part54 そして2年後
【弓視点】
あれから、二年がたった。
夜の配信は、相変わらず続けている。
歌って、吹いて、しゃべって。
終わったら、キッチンの電気だけつけて、流しの前に立つ。
シンクには、マグカップと皿。
配信前に片づける気力がなかった、そのままの形。
洗おうかな、と思って、
スマホの時計を見て、やめる。
「明日の朝でいいか。」
小さくつぶやいて、電気を消す。
暗くなった部屋の中で、外の街灯だけがカーテンの隙間から入ってくる。
(こういう“後回し”が、増えたな。)
布団に潜り込む。
目を閉じて、タイムラインを指でなぞる。
配信の通知、他のLiverのライブのお知らせ、フォロワーの写真。
昔なら、ここで森さんに電話をかけていた。
「今日もありがとう」とか、「あそこミスった」とか、
どうでもいい報告を、眠る前に一回だけ挟んでいた。
今は、それがない。
通話ボタンに、指が触れることさえない。
トーク画面は、だいぶ前のやり取りで止まっている。
(仕事終わったら、練習して、配信して。
その合間に洗濯して、ご飯作って。
前みたいな“余白”は、どこいったんだろう。)
目を閉じると、音より先に、疲れだけが身体に降りてくる。
⸻
二年のあいだに、
生ライブもずいぶん増えた。
小さなカフェの片隅、
イベントのステージ、
どこかの誰かの記念日みたいな夜。
そこで出会う人たちは、
驚くほど、ちゃんとしていた。
仕事の話をして、
夢の話もして、
努力している内容を、当たり前のように口にする。
「こうなりたいから、これをやってるんです。」
そんな言葉が、さらっと出てくる。
私はと言えば、
音楽に向かうときだけは、それなりにストイックでいられる。
笛を磨いたり、指慣らしを繰り返したり、フレーズを納得いくまで回したり。
でも、それ以外はからっきしだ。
人付き合いも、
時間の使い方も、
生活の整え方も。
(人間性って言葉、苦手だな。)
褒められても、心に入らない。
「すごい」「感動した」「優しいね」
どれも、空気の表面を撫でて、消えていく。
本当にそう思ってくれているのかもしれない。
でも、それを受け取れる器が、自分の中に見つからない。
⸻
森さんが、配信に来なくなってから。
リスナーの言葉は、
前よりも、ずっと心地よく感じられるようになった。
配信ボタンを押せば、
すぐに誰かが来てくれる。
コメント欄が、光る。
「今日もかわいい」
「音色ほんと好き」
「疲れてても癒やされた」
そのひとつひとつが、
何かを埋めてくれる気がした。
(このまま、この場所だけ見てたら、楽なんだろうな。)
そう思った夜もある。
ただ配信して、
ただ褒められて、
ただ「ありがとう」と言って眠る。
それだけの循環に、
沈んでしまいそうになった。
でも――
みんな、残らなかった。
最初は毎日来てくれていた人が、
一週間に一度になり、
一ヵ月に一度になり、
そのうち、通知の中から名前が消える。
一年続く人でさえ、少ない。
二年となると、数えられるくらいだ。
(私には、何が残ってるんだろう。)
配信アプリのアイコンだけが、
スマホのホーム画面で、やけに明るく見えた。
⸻
他のLiverさんから、
男の人を紹介されることも増えた。
「いい人だから、会ってみなよ。」
断るのが苦手で、
あと、どこかで“可能性”みたいな言葉に弱くて、
会いに行く日を、何度か作った。
みんな、いい人だった。
仕事を頑張っていて、
私の話もちゃんと聞いてくれて、
褒めてくれた。
「そんなに自分を悪く言わなくていいよ。」
そう言われると、
笑うしかなくなる。
(本当の私を知ったら、どうなるんだろう。)
配信で取り繕ってる部分も、
会っている時の“いい感じの自分”も、
どれも、薄くて安定しない。
あの森さんでさえ、
結局は、離れていった。
自分で壊した部分が大きいのはわかっている。
自業自得だと、頭では納得している。
それでも、
ひとつの事実として胸に残る。
(あの人ですら、ダメだったんだからなぁ。)
結婚したい気持ちは、まだある。
誰かと並んでご飯を食べて、
同じ部屋で別々のことをして、
眠くなったら「おやすみ」と言って寝る、
そんな暮らしに憧れはある。
でも、恋愛という器具に、
自分はうまくはまらない気がする。
近づきすぎると、
自分でも制御できない部分が顔を出す。
それで、何度もダメにしてきた。
(じゃあ、私って、何に向いてるんだろう。)
答えは、二年経っても出ないままだった。
⸻
困ったときには、
やっぱり森さんに声をかけてしまう。
長文の相談を送るわけじゃない。
ただ、「最近、こういうことがあってさ」と、
少しだけ状況を書く。
既読がついて、
しばらくしてから、返事が来る。
「大変でしたね。」
「それは、あなたが悪いわけじゃないですよ。」
「こういうふうに考えるのもアリかもしれません。」
そのどれもが、
前みたいに踏み込んでこない。
私を変えようとしたり、
引き戻そうとしたりはしない。
話を聞いて、
少しだけ景色を広げてくれる。
でも、私の中には入ってこない。
(大人だなぁ。)
そう思う。
少し悔しくて、少しほっとする。
私はめんどくさい。
気分で動くし、
不安定だし、
約束を守りきれないときもある。
森さんは、その全部を見たうえで、
「助ける人」にはならなかった。
私を救うための人じゃない。
そういう役目の人でもない。
(ああ、この関係、ここまでなんだろうな。)
ゆっくりと、そう理解した。
私と森さんは、
これ以上は近づかないし、
かといって、完全には離れない。
付き合うこともないし、
別れるという儀式もない。
友人と呼ぶには、
どこか重たくて、
特別と呼ぶには、
どこか冷静すぎる。
宙ぶらりんだけど、
いちばん壊れにくい場所に、
二人して立っている気がする。
⸻
だから、私は、
自分の人生を、自分で考えないといけない。
森さんは、アドバイスはくれる。
でも、私の未来に乗っかってくることはない。
乗っかれるわけもない。
私も、森さんを、自分の人生に巻き込んじゃいけない。
巻き込んだところで、きっとどこかで破綻する。
(この先、どうしたいんだろう、私は。)
考えようとするたびに、
部屋の空気が、少しだけ重くなる。
⸻
夜、配信を終えたあと。
ふと、ベランダに出る。
外気は、思っていたより冷たい。
どこかの家の洗濯機の音が、小さく聞こえる。
空を見上げても、
答えはどこにも書いていない。
スマホの画面をつける。
配信アプリのアイコンが、
相変わらずいちばん明るい場所にいる。
(私は、この先、どうやって生きていけばいいんだろう。)
そう思いながら、
通知も鳴らない画面を、
しばらく眺めていた。
風が、
ベランダの柵をかすめていく音だけが、
はっきりと耳に残った。




