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ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


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Part28 違和感の輪郭


《森視点》


朝一番の電車の音が、窓ガラスをかすかに震わせた。

そのわずかな揺れで目が覚めた。


枕元のスマホに手を伸ばす。

画面をつけると、そこには昨夜の通話履歴と、短いメッセージが並んでいた。


「きょうもありがとー」

「たのしかったね」

絵文字がひとつ。


文面だけ見れば、いつもと変わらない。

けれど、指先に残る感触は、どこか違っていた。


胸のあたりに、薄い膜みたいなものが張りついている。

まだ痛みと言えるほどじゃない。

ただ、息を吸うたびに、そこだけ温度が違う。


「……気のせい、だよな」


そう口の中で転がしてみる。

声に出してしまえば、ただの被害妄想みたいで。

自分でも苦笑したくなる。


昨夜のことを、順番に巻き戻していく。


ビデオ通話。

画面いっぱいの弓。

コスプレの衣装。

カメラ越しでも分かる、きつめのメイク。

いつもより高いトーンの笑い声。


「森さん、どう? 似合う?」


あの瞬間の鼓動は、今思い出しても早くなる。

喉の奥が熱くなって、言葉を選ぶ前に心が動いた。


「すごくかわいい」

「正直、ドキッとした」


あそこだ。

あの言葉の響き。


あれはもう、完全に“男”の声だった。


弓の目が、少しだけ丸くなった。

一瞬、呼吸が止まったみたいに静かになって。

それから、笑ってごまかすみたいに、早口で話題を変えた。


「え、なにそれ、やだー」

「でも、ありがと」


その「ありがと」が、なぜか耳に残っている。

言葉の形はいつもと同じなのに、温度が違っていた。


どこか、距離を測られたような。

線を引かれたような。


枕元でスマホが震えた。

通知。


配信アプリのアイコンが光る。

弓が朝の一言だけ送る、短いメッセージだ。


「おはよう きょうもがんばろ」


それを見て、少しだけ肩の力が抜ける。

変わっていないようにも見える。


けれど、違和感はそのまま、胸の内側に座り込んでいた。


***


仕事場に向かう電車の中。

吊り革につかまりながら、アーカイブを再生する。


昨夜の配信。

画面の中で、弓が笑っている。

客観的に見ても、やっぱりかわいい。


「えっと、きょうはコスプレイベント、三日目でーす」


声のトーン。

間の取り方。

リスナーにふる冗談。


そのどれもが、ちゃんと“配信者”の顔をしている。


画面の下には、次々と流れていくコメント。

知らない名前も多い。

最近、少しずつ新しい人が増えてきているのが分かる。


「はじめましての人も、よかったらコメントしてください」

「一曲、なにかリクエストあれば」


いつもの台詞。

けれど、俺に向けられる視線だけ、ほんの少し違っているように見えた。


ハンドルネームが流れる。

俺のコメントは、他の文字と同じフォントで並んでいる。


弓がそれを拾う。

名前を呼ぶ。

笑う。

返してくれる。


形式は、何も変わっていない。


ただ、その間に挟まる沈黙の長さが、違っていた。


一拍。

いや、半拍。


ほんのわずか。

けれど、毎日のように見てきた側からすると、その差ははっきり分かる。


配信を止めて、イヤホンを外す。

電車の揺れと、周囲のざわめきが一気に戻ってくる。


窓に映る自分の顔は、思っていたより険しかった。


「なにやってんだ、俺」


苦笑が漏れる。

会社に行く前から、こんな顔をしている場合じゃない。


***


昼休み。

食堂の隅に座って、冷めかけたコーヒーをすすっていた。


スマホを開く。

弓とのトーク画面。


スクロールすると、過去のやりとりがいくらでも出てくる。


やたら長文な夜。

スタンプだけで終わる夜。

ボイスメッセージが連続して並ぶ、テンションの高い夜。


最近は――。


文字の量が、少し減っている。

それだけじゃない。


「森さん」って呼ばれる頻度も、わずかに減ってきている。

名前じゃなくて、ふんわりした言い回しが増えている。


「ねえねえ」

「きいて」

「あのね」


前はもっと、はっきりと呼ばれていた。

その違いに気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走る。


「……気にしすぎか」


そう言い聞かせる。

仕事のストレス。

家庭のこと。

過去の失敗。


いろんな要素が重なって、神経が過敏になっているだけかもしれない。


そう思おうとする。

けれど、指先は正直だ。


メッセージ入力欄に、何度も言葉が浮かんでは消えていく。


「最近、どう?」

「今日の配信、よかった」

「ちょっと疲れてない?」


どれを書いても、重くなりそうだ。

心配と干渉の境界線が、どこにあるのか分からない。


既婚者という立場。

年齢差。

過去にやらかしたこと。


それら全部が、背中を引っ張る。

一歩前に出ようとすると、必ず何かが足首をつかんでくる感覚。


それでも、放っておくこともできない。

今までのやりとりが、身体のどこかに染み付いてしまっている。


弓が笑ったときの声。

弓が拗ねたときの間。

弓が黙り込んだときの、画面の小さな揺れ。


どれも、簡単に切り離せるものじゃない。


「……どうするか、だよな」


コップの底に残ったコーヒーの色を眺めながら、そう呟く。


終わらせるほど、冷めてはいない。

むしろ、逆だ。


最近の俺は、完全に“彼女のほう”に傾いている。

それはもう、認めざるをえない。


だからこそ、怖い。


終わりが見えないまま深入りすることも。

かといって、今ここで手を離すことも。


そのどちらも、現実的な選択肢として、まだ持てない。


***


夜。


家族が寝静まったリビングで、ひとりソファに沈む。

テレビはつけていない。

冷蔵庫の低い唸りと、壁の時計の針の音だけが聞こえる。


スマホの通知は、静かだ。


弓からのメッセージは、夕方に来た一件だけ。


「きょうはすこし体調わるいから、配信みじかめにするかも」


心配になる一方で、どこかホッとしている自分もいる。


配信が短ければ、俺も早く寝られる。

身体にはそのほうがいい。


そう分かっていても、画面を開いてしまう。

開始予定の時間まで、あと少し。


ソファに座ったまま、深く息を吐く。

肺の中の空気を、最後のひとかけらまで押し出して。

それから、ゆっくり吸い込む。


呼吸を整えながら、考える。


この違和感は、どこから来ているのか。


弓が変わったのか。

それとも、俺が変わったのか。


冷静に考えれば、答えは簡単だ。

両方だ。


弓は少しずつ、配信者として成長している。

新しいリスナーが増え、コラボの話もちらほら出てきて。

世界は、確実に広がっている。


一方で俺は、弓との関係の中に、居心地のいい場所を見つけてしまった。

その場所を手放すことが、怖くなっている。


だから、些細な変化にも敏感になる。

ほんの少しの間。

一文字足りない絵文字。

いつもより短い「おやすみ」。


それら全部を、「離れていくサイン」に見てしまう。


「……それ、フェアじゃないよな」


口の中でだけ、認める。

弓は何も言っていない。

ただ、自分のペースで、目の前のことに向き合っているだけだ。


それを勝手に読み込んで、勝手に不安になって。

勝手に“違和感”と名前をつけているのは、俺のほうだ。


それでも、感じてしまったものを、なかったことにはできない。


配信アプリを開く。

待機画面。

コメント欄には、すでに何人かの名前が並んでいる。


小さなアイコンが、次々に増えていく。

その中に、自分のアイコンも紛れ込む。


「きょうも、そこにいる」


それを確認しないと、落ち着かない。


弓の枠は、俺にとって、夜の安全地帯みたいなものだ。

どれだけ仕事で削られても。

家庭のことでへとへとになっても。


あの光の中では、ただの一人のリスナーになれる。

彼女の音を、まっすぐに浴びることができる。


だからこそ、その安全地帯の空気がわずかに変わったことが、怖い。


弓が、どこかへ行ってしまうかもしれない。

俺だけ、取り残されるかもしれない。


そんな予感が、足元をさらさらと削っていく。


「……会ったほうが、いいのかもしれないな」


ぽつりと、独り言が落ちる。


画面越しではなく。

文字でも、スタンプでもなく。


実際に会って、息遣いを感じながら話す。

それでやっと、見えてくるものもあるはずだ。


もちろん、リスクは大きい。

既婚者としての線。

周囲の目。

自分の気持ちの行き先。


全部分かっている。


それでも、「何もしないまま不安だけ大きくなる」ほうが、今は、よほど怖い。


待機画面のカウントダウンがゼロになった。

画面が切り替わる。

ライトに照らされた弓が、そこにいる。


「こんばんは」


いつもの挨拶。

いつもの笑顔。


けれど、その目の奥に、うっすらと影が見えた気がした。


胸の奥の違和感が、静かに形を持ち始める。


多分、もうそろそろだ。


どこかのタイミングで、俺はきっと口にする。


「今度、会って話さない?」


その言葉を、喉の奥で味わいながら。

今夜はまだ、リスナーのひとりとしてキーボードを打つ。


画面の向こうの彼女が、どんな表情で、どんな声で、返事をするのか。

その未来を想像するだけで、指先の温度がじわりと上がっていくのを感じながら。

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