恥ずかしい手
なんでこんなことになってしまったのか……。
ちょっと遠い目をしてニヴェール子爵家の王都屋敷、日の光が燦燦と入るエントランスで立っている私。
隣にニヤニヤと笑う親友がいるが、無視したい。
「かわいいわよ、シャルロット。町のお忍びデートだから素朴なワンピースに宝石の飾りもないシンプルな恰好だけど、イレール様はきっと満足してくださるわ」
きゃぴきゃぴとはしゃいで私の手を握り、ぴょんぴょんと飛び跳ねるアンリエッタ……あなた、淑女教育はどこにいってしまったの?
あと、イレール様が満足するかどうかは、関係ないわ。
「……別に植物園と買いものに付き合うだけでしょ」
「立派なデートコースじゃない」
違うわよっ。
ムッと顔を顰めてみせたら、アンリエッタはひょいと首を竦めた。
「ねぇ、アンリエッタも一緒に来ない?」
「いやよ。お邪魔虫じゃないの。イレール様はシャルロットと二人きりってご要望なんだから」
そんな要望だったかしら?
「もう、お兄様も植物園なら付き添ってくれるかと思ったら、「見飽きた」なんて言って」
あの兄に限って植物を見飽きることなんてないのに。
「サミュエル様だって、かわいい妹が心配でもお邪魔虫になるつもりはないのよ」
二人の態度に、はあーっとため息を吐いたところで外で馬車が止まる音がした。
「ああ……。まさか本当に来るなんて」
イレール様は、ご自分が公爵子息様だってこと自覚してないの?
アンリエッタは憂鬱な気分に押しつぶされそうな私を見捨てて、自ら扉を開けようとスキップして離れていった。
満面笑みなアンリエッタとニヴェール子爵家の使用人たちに見送られて馬車へと乗り込む私は、涙目になっているだろう。
「さあ」
スマートにエスコートの手を差し伸べてくださるイレール様に、つい恨めしげな眼を向けてしまう。
イレール様へと自分の手を伸ばしかけて、止める。
「あ……」
前の時間のときには気にならなかった。
そうよ、イレール様に初めてエスコートされたのは、デビュタントの夜だったわ。
白い手袋で隠されていた私の手の汚さ。
その後は、婚約したあとで兄の手当で暮らし向きがよくなり、私も貴族子女として最低限の身なりを整えることができた。
今も、ニヴェール子爵家にお世話になっていて水仕事からは解放されていたけど、まだ残る手荒れに私は恥ずかしさを覚えた。
……こんな恥ずかしい手を見せたくない。
「どうしました?」
「……いえ、あのぅ……」
胸の前で手をもう片方の手で握りしめ俯いた私に、イレール様は優しく背中に手を当て馬車へと促す。
「足元、気をつけて」
「……はい。ありがとうございます」
アンリエッタに遠慮しないで、手や肌のお手入れに気をつければよかったわ。
あ、髪だって、王都で流行している香油を使わせてもらえばよかったかも……。
なんだか、頭ではイレール様との身分違いをわかっていたのに、隣に並ぶべきではないと理解していたのに、いざ近くにその温度を感じれば自分のいたらなさに恥ずかしくなる。
もっとあなたに相応しく、隣に立ってもみすぼらしくなく、少しでも綺麗になりたい。
「……シャルロット嬢?」
ガタンゴトンと既に馬車は動きだしていて、イレール様は私と対面の座席に座り、様子を窺うように前のめりで声をかけてきた。
「あ、すみません」
何を考えていたの、シャルロット!
もう、私はイレール様に何の気持ちも抱いてないはずよ。
……いいえ、この人は私を殺そうとした人。
私の大切な人を奪い取った人たちと繋がっている人なのよ!
なのに、今でもまるでイレール様に好かれたいと願うような思考をしてどうするの。
私はプルプルと頭を左右に振って、浮かれた気持ちを振り払った。
そう、私は今日、イレール様と行動を共にして第二王子との関係や思惑を調べるためにきたのよ。
「シャルロット嬢? 本当に大丈夫かい?」
「はい。ご心配をおかけしました。植物園のことを考えていただけなんです」
嘘です。
「そうか。植物園は広いがゆっくり回れば疲れないし、カフェで休むつもりだ。シャルロット嬢の興味のあるところから回ろう」
ニッコリと笑顔で優しく話すイレール様に、私はぎこちなく笑ってみせた。
イレール様……こんな顔だったかしら?
婚約している間は、ちゃんとデートにもお茶会にも誘っていただいて、会話を交わしたけれど……。
あのときも麗しいお顔で柔らかい表情だったわ。
でも……貴族らしい表情だったかもしれない。
学園に通って貴族といわれる方たちと接してわかったのは、笑顔でいても本心は違うということ。
微笑んでいても、本当は気分を害していたり、嘲っていたり、悲しんでいたり。
貴族はすべてを隠してしまうから。
あなたは、前の時間で私の旦那様だったとき、本当に笑っていたの?
本当は何かを隠していたの?
そしていま、あなたは私にどんな感情を向けているのかしら?
今日であなたのことを知るのが怖いような、その本性を暴いてやりたいような、複雑な気持ちで私は馬車の窓から外を見るのだった。
モルヴァン公爵子息とシャルロットを乗せた馬車が門扉を出ていくのを見送った使用人たちは、それぞれの仕事へと散らばっていった。
アンリエッタは、親友の淡い初恋を見守る姉の気持ちで満足そうに一つ頷くと、表情をガラリと変えた。
その彼女へ、庭師の若い男がトコトコと近づいてくる。
「お嬢。あの女、動きましたぜ」
「そう。なかなか尻尾が捕まえられなかったけど、これで何かわかるかしら?」
アンリエッタは両手を腰に当て、庭師の男を睥睨する。
「いい? 失敗は許さないわ。あの女の正体に繋がる何かを見つけてきなさい、アルナルディ家を害するオレリアって女のね」
ふんっと鼻息を荒くするアンリエッタの様子に苦笑した庭師は、顔を引き締めるとサッと去っていった。




