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ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


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part45 ぐっちゃぐちゃ

【弓視点】


スマホの画面には、

配信アプリの待機画面が出ていた。


「しばらくお待ちください」


白い文字が、小さく点滅している。


その文字を見ながら、

わたしは喉の奥にたまった空気を

ゆっくりひとつ吐き出した。


(今日も……やるんだよね)


自分に確認するみたいに、

声にならない言葉が胸の中で転がる。


 


開始ボタンを押す。


指先が当たった瞬間、

部屋の静けさのかたちが変わった気がした。


 


「……こんばんは、弓です」


自分の声が、

イヤホンの向こう側に向かって

ふわっと飛んでいく。


少しだけ、固い。


そう思ったけれど、

もう戻せない。



「今日もおつかれさまです」


「来てくれてありがとう」


言葉を重ねる間に、

画面の端に小さくハートが飛ぶ。


通知音は切ってあるのに、

誰かが入ってくると

空気の密度がほんの少し変わる。


 


「ねちゃだめーって言われたら、

 起きてなきゃいけない気がするんだよね」


そう言うと、

コメントがぱらぱらと流れる気配がした。


目では見ていない。


でも、

耳の奥で、

笑い声みたいなものが増えるのが分かる。


(今日も、なんとかなるかな)


胸の奥で、

少しだけ緊張がほどける。



少しして、

いつもの名前が空気の中に混ざった。


コメント欄を直接見ているわけじゃないのに、

その人が来たことは

声の出し方で分かる。


 


「刈り上げくん、こんばんは」


いつもより、

一拍早く名前が口から出た。


(あ、いま少し、急いだ)


自分で気づいたけれど、

もう言ったあとだった。


 


「仕事中?

 さぼってない?」


軽く笑いながら問いかけると、

間を置いて、

スマホの向こうから何人分もの空気が揺れる。


 


〈サボり中〉


 


文字を直に読んだわけじゃない。


でも、

いつもの調子の返事が来たことは分かる。


コメントで言われた内容は、

頭の中でだいたい形になる。


(いつも通り、だよね)


そう思った時だった。


 


「ん?」


ひとつ、

耳にひっかかる気配があった。



「えっと……」


何かを読むように、

わたしは声に出した。


「今日も人、入ってこんよ。

 ずっと森さんと話してるからやって」


言葉を口にした瞬間、

部屋の空気が少しだけ重くなった気がした。


(……ああ)


胸の奥に、

濁ったものがふわっと溜まる。


「そう、なんかな」


笑いながら言ったつもりだったのに、

口の中で転がった声は

自分でも分かるくらい心もとなかった。


 


(そう見えてるんだ)


(そう見えてたんだ)


頭のどこかで、

前から知っていた答えを

あらためて聞かされたみたいな気分になる。



森さんの名前を呼ぶとき、

たぶん、

声の温度が少し違う。


それは自分でもなんとなく分かっていた。


 


「森さん、こんばんは」


他の人より、

一文字分くらい多く息を含ませている。


それは、

最初に枠に来てくれた日から

ずっと変わらない癖みたいなものだった。


 


(いちばん最初から見てくれてる人だから)


(わたしの音がぐちゃぐちゃだったときも、

 聞いてくれた人だから)


そこに理由をつけようとすると、

いくつも出てくる。


でも、画面の向こうから見ている人たちには

そんな事情は伝わらない。


 


「森さんだけ扱い違うって、

 そう見える?」


刈り上げくんのコメントを拾いながら、

わたしはそう聞き返した。


 


(本当に、そう見えてる?)


(冗談じゃなくて?)


確認したかったけれど、

声には出せない言葉が

胸の内側でゆっくり渦を巻く。



「見える」


少し間を置いて、

そんな返事が返ってくる。


どんな表情で文字を打っているのかは分からない。


でも、

その一言が

冗談ではないくらいは分かる。


 


「そう、なんだ」


口から出てきた言葉はそれだけだった。


それ以上何かを言おうとすると、

喉の奥に小さな塊がつかえてしまう。


(だって)


(森さんおらんと、不安なんだもん)


心の中でだけ、

そう言い訳みたいなことを呟く。



森さんのことを好きだなと思ったとき、

わたしの頭の中はそれでいっぱいだった。


仕事の合間に、

寝る前に、

配信が終わったあとに。


「今なにしてるかな」


「ちゃんとご飯食べたかな」


そんなことばかり考えていた。


 


(あのときのわたし、

 だいぶ、やばかったな)


今思うと、

少し笑えてしまうくらい、

森さんに寄りかかっていた気がする。


 


いつの間にか、

「配信に来てくれる人」ではなくて、

「わたしの話を聞いてくれる人」になっていた。


相談もした。

泣き言も言った。

言わなくていいことも、たぶん言った。


 


森さんが、

それをどう受け止めていたのかは

ちゃんと聞いたことがない。


(聞くの、怖かったからな)


(もし「重いです」って言われたら、

 きっとわたし、配信もやめてた)


そう思うと、

喉の奥が少し熱くなる。



「森さんだけ扱いちゃう」


その一言は、

森さんだけじゃなくて

わたしにも向いている。


 


(わたしの態度が、

 そう見せてるんだよな)


そう分かっているのに、

誰にもちゃんと言えていない。


森さんにも言っていない。


「ごめんね」って

一度だって口に出していない。


(だって、ごめんって言ったら、

 全部認めることになる)


(わたしが、

 森さんをひとりだけ違うところに置いてたって)


それを言葉にした瞬間、

何かが壊れそうで怖かった。



刈り上げくんは、

枠のことをよく見ている。


 


「タイトル、こうした方がいい」とか、

「説明、分かりにくい」とか。


最初はちょっと、

胸のあたりがチクッとした。


(また、そういう話か……)


森さんにも前に言われたことがある。


配信のタイトルのこと。

入り口のこと。

見せ方のこと。


 


「そうなんだろうけど……難しい話、苦手なんだよね」


そう言って、

そこで止めてしまったのは自分だ。


森さんの言葉は、

途中から頭に入らなくなった。


(考えなきゃいけないことって、

 一度に二つも三つも持てない)


(音のこと考えてるときに、

 数字とか、伸び方とか、入ってこない)


だから、

あの話は一度そこで終わった。



今日、

刈り上げくんが同じようなことを言ったとき。


あの時みたいに、

頭の中が真っ白にはならなかった。


 


「音はほんまにいいから」

「入り口で損してる感じ」


そんなニュアンスの言葉が、

少し刺さるように届く。


 


(あ、これは……

 森さんが前に言おうとしてたやつかもしれない)


胸のどこかで、

そんな小さな気づきが生まれた。


それと同時に、

別の感情がひっそりと顔を出す。


(なんで、今なら聞けるんだろう)


(なんで、あの時は聞けなかったんだろう)


答えは、あまりきれいじゃない。


 


(森さんに言われると、

 「ちゃんとしなきゃ」って思いすぎるのかもしれない)


(うまくできないと、申し訳なくなるから)


(だから、

 最初から聞くのをやめてたのかもしれない)


そう考えると、

胸の奥が少しだけ重くなる。



「刈り上げくんはね、

 枠のこと、よく見てくれてるんだよ」


そう口にすると、

誰に言っているのか分からなくなった。


リスナーたちに向けてなのか、

自分自身に向けてなのか。


 


「でもね」


「ちょっと文字、きつく見えるかも」


言いながら、

息をひとつ混ぜる。


「わたしは平気なんだけど」


「初めて来る人とか、

 びっくりするかもしれないなって思って」


そう付け足すと、

どこかで少しだけ空気が和らいだ気がした。


 


(きつく見えて損してほしくない)


(本当に枠のこと考えてくれてるの、

 伝わってほしい)


そう思ったから、

それは素直な本音だった。


 


〈言ってくれて助かるわ〉


そんな返事が返ってきたことも、

空気の変化で分かる。


 


(森さんにも、

 こういうふうに言えたらよかったのかもしれない)


ふと、そんな考えがよぎる。


でも、そのときにはもう遅かった。



森さんは、

今日も配信に来てくれていた。


 


「森さん、こんばんは」


いつもより、

ひとつだけ距離を置いた声になってしまった気がする。


(さっきの話、どう受け取ったんだろう)


聞いてみたいけれど、

枠の中では聞けない。


 


(配信を止めて話すほどのことなのか、

 分からなくなってきた)


(でも、このまま何も言わないでいると、

 ずっと気持ち悪いままなんだろうな)


その両方の感情が

胸の中でゆっくり擦れ合う。


 


森さんがコメントで何か言うたびに、

少しだけ呼吸が浅くなる。


 


「そっか」


「うん、ありがと」


返事はできる。


でも、

そこに混ざっていたはずの

“甘え”みたいなものを

どこに置いていいのか分からなくなった。



配信が終わる時間になっても、

話したいことは終わらない。


 


「……そろそろ、

 今日もこの辺で終わろうかな」


そう言ったとき、

声の奥に疲れが混じっているのが分かった。


(森さん、どう思ってるんだろう)


(刈り上げくんのことも、

 さっきのコメントのことも)


気になって仕方ない。


でも、

配信の中でそれを言ってしまえば、

全部そこに引きずられる。


 


「今日も来てくれてありがとう」


「また、遊びに来てね」


いつも通りの言葉で締める。


口は覚えている。


 


配信を切った瞬間、

部屋の空気が一気に音を失った。


 


(森さんに、ちゃんと話した方がいいのかな)


(でも、話したら……

 たぶん、もっと苦しくなる)


どっちを選んでも、

楽にはならない気がした。



しばらく、

スマホを伏せたまま

何もせずに座っていた。


画面の光が消えると、

さっきまでそこにいたはずの

いくつもの声が嘘みたいに遠くなる。


 


(森さんが来てくれたから、

 ここまで続けられたんだよな)


(それは、ほんと)


その事実だけは、

変えようがない。


 


(でも、森さんがいると、

 今のわたしはうまく回せなくなってる)


(新しい人も増やしたい)


(森さんを傷つけたくない)


(全部いっしょに、は……

 できないのかな)


考えれば考えるほど、

息が苦しくなる。


 


(わたし、どうしたいんだろう)


森さんのことを考えると

胸が重くなる。


刈り上げくんのことを考えると

枠の未来が少しだけ明るく見える。


そのどちらも、

今の自分には本当のことに思えた。


 


(好き、ってなんだったんだろう)


(依存、ってなんなんだろう)


答えのない問いだけが

静かな部屋の中で浮かんでいる。


 


その夜、

弓は通知をすべて切って、

スマホを伏せた。


画面の向こうで

誰かが何かを感じているかもしれないことを

一度だけ思い出してから、

ゆっくりと目を閉じた。

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