突然の訪問
私は部屋に戻り、一人で夜通し泣き崩れた。
父や兄に泣き声が届かないよう、布を噛みしめて忍び泣いた。
私の犯した罪。
貧しさから諦めたデビュタントの夢を叶えるために、お兄様の論文内容を新薬の発表へと選択させてしまった。
実際、あの新薬「レヴェイエ」は兄が論文を発表してから、第二王子の元でさらに効果を安定させるため研究と治験を繰り返し、完成するまでに四年の時がかかったが、その薬が齎した財は私たちの想像以上だった。
この子爵邸も、隅々まで修繕を施し庭までキレイに整えることができたのだから。
ただし、その恩恵は子爵家のみで領民にまでは行き渡らなかった。
「……薬草の栽培が王宮内に限られたからだわ。第二王子の命で」
くすん。
鼻を鳴らして、前の時間を思い出す。
そう……兄が作った新薬に使われる薬草は、王宮内でひっそりと極僅かのみ栽培された。
薬の値段は高騰し、王侯貴族や裕福な商人などにしか流通することはなかった。
外国にもよく売れ、外交に一役買ったとか自慢げにロパルツ伯爵子息が言いふらしていたっけ。
「お兄様の論文の内容は変わることになった。でも、それであの人たちとの縁は切れるのかしら?」
今回の論文には、元々使われていた風邪薬の効果を高める補助薬の調合が書かれる。
兄と父との会話で、その薬草は子爵領地で栽培が可能で、調合もそれほど難しくないとか。
治験も、もともと風邪薬として流布していた薬に加えるものだから、領民に協力を求めれば今年の風邪の流行時期に治験が始められる。
使用する薬草は珍しくない薬草だと兄が言っていたから、特に第二王子たちの目を引く論文ではないはずだけど……不安だわ。
兄が学園を卒業するまでの一年間に何が起きるのか……私はここで待つしかできない。
「お母様……どうかみんなを守って」
母から貰ったペンダントを両手に握りしめ、天にいる母へ祈りを捧げる。
私は再びあの崖から落ちてもかまわない。
私のせいで苦しんだ兄や父、領民たちを、どうかお守りください。
静かな夜が、眩しい朝日に照らされて厳かに明けようとしていた。
兄に対して少しの後ろめたさを感じながら、やっぱり同じ屋敷に兄がいることに心が浮き立つこともあって、穏やかな日々を過ごしていたある日。
先ぶれもなしにアンリエッタが訪ねてきた……なぜか父のニヴェール子爵と共に。
滅多に使われることのない我が家の応接室に二人を通して、リーズと一緒にお茶の準備をする。
この焼き菓子、まだ食べれるかしら?
クンクン。
リーズがお茶を運ぶのに付いていって、応接室の中をこっそり覗こうと思ったら、父から声をかけられて驚く。
「えっ!」
「ニヴェール子爵様はお前に頼みたいことがあるそうだ。こちらに来て座りなさい」
……なにかしら?
ニヴェール子爵様の隣でお澄ましして座っているアンリエッタの顔を見ても、さっぱりわからないわ。
私はニヴェール子爵様、おじ様にご挨拶したあと、大人しく父の隣に座った。
リーズが私の分のお茶を用意するために、バタバタと慌ただしく部屋を出ていく。
「すみません。もう一度ご用件を伺ってもよいでしょうか?」
父の言葉にニヴェール子爵様はにこやかに頷いて、私に優しい視線を向ける。
「実は、末娘のアンリエッタが学園に通うことになりましてな。ぜひ、シャルロット嬢に同行してほしいのです」
……?
「えっと……? アンリエッタが学園にですか?」
商会を営んでいるニヴェール子爵家だもの、末娘のアンリエッタが学園に通う財力はあるでしょうけど、彼女はあまり学園に興味を示してなかったよね?
そして、なぜ彼女が学園に行くから私も一緒に行くことになるの?
「もちろん、こちらのわがままに付き合ってもらうのです。学費からその他一切合切、我がニヴェール子爵家が負担します」
ふんすっておじ様が胸を張って主張するけど、そんな我が家にだけ得する話があるのだろうか?
悲しい貧乏暮らしが長い私は、ついつい親友の父であっても胡乱な目つきでおじ様を見てしまう。
たぶん、父も兄も困惑した顔でおじ様を見ていることだろう。
おじ様がアルナルディ家を説得するのに持参したのは、学園の入学案内書だった。
「つまり、お兄様が通う学園の本科ではなく淑女科に一年間通う予定なのですね」
貴族の子息が通う王都の学園の淑女科とは、実は淑女とは名ばかりの働く貴族子女のための教育機関である。
つまり、高位貴族女性の侍女とか王宮勤めの女官とかね。
高位貴族の子女が学ぶ淑女教育は本科の中に組み込まれているもの。
「アンリエッタ……、あなた侍女にでもなるつもり?」
「やだわ。私は自分の能力が活かせる場所に行きたいって言ってるでしょ。そのために必要になるかもしれないから、学園に通うことにしたのよ」
ふふんと得意げに話すけど、必要なこと? いったいなにかしら?
「学園に通うのはいいことだけど、なぜ私が付き合うの?」
一人で通えば、余計なお金を使うこともないでしょうに。
「まあ! そんな王都に一人で行けなんて。シャルロット、私たちは親友でしょ? 心細いのよ、一緒に学園で学びましょう」
ニコニコのアンリエッタの顔が胡散臭いわ。
「父上」
「うむ。まことにありがたい申し出だ。シャルロットさえよければ、こちらが頭を下げてお願いしたい」
「え? お父様? お兄様?」
こうして、私は前の時間では通うことのなかった学園に一年だけ通うことになった。




