何度でも1時間だけ巻き戻せる時計
「知ってるか? 桜の木の下には死体が埋まってるらしいぜ」
会社のレクリエーションと言う名の飲み会。
その最中に、同僚の榊がそう言った。
季節は春ということで、大衆居酒屋ではなく外で花見をしながらの宴会となったのだが、すでに出来上がった榊の冗談に、みんなもふざけて笑った。
「えー? マジー?」
「じゃあこの下にも死体が埋まってるのー?」
「やだ、こわーい」
オレの嫌な予感は当たるもので、すぐに「ここ掘ってみようぜ」となった。
場所は郊外にある公園内。
花見客はまばらだが、それでも公共の場所だ。そんな好き勝手をしていいわけがない。
しかし酔っぱらったみんなの頭の中には「桜の木の下に死体があるか確かめよう」という思考しかないようで、すぐに地面を掘るための硬いものを探し始めた。
「おーい、こんなの見つけたぞー」
すると榊が公園の管理小屋から数本のスコップを見つけて持ってきた。
庭木の手入れか何かで使ってるものだろうか。
それをみんなに手渡していった。
「お、おい。やめようぜ」
さすがにそれはまずいと思ったが、
「んだよ、ノリ悪ぃなあ」
と睨みつけられてしまったため、みんなが掘っていくのを黙って見ていた。
こういう時、一番の長である課長だったらみんなを止められるのだが、肝心のその課長はブルーシートの上で大いびきをかいていた。
「ふう、疲れた。ほれ、交代」
そう言ってスコップを手渡されたオレは、仕方なくみんなと一緒に地面を掘った。
まあ、あとで戻しておけばいいか。
そう思って掘り進めていくと、ガツッとスコップの先端に何やら硬いものが当たった。
木の根っこや石などではない。
金属のようなものだ。
「あれ? なんかある」
オレはスコップを置いて手で土を払いのけ、埋まっている何かを拾い上げた。
それは手のひらサイズの金属の箱だった。
ところどころ文字のようなものも見える。
なんだろうと箱を開けると、中には腕時計のようなものが入っていた。
アンティークだろうか、ずいぶん年代物だ。
「なあみんな。こんなのが埋まってたんだけど……」
オレはそれを見せようと腕時計を掲げると、バチッという衝撃が身体に走った。
「痛っ!」
思わず腕時計を落とす。
まるで電流が走ったかのような衝撃だった。
「痛ぁ。なんだこれ?」
慌てて地面に落ちた腕時計を拾い上げようとすると、なぜかそれは地面に落ちてなかった。
「あ、あれ?」
まさか下に落としたのではなく衝撃で放り投げてしまったのかと思い、辺りを探す。
しかし腕時計はどこにも落ちていなかった。
「な、なんだったんだ?」
不思議だった。
いまさっきまで手にしていた腕時計が消えている。
けれどもさらに不思議なことが起きていた。
掘っていた地面が綺麗に元通りになっていたのだ。
三、四人くらいで掘っていたからかなり大きな穴だったはずである。
それがものの数秒で元通りになっている。
なんだこれは。
いったいどうなってるんだ。
呆然とたたずむオレの耳に、榊の声が響いてきた。
「知ってるか? 桜の木の下には死体が埋まってるらしいぜ」
声のほうに顔を向けると、会社のみんなは穴掘りなどまったくしておらず、ブルーシートの上で酒をあおっていた。
そしてそんな榊の言葉に合わせてみんなが応える。
「えー? マジー?」
「じゃあこの下にも死体が埋まってるのー?」
「やだ、こわーい」
こ、これは……。
さっきみんなが発していたセリフじゃないか。
どういうことだ?
わけもわからずポカンとしていると、先ほどと同じく「ここ掘ってみようぜ」となり、みんなは掘るための道具を探し始めた。
そしてこれまた先ほどと同じく、榊が管理小屋から数本のスコップを持ってきた。
「おーい、こんなの見つけたぞー」
榊はみんなにスコップを手渡していくと、再度地面を掘り始めた。
ここにきてオレは思った。
これは……時間が巻き戻っている?
信じられないが、事実だった。
現に、さっきまで掘っていた穴が元通りになっていて、これからまた掘り進めようとしているのだ。
時間が巻き戻ってないと説明がつかない。
やがて同僚の一人が「ふう、疲れた。ほれ、交代」と言ってオレにスコップを手渡した。
オレはそれを手にスコップで地面を掘っていく。
そして同じように金属の箱にぶち当たった。
恐る恐るそれを拾い上げ、中を開ける。
やはりアンティークな腕時計が入っていた。
それを手に取り、しげしげと眺める。
特におかしなところは見当たらなかったが、リューズの部分が普通の腕時計よりも出っ張っていた。
そこを指でちょこんと押すと、再度電流が身体中を駆け巡った。
「あがっ!」
ビリビリ衝撃が走ったものの、今度は腕時計をしっかりと握っていた。
しかし、気づいたら手の中の腕時計は消えていた。
そして先ほどと同じ場面が繰り返されている。
「知ってるか? 桜の木の下には死体が埋まってるらしいぜ」
「えー? マジー?」
「じゃあこの下にも死体が埋まってるのー?」
「やだ、こわーい」
ほ、本物だ……。
本物の時間巻き戻し装置だ……。
オレの心臓が一気に高鳴る。
これはうまくすれば人生楽しくなりそうだ。
さっきのやりとりを再度繰り返したオレは、桜の木の下に埋まっていた腕時計をこっそりと懐に入れたのだった。
※
次の日からオレの時間巻き戻し実験がスタートした。
まずは当たり障りのない早朝に腕時計のリューズを押す。
電流が身体中を駆け巡る苦痛はあるものの、時計を見ると一時間ほど時間が巻き戻っている。
テレビで流れている朝のニュースも、一度見た内容そのままだった。
朝の通勤時。
少し混んでいる電車に乗ってリューズを押す。
すると、1時間前の住んでるアパートから出る場所まで戻っていた。
これで会社に行くとき、どのルートを通れば人が少ないかわかるようになった。
お昼休みもどこが混んでいるか確かめられるし、社外の人間と会う時も事前に対処できるようになった。
時間が巻き戻せるのは一時間だけ。
けれどもこの一時間はかなり大きかった。
考えてみて欲しい。
一時間後にどこで何が起こるかわかると仕事でも私生活でもいろいろと準備ができるのだ。
たとえ失敗してもやり直せるし。
そのおかげでオレの仕事スキルはみるみる上達し、社内でも一目置かれるようになった。
それもこれも、あの花見の時に拾ったこの腕時計のおかげである。
まさに腕時計さまさまだ。
そんな中、オレは課長から大事な案件を任された。
大手取引先の商談だ。
これがうまくいけば、課長が上層部にオレを推薦してくれるという。
数週間前から準備していたこの案件。
ダメな要素は見当たらなかった。
オレの出世は間違いないだろう。
意気揚々とオフィスを出たオレは、すぐにタクシーを拾った。
「〇×商事へ」
行き先を告げるとタクシーはすぐに発進した。
時刻は午前十時。
予定時刻の十時半には十分間に合う時間だ。
時間を気にしながら、ふとタクシー内のルームミラーを見ると、後方から勢いよく突っ込んで来るトラックが見えた。
かなりスピードを出している。
ハンドルもふらふらしていて危なっかしい。
そしてオレの乗るタクシーに近づいているのに減速しようとする様子も見えない。
オレは振り向いて後部座席から後方を眺めた。
「あ!」と叫ぶ時にはすでに遅かった。
運転席に座って眠りこけるトラックの運転手の顔を見つめながら、オレはタクシーに乗ったままトラックに追突されたのだった。
まさか。
まさかここに来て事故にあうとは……。
オレはひしゃげた車内で、意識を朦朧とさせながらかろうじて腕を伸ばした。
腕時計は、頑丈なのか傷一つついていない。
そんな腕時計のリューズを、オレは文字通り命がけで押したのだった。
ハッと我に返る。
目の前には課長の顔。
そして、今まさに大手取引先への商談を依頼されてる最中だった。
「では頼んだよ? これが上手く行ったら、上役に君を推薦するから」
課長のその言葉に心底ホッとする。
よかった。戻って来た。
あのまま死んでしまったかと思った。
「お任せください。この商談、必ず成功させます」
オレはそう言ってオフィスを出た。
時刻は午前十時。
しかしオレはタクシーには乗らなかった。
事故るとわかってるタクシーに誰が乗るものか。
目の前を通過するタクシーと、その後ろからものすごい勢いで通り過ぎていくトラックを見つめながら、オレは駅の方に向かって歩いて行った。
しかし。
ドスッという熱い感触が脇腹に感じた。
振り向くと、そこには見知らぬ男。
そしてオレの脇腹にナイフが突き刺さっていた。
「うぐ……」
な、なんだ?
なんでオレの脇腹にナイフが刺さってるんだ?
男はオレに刺したナイフを引き抜くと「ふへへ」と笑った。
「い、い、い、いいスーツ着やがって。この日本の社畜め。みんなしてクビになったオレをあざ笑いやがって。死ね死ね。みんな死んじまえ」
言ってる言葉が支離滅裂だった。
もしかして、無差別殺人というやつか?
オレ、無差別殺人犯に襲われてしまったのか?
男は明らかにイッちゃってる目をしていた。
「ぐう……」
腹をおさえながら腕を伸ばす。
こんな所でこんなヤツに殺されるなんて、まっぴらごめんだ。
オレは精一杯の力で腕時計のリューズを押した。
「では頼んだよ? これが上手く行ったら、上役に君を推薦するから」
課長の顔が再び目の前に現れた。
三度目の巻き戻りだ。
こんなケースは初めてだった。
タクシーに乗って事故にあい、駅に向かって無差別殺人にあう。
正直、オレはオフィスを出たくなくなった。
けれども、この商談はずっと前から準備していた案件だ。
行けませんとも言えず、資料を持ってオフィスの裏口から出ることにした。
しかし。
裏口から出た瞬間、高齢者の乗る車が突っ込んできた。
「ぐふぅ……」
まさに一瞬の事で避けることもできなかった。
道端に倒れながら、薄れゆく意識の中でリューズを押した。
「では頼んだよ? これが上手く行ったら、上役に君を推薦するから」
四度目の課長の言葉。
オレは「わかりました」と言いながら、オフィスのトイレに逃げ込んだ。
なぜかはわからないが、オフィスから出たら死ぬことだけはわかった。
だったらオフィスから出なければいい。
そう思いつつトイレに身を隠していると、シューというガスの臭いが鼻をついた。
「……?」
そして次の瞬間。
大きな音とともに爆炎がオレを襲った。
オフィスの壁が粉々に砕け散り、課長はじめ榊や他の同僚が下敷きになっている。
そしてオレも虫の息だった。
「な、なんで……」
かろうじて手を伸ばし、リューズを押す。
身体中に電流が走る。
そしてオレはまた課長の前に立っていた。
「では頼んだよ? これが上手く行ったら、上役に君を推薦するから」
五度目のこの言葉を聞いて、オレは思った。
もしかして。
もしかして、自分の死だけはどうやっても免れないのではないかと。
だとしたら、オレはこのまま延々と死を経験していくしかない。
過程はどうあれ、即死しないことだけは確かだった。
とすれば、巻き戻る度にいろんな苦痛を味わうことになる。
なんてことだ。
これでは拷問以外の何物でもないではないか。
オレが取る方法はふたつ。
あきらめて死を受け入れるか。
生き残る方法を見つけるまで、何度も死の苦痛を味わうか。
どちらも最悪な選択だ。
「では頼んだよ? これが上手く行ったら、上役に君を推薦するから」
オレは課長の言葉を聞きながら、午前十時を指す時計の針を恨めしく見つめた。
お読みいただきありがとうございました。