part50 弓の独白
【弓視点】
夜の空気って、
静かだと思ってた。
でも、こうして一人でいると、
冷蔵庫の音とか、
外を走る車のタイヤの音とか、
遠くのテレビの笑い声とか。
いろんな音が、
少しずつ重なってくる。
(配信終わったあとって、いつもこんな感じだったっけ)
配信を閉じて、
「おつかれさまでしたー」って言って、
画面を落として。
本当なら洗い物をして、
片付けて、
明日の準備をして、って
ちゃんとした流れがあるはずなんだけど。
最近は、
そこで一回、電池が切れる。
シンクを見て、
そのまま見なかったことにして、
とりあえずベッドに倒れ込む。
目を閉じたらそのまま寝ちゃうときもあるし、
眠れないまま、
天井をぼんやり見ているときもある。
朝、
というより、昼前に起きると、
キッチンの静けさに、
昨日の自分が残っている。
「……あ、洗い物やってないや」
声に出すと、
ちょっとだけ罪悪感が和らぐ気がする。
洗い物をまとめて片付けて、
スマホを開いて、
仕事の連絡を確認する。
何かあればそっちを優先して、
何もなければ、
少しだけ笛を出して、音を出してみる。
指を動かして、
息を通して、
今日のコンディションを確かめる。
吹けそうなら配信を考えるし、
気合が残っていれば洗濯機を回す。
だいたい、最近の一日は
そんな感じで進んでいく。
前はね。
この合間のどこかで、
ふっと「森さんに電話してみようかな」って
思う瞬間があった。
洗い物をしながらとか、
洗濯を回しながらとか、
配信のサムネ作ってる途中とか。
ほんの数分でもいいから、
声を聞いたら落ち着く気がして。
「今大丈夫?」って送って、
返事が来るのを待ったりして。
それが当たり前みたいになってた時期も
たしかにあった。
でも、最近は。
その「電話してみようかな」が、
ほとんど浮かんでこない。
忙しいからって言えば、
言い訳にはなる。
でも、
本当に忙しいだけなら、
きっとどこかで無理やり時間を作ってる。
(そういう性格なのは、
自分が一番よく知ってる)
だから、
ただ仕事に追われてるから、
ってだけじゃないんだと思う。
森さんのことは、
今でも好きだと思う。
でも、それが何の“好き”なのか、
うまく言えない。
恋かって聞かれたら、
たぶん違う。
愛かって言われても、
そこまで背負える気はしない。
前みたいに、
「声が聞きたい」とか、
「会いたい」とか、
そういう単純な衝動は
少し静かになった。
でも、
いなくなってほしいわけじゃない。
(本当にめんどくさい)
一度心を許した相手だから、
簡単には手放せない。
最初からこういう関係だよって言われてたら、
きっと受け入れなかった。
配信者としても、
一人の女の人としても。
でも、
途中まで一緒に歩いてきて、
笑って、泣いて、
弱いところも見せて。
そこから急に
「はい、じゃあ終わりです」って
切るボタンを押せるほど、
私は器用じゃない。
(終わらせ方の方が、
始まり方よりずっと難しい)
だからと言って、
森さんに全部を預けるつもりもない。
森さんには家族がいて、
私はそこを壊したいわけじゃない。
ただ、自分が一人で立てないのも、
うすうすわかっている。
だから、
彼氏を作ろうと思った。
“正しい形に戻りたい”っていうより、
“依存してる場所を分散させたい”
みたいな感じかもしれない。
ライバーの友達に男の人を紹介されて、
話が進んでいって。
森さんに伝えたときには、
もうある程度、
道ができてしまっていた。
傷つけるつもりは、なかった。
本当に。
ただ、その瞬間その瞬間で、
目の前にある方へ
ふらっと足を向けただけ。
その先に誰の痛みがあるかなんて、
そこまで想像できていなかった。
(想像しないようにしていた、
って言ったほうが正しいのかもしれないけど)
あの日、
ちゃんと話をしてわかった。
森さんは、
私の全部を受け止めてくれる人じゃない。
当たり前なんだけど、
それをちゃんと理解したのは、
あの日が初めてだった。
依存みたいになっていた部分が、
そこですこし壊れた。
壊れたのに、
会えば平気になる。
会えば、
抱きしめられても、
キスをされても、
拒めない。
身体が勝手に、
「大丈夫だよ」って言ってしまう。
(その瞬間だけ、
全部許されてる気がしてしまう)
じゃあ、
そのまま森さんを選ぶのかといえば、
それも違う。
彼氏を作ろうとする自分もいて、
森さんと離れきれない自分もいる。
正しい場所なんて、
どこにも見当たらないのに。
夜、
配信の準備をしているとき。
サムネの文字を打ちながら、
コメント欄のことを考えて、
今日の枠の空気を想像して。
ふと、
森さんのアイコンが浮かぶことがある。
でも、
そこから「電話してみようかな」には
もう繋がらない。
(あ、今ちょっとだけ思い出したな)
そのくらいの温度で、
心の中を通り過ぎていく。
これが、
冷めたってことなのか。
それとも、
落ち着いたってことなのか。
自分でもよくわからない。
ただひとつ言えるのは、
前みたいに“毎日会いたい”とは
思っていないということ。
今なら、
月に一度でも、
それより少なくても、
なんとかやっていける気がする。
でも、
完全にいなくなるのはこわい。
(どこかにいてほしいし、
どこかで離れてほしい)
そんな矛盾した気持ちを抱えたまま、
今日もまた配信の画面を開く。
私にとって“好き”って、
結局なんなんだろう。
考えても、
答えは出ない。
考えないでいると、
いつのまにか、
その場その場の選択だけが積み重なっていく。
その先に何が待っているのかは、
まだ見えない。
⸻
(名前のつかない気持ちだけが、
今日も胸の奥で、
小さく呼吸している)




