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ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


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48/62

part48 依存だったんだ

【弓視点】


 


配信ボタンを押す前に、

指先が少しだけ冷たくなる。


いつもと同じことをしているだけなのに、

今日はその冷たさが

少し長く残った。


 


「……こんばんは。弓です」


 


マイクに声を乗せる。


狭い部屋の空気が、

一度喉を通って、

画面の向こうに放り出されていく感じがする。


 


イヤホンの中で、

わずかな残響が返ってくる。


それを聞いて、

やっと「始まった」と思う。



最初のコメントが

ゆっくり流れてきた。


 


〈〇〇:こんばんは〉

〈△△:今日も来ました〉

〈刈り上げ:おつ〉


 


「〇〇さん、こんばんは」


「△△さんも、今日もありがとう」


「刈り上げくん、おつかれさま」


 


名前を一つずつ拾いながら、

喉の奥を少しずつ温めていく。


 


コメント欄の文字を追いながら、

その中に

見慣れた二文字がないことに気づくのは、

ほとんど反射みたいなものだった。


 


(今日も……来てないか)


 


そこで一度、

視線を画面から外した。



「今日はね」


 


何を話すか決めていたわけじゃないのに、

声だけが先に動く。


 


「外、静かなんですよ」


「さっきまで雨の音してたんですけど、

 今はもう止んでて」


 


窓の外をちらっと見る。


ガラスの向こうで、

街灯の白い輪郭が少し滲んでいる。


 


部屋の中では、

冷蔵庫の小さな音と、

パソコンのファンの回る音が

かすかに重なっていた。


 


〈〇〇:こっちはまだ降ってる〉

〈△△:雨音好き〉


 


「雨の音、いいですよね」


「わたしも好きです」


 


言いながら、

(こういう話をするとき、

 森さんはいつも何か一言くれたな)と

ふっと思い出す。


 


「その音、いいですね」とか。

「今の情景、好きです」とか。


そういう短い一行が、

必ずどこかに落ちていた。


 


今日は、その一行はない。


それでも枠は流れていく。



「そうだ」


 


話題を変えるみたいに、

息を吸い直す。


 


「刈り上げくん」


 


〈刈り上げ:はい〉


 


「この前、文字のこと言ったじゃないですか」


「ちょっときつく見えちゃうかもって」


 


刈り上げくんのコメントは、

前より少しだけ丸くなった。


文の最後に

ひとつだけ絵文字が足されたり、

言い切っていた言葉が

少しだけ柔らかくなったり。


 


「前より、

 他の人も入りやすくなってる気がします」


「変えてくれて、ありがとう」


 


それは、

本当にそう思っている言葉だった。


 


〈刈り上げ:こちらこそ〉

〈刈り上げ:言ってくれたおかげです〉


 


〈〇〇:たしかに前よりやわらかい〉

〈△△:コメント読みやすくなった〉


 


コメント欄が

ふわっと明るくなる。


 


「みんな、ちゃんと見てますね」


「そういうの、すごく助かります」


 


枠のことを一緒に考えてくれる人がいることが、

どれだけ心強いかはよく分かっている。


少し前まで、

そういう話は

ほとんど森さんとしかしてこなかった。


 


(いつの間にか、

 刈り上げくんに相談する方が

 当たり前みたいになってる)


 


そのことに気づいた瞬間、

胸のどこかが

小さく揺れた。



「一本だけ、吹こうかな」


 


そう言って、

手を伸ばして笛を取る。


 


「音、大きかったら教えてくださいね」


 


マイクとの距離を少しだけ離して、

息を吸う。


肺の奥に入ってくる空気の冷たさを

きちんと確認してから、

指を穴に置いた。


 


一音目が、

部屋の壁に当たって跳ね返る。


その反射が

少し遅れて耳に戻ってきて、

やっと音になったと実感する。


 


〈〇〇:この曲すき〉

〈△△:今日の音、やさしい〉

〈刈り上げ:安定の音色〉


 


コメントの気配を感じながら、

指を動かす。


 


(森さんなら、

 今の一瞬を拾ってくれたかもしれない)


 


そう思う瞬間が、

ところどころにあった。


音の揺れ方とか、

息の抜け方とか、

わたし自身が言葉にできない部分を

いつも見つけてくれていた。


 


今は、その言葉はどこにもない。


ただ音だけが、

ここから向こうへ流れていく。



曲を終えたとき、

静けさが少し重く落ちてきた。


 


「ふう……」


小さく漏れた息まで、

マイクが拾ってしまう。


 


〈〇〇:おつかれさま〉

〈△△:耳が喜んでる〉

〈刈り上げ:今日の揺れ方、好きでした〉


 


「聴いてくれて、ありがとう」


「そう言ってもらえるの、うれしいです」


 


ひとつひとつ、

コメントに触れていく。


 


(前みたいに、

 森さんからの感想を

 どきどきしながら待ってる自分は

 もういないんだな)


ふと、そう思う。


 


寂しいような、

ほっとしているような、

どちらとも言えない感覚が

胸の奥で混ざり合った。



「最近、少し思ったことがあって」


 


自分で話を振っておきながら、

何を言うかは

まだはっきり決めていなかった。


 


「ずっと“好き”だと思ってたものが、

 そうじゃなかったんだ、って

 ふいに分かるときってありませんか」


 


コメントの流れが、

少しだけゆっくりになる。


 


「好きというより、

 そこに寄りかかってただけだったんだな、って」


 


声にしてみると、

その言葉は自分に向けて

一番強く響いた。


 


〈〇〇:あるかも〉

〈△△:分かる気がします〉

〈刈り上げ:依存ってやつ?〉


 


「依存、って言葉が

 いちばん近いのかもしれないですけど」


「名前をつけたら

 少し楽になる気もするし」


「でも、

 まだはっきりそうだとは言えない感じもあって」


 


(たぶん、

 森さんのことなんだろうな)


心の中でだけ、

その名前を置く。


 


「前みたいな、

 胸がきゅっとなる感じは

 ほとんどなくなったんです」


 


「でも、

 いなくなってほしいわけじゃないんです」


 


「この感じが、

 いちばんややこしいなって」


 


自分で言いながら、

苦笑いが少し混ざる。


 


〈〇〇:なんとなく分かる〉

〈△△:距離が変わるときの感じかな〉


 


コメントを見て、

(伝わってる)と

少しだけ安心する。



「全部受け止めてくれる人だ、って

 思ってた人が」


「そうじゃなかったんだって

 分かる瞬間とか」


 


「その逆とか」


 


言葉を選ぶように、

ゆっくり話す。


 


(森さんは、

 全部を受け止めてくれる人じゃなかった)


それは

どこかで知っていたはずのことだった。


でも、

はっきり突きつけられたとき、

自分の中の何かが

静かにほどけた。


 


(夢が一枚、

 はがれたみたいな感じ)


そう思うと、

少しだけ呼吸がしやすくなる。


 


「それに気づいたときに」


「“好き”だと思っていた気持ちが

 違う形に変わっていくんだろうな、って」


 


そこまで話して、

自分から話題を切った。


 


「……はい。

 難しい話はこれくらいにして」


 


〈〇〇:切り替えはやい〉

〈△△:でもいい話だった〉

〈刈り上げ:そういうの話してくれるの、好きです〉


 


「聞いてくれて、ありがとう」


「暗くしすぎると、

 ここに来づらくなっちゃうから」


「ちゃんと戻れる場所、残しておきたいなと思って」


 


それは、

前に森さんから

何度も言われたことだった。


 


(今も結局、

 その言葉に寄りかかってるんだよな)


心の中で、

小さくそうつぶやく。



他愛のない話を

いくつか挟んでから、

時間を見た。


 


「そろそろ、

 終わりにしようかな」


 


〈〇〇:今日もおつかれさま〉

〈△△:また来ます〉

〈刈り上げ:いい枠でした〉


 


「今日も来てくれて、ありがとう」


「みんながいてくれるから、

 続けられてます」


 


名前を一人ずつ読みながら、

そのたびに

胸の中で小さく礼を言う。


 


森の名前は、

やっぱりどこにもない。


 


(これが、

 今の“普通”なんだろうな)


その言葉を飲み込むようにして、

最後の挨拶をする。


 


「じゃあ、

 今日はこのへんで」


「おやすみなさい」


 


配信を切るボタンを押す。


赤いランプが消えた。



静かな部屋に、

自分の呼吸の音だけが残る。


 


(森さんがいない方が

 やりやすい部分も、たしかにある)


その事実を

認めたくない気持ちと、

認めてほっとしている気持ちとが

同じ場所に座っている。


 


(離れたいわけじゃないのにな)


 


そう思いながら、

暗くなった画面を指先でなぞる。


 


通知は、

何も鳴らない。


その静けさが、

少しだけ

心細く感じられた。

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