王子の野望
学園内に用意された王族または高位貴族だけが利用できるサロンの一室で、男は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「結局、論文提出を勧められた奴らの中に、手駒になりそうな奴はいなかったか」
バサッと乱暴にテーブルの上に放り投げられたのは、先生に論文提出を推薦された学生一人一人の成績表や身上書だ。
その一枚を手に取り、細面の別の男は口を曲げて笑う。
「あまり頭の良さそうな生徒もいませんでしたね。なにが成績優秀者なのか……。ふん、孤児院に委託する業務、こっちは新しい畜産についての可能性……くだらない」
手に持った紙をグシャと握りつぶす。
「おいおい、丁寧に扱えよ。それにしてもこんなつまらない内容の論文をわざわざ発表して何になるんだか」
椅子に座り頭の後ろで手を組んだ大柄な男が鼻で笑った。
三人の男以外にサロンの部屋にいる者は壁に沿って立ち、愛想笑いで誤魔化している。
「ディオンが気にしていた薬草子爵の息子はどうだったんだよ?」
大柄な男が神経質そうな細面の男に問いかけると、不快そうに顔を歪めた。
「どうにもならないですよ。今回の論文発表者に名前は連ねていますけど、既存の薬の補助剤だそうです。まったく、十年前に風邪薬の画期的な変化を齎したアルナルディ家だからと期待し過ぎたようで、本人はボーッとした男でした」
細面の男の意見に同意するように不機嫌そうな男、ディオン第二王子殿下は頷くと、続けてサミュエルへの失望を語る。
「新しい薬でも開発してくれれば、俺の役にも立ったがな。あの男では足を引っ張るだけだ。他に俺の手駒になる奴はいないものか」
トントンと苛立たしげにテーブルを指で叩いて、頬杖をつく。
「なんとしても第一王子の派閥を崩したい」
「ディオンの後ろ盾は、俺とシリルだけだもんなー」
悪気なく言った言葉だが、ディオンの気に障ったらしくギロリと睨まれる。
「ごめん」
大柄な男、騎士団長子息のレイモンは首を竦め体を縮こませた。
「こちらの味方に引き入れるのも難しいですから、やっぱり相手の駒を削るのが得策では?」
小賢しい意見を得意げに放つ宰相子息のシリルは、手にした数枚の紙をディオンへと差し出す。
「……こいつらがこちらに寝返っても、モルヴァン公爵とデュノアイエ侯爵があちら側にいる。俺にももう少し高位貴族の味方がほしい」
「ディオンと第一王子は同母兄弟ですから、王妃様の実家である公爵家はディオンだけの後ろ盾にはなりません」
同じ理由で乳母の家や王大后の実家も自分だけの味方にはならない。
兄と同じ乳母だったのが、いまさらながらに悔やまれるが、赤子だったディオンにはどうしようもできないことだった。
「そろそろ、こちらの勢力を広げておかないと取り返しのつかないことになる」
ディオンは焦りから親指の爪を噛んだ。
うーんと三人の男が考えあぐねていると、部屋の隅でクスクスと女の笑い声が聞こえてきた。
「誰だ?」
「……すみません。オレリアです」
平民が着る飾りもない誰かのお下がりの制服のスカートを摘んで挨拶をする女子生徒に、ディオンは冷たい視線を送る。
「何がおかしい?」
「いいえ。ただ……優秀と評判のシリル様でも、意外といい策を思いつかないものだと思って」
口元に手を当て、女、オレリアはまたクスクスと笑う。
「なっ、わ、私をバカにするつもりですか? じゃあ、あなたにはどんな策があるというのです?」
バカにされたと顔を真っ赤にして詰め寄るシリルにオレリアは優しく微笑み、ディオンに提案する。
「一番の敵をこちら側に引き込み、こちらの後ろ盾とすればいいのです」
「……。デュノアイエ侯爵は無理だ。溺愛する娘が兄上の婚約者だからな」
「ふふふ。では、排除を。邪魔者は排除してしまえば、こちらの脅威ではなくなります」
ニッコリと何でもないように告げるオレリアに、ディオンは得体のしれない恐怖と望みが叶うかもしれない高揚感に包まれた。
「ど……どうしたらいいのだ?」
この女の話は聞いてはダメだと思う本能的な恐怖を上回る欲望。
女は妖しいまでに美しく微笑んだ。
「まさか……」
「ええ。イレール様の妹を、薬を理由に人質として扱い、邪魔なフルール様はこの舞台から降りていただければと思います」
そのために必要な人材として、幾人かの貴族のリストを渡されたレイモンは、恐ろしさに手が震えた。
「俺はイレール様の妹が病だなんて知らないぞ? 病弱だとは聞いたがな」
そもそも、他国の貴族令嬢と婚約の話があったディオンだったが、その令嬢が流行り病で亡くなり婚約の話がなくなってしまった。
そのときから、なんとなく兄への鬱屈した思いを抱えていたディオンは、王族の次に高位な令嬢との婚約を望んだ。
兄がデュノアイエ侯爵令嬢と婚約したことへの嫌味も兼ねて。
だが、モルヴァン公爵令嬢は病弱を理由に、婚約の話を断ってきた。
ディオンは、そのあともミレイユ・モルヴァンとの婚約の可能性を捨てられず、いまだに婚約者を決められずにいたのだ。
病の治る薬を譲ることを条件に彼女と婚約を結んで王宮に留めおき、兄のイレールを我が側近に迎える。
兄の親友であり信頼している側近を奪えることに、ディオンは興奮してきた。
「しかし、お姫さんを排除するのは……」
レイモンは頭を使うことはイマイチだが、剣術は好きだ。
それでも、人を、令嬢を手にかけるのは、ちょっと躊躇う。
「いやですわ。排除と言っても社交界から消えてもらえばいいのです。傷を作るとか? 足を怪我するとか? あるでしょう?」
「まあ、それぐらいなら……」
レイモンを言いくるめたオレリアは、一枚の紙をペラリと男たちの前に掲げる。
「特に協力者としてジョルダン伯爵は必要です。彼は船で交易をしているのですが……その積荷にディオン殿下のお望みに不可欠なものがあるのです」
そう、ジョルダン伯爵の領地には海があり、いくつもの船で他国と交易し利益を得ていた。
交易品の中には、表に出せないものもある。
――違法薬物




