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ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


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part21 一歩づつはまる沼

【弓視点】


配信を切ったあと、部屋が一気に静かになった。


さっきまで目の前にあったコメント欄も、今はただの黒い板みたいになっている。


モニターの反射で、自分の顔が少しだけ映る。


見慣れたはずなのに、さっきまで配信用に作っていた笑顔と、今の顔の差がひどくて、ちょっと笑ってしまう。


「……おつかれさま、わたし」


小さくつぶやいてから、スマホを手に取る。


さっきまで、そこには森さんのアイコンがずっと動いていた。


配信が終わる直前まで、コメントを投げてくれていた。


『そろそろ寝ないと明日きつくない?』


『でも、もう一曲だけ聴きたい』


そんなことを書いてくるから、ついつい甘やかして、いつもより一本多く吹いてしまった。


「……話したいな」


うっかり口に出して、自分で自分に驚く。


話したい、って。


既婚者に。


でも、胸のあたりがまだ、さっきの配信の余韻と森さんの言葉でじんじんしている。


『今日の音、すごくよかったよ』


『弓さんの音は、ちゃんと“弓さんの音”になってきてる』


そう言われたときのことを思い出して、身体の奥のほうがじわっとあたたかくなる。


女としてどうこうじゃなくて。


演奏している人として、見てもらえた感じ。


それが、うれしかった。


「……だめかな」


枕元に座り込んで、スマホの画面を親指でなぞる。


電話のマークが、そこにある。


押すだけで、あの声がまた聞こえる。


森さんは、今ごろもう布団のなかで、明日の仕事のことを考えているかもしれない。


それとも、奥さんとなにか話してるのかもしれない。


そこにわたしが割り込んでいくのは、本当は良くない。


頭では、そうわかっている。


でも、今夜はどうしても、音楽の話をもう少しだけしたかった。


さっきの最後の曲の、あのフレーズ。


あそこを褒めてくれたのが、妙にうれしかった。


その気持ちを、言葉でもう一度、なぞってほしい。


「……一回だけ」


言い訳みたいにそうつぶやいて、通話ボタンを押す。


プルルルル、と電子音が部屋に響く。


心臓の鼓動が、同じリズムで波打つ。


出なかったら、それはそれでいい。


出たら、少しだけ話す。


コール音が三回鳴ったところで、ふっと音が途切れる。


「……もしもし」


抑えた、低い声。


いつも配信で聞いている声より、少し小さめ。


「……あ、森さん」


自分の声が、少し上ずる。


「弓さん?」


向こうで、布団のきしむような微かな音がする。


「ごめん、寝てた?」


「ううん。もう布団入ってたけど、まだ起きてた」


ささやくみたいな声だ。


たぶん、家だから。


「急に、ごめんね。なんか……」


言いながら、自分でも何を言いたかったのかがわからなくなる。


沈黙が落ちる。


それが怖くて、慌てて言葉をつなぐ。


「あのね、さっきの配信の、最後の曲……」


「うん」


「森さんが、あそこ褒めてくれたの……ほんと、うれしくて」


少しだけ早口になっているのが、自分でもわかる。


森さんが、電話の向こうで小さく笑う気配がした。


「うん。

 あそこ、本当に良かったよ」


「ほんとに?」


「うん。

 なんか、ちょっと世界が変わる手前みたいな感じがした」


“世界が変わる手前”。


その言葉に、胸の奥で小さなスイッチが入る。


「そんな大げさな……」


笑いながら、心の中で反芻する。


世界が変わる手前。


そんな風に、誰かに音を聞いてもらったのは、初めてかもしれない。


「でも、ちょっとだけ話したいって、思ったのは本当」


つい、素直にこぼれてしまう。


「うれしいけどね」


森さんは、少し間を置いてから言う。


「ただ、今は家だからさ。

 あんまり大きな声出せなくて」


たしかに、さっきからずっと、ひそひそ声みたいだ。


「奥さん、起きちゃう?」


聞かなくてもいいことを、聞いてしまった気がして、すぐに後悔する。


「まあ、そういうのもあるし」


森さんは、曖昧に笑う。


責めるでもなく、隠すでもなく、ふわっとかわす感じ。


「ごめんね。

 こんな時間にかけちゃって」


「いや。

 かけてくれたのはうれしいよ」


「でも……」


「ただ、ちゃんとゆっくり話すなら、別の日にしようか」


その言葉に、胸の奥がきゅっとする。


“別の日”。


“ちゃんと”。


「……うん」


声が少しだけ、細くなる。


「また、時間作るよ」


「ほんと?」


「うん。

 どうせなら、弓さんが眠くなるまで話そう」


“眠くなるまで”。


そのイメージが頭に浮かんで、頬が熱くなる。


「じゃあ……約束ね」


「約束」


その一言を聞いた瞬間、ようやく少しだけ安心する。


「今日は、切ったほうがいい?」


自分からそう聞いてしまうあたりが、少し、さみしい。


「うん。

 今日は弓さん、がんばったし」


森さんが、柔らかい声でそう言う。


「練習も配信も、聞いてたよ」


「……ありがと」


「また日を決めて、話そう」


「うん。

 おやすみ、森さん」


「おやすみ、弓さん」


通話が切れる。


部屋の静けさが戻ってくる。


なのに、さっきよりも静かに感じる。


「……また、話せるんだ」


枕に顔をうずめながら、ぽつりとつぶやく。


胸の中で、小さく灯りがともる。


それを見つめるみたいに、目を閉じた。



その“別の日”は、意外とすぐにやってきた。


二日後の夜。


いつものように、深夜の配信を終えて、エンディングの曲の余韻がまだ指先に残っている。


コメント欄には、『今日もおつかれさま』『寝るね』という文字の列。


その中に、『今日は早めに落ちます またゆっくり』と、森さんのコメント。


それが、今夜だという合図だった。


「配信、ここまでにします」


そう締めて配信を切ると、すぐにスマホが震えた。


森さんから、短いメッセージ。


『今、大丈夫?』


『だいじょうぶ』


すぐにそう返して、自分の心臓の音も一緒に送ってしまいそうになる。


少し間があいてから、着信が鳴った。


「もしもし」


今度の森さんの声は、前回よりも少し自由だ。


周りを気にしている気配が、少し薄い。


「おつかれさま。

 今日も、良かったね」


「ありがと。

 ちゃんと、最後まで見てくれてた?」


「もちろん」


その言葉に、ふっと力が抜ける。


「ねえ」


我慢していた言葉が、自然に出る。


「また話せて、うれしい」


少しだけ、間が空く。


「……俺もだよ」


森さんの声が、ほんの少しだけ低くなる。


そこに、言葉にならない何かがにじむ。


でも、それを深読みするほどわたしは器用じゃない。


ただ、うれしい。


それだけだ。


「今日は、何から話そうか」


「えっとね……」


頭の中に浮かんでいたことが、次々に口の先まで上がってくる。


「さっきの二曲目のアレンジ、どうだった?」


「すごく良かった。

 最初の一音で、『あ、変えてきたな』ってわかった」


「ほんと?」


「うん。

 前より、“弓さんの好きな感じ”が出てた」


“弓さんの好きな感じ”。


その言い方に、少し照れる。


「自分の好きな感じ、ってわかる?」


森さんが逆に聞いてくる。


「え……」


すぐには答えられない。


「なんとなくは、あるけど」


「たとえば?」


「うーん……」


頭の中を、いろんな曲が通り過ぎていく。


「静かなんだけど、ちゃんと芯がある音が好き」


ゆっくり、言葉を選びながら話す。


「薄いんじゃなくて。

 細いけど、ちゃんと立ってる感じ」


「……ああ、わかる」


森さんが、少し息を漏らす。


「弓さんの今日の二曲目、まさにそれだったよ」


「やった」


布団の上で、足先が勝手にぴょこん、と動く。


「森さんは、どんな音が好き?」


聞いてみたくなってしまう。


「俺?」


「うん」


「俺はね……」


少し考える気配があってから、森さんが言う。


「“誰が吹いてるか、わかっちゃう音”が好きかな」


「それ、むずかしい」


思わず笑ってしまう。


「でも、弓さんは、そういう音に向かってるように聞こえる」


さらっと、そんなことを言う。


「配信で最初に聴いたときと、今と。

 同じフレーズ吹いても、『あ、弓さんだ』ってわかる」


「まじで?」


「まじで」


「それ、かなり最高のほめ言葉なんだけど」


「そう。

 だから言ってる」


心臓が、どくんと鳴る。


画面も、何も見えていないのに、森さんの目線だけを感じる。


「……ありがと」


それしか出てこない。


少し沈黙ができる。


けれど、その沈黙は苦しくない。


なんだか、お互いの呼吸の音が聞こえるような気がして、その音も含めて“会話”になっている。


「ねえ、弓さん」


森さんが、ふっと声色を変える。


「どうしたら、そんなふうに吹けるの?」


「え?」


「さっきの二曲目とか。

 どういう気持ちで吹いてるのかなって」


そんなこと聞かれたの、初めてかもしれない。


少し考えてから、言葉を探る。


「んー……」


「うまく言えないけど」


「音を出すときに、景色みたいなのが見えるときがあって」


「景色」


「うん。

 今日の二曲目は、海じゃなくて、森だった」


「ああ」


「あの、山の上から見た、ちょっとひんやりした緑の感じ」


「この前、一緒に行った山?」


「そう」


思い出すだけで、胸のあたりが少しあたたかくなる。


「だから、ちょっと息を細くして。

 でも、詰まらないようにって気をつけた」


「……なるほど」


電話越しに、森さんが頷いているのがわかるような気がする。


「そういう話、もっと聞きたいな」


「こういう話?」


「うん。

 弓さんの中にある景色の話」


「そんな面白いもんじゃないよ」


「俺には、すごく面白いよ」


即答されて、言葉が詰まる。


「森さんって、ほんと変わってる」


「よく言われる」


二人で、少しだけ笑う。


笑い声が重なって、また静かになる。


その静けさも、なんだか悪くない。


「……ねぇ」


ふっと、別の言葉が浮かぶ。


気づいたら、もう口に出していた。


「森さんってさ」


「ん?」


「わたしのこと、どう見てる?」


自分で聞いておいて、心臓がどきっとする。


沈黙。


長く感じるけど、多分、実際にはそんなに長くはない。


「どうって……」


森さんが、慎重に言葉を探している気配がする。


「演奏する人、だと思ってる」


「演奏する人」


その言葉を、そのまま繰り返す。


どこか、ほっとする。


「ちゃんと、“音で話そうとしてる人”」


「音で……話す」


「うん。

 それを覚えてるから、また配信を開こうって思う」


胸の奥が、じんわり熱を帯びる。


「女の子として、とかじゃなくて?」


つい、聞いてしまう。


自分でも、何を確かめたいのか、よくわからない。


森さんは、少しだけ間を置いてから答える。


「それは……」


「ゼロ、ではないけど」


思わず、息を飲む。


「でも、それを前に出したくないくらいには、弓さんの音が好き」


“好き”という言葉が、音楽にだけくっついて出てくる。


女として、ではない。


でも、どちらも少し混ざっているような、曖昧な距離感。


それが、かえって安心する。


「なんか、それ。

 ちょっとずるい」


むくれたふりをして言ってみる。


「そう?」


「そうだよ」


「でも、たぶん今のが、いちばん正直なラインかな」


“ライン”という言い方に、ちょっと笑ってしまう。


「森さんって、ちゃんと線を引こうとしてるよね」


「しないと、だめだからね」


「だよね」


それ以上、深く触れない。


触れた瞬間に、何かが壊れてしまう気がしたから。


だから、わたしは、別の方向に舵を切る。


「……ねえ」


「今から、ちょっと見てほしいものある」


「見てほしいもの?」


「うん」


スマホの画面のボタンに指を伸ばす。


“ビデオ通話に切り替え”。


押していいか、一瞬迷ってから、えいっと押す。


画面が切り替わる。


自分の顔が、小さく映る。


部屋着。

すっぴん。

髪は、さっき結んでいたゴムを外したので、少しぼさっとしている。


「……映ってる?」


おそるおそる聞く。


「映ってる」


森さんの声が、少しだけ近くなった気がする。


「大丈夫?

 なんか変じゃない?」


「変じゃないよ」


「ほんとに?」


「うん。

 配信で見るより、“弓さん”って感じがする」


それが、なぜだかすごくうれしい。


「配信って、やっぱり少し作ってるからさ」


「うん。

 今のほうが、自然」


「じゃあ、今のほうがいい?」


聞きながら、自分で自分にツッコミたくなる。


こういう聞き方は、少し甘えすぎかもしれない。


「どっちも、いいかな」


森さんは、即答はしない。


少し考えてから、丁寧に言葉を選ぶ。


「配信の弓さんも好きだし、今の弓さんも、いいなって思う」


“好きだし”という言葉が、さらっと出てくる。


そこに変な温度はなくて、むしろ自然。


なのに、胸の奥だけが一瞬、熱くなる。


「……ふふ」


抑えきれなくて、小さく笑う。


「じゃあ、ちょっとだけ吹くね」


そう宣言して、笛を手に取る。


マイクの位置を変えて、スマホを本棚に立てかける。


画面の中の自分が、笛を構える。


森さんの顔は、見えない。


でも、向こうで息をのむ気配がある。


ひと呼吸してから、音を出す。


夜のアパートの中で、少しだけボリュームを抑えた、やわらかい音。


さっきの配信で吹いたフレーズを、もう少しだけ、内側に向けて吹く。


森さんだけに、聞かせるみたいに。


一フレーズ吹き終えたあと、ゆっくりと呼吸を整える。


「……どう?」


スマホに近づいて、画面を覗き込む。


「……反則だな」


森さんが、息を吐きながら言う。


「反則?」


「うん。

 今のは、ちょっと反則」


「なんで?」


「そういうのを聞くとさ。

 距離を保とうとしてるやつが、全部、意味なくなる」


意味が、すぐには理解できなくて、首をかしげる。


「むずかしいこと言う」


「ごめん」


「でも、うれしい」


正直な気持ちが、そのまま口から出る。


「……ありがと」


「こちらこそ」


やりとりを続けているうちに、だんだん身体がふわっと軽くなっていく。


さっきまで張り詰めていたものが、ほどけていく。


「ねえ、森さん」


「ん?」


「こうやって話してるとさ」


「うん」


「なんか、“普通の人”みたい」


自分で言って、ちょっとおかしくなる。


「普通の人?」


「うん。

 配信でコメントしてくれる人じゃなくて。

 ちゃんと、生きてる人って感じ」


「そりゃ、生きてるよ」


「そうなんだけど」


スマホの画面越しに、自分で自分にツッコミを入れる。


「なんか、不思議」


「俺も、不思議だよ」


森さんが、ふっと笑う。


「本当は、こういう距離感になる予定じゃなかったから」


「予定とかあるの?」


「一応、既婚者なので」


「あ」


その一言で、現実が少し戻ってくる。


でも、戻りきらない。


だって、今、こうして話してしまっているから。


「ごめん」


思わず謝ってしまう。


「え?」


「わたしが、こうやって電話したりするから……」


「それは、弓さんが謝ることじゃないよ」


森さんの声が、少しだけ強くなる。


「……俺が、決めてることだから」


「でも」


「弓さんが“話したい”って思ってくれたのは、うれしい」


その言い方が、ずるい。


でも、嫌じゃない。


むしろ、その言葉に、心がじんわりと満たされる。


「……ありがと」


そこからまた、他愛もない話に戻っていく。


好きな映画の話。


子どものころの部活の話。


弓は、だんだんと眠くなりながらも、森さんの声をもっと聞いていたくて、無理やり目を開け続ける。


「ねむそう」


森さんが、笑いながら言う。


「ねてない」


「まぶた、落ちてるよ」


「落ちてないし」


自分でも、どこまでが本当に起きていて、どこからが夢と混ざり始めているのか、曖昧になってくる。


「もう、寝てもいいよ」


その言葉に、子どもみたいにむきになる。


「やだ。

 森さんが切るまで寝ない」


「そんな約束したっけ」


「した」


「してないよ」


「今した」


自分で言っておいて、だんだん舌が回らなくなっていく。


スマホの画面が、少しずつぼやける。


「……森さん」


「ん?」


「まだ、いる?」


「いるよ」


その一言で、胸の奥がふわっとゆるむ。


「あー……よかった」


声が、自分のものじゃないみたいに小さくなる。


「ちゃんと、ここにいるから」


「うん……」


その返事を最後に、視界がふっと暗くなる。


まぶたの裏に、森の上の光と、海の色と、森さんの声が、ゆっくり混ざっていく。


その全部が、遠くないところで、静かに揺れている。


「……あったかい」


誰に聞かせるでもなく、そうつぶやいたような気がした。


そのまま、わたしは完全に眠りに落ちた。


スマホの向こうで、まだ誰かが呼吸をしている気配だけを、最後の最後まで感じながら。

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