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ライバーさんとの甘い罠  作者: 困ったクマー


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Part 2 支えるということ


昼間のオフィスは、いつも少し乾いている。

窓際の観葉植物の葉が光を弾き、エアコンの風にゆれていた。

資料の紙をめくる音と、誰かのタイピング。

それが今の自分の世界だ。


数年前までは、声を張る側にいた。

部下の視線を集め、判断を下す立場。

沈黙は、敗北だった。

沈黙が生まれた瞬間に、人は不安を覚える。

だから埋める。話す。笑わせる。

――あの頃の自分は、そうやって支配と安心を混ぜていた。


だが、今は違う。

指示もされず、誰にも注目されない。

一人で黙々と数字を追い、定時になれば終わる。

人の声は多いのに、心の声は遠い。

そんな空間の中で、昨日の音だけが生きていた。


耳の奥に残る笛の響き。

あの夜、車の中で聴いた弓の音は、

どうしてこんなに静かなのに消えないのだろう。


午後三時。

外回りの途中、信号待ちの車でスマホを開く。

通知欄には何もない。

分かっていても、指が動いてしまう。

あの小さな赤い丸を探す。

けれど、そこには何も表示されない。


ほんの少し寂しい。

でもそれは、誰かに依存する寂しさではない。

音のない現実に、音の記憶を探してしまうだけ。


夜、帰宅してから机に資料を置き、

シャワーの音を聞きながらスマホを横にした。

カレンダーの通知を確認する。

“弓が配信を開始しました”。


体が先に動いた。


イヤホンを挿し、照明を落とす。

部屋の空気が少し冷たくて、指先が汗ばんでいた。


「こんばんは、弓です。

今日も来てくださってありがとうございます」


声が、昨日より落ち着いている。

音が呼吸している。


森:こんばんは。今日も風が吹きましたね。

弓:こんばんは、森さん。……吹きましたね。優しい風。


小さな間。

画面の中の弓が、ゆっくりと笛を構える。


「今日は少し緊張してます。

一日空けただけなのに、感覚が戻るまで怖くて」


森:じゃあ今日も大丈夫です。こっちも緊張してますから。

弓:なんでですか。

森:沈黙の間に落ちたくないんです。

弓:……それ、わかります。わたしも、落ちたくない。


笑い声が重なった。

まるで二人で息を合わせて吹くような、同じタイミングだった。


音が始まる。


今日は昨日よりも、少し強い息。

低音の部分に深みがある。

呼吸の位置が違う。

昼の出来事を引きずっているような音だった。


旋律が止まり、弓の肩が小さく揺れた。

マイクが息を拾う。


森:今日の音、空が広いです。

弓:広い……?

森:昨日は部屋の中の音でした。今日は外で吹いてる気がします。

弓:想像でしょ、それ。

森:想像の方が、現実より救われる夜もあります。


弓は少し笑い、

画面の中の光がゆれる。


「……なんか、森さんって詩人ですよね」


森:元管理職です。詩人には程遠いです。

弓:でも、言葉の選び方が静か。

森:静かな人ほど、うるさい世界にいたんですよ。


弓は何かを思い出したように、しばらく黙った。

そして、小さく息を吸った。


「……じゃあ、次は静かな曲を。

沈黙の練習です」


笛の先が少し傾き、柔らかい音が流れた。

森は目を閉じ、呼吸を合わせる。


吹き終わったあと、

弓は一瞬だけ笑みを浮かべた。


森:今の、風が優しかったです。

弓:風、優しかったかな。

森:誰かを責めない風でした。

弓:そんな風、吹けてたらいいな。


配信は四十分で終わった。

他のリスナーは少しずつ退室していく。

画面の中では、弓がマイクの電源を切る前に少し息を吐く。


森:今日も、いい夜でした。

弓:……ありがとう。沈黙、苦手だったのに。

森:苦手なことは、誰かがそばにいると少しだけ優しくなります。

弓:優しい人だな、森さん。

森:支える、っていうより、一緒に立ってるだけです。

弓:……それが一番、うれしいかも。


画面が暗くなり、配信が終わる。


森はスマホを伏せた。

その小さな黒い画面に、自分の疲れた顔が映る。

支える。

その言葉が、胸の奥で静かに反響した。


数字を支えること、会社を支えること、

それはたしかに大事だった。

けれど本当の支えは、

声を出さず、何も言わず、ただ隣に立つことかもしれない。


現実ではできなかったことを、

今、画面の向こうでしている。


森はスマホを胸ポケットにしまった。

その小さな温もりが、心臓の鼓動と重なる。


***


弓は配信を終えたあと、

机の上のマイクを見つめていた。


コメント欄の最後の言葉が、

まだスクリーンに残っている。


「一緒に立ってるだけです。」


独り言のように、弓はつぶやいた。

「……それって、すごいな」


支えられるのは、怖い。

寄りかかってしまう自分が怖い。

でも、支えられたことを知った瞬間に、

音が少し変わる。


弓は笛をもう一度手に取った。

吹かない。ただ息を通した。

音にはならない空気。

それでも、そこには確かに人の気配があった。


夜風がカーテンを少し揺らす。

外の街灯が部屋の隅を照らす。


その光の中で、弓は思う。


「支えるって、

たぶん、沈黙の中で手を振ることなんだ」


もう一度、息を吸った。


「ありがとう」


誰にともなく言って、マイクのスイッチを切った。


***


翌朝。

森はコーヒーを淹れながらスマホを見た。

通知はない。

それでも、画面を閉じる前に一言だけつぶやく。


「今日も、風が吹きますように。」


言葉は空気に溶け、

見えないどこかで、

弓の部屋のカーテンを、

少しだけ揺らした。


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