表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

44/62

part44 居座った場所

【森視点】



自分の呼吸の音だけが、部屋の中で行ったり来たりしていた。


イヤホンを外したあとの静けさは、

さっきまで聞いていた弓の声を

きれいに洗い流してしまったみたいだった。


机の上のスマホだけが、

白い光で指先を照らしている。


さっきの枠のコメント欄を、

親指でゆっくりなぞっては戻す。


 


〈刈り上げ:森さんだけ扱いちゃうやろ〉


 


その一行のところで、毎回指が止まる。


文字はもう覚えているのに、

何度でも見直してしまう。


(俺の話なのに、人の口から言われる形なんだな)


そんな感想だけが、

喉の奥に引っかかったまま残っていた。



配信が始まったときは、

いつもと大して変わらない空気だった。


「こんばんは、弓です」


少し上ずった声。

最初の一言で、その日の温度がだいたい分かる。


 


〈森:こんばんは〉


いつものように、最初の方で名前を落とす。


〈常連:おつかれさま〉

〈常連:今日も来た〉

〈初見?:はじめまして〉


画面の中に、見慣れた名前が並ぶ。


それを見ていると、

少しだけ肩の力が抜けた。


(今日は、あまり荒れなきゃいいけど)


そんなことを考えながら、

スマホを持つ手を少しだけ持ち直す。



刈り上げが入ってきたのは、

枠の流れが落ち着いてきた頃だった。


 


〈刈り上げ:今日も来た〉


 


短い一文。

でも、アイコンも名前も目につく。


「刈り上げくん、こんばんは」


弓の声が、その名前を軽く拾う。


〈常連:今日もいる〉

〈常連:サボり?〉

〈刈り上げ:サボり中〉


文字が重なって、

枠の空気が少しだけ明るくなる。


(すっかり、馴染んだな)


素直にそう思う。


新しいリスナーが定着するのは、

配信者にとってはいいことだ。


弓の枠だから。

人が増えるのは、基本的には“いい変化”だ。


そこは、ちゃんと分かっているつもりだった。



違和感が顔を出したのは、

刈り上げが配信そのものに触れ始めてからだった。


 


〈刈り上げ:音ええのにな〉

〈刈り上げ:タイトルで損してる〉

〈刈り上げ:初見からしたら意味分からんやろ〉


 


文字だけ見れば、

言っていることはそれなりに筋が通っている。


ちょっときつめの関西のノリで、

短く刺すような文。


(ああ、その辺りは……前に一回だけ言ったな)


頭の中で、昔の会話が浮かぶ。



まだ今ほど距離が固まっていなかった頃、

俺は弓にこう言ったことがある。


「タイトル、もう少し分かりやすくした方が、

 初めて来る人には入りやすいかもしれないね」


弓は少し困ったように笑って、


「そうなんだろうけど……考えるの苦手なんだよね」


と言った。


そこでやめておけばよかったのに、

俺はもう一歩、踏み込んだ。


「じゃあ、もしよかったら一緒に考えようか」


「客観的な視点があった方が——」


そこまで言ったところで、

弓の声の温度がすっと下がった。


「あんまり難しい話は、ちょっと……」


やんわりと、でもはっきりと、

そう線を引かれた。


その一言で、俺は理解した。


(ここは“弓の世界”なんだ)


(俺の正しさで上書きしていい場所じゃない)


それから、

配信の作り方や伸ばし方の話は

極力しないようにしてきた。


弓の枠は、弓のものだ。

俺の仕事場じゃない。


弓の魅力は、少しバランスの悪いところから

こぼれてくる。


それを整えすぎるのは、

いちばんやっちゃいけないことだと感じていた。


(だから、俺は黙る役に回ったようなもんだ)


そうやって、自分に言い聞かせてきた。



その「言わないようにしてきた場所」に、

軽い足取りで入り込んできたのが

刈り上げの言葉だった。


〈刈り上げ:音はマジでええから〉

〈刈り上げ:入り口で損してる感じ〉


 


(そこは、本当は……俺も気づいてた)


けれど、俺は引いた。

引くことでバランスを取った。


弓の世界を、弓のままでいてもらうために。

対等でいたいと思ったから。


「森さんが全部教えてくれる」

みたいな関係には、なりたくなかった。


その場所で、

刈り上げは普通に踏み込んでくる。


何も悪いことをしていない。

枠のことを考えているだけだ。


だからこそ余計に、

胸の内側がきしむ。


(俺が引いた場所に、

 別の人間が座るのを見るのは……こんな感じになるのか)


そこで初めて知った感覚だった。



とどめになったのは、

あの一行だった。


 


〈刈り上げ:森さんだけ扱いちゃうやろ〉


 


心臓が、変な打ち方をした。


(そう来るか)


覚悟していなかったわけじゃない。


弓との距離が、

他のリスナーと違って見えることくらい、

自分が一番よく分かっている。


配信外の会話。

電話。

相談。


それがある以上、

完全に「みんなと同じ」と

言い張るのは無理がある。


でも、それを

“誰かの口から”言われるのと、

自分の中だけで自覚しているのとでは、

響き方が全然違う。


 


〈刈り上げ:森さん“だけ”特別に見えると〉

〈刈り上げ:他のやつ入りにくいねん〉


 


“だけ”。


その二文字が、

喉の奥に引っかかる。


(俺が居ることで、

 誰かの居場所が狭くなってるってことか)


(弓の枠で、それは本意じゃないんだけどな)


俺は平等が好きだ。

お互いさま、が好きだ。


誰かだけ得をするバランスは、

どこかで必ず綻ぶと知っている。


だからいつも、

自分が得をし過ぎないように気をつけてきたつもりだった。


(それでも、外から見たら“だけ”になるんだ)


(だったら、どこで線を引けばよかったんだろうな)


自分でも分からない。



一番つらかったのは、

刈り上げの言葉そのものよりも

それに続いた沈黙だった。


〈常連:たしかに〉

〈別の常連:そう見えるかも〉


文字がぽつぽつ落ちて、

それを追うように視線が動く。


弓は、すぐには何も言わなかった。


(そこで、何か言ってほしかったんだよ)


「そんなことないよ」でも

「わたしが悪いんだよ」でも、何でもよかった。


内容じゃなくて、

弓の“温度”が欲しかった。


俺だけが責められているような図に、

弓から伸びる一本の言葉がほしかった。


でも、弓は黙る。


いつものことだ。


弓は、言わない。

考えていることを、ほとんど言葉にしない。


だから、いつもこっちが聞く。


「どうしたの?」

「なに考えてる?」

「今、どんな感じ?」


毎回、こちらから扉を叩く形になる。


そのせいで、

まるで俺だけが弓に依存しているみたいな形になる。


それが嫌だった。


(依存したいわけじゃない)


(ただ、同じ高さで立ちたかっただけなんだ)


一方が聞き続けて、

もう一方が答えるだけの関係は、

どうやっても平らじゃない。


それくらいは、

俺にも分かる。



弓が、ようやく口を開いた。


「そう、見える?」


少しだけ笑いを混ぜた声。


 


〈刈り上げ:見える〉


 


それに続く言葉も、

画面の中に落ちてくる。


〈刈り上げ:森さんおるのはええと思うで〉

〈刈り上げ:でも森さんだけやと、他のやつ居場所ないなって〉


“ええと思うで”と

先に添えられても、

あとに続く言葉の重さは変わらない。


(他のやつの居場所を、

 俺が奪ってるって構図か)


枠のために黙ってきたつもりだった。


上からにならないよう、

マネージャーみたいにならないように

言葉を減らしてきた。


弓の世界が、弓のままであるように。


その結果が、これだった。


(ちゃんと相談してくれればいいのにな)


(「どうしよう」って一言くれれば、

 いくらでも一緒に考えたのに)


弓は言わない。

言わないで、態度だけ変える。


それが、きつい。



配信の終盤で、

弓が刈り上げに向かって言った。


「ねえ、刈り上げくん」


〈刈り上げ:なに〉


「さっき、タイトルとか文字の言い方とか、いろいろ言ってくれたでしょ」


「言ってくれるの、ありがたいんだよ」


それは、素直な声だった。


「ただね、ちょっときつく見えるかもしれないから」


「せっかく枠のこと考えてくれてるの、ちゃんと伝わってほしいなって」


「文字、もうちょっと柔らかくしてもらえると、嬉しいかも」


丁寧に、

でもストレートに。


ちゃんと届くように、

弓なりに言葉を選んでいた。


 


〈刈り上げ:なるほどな〉

〈刈り上げ:たしかにそうかも〉

〈刈り上げ:言ってくれて助かったわ〉


 


そのやり取りを見て、

ふと、自分の胸のどこかが静かに冷えた。


(俺が似たようなこと言おうとしたときは、

 「難しい話は苦手」で終わったのにな)


あのとき、

俺の言葉はそこで止まった。


今日、刈り上げと言葉を交わす弓は、

ちゃんと向き合って話しているように見える。


俺とのときには

見せてもらえなかった形だ。


(俺には向けない種類の顔を、

 あいつには向けるんだな)


そう考えた自分が、

少し嫌になる。


でも、気づいてしまった以上、

なかったことにはできない。



配信が終わったあと、

弓から個別のメッセージは来なかった。


いつもなら、

「おつかれさま」と一言が落ちる日も多い。


今日はそれもない。


(まあ……そうか)


今、弓の頭の中を占めているのは、

きっと枠全体のことだ。


俺のことじゃない。


そう理解はできる。

できるけれど、

納得はしていない部分が、確かにある。


(相談してくれればよかったのにな)


(「どうしたらいいと思う?」って一言あったら)


俺は、いくらでも話を聞けた。

一緒に悩めた。


言われれば受け入れられた。

バランスの取り方も、自分なりに提案できた。


でも弓は、何も言わない。


黙ったまま、

態度だけ変えていく。


それが、一番こたえる。



俺は、平等が好きだ。


お互いさま、が好きだ。


どちらか一方だけが重たくなる関係は、

長くはもたないことを知っている。


(今のこのズレ方は、

 そのパターンに入っている気がする)


弓の気持ちがどこまで変わってしまったのかは、

はっきりとは分からない。


でも、体感としては分かる。


ほんの少し前まで、

こちらに向いていた重さが、

じわじわと別の方向に傾いている。


その“わずかな角度”に、

過敏に気づいてしまう性格だということも、

自分でよく分かっている。


(気づかなければ楽なんだろうな)


(鈍感になれたら、

 ここまで苦しくならずに済むのかもしれない)


でも、気づいてしまう。


言葉にされない変化ほど、

早く察してしまう。


それが、俺という人間の

やりづらいところだ。



スマホの画面が、自動で暗くなる。


暗くなった画面の中に、

自分の顔がぼんやり映り込んだ。


目の下の影を見て、

ようやく息を吐く。


(このまま、何も言わずに枠に居続けるのが

 一番“邪魔にならない”のか)


(それとも、一度きちんと話をして、

 距離を決め直した方がいいのか)


答えはまだ、はっきりしない。


ただひとつだけ分かっているのは、

今のままのバランスでは、

いつか必ず綻ぶということだ。


それを先に感じてしまうからこそ、

余計に怖い。


 


静かな部屋の真ん中で、

言葉にならないざわつきだけが、

まだ形になりきれずに揺れていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ