表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/62

Part27 極端なオンとオフ



《弓視点》


朝、目が覚めた瞬間から、胸が少しだけ落ち着かない。


まぶたの裏に、昨夜の自分がちらつく。


黒いワンピース。


ふだん選ばないような、短めのスカート。


画面越しに「かわいい」と言われたこと。


森さんの、いつもより低くて、少しだけ熱を帯びた声。


掛け布団をぎゅっと握りしめる。


思い出すたびに、胸のあたりがくすぐったくて、変な汗がじわっとにじむ。


「あああ……なにやってたんだろ、あたし……」


声に出してみても、昨夜の映像は薄れない。


配信でコスプレをするのは、イベントだからまだわかる。


盛りあげないといけないし、そういうノリも大事。


でも、そのあと。


配信が終わって、メイクも衣装もそのままで。


森さんに、ビデオ通話をかけたあとの自分。


『ほら、ちゃんと見て。

 もりさんだけ、特別サービスね』


あの言い方。


思い出しただけで、布団の中で転げ回りたくなる。


「……特別サービスって、なにそれ」


自分で自分にツッコミを入れて、枕に顔を埋める。


森さんは、最初、いつもの落ち着いた声だった。


『似合ってるね。

 ちゃんと、世界観に合ってる。

 弓さんらしい感じ』


落ち着いた、安心する声。


それを聞いて、少しずつ調子に乗ってしまったのは、こっちだ。


『ほんとに?

 ちゃんと見てる?

 どこ見てるの?』


あのときの自分の声は、配信でしゃべっているときより、明らかに甘かった。


わかってる。


あれは、完全に調子に乗ってた。


『……どこって。

 全部、でしょ。

 あんまり、からかわないの』


いつもより一拍遅れて、森さんの声が返ってきた。


その間が、妙に長く感じられて、心臓がひとつ大きく跳ねる。


全部。


そう言われた瞬間、なにかが身体の中に落ちてきた気がした。


するどい刺激じゃなくて、じわっと温度が上がるような、鈍い電気。


「……全部って、なに。

 ちゃんと言ってくれないと、わかんない」


わざと拗ねたみたいに返したのも、覚えている。


あれはきっと、からかいの冗談。


いつも通り、うまく受け止めてくれると思っていた。


『言わせるの、ずるいよ』


小さく笑ったあとで、森さんは、少しだけ声を落とした。


『……髪も。

 目も。

 ドレスも。

 脚も。

 指も。


 ちゃんと、ぜんぶ見てるから』


その瞬間、画面の中の自分が急に「人間」になった。


いつもみたいな「配信者」じゃなくて。


どこかの、知らない女の子みたいな。


「……ふふ。

 なにそれ。

 森さん、そういうこと言うんだ」


口では笑っていたくせに、胸の奥では、何かがきゅっと縮んでいた。


それが、なにかはわからない。


嬉しさと、怖さと、くすぐったさが、ごちゃごちゃに混ざって、名前がつけられない。


***


昼をすぎて、ようやく身体を起こす。


メイクを落として、部屋着に着替えても、なんだか昨日の衣装の感覚が残っている。


鏡の前に立ってみれば、そこにいるのはいつもの自分だ。


すっぴんで、前髪もくしゃっとしていて、部屋も片づいていない。


「……うん。

 いつもの、残念な部屋」


独りごとのようにつぶやいて、床に座り込む。


でも、スマホを手に取ると、タイムラインに流れてくるのは、昨日のアーカイブのクリップ。


「コスプレ最高だった」「また見たい」「衣装似合いすぎ」


そんなコメントが並んでいる。


指先が勝手にスクロールしてしまう。


自分の姿が、何度も画面の中で笑う。


フルートを持って、くるりと一回転して、スカートがふわっと揺れる。


「……演奏してるのに。

 みんな、衣装の話ばっかり」


つぶやきは、ため息と一緒にこぼれる。


本当は、音を聞いてほしい。


息の流れとか、指の回り方とか、フレーズの中のささやかなニュアンスとか。


でも、衣装があれば盛りあがる。


ポイントも入る。


上に行けば、もっと多くの人に音を聞いてもらえる。


それも、ちゃんと分かっている。


「……まあ、いいんだけどさ」


心のどこかで、少しだけ誇らしい。


昨日の自分は、ちゃんと“頑張った”。


かわいい、って言われることも、気持ちよかった。


森さんにも、たくさん褒められた。


『ちゃんと、弓さんの世界を守ったまま、みんな楽しませてるよ』


あの言葉が、やさしく胸の中で響く。


演奏家としても、女の子としても、認められたみたいな感覚。


そんな贅沢、もらったことがない。


くすぐったくて、誇らしい。


だからこそ、ふとした瞬間に、別の声が顔を出す。


(……でも、ほんとに「弓さんの世界」を守れてるのかな)


スマホを置いて、膝を抱える。


喉の奥から、小さな不安が浮かび上がってくる。


昨日の自分。


あのドレスで、カメラに向かってくるくる回って。


配信が終わってもそのままで。


森さんに、上目づかいで「特別」なんて言って。


『もっと近くで見せて』と言われて、カメラに顔を寄せて。


一瞬、画面いっぱいに自分の顔が映ったとき。


あの、まっすぐな視線。


森さんが黙った一拍。


そのあとで、少しだけ低くなった声。


あの全部が、今になって怖くなってくる。


「……ねえ、あたし、なにしてたの」


誰もいない部屋で問いかけても、返事はない。


かわいいと言われたかった。


嬉しかった。


それは、嘘じゃない。


でも。


(あの感じ、前にもあったな)


胸の奥の、少し古い引き出しがきしんで開く。


高校生の頃。


まだ今よりもっと子どもで、なんにも知らなくて。


当時の彼氏と手をつないで歩いた帰り道。


コンビニの前でアイスを半分こしながら、笑っていた。


「弓ってさ、意外とスタイルいいよな」


何気なく言われたひと言。


そのときは、笑ってごまかした。


「なにそれ、意外ってなに。

 失礼」


本当は少しだけ嬉しかった。


そういうふうに見られたことなんて、ほとんどなかったから。


でも、夜、家に帰ってから。


ふいに、スイッチが切り替わるみたいに、心が冷たくなった。


「……あれ、もしかして、この人。

 あたしのこと、そういう目でしか見てないのかな」


その瞬間から、彼の手の温度も、笑い声も、全部が急に気持ち悪くなっていった。


翌日から、ラインの返信がどんどん遅くなった。


会う約束も、なんとなく断るようになった。


彼は戸惑っていた。


でも、うまく説明できなかった。


「なんか、無理になった」


それだけで、全部が壊れた。


あれから、似たようなことが何度かあった。


誰かに優しくされて、調子に乗って、甘えて。


あとからふいにスイッチが入って。


「あ、無理だ」と思った瞬間、その人の全部が怖くなる。


まるで、自分の中に、見えない非常スイッチがあるみたいに。


正常なのかどうか、自分でもよくわからない。


冷静なときには。


「……あたし、ちょっとどっかおかしいのかな」


そうやって笑ってしまえる。


でも、スイッチが入ってしまったときには。


もう誰の声も届かない。


***


ベッドに寝転んだまま、スマホを胸に乗せる。


画面には、まだ昨夜の通話履歴が残っている。


最後に切った時間。


森さんの名前。


アイコン。


指先が、その部分をなぞって止まる。


(森さんは、どうなんだろ)


女として見てるのか。


演奏家として見てるのか。


人として見てくれているのか。


あの人の言葉はいつも、どれも本気に聞こえる。


だからこそ、怖い。


『弓さんは、ちゃんと、自分の音で勝負してるから、かっこいいんですよ』


『俺は、そのままの弓さんがいいと思うけどな』


『全部、見てるから』


その“全部”の中に、どれくらいの割合で「女」が入っているのか。


考えれば考えるほど、息が詰まってくる。


「……やめやめ。

 考えてもわかんない」


声に出して、自分の思考を止める。


わかってる。


昨夜のあれは、まず、こっちが原因だ。


コスプレ配信でテンションが上がって。


みんなに褒められて。


森さんにも褒められて。


バカみたいに調子に乗った。


あんなふうに、画面の前でくるくる回ったり。


カメラにドアップで近づいたり。


「特別」なんて言ったり。


それで相手が少し男の顔になったからって、今さら怖いなんて、自分勝手だ。


「でも、こわいものは、こわいんだよ……」


胸のあたりを押さえながら、天井を見上げる。


ここで距離を置いたほうがいいのかな、と思う。


でも、同時に、すぐに別の感情が顔を出す。


(……でも、距離を置いたら、寂しい)


森さんがいなかった頃の配信を思い出す。


コメントが止まったままの時間。


画面の向こうに誰もいないような気がして、必死でしゃべり続けていた自分。


音を鳴らしても、拍手も、リアクションもなくて。


それでも「やらなきゃ」と自分に言い聞かせていた夜。


あのときに比べたら、今は、ずっとあったかい。


森さんがいて。


長く見てくれている人たちがいて。


ときどき新しく来てくれる人もいて。


「……森さんいなくなったら、たぶん、あたし、また戻るんだろうな」


あの、真っ暗な部屋に。


あの、音だけが転がる時間に。


それは嫌だ。


絶対、嫌だ。


だからこそ、余計にわからなくなる。


近づきすぎたら、またスイッチが入る気がする。


でも、離れたら、寂しくて耐えられない。


「あーもう、めんどくさい……」


腕で顔を隠して、そのまましばらく動けなくなる。


スマホが、胸の上で小さく震えた。


びくっと身体が跳ねる。


画面をのぞき込むと、森さんからではない。


別の友だちからの通知。


ほんの少しだけ、ほっとする。


そして、同時に、胸の奥がつんと痛む。


(……森さんから来てたら、どうしてたんだろ)


すぐに開いていたのか。


少し時間をおいてから返事をしたのか。


そもそも、返せていたのか。


答えが出ないまま、スマホを伏せる。


「距離を置いたほうがいいのかな」


つぶやいた声は、部屋の空気にすぐ溶けて消えた。


でも、心の中では、その言葉だけがいつまでも残っている。


距離。


どのくらい離れれば、安全なんだろう。


どのくらい近づけば、幸せなんだろう。


まだ、そのどちらもわからないまま。


私は、布団の中で丸くなる。


目を閉じても、昨夜の画面の中の自分が消えない。


森さんの、少し低くなった声も。


『全部、見てるから』


その一言も。


嬉しくて。


誇らしくて。


そして、ひどく、こわい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ