Ⅵ 天から逃げた娘
神に会えることも、古葉の髪を盗むことも出来ないまま、とうとう一週間以上経ち、日曜日を迎えてしまった。
少し開いたカーテンから差し込む日光が眩しい。ゆづりは呻き声を上げつつ、布団を顔まで被る。
今日はまだ起きないつもりだ。いつもなら今頃とっくに起きていて、学校へと向かっている時間だが、今日は絶対に起きない。
だって、早起きをして中継場へ行ったとしても、やることはないし、神はいないのだ。早起きしても、たいしたメリットが見込めない。それなら睡眠を優先する。
このまま昼過ぎまで寝よう。ゆづりは朧気な意識を更に溶かし、再び眠りに堕ちようとしたが。
「あいてっ」
ギシギシと床が軋み始めたと思ったら、近くにある机に積んであった教科書が崩れた。その中の一冊が、ドンとゆづりの頭へ直撃する。不幸なことに頭に落ちてきた本は国語の教科書だ。一番厚い本のため、頭にかかった衝撃も大きい。
ゆづりは痛みですっかり覚醒してしまった頭と視覚に舌打ちをしつつ起き上がる。そして、転がっている教科書を元に戻した。
「最近、地震多いな」
一週間ほど前から地震が頻発している。二日に一回は来ているのではないだろうか。幸い震度は大したことはなく、大きな被害は無いと聞くが、安心は出来ない。
実際、これは大地震の予兆で、これから大変なことになると喚く人はかなり多い。水や米のような生活必需品が品薄になっているとニュースでも言っていた。
ゆづりは念のためにテレビをつける。すると、速報の所に震度四と乗っていた。そこまで心配する強さじゃない。ただ、ニュースキャスターは今後も注意してくださいと訴えていた。
「まぁ今の世界、なんだかおかしいもんな」
日本では類を見ないほど地震が多発しているし、海外もなかなか大変な状況だと聞く。火山の噴火やハリケーンといった自然災害はもちろん、テロやデモなども頻発しているらしい。世界の終焉が訪れたと、嘆く人もかなりいるようだ。
「皆、平気なのかな」
ノアとソフィーとはあの日突然別れて以降、全く会えていない。それどころか彼ら以外の神の姿も見れていない。みんな自分の星に籠っているようだった。
おそらく、地球以外の星たちも地球と同じように崩れていて、それの修復に手を取られているのだろう。
「あーやることがない……」
『開発者』の手記は二日前に翻訳が終わった。
しかし、創造者について得られた情報は結局ゼロだった。開発者が転生も出来たのか出来なかったのかも、結論がないままフィナーレを迎えてしまった。
最終的に分かったことは、開発者が転生している可能性があること。創造者についてたびたび捜査をしていたこと。誰か気にかけている人物がいたこと。こんなところだろうか。
重要そうな雰囲気はあるが、一番大事なピースが無い手記。やはり、古葉が抜き取ったページに色々書いてあったのだろう。
さっさと古葉から情報を聞くか、ページを返してもらうかしたいが、彼の毛髪が手に入らないことには話が進まない。無論、真っ向から議論を持ちかけてもいいのだが、何と言ったらいいのか分からず、出来ないままでいる。
「どーしようかな……」
時間はあるがやることがない。創造者探しを始めてから何度もぶつかった障壁にまたも苦しむ。
「目ぇ醒めたし動くか」
この部屋で寝ていても確実に何も進まない。しかし、中継場に行けば、もしかしたら神が戻ってきていて、調査が進められるかもしれない。
ゆづりは一回ため息を吐くと、テレビの前から立ち上がる。そして身支度をするため、ノロノロと洗面所へ向かった。
****
部活で騒がしい校庭をひっそりと抜けて、中継場へ飛んだゆづり。すると早々、扉の向こうから籠った音が聞こえてきた。
「誰かいる?」
久しぶりに人の気配がする。その期待と歓喜から、ゆづりの足は自然と軽くなり、あっという間に宇宙空間部屋へと出る。が、ここには誰もいない。人の気配がするのは。
「……この先」
騒がしいのは廊下だ。目の前の扉の奥から、言い争っているような声がする。そして、ドンドンと荒く床を叩く音も響いている。
また桃が暴れているのか。それとも、ノアとイルゼが揉めているのか。
いつもならゲンナリとするところだが、今の心情は嬉しいそれだけだ。こうも騒がしいなら、この扉の先には誰かしらいるのは確定。そこが修羅場だろうがなんだろうが、神から今の状況について話が聞けるのなら構わない。
ゆづりはワクワクしつつ扉を開ける。すると、浮わついていた感情を吹き飛ばす、騒然とした雰囲気がゆづりを迎えいれた。
「だから!アタシはもうベッドには戻らないっす!」
「命令、沈黙。睡眠強制」
「さ、さっきからなんすかその喋り方は!何言ってんのか全然わかんないっすよ!」
「帰還命令。人間用言語…『さっさと帰って寝ろや』」
「じょ、冗談じゃねぇー!」
廊下にいたのは、褐色の髪をツインテールに束ねた娘と、メイド服を着た女性だ。二人は廊下に響く大音量でギャアギャアと言い争っていた。
「シンギュラリティ…?」
二人のうち片方は見覚えがある。天機星の神こと、シンギュラリティだ。彼女は相変わらずの無機質な声と態度で、相手に迫っている。
しかし、もう一方の娘には見覚えがない。ピンとも来ていない。おそらく始めましての人だ。
八星の神や眷属にはすでに全員会っていて、顔も知っている。だから、新たな顔が来ることはまず無いはずなのだが。
よく分からないまま、ゆづりは二人に近寄る。すると、シンギュラリティがパッと素早くこちらを振り返った。
「分析中……貴様、地球人『佐々木ゆづり』」
「はい。そうです…」
「挨拶。会釈」
「ど、どうも。こんにちは」
シンギュラリティは何の感情も宿っていない瞳をこちらに向け、機械的に頭を下げる。ゆづりはその無機質さにたじろぎつつも、会釈を返した。
「あの、今は何を…」
「ラッキー、チャンス!」
しているんですか。
そうゆづりが話そうとしたのを遮って、唐突に娘が奇声を上げる。そして、ゆづりが目を白黒させている隙に、ぴょんと地面を蹴ってこちらに飛び込んできた。
「そこのオネーさん、助けてくれ!アイツ、さっきからヤバイんすよ!」
「えぇ?」
娘はブンブンとゆづりの体を揺らす。初対面なのにやけに距離が近い。それに馴れ馴れしい。この娘と何処かであったことがあるのだろうか。
ゆづりは自分の腰に張り付いている娘を見下ろす。
棒のように細い体。清楚な入院服。手首についているプラスチック製のブレスレット。ボサボサの髪の毛。
どれを見ても、ピンとはこない。だから、間違いなく知り合いの類いではない。しかし、この娘がどういう立場の人間なのかは勘づいた。
「もしかして…貴方、天機星で寝てた人ですか?」
「……」
「肯定」
ゆづりの呟きに、娘は怯えた顔をするだけで何も言わない。しかし、傍にいたシンギュラリティは正解だと突きつけてくる。
この娘は天機星で寝ていた天機人だと。
「え、どうしてこんな人がここにいるんですか?起きちゃったんですか?」
天機星はシンギュラリティのような機械人が、天機人たちに幸福な夢を見させている星だ。
彼女やノアの説明によれば、天機人たちは一生目を醒ますことないという話だったはず。だから、ここに夢から醒めた人間がいるわけがない。
なのにどうしてと目を見開くゆづりに、シンギュラリティは淡々とした様子で返答してきた。
「不幸事故。最近、八星調子悪。又崩壊。既知?」
「は、はい。最近、地球も色々と物騒だし、ノアとソフィーも何か慌てているし……何か起こっていることは薄々察してます」
「告白。天機星、不具合発生。夢見機械不安定。此影響。数人起床」
「なるほど…」
現在、地球に限らず八星全体が大変なことになっているらしい。それで、天機星では、天機人に夢を見させている装置が故障したようだ。その影響で本来夢を見ていたはずの人が起きてしまったとのこと。
つまり、この娘は不幸な事故に巻き込まれた内の一人ということだ。
「なんすか、まさかオネーさんも敵なんすか…?!」
「いや、別にそんなことないですけど…」
シンギュラリティとゆづりが淡々と会話を進めていれば、背後にいた娘が怯えたようにジリジリと離れていく。が、手足が震えていて上手く動けていない。空いた距離も誤差の範囲だ。
もちろん、ゆづりは娘に害を加える気など更々ない。娘はシンギュラリティとゆづりを仲良しと見なしたのだろうが、実際のゆづりとシンギュラリティの関係は顔と名前が一致している程度の仲だ。天機星の運営に介入する関係ではない。
そう弁明しようと、ゆづりは娘に歩み寄る。しかしそれを押し退けて、シンギュラリティが娘に近寄った。
「強制帰還。早急、体頂戴」
「ひっ!」
一歩一歩確実に娘への距離を縮めるシンギュラリティ。その歩みに伴って、先端にコンセントが付けられている髪がユラユラと揺れる。
相変わらず長い髪だな、なんて悠長な感想は出てこない。彼女の髪からは、ビリビリと電流の迸る音が響いているのだから。
「うわっ……」
スタンガンだ。漫画やドラマの中でしか見たことのない攻撃道具が、じわじわと目前に迫ってきている。
「ヤ、ヤダ!オネーさん何とかしてくれ!助けてぇ!」
ゆづりが物騒なモノに恐れた背後で、娘は小さく悲鳴を上げる。その拍子に腰を掴んでいる力が強くなった。しかし、彼女の腕は木の枝のように細い。だから、力を入れてもたかが知れていて、たいして痛くはなかった。
「た、たすけ……」
娘は恐怖が最高潮に達したのか、今にも失神しそうなくらい震えていた。顔色も真っ青で、だらだらと冷や汗が伝っている。
剥き出しの足には数多の切り傷が刻まれ、鈍い赤色が付着していた。施設から逃げた際についたのだろう。壮絶な逃走劇の一端が伺える。
自分が今まで生きていた幸福な世界が、ただの夢だと否定された。そして、今もう一度、その虚構の世界に戻れと迫られている。
それは怖いだろう。そして辛いだろう。
「ちょ、ちょっと、待って…!」
気付けば、ゆづりはシンギュラリティの腕を掴んでいた。
「何?」
シンギュラリティは不機嫌そうな声で首を傾げる。口でははっきりと言われていないが、邪魔だと訴えていることが体の節々から伝わってきた。
が、引き下がれない。この手を離せない。
ゆづりに赤の他人を助ける義理など無い。しかし、これを見て見ぬふりをするのは些か薄情だ。それに最悪ゆづりがシンギュラリティのスタンガンを喰らっても、死には死ない。なら、とりあえず手は貸してやるのが人間としての在り方だろう。
「再度。何?」
「き、きそく!」
「……?疑問。意図不明」
「天機星の規則って、なんでしたっけ…?」
「天機星、規則『人間への不可侵』……疑問。此、何?」
「その規定は、寝ている人間を人為的に起こしてはいけないってルールで、勝手に起きた人を眠らせろっていうルールじゃなくないですか?」
「………」
「だから、この人を捕まえる理由はないっていうか…」
シンギュラリティの苛立ちが垣間見える口調に、ゆづりは怯み語尾が萎れてしまう。
しかし、ちゃんと主張はできたはずだ。この娘に手を出すなと。
「………」
シンギュラリティは即座に返答してくることはなく、無言で固まる。それは論理武装をする準備をしているようにも見えたし、想定外のことを言われて脳がシャットアウトしているようにも見えた。
「……ど、どうですかね…?」
さて、どう返してくる。なんと反論してくる。
ゆづりは手汗を握りつつ、シンギュラリティの反応を伺う。すると、意外にもシンギュラリティは物分かりがよかった。彼女は顔も手も目も動かすことなく、一言「承知」と呟いたのだ。
「『佐々木ゆづり』意見参考。対応保留。主指示、待機」
「つまり…?」
「一時解放」
シンギュラリティは少女を一瞥する。が、言葉通り何もすることはない。興味を失ったといわんばかりに、呆気なく踵を返した。
「よっ、良かった…」
どうやら上手く説得できたらしい。安堵から長いため息が漏れる。足腰に入っていた力も一気に緩み、強ばっていた筋肉が次々と解放されていった。
「た、助かった…?」
ゆづりの背後で、娘も震えた息をつく。ゆづりが無造作に振り返れば、娘はダラリと体を床に投げ捨て、天井を仰いでいた。そして、大きな瞳からポロポロと涙がこぼれ、次の時には彼女は嗚咽を上げて泣いていた。




