ。


森さんと話す時間は、私の中では活動じゃなかった。


甘えだった。


寄りかかりだった。


でも、現実は現実だ。


時間は限られていて。


私は自分の時間を、音楽へ寄せていった。


森さんと連絡を取ると、身動きができなくなる。


それを、私は知っている。


だから「このままでいいじゃん」を続けた。


踏み込んでこないなら、そのまま。


踏み込んできたら、そのとき考える。


そうやって、流されていった。


二年経っても、流されるのが得意なままだった。



困ったとき。


苦しくなったとき。


うまくいかなくなったとき。


結局、私は森さんに声をかける。


「少しだけ話していい?」


その一言が打てる自分に、安心してしまう。


森さんは、いつも紳士に返してくる。


すぐじゃないときもある。


でも、ちゃんと返ってくる。


「大丈夫ですか」


「今、少しなら」


「落ち着いたらでいいですよ」


文章が丁寧だ。


そこに余計な熱がない。


昔みたいに踏み込んでこない。


それが、助かる。


助かるのに、どこかで寂しい。


寂しいのに、ほっとする。


(適切な距離)


それが、森さんの優しさなんだと思う。


私はこんなことをしたのに。


勝手に傷つけて。


勝手に冷たくして。


勝手に頼って。


森さんは、それでも話を聞いてくれる。


大人だと思う。


私はそこまで大人じゃない。



二人の関係は、ここまでだと思う。


終わるとかじゃない。


発展がない。


付き合うこともない。


別れることもない。


友人として、細々と残る。


その細さが、妙にリアルだ。


私は森さんの人生に乗っかれない。


森さんも、私の人生に乗っかってこない。


乗っかれるわけがない。


森さんには家庭がある。


責任がある。


私は私の人生を、私が考えなくちゃいけない。


森さんはアドバイスはくれる。


でも人生の決定を代わってくれるわけじゃない。


その当たり前が、二年かけて、やっと体に馴染んだ。


馴染んだぶんだけ、怖くなる。


(じゃあ私は、誰に甘えるの)


そう聞くのは、卑怯だ。


自分で立てって話なのに。



配信をしていて思う。


肯定してくれる人が残る。


合わない人が去っていく。


それは間違いない。


その世界がすべてみたいに感じてしまうのも、わかる。


でもそれは、成長が止まる場所でもある。


会社の社長みたいに。


人に言われにくい立場になる人みたいに。


寄せ付けなくなった瞬間に、止まる。


止まっているのに、褒められる。


褒められると、止まっていることに気づけない。


私は女で、若さが武器になる部分がある。


見てほしいわけじゃない。


でも、武器にならざるを得ない。


それを受け入れたくなくて、私は音楽に逃げる。


音楽は裏切らない。


裏切らないけど、残酷だ。


努力の結果が出る。


結果が出ないことも、出る。



森さんが配信に来なくなってから。


リスナーの言葉は心地よかった。


溺れかけたことがある。


とりあえず付ければ、褒めてくれる。


「大好き」


「いつもありがとう」


「最高」


その言葉は、手軽な毛布みたいだった。


包まれる。


あたたかい。


でも、朝になると薄い。


薄いのがわかる。


薄いのに、また夜に包まりたくなる。


その繰り返しが、自分でも嫌だった。


(みんな残らなかった)


それが、一番こたえた。


こたえるのに、私はまた配信をつける。


つけないと、静かすぎて怖い。


怖いのは、部屋じゃない。


自分の中の空洞だ。



もっとたくさん考えていれば、変わっていったんだろうか。


そう思う。


でも私は、考えるより先に感覚が動く。


動いたあとに、理由を探す。


理由を探すと、後悔が見つかる。


後悔を見つけると、また動けなくなる。


(私は私のままでいい)


そう思っていた。


変わらずにいればいいと。


そのままの自分を肯定してくれる人がいるから。


その世界が優しいから。


でも、優しい場所だけで生きると、弱くなる。


弱いまま、年齢だけが進む。


若さが薄くなる。


そのときに何が残るのか。


私は、それが怖い。



ライブの帰り道。


冬の夜。


息を吐くと、白くなる。


白い息が街灯に溶けて、すぐ消える。


その消え方が、私みたいだと思う。


思うのに、笑ってしまう。


笑うと、寒さが少しだけ和らぐ。


私はそうやって、自分を誤魔化すのが上手だ。


上手になっただけで、救われたわけじゃない。



そして、また困ったときに私は森さんへ声をかける。


声をかけて、安心する。


安心して、また自分の足で立とうとする。


その繰り返し。


発展しない関係。


それでも、途切れない関係。


それが、今の私には必要なんだと思う。


必要だと思いたい。


本当は、ただ手放せないだけかもしれない。



私はこの先、どうすればいいんだろう。


答えは出ない。


出ないけど、明日の練習はある。


明日の仕事もある。


次のライブもある。


次の配信もある。


だから私は、今日も一回だけ音を出す。


息を入れる。


音が出る。


それだけで、少しだけ光が戻る。


戻った光を、握りしめるみたいに。


マイクの赤い点が消えた部屋で。


笛の残響が、天井の角に薄く溜まっていく。


音が消える前に、私は目を閉じる。

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