Ⅷ 娘の住みか
「それで…ハスキはどれが食べたい?といっても選択肢はあんまりないけど」
カップラーメン、冷凍パスタ、レトルトのご飯。
ゆづりはトントントンと軽快な音を立てて、机の上に食べ物を並べる。すると、ハスキは得体の知れないものを触れるかのようにピチピチと食品を叩いて回り、冷凍パスタの上でピタリと手を止めた。
「この冷たいのはなんすか?氷?」
「パスタ。又の名をスパゲッティ。味はカルボナーラだよ」
「からぼなぁら?」
「うん。なんか美味しいやつだよ」
「ふーん。じゃあ、これが食べたいっす!」
「分かった」
ゆづりは選ばれたパスタを無造作にレンジに放り、他の食料を棚に戻す。そして、コップに麦茶を注いでハスキの前に出していれば、四分経ったらしくレンジがチンと鳴った。
「どうぞ」
チピチピと麦茶を啜っているハスキに、熱々のパスタとプラスチック製のフォークを置く。
しかし、ハスキはじっとゆづりの顔を見つめるだけで、出されたものに手を出すことはなかった。
「……食べないの?毒とかは入ってないよ」
「いや、そうじゃなくて。オネーさんは食べないんすか?」
「うん。私は餓死することもないしね」
ゆづりは最近、自宅では食事をしていない。学校の給食のみで腹を満たしている。
生活が切羽詰まっているから、食事を抜いている訳じゃない。ただ腹が空かないから食べてないだけだ。今の体だと餓死することもないのだから、わざわざ時間を割いてモノを食べる必要がない。
しかし、ハスキにとってはそれもおかしいらしい。数秒キョトンとした顔をした後、マジかと呆れたような声で笑った。
「なんすかそれ!オネーさんって神かなんかっすか?」
「半分当たり。とある神様に魔法を掛けられて、そういう体にさせられたの」
「マジすか!?オネーさんって面白い人生を歩んでいるんすね」
「それは君にも言えるでしょ」
たった一人だけ自分のいた世界の真実に気付き、そして脱走するなんて、まるで少年漫画の冒頭シーンだ。面白い人生そのものだろう。
しかし、ハスキに波乱万丈な人生を送っている自覚はないらしい。ゆづりの方が珍しいとでもいうように、ゲラゲラと笑みを浮かべていた。
「んじゃ、腹減ってるし遠慮無く」
「うん。どうぞ」
ハスキは両手を組んで祈りを捧げる。そして、頂きますと指をほどき、ガシリとフォークの柄を鷲掴んだ。しかし、上手く力が入らなかったらしい。カンと軽い音を立てて、フォークが床に落ちた。
「ん?んん、ん?」
ハスキはワタワタしながらも、もう一度フォークを掴む。しかし、ピンとくる持ち方が決まらないのか、鉛筆を持つように構えてみたり、五指で握りしめてみたりしていた。
「大丈夫?」
何だか使い辛そうだ。
ゆづりは箸でも用意するかと腰を上げる。だが、ハスキの手がブルブルと震えているのを見て、再び席に戻った。
ハスキは長年寝ていたのだ。フォークや箸を使うといった細かな動作は難しいかもしれない。
ゆづりは少し逡巡した後、ハスキにフォークを渡すよう手を差し出した。そして、渡されたフォークをハスキの代わりに握る。
「あーんして食べさせてあげるよ。口、開けて」
「あー」
ハスキには羞恥心という言葉がないらしい。彼女は唐突なゆづりの指示に反抗することも躊躇うこともなく、ガバリと口を開いた。
本当にあーんでいいのか。あまりにもすんなりと受け入れられたことに、提案したゆづりが面食らってしまう。しかし、目の前に広がるハスキの口が憐れで、すぐに麺を突っ込んでやった。
「おぉ、うまいっすね!これ!」
ハスキは熱かったのかハフハフと口を開け閉めしつつも、パスタを頬張る。味も幸い口に合ったらしく、旨い旨いと溢しながらパスタを噛んでいた。
「ん。あー」
「……あーん」
ハスキはパカリと口を開ける。
どうしてだろう。あーんをしてやっているゆづりの方が、小恥ずかしくなってきた。
ゆづりは恥ずかしさから顔を赤らめながらも、ハスキの口にパスタを無心で突っ込み続ける。そして、十回程度餌付けを繰り返した後、「終わり」と空っぽに鳴った器をハスキに見せた。
「うー、満腹満腹…」
ハスキはペロリと唇を舐めながら、少し膨らんだ腹を擦る。かなりご満悦そうだ。食事中も一切文句を言うこと無く完食していたし、今も空っぽの皿を覗いては物足りなそうに口を開けている。
少々意地汚く見えるくらいには、地球の飯が気に入ってくれたらしい。
「美味しかった?」
「うん。めっちゃ美味しかったっす!」
「それならよかった」
ゆづりは甲斐甲斐しくクリームで汚れたハスキの口許を拭い、フォークやらゴミやらを片付ける。その間にハスキは手を腹から目に移すと、ぐりぐりと擦りだした。あくびもころころとしだす。眠いようだ。
別にここで寝るのは構わない。リビングで寝ようと寝室で寝ようと、ゆづりからしたらどうでもいい。
しかし、格好は気にくわない。服は泥だらけだし、手足も所々汚れている。そんな状態で寝たら家が汚れるだろう。
部屋を汚して母から叱られるのは、ハスキではなくゆづりだ。せめて風呂に入ってから寝てくれと要求するくらい許されるだろう。
「寝るの?その前にお風呂入ってきてくれない?」
「おー…」
「ちょっと…聞いてるの」
ハスキは今にも椅子から転げ落ちそうなくらい、ガクリガクリと体を揺らす。目はもう半分閉じてしまっているし、意識もふわふわと飛んでしまっている。
このまま寝られたら困るのだが。ゆづりはハスキの肩を揺さぶったり、目の前で手を叩いたりしてみた。しかし、虚ろな彼女の目が開かれることはない。ゆづりははぁと大きなため息をつく。
「じゃあ、私がハスキのことひんむいて洗っちゃうよ。それでいいの」
ハスキは細い。そして、軽い。服を脱がして風呂場に連れていくなんて、ゆづりにとっては造作のないことだ。
半ば強迫めいた言葉と、少し強めの口調。ハスキは流石にそれは困るな!なんて言いながら、言うことを聞いてくれると踏んでいた。が。
「うっす、頼んだー…」
予想に反し、ハスキは異常者だった。彼女は躊躇うことなくそう言い切ったかと思うと、両手を上げる。バンザイだ。さっさと脱がせると言わんばかりに腕まで揺らしている。
豪放磊落な彼女の態度に、提案したゆづりの度肝が抜かれてしまう。だってあり得ないだろう。出会ってわずか一時間の人に呆気なく裸を晒すなんて。
「……正気?」
「うん」
ハスキはマイペースに頷く。どうやら本気で構わないと思っているらしい。
「……じゃあ遠慮なく」
本人がいいと云うのなら、二の足を踏む必要はない。
ゆづりはリビングでハスキの衣服を剥ぎ取ると、腕を引いて風呂場へ連れていく。そして、軽くハスキの体にシャワーをかけ、髪の毛を濡らした。
長くてろくに手入れもされていない髪を洗うのは大変そうだ。ゆづりは少し多めにシャンプーを手に取り、ワシャワシャとハスキの髪を洗い始める。
「ねぇ、ハスキ」
「うん。アタシはハスキっす」
「……その、これからどうするの?どうやって生きていくとか、何処に行くとか…色々考えなきゃいけないことがあるけど」
「オネーさんはどうすりゃいいと思う?」
ハスキは困ったようにヘラリと笑う。鏡越しに会う目は、まるでゆづりを先生やら師匠やらと思っているかのような羨望が灯っていた。
しかし、ゆづりはハスキの先導者でもないし、オネーさんでもない。むしろ年で見るなら、ハスキがゆづりよりも三つほど年上だ。そんな風にアテにされても困る。
「ほら、さっき言ってたじゃん。夢を現実にって。計画とかあるんじゃないの?」
「そんなもんないっすよ。あれ、ただの目標だし」
「えっ、ノープランなの?!」
自信満々に語っていたから、何か行く宛でもあるのかと思っていた。が、まさかその場限りで言っていたとは。
行動力と夢を豪語する力は目が飛び出るほど備えているが、先を考える力は水溜まりほどもない。猪突猛進すぎる生き方だ。
「それでどうすか。オネーさん。何か良い案あるっすか?」
「そ、そうだなぁ…」
ゆづりとしては、ハスキがここにいても別に構わない。彼女の姿が地球人から見えないのなら、母に見つかることもないのだ。一番の問題はとっくに解決している。
ただ、ハスキの食事は保証できない。間違っても三食用意するなんて金銭的に無理だ。
しかし、ハスキにはここ以外に居場所がない。もちろんシンギュラリティの元に戻るという選択肢はあるが、彼女は嫌がるだろう。ゆづりだって薦めたくはない。
「とりあえず、落ち着くまではここにいたら?神が頼れない以上、宛先もないし…ここを居場所にしてくれても、私は構わないし」
「………」
「あっ、寝てる!」
返事がないと思ったら、ハスキは睡魔に負けていた。ぐうすかと大胆に寝息を立てて、目を瞑ってしっかりと寝ている。
年下の女に何もかも任せっきりで、色々心配になるのだが。
ゆづりは心地よさそうに寝ているハスキに悪態をつきつつ、シャンプーの泡を流してやった。




