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ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


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part40 心地よい重さ

《森視点》


スマホの画面が、机の上でわずかに震えた。

液晶の右上に、小さく「弓」と名前が光る。


「……まただ」


そう思うより早く、指が画面をスライドしていた。

着信ではなく、メッセージ。

さっき返信したばかりのはずなのに。


『いま何してるの?』


一行だけの文字が、妙にまっすぐに胸に届く。

装飾も、気遣いも、クッションもない。

ただ「知りたい」という感情だけが、そのまま文字になっている。


俺は、机の端に積んでいた書類から、無意識に視線を外した。

さっきまで読んでいた記録の数字が、途端にただの記号に見える。


『仕事してます』


そう返そうとして、指が止まる。


──いや、違うな。


本当は、仕事もしているが、頭の一部は完全に弓さんに占拠されている。

さっきの配信の音色。

息遣い。

笑いながら、すぐ黙り込んでしまう癖。


『資料読んでます

 弓さんは?』


二行にして送信する。

ほんの数秒後に、既読がつく。

その速さに、思わず笑ってしまう。


『なんとなく森さんの声ききたいなって思ってた』


直球だ。

やっぱり、クッションはない。


普通なら、こういう言葉は「重い」と感じる人が多いのだろう。

責任を求められているように感じて、距離を取りたくなるかもしれない。


けれど、俺の胸のどこかは、その重さを「重さ」として受け取らない。

むしろ、ちゃんと手に乗る重みとして、安堵してしまう。


ああ。

俺は、必要とされている。


それを、こんなにもはっきりと示してくれる人がいる。


それが、心地いい。


おそらく、これは少数派の感覚だ。

人の感情の重さを、負担ではなく「形のあるもの」として抱え込みたくなる性質。

自覚はある。

昔から、誰かが「頼って」来るたびに、妙な充足感を覚えてしまっていた。


そのくせ、全員を抱えるのは無理だから、

抱えたい相手を選ぼうとしてしまう。

選んでしまったあとで、もう後戻りできなくなる。


『じゃあ、ちょっとだけ電話しますか』


そう打ち込んで送る。

すぐに「!」だけのスタンプが返ってくる。

わかりやすい。


コールボタンを押す。

耳にあてたスマホ越しに、ワンコール目の途中で、接続音が切り替わる。


「……もしもし」


受話口の向こうから、少しだけ息の混じった声。

配信のときより、ずっと近い音量。

マイクを通さない、生の呼吸。


「お疲れさまです、弓さん」


「うん……なんかね、

 急に、さっきの山のこと思い出して」


山。

一緒に歩いた道。

手をつながれた感触。

背中から抱きしめたときの、軽い身体の重み。


弓さんは、あまり深く考えていないように見える。

ただ「いま気持ちいいかどうか」、

「いま不安かどうか」で動いている。


それが、怖いくらい正直で。

だからこそ、俺を壊す。


「森さんは?

 いま、どんなかんじ?」


「どんな、ですか」


「なんか……

 迷惑かけてないかなって、急に思って」


迷惑。

それは本来、今の関係において、何度も検討されるべき単語だ。


結婚している身で、

配信者の彼女と、ここまで頻繁に連絡を取っていること。

時間も、気持ちも、じわじわと持っていかれていること。


それでも、俺の口から出るのは、理性的な警告ではない。


「迷惑だったら、とっくに電話出てないですよ」


沈黙。

ふっと、受話口の向こうで、小さく息を飲む音。


「……そっか」


短い返事のあと、

少しだけ、呼吸が軽くなるのがわかる。


俺は、椅子の背にもたれ直し、天井を見上げた。

蛍光灯の光が、白くにじむ。


依存。


その言葉が、一瞬、頭の中をよぎる。

弓さんの“依存”は、きっと自覚のないまま進行している。


会いたい。

声を聴きたい。

触れたい。


感情が先に走り、

それに行動が追いついて、

あとから理性がついてくる。


そして俺の“依存”は、逆方向から進行している。

理性で危うさを理解しながら、

それでも、切るという選択肢を削っていく。


──この重さが、心地いい。


それは間違いなく、俺の異常性だ。

他人の感情の重さを抱え込むことに、快感を覚える。

大変そうだな、苦しそうだな、と感じながら、

「じゃあ、俺が持ちますよ」と自然に言ってしまう。


ギャンブルのテーブルで、

最初は小さくチップを置いたつもりが、

気づけば手元のほとんどを賭けてしまっているような。


戻れなくなる予感だけが、うっすらとした影になって、

部屋の隅に張りついている。


「森さんってさ」


「はい」


「こうやって、付き合ってないのに、

 ここまで話聞いてくれる人、いないよ」


付き合っていない。

その事実は、何度も自分に言い聞かせている言葉だ。


「普通だったら、

 『重い』って、言われちゃうのかな」


「どうでしょうね」


本当のことを言えば、「普通」はそうだろう。

ここまで感情を投げてくる人間を、

歓迎する人ばかりではない。


でも、俺は“普通”側ではない。


「俺は、ありがたいですけどね」


「え?」


「頼ってくれるの、嫌じゃないですよ」


弓さんの呼吸が、すこし震える。

言葉の代わりに、

小さく吸い込んで、少し長めに吐く音。


依存は甘い。


その瞬間、

ほんの少しだけ、喉の奥が鳴るのを感じた。


依存は危険だ。


理性は、ちゃんと警告している。

これ以上踏み込めば、

どこかで必ず誰かが傷つく。

弓さんか。

俺か。

それとも、まだ姿を見せていない第三者か。


依存は心地よい。


この三つの感覚が、矛盾したまま、同じ場所に座っている。

どれか一つを否定すれば、

俺は「正しい大人」でいられるのだろう。


けれど、どれも否定せずに抱え込んでいる自分がいる。

それを、自分で選んでいる。


「ねえ、森さん」


「はい」


「もし、いつかさ……

 私が、森さんに、すごく甘えちゃって、

 どうしようもなくなっても」


言葉が途切れる。

受話口の向こうで、何かを選んでいる気配。

迷って、飲み込んで、また言葉を探している。


「そのときも、話、聞いてくれる?」


その問いかけは、

まるで将来の自分を予約するみたいな言葉だった。


重い。

けれど、甘い。

そして危険だ。


「……たぶん、断れないですね」


俺は、正直に答えた。


「そっか」


小さな笑い声が返ってくる。

ほっとしたような、

どこかで自分に呆れているような笑い。


たぶん、俺たちは、

全人口の一パーセントにも満たないところで、

ちょうどぴったり噛み合ってしまったのだろう。


自己中な本能で動く弓さん。

他者視点で他人の感情を抱え込む俺。


デコとボコが、

綺麗すぎるくらい綺麗に合わさってしまった。


それは、運命の悪戯みたいに。

媚薬のように、じわじわと効いてきて。

気づけば、

もう元の距離感には戻れないところまで来ている。


「森さん」


「はい」


「ありがと」


「何がですか」


「わかんないけど……

 ちゃんと、ここにいてくれるから」


電話越しに届く「ここ」は、

本当はどこでもない。


画面の向こう。

距離にして、何十キロも離れた場所。

でも、弓さんにとっての「ここ」は、

俺の声が届く範囲のことを指しているのだろう。


──もう止められないな。


そう思いながら、

俺は、机の上の書類に一瞬だけ視線を戻す。


山積みの仕事。

ずれていく予定。

少しずつ削られていく、余白の時間。


それでも、

「なんとかしてやる」と思ってしまう自分がいる。


この重さを、

心地よいと思ってしまう自分ごと、

引き受けるしかないのだと、

どこかで覚悟してしまっている。


「もう少しだけ話しても、いいですか」


「もちろんですよ、弓さん」


依存の始まりは、

特別な事件なんかじゃない。


こういう、小さな「もう少しだけ」が、

何度も何度も積み重なっていくだけだ。


その一つひとつに、

俺は、自分の意思で「いいですよ」と答えている。


甘くて、

危なくて、

それでも心地よい、その真ん中に。

ゆっくりと沈んでいく感覚を、

俺ははっきりと自覚していた。

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