Ⅶ 拾った娘
改めて、この娘の境遇について考えると気の毒だ。
自分が真っ当に生きていると疑うことなく幸福な日々を送っていただろうに、ある日突然目が覚めたと思ったら、周りは得体の知れない機械と、寝ている人間で敷き詰められていた。加えて、自分の体は病人のように痩せ細っている。
こうも残酷に、今までの人生がただの夢でしかないことを悟らされるのだ。
人生にさほど期待していないゆづりだって、今までの日々が機械によって作られた幻に過ぎないんだと知ってしまったら、多少なりともショックを受けるだろう。それくらい、この事実は重く、知られてはいけないものだった。
「………」
彼女が今の状況を呑み込み、咀嚼できるまで待つか。
ゆづりは娘に声をかけることはせず、黙って彼女が泣き止むのを待つ。
おそらく十分程度待てばどうにかなるだろう。そうゆづりは気長に構えていたが、意外にも彼女は一分足らずで前を向いた。
「すみません。ちょっと取り乱しました」
「いえ別に…」
「改めて言うけど、助けてくれてありがとう。助かったっす」
娘は涙でぐちゃぐちゃになった顔を手の甲で拭うと、ゆっくり立ち上がる。足は子鹿の誕生のようにプルプル震えていて、腰は抜けていた。恐怖が抜けないからではなく、体を動かし慣れてないからこうなっているのだろう。こんなヘロヘロな体でよく中継場まで逃げられたものだ。
「大丈夫?」
見かねたゆづりは娘の腰に手を回す。そして、彼女を落ち着いた場所に座らせるために、椅子が置いてある宇宙空間部屋へと連れていった。
「ホント助かる。ありがとう、オネーさん」
「うん」
娘は椅子に体を預けると、辺り一面を占める宇宙空間に視線を送る。信じられないと、半開きになった口がありありと語っていた。
「えっとそれで…ここは何すか?宇宙とかすか?」
「うん。まぁ、そんなところだね」
ゆづりも八星の原理や中継場の理屈は把握していない。そのため、娘の疑問に対する返事も曖昧なものとなってしまう。
頼りない返事しかしないゆづりに、娘は苦笑する。しかし、そこにある感情は嬉だ。変な機械の娘も何処か行ったし、一段落ついたと安心しているように伺える。
「………」
しかし、ゆづりとしてはそこまで心安らかでない。
あくまでシンギュラリティが言ったことはあくまで「保留」だ。彼女を見逃すと言ったわけではない。創造者の指示を仰いで、ソイツが元に戻せと言ってきたら、彼女はまた襲われる。
正直今もゆづりは気が気でない。が、すっきり安心しきっている彼女にそう伝えるのは酷だろう。言われなくとも分かっているかもしれないし。
「そういえば、オネーさん。名前は?」
「えっ?」
「ほら、アタシらは初対面じゃないすか。なら、まずは自己紹介っすよ!」
娘はいつの前にか視線を宇宙からゆづりへと移していた。彼女の夕焼け色の瞳がこちらを見捕らえている。やけに友好的で明るい色をしていた。
「アタシはハスキ。年は十七…だけど、本当にそうなのかは分かんないっすね」
「私は佐々木ゆづり。地球に住んでる、ただの人間だよ」
「チキュー?なんすか、シチューみたいなモンすか?」
「その…この世界には星が八つあるの。君がいたのは天機星っていう星。私がいるのは地球っていう星」
「星が八つ?つまり、オネーさんは宇宙人ってことすか!?」
「ま、まぁそんな感じかも」
言われてみれば、違う星の人間はみんな、ゆづりにとっては宇宙人なのか。UFOもなければ、宇宙船に乗ってもいないため、あまりピンとは来ていないが。
「あはは!知らないことが多すぎるっすね、この世界!」
大きな反応はしないまま宇宙を見下ろすだけのゆづりに対して、ハスキの顔は輝いている。まるでおもちゃを見つけた子供のようだ。溢れでる希望と期待に染まっている。
こんなワケ分からない状況に放り出されたというのに、こうも早く前向いて笑えるようになるのか。ゆづりがハスキの生き様に目を見張る前、彼女は明るい口調で己の過去を明かしていた。
「アタシさ、世界一の天才として色々と暗躍していたと思ったら、急に目の前がビョーインになって。そんで、周りには頭に装置を付けられたヤツがザッーて並んでて。うっわ、これ嘘だろって!」
「………」
「そんで、すぐに分かったんすよ。あぁ、アタシが見てたのはこの機械で作られた夢だったんだって。実際の世界では、アタシには優しい家族はいないし、優れた才能もないし、名誉も仲間も過去も何もかもないんだなって。あはは、ウケる!もう笑うないっすね」
ハスキは手をゆらゆらと揺らして、けらけらと笑う。
しかし、ゆづりはとてもじゃないが笑えなかった。むしろ、息が詰まって言葉一つ出なくなる。どういう顔をしたらいいのかも分からず、目を細めて俯くことしか出来なかった。
だって、笑い飛ばせるような楽しい話ではないのだろう。
「でも、いいっすよそれで。全部ウソでもマボロシでも夢でも」
しかし、ハスキは違った。彼女はしっかりと顔を上げ、目に光を灯して前を向いていた。
「だって、これからあの夢を現実にすればいいだけっすから!そうでしょ?」
「…つまり?」
「この世界でも夢みたいな生活を送ってやるってことっすよ!」
ハスキはドンと薄い胸を張る。そこには将来に対する不安なんて微塵もない。これから明るい未来が待っているという、自信と希望しかなかった。
「それが出来たら何よりだけど…」
この子、かなりポジティブだ。おそらくどんな困難にぶつかっても、何やかんや立ち上がって乗り越えて行く人だ。
ゆづりが破天荒とも取れる彼女のプラス思考に目を見開く隣、ハスキの腹がグルグルと鳴った。それに伴って、高らかに上がっていた腕もゆっくりと落ちていく。
「うっ、腹減ったっすね」
「な、なんで?」
「なんでって…ニンゲンは食事しないと死ぬじゃないすか」
「あぁそうか」
この子は神でも眷属でもない。だから、お腹は減るし、年も取るし、殺されたら死ぬ。
人間として生きているからには至って当たり前のことなのだが、神に触れすぎてその感覚を喪失しかけていた。
「そうだな…」
いつもならここにソフィーがいて、ケーキや紅茶が並んでいる。だから、それを食べれば空腹は満たされたであろう。
しかし、今は皿の上には空気しかない。カップはすっからかんのまま放置されている。とても腹は満たせない。
シンギュラリティに言えば食事は用意してくれそうだが、ハスキが怖がりそうだ。それにシンギュラリティたちが寝ている人間に与えていた食事は、離乳食のようにぐちゃぐちゃにされたものだった。とても意識があるときに食べるものじゃない。
「じゃあ、私の家でご飯食べる?」
「え、いいんすか?!」
「うん。いいよ。あんまり豪華なものはないけど」
「そんなこと気にしないっすよ!アタシ、食べようと思えばダンゴムシとかその辺の雑草とかもいけるんで!」
「そ、そこまで悲惨な食事にはならないと思う…」
冷蔵庫の中に一食分の食料はあったはず。それをこの子に与えれば餓死することはないだろう。
ゆづりの提案にハスキは即座に両手を上げる。そして、犬のようにゆづりの後を追いかけてきた。
****
「へぇ、これがチキューすか。なんかずいぶんと近未来的っすね!」
「そうなんだ」
ゆづりの教室のベランダに着くなり早々、ハスキは外を見下ろす。そして、物珍しそうな目で視線を忙しなく動かしながら、冒頭の台詞を吐いていた。
ここはお世辞にも都会ではない。それでも、ここが近未来的というのなら、ハスキが元々いた世界が遅れていたのだろう。天機星自体は八星の中でも随一に進んでいるような気はするが、夢の世界はそこまでのようだ。
ハスキが望んだから古い時代に合わせたのか、それともシンギュラリティが古い時代を生きるように調節しているのか。一体どちらなのだろうかと思いつつ、ゆづりはベランダから外へ身を投げる。そして、何事もなく起き上がり、家へ帰ろうとしたのだが。
「えっ、飛び降りってマジすか?!」
ハスキがゆづりの後をついてくることはない。彼女はまるで化物でも見るかのような驚愕に染まった顔で、こちらを見下ろしていた。
ゆづりは何故に彼女がそんな表情をしているのか分からず、一瞬呆気にとられてしまう。しかし、すぐに理由に気付いた。
「あ、そっか」
人間は四階から飛び降りたら死ぬんだった。ゆづりは中継場に行く時にはいつも飛び降りているし、帰ってきて自宅に向かうときも階段を使うのが面倒でベランダから飛び降りてしまっている。これ、普通の人間はしないんだった。
「ハスキ!今からそっちに戻るから、そこで待ってて」
ゆづりは昇降口から教室に戻り、ハスキを迎えに行くことを決める。すると、ハスキの「うっす!」という元気な返事がゆづりの背中を押した。
****
再び教室に戻り、ハスキを迎えた後、ゆづりたちは自宅への帰路を辿る。
現在時刻はお昼前のため、ちらほら通行人の姿があった。しかし、人々は入院服かつ裸足という奇特なハスキの格好に、気に止めることはない。淡々と通りすぎていく。
「天機星には魔法があるのか」
魔法のない世界である地球にて姿が認知されないのは、魔法のある星出身の神や人間。ハスキの姿が地球人には認識されていないということは、天機星には魔法があるのだろう。
ハスキは桃やノアと違い、至って普通の地球人の外見をしている。だから見られていても支障はないのだが、まぁ見えていないことに越したことはない。
「ハスキ、大丈夫?ちょっと休む?」
「まだ歩けるっす!めちゃくちゃ余裕っすよ…!今なら海も泳ぎきれそうっす…!」
「いや、そんなに余裕があるようには見えないけど…」
現在、ハスキは疲労困憊といった様子で、ゆづりの三歩程度後ろを歩いている。風でも吹いたら何処かに飛ばされてしまいそうなくらい、足取りはフラフラで、息も上がっている。かなり体力が厳しそうに見えた。
ゆづりがハスキをおぶって、家まで行ってしまえれば話は早いしかし、運動なんて体育以外では全くやらないゆづりに、到底そんなことできる力はない。ハスキには悪いが、もう少し頑張ってもらおう。
そのまま五分程度コンクリートを辿り、ギシギシと軋む階段を上る。そして、家の玄関に足を運んだ頃には、ハスキは死にかけていた。
ゆづりはハスキより先に部屋に入ると、濡らしたタオルを持ってくる。そして、剥き出しにされたハスキの足を拭った後に、彼女を部屋に招き入れた。
「お邪魔しまーす」
「うん。どうぞ」
ゆづりは適当に相づちを打ちつつ、洗面所で手を洗う。一方、ハスキは部屋の様相が珍しいのか、首を回してあちこち見渡していた。




