43話 呪いの消える時
随分と早い帰還だ。
帰ってくるまで少なくとも一時間はかかると思っていたのに、ほんの十数分程度で帰ってきた。
想定外の展開に呆気に取られてしまうゆづりを差し置いて、ノアは即座に状況を飲み込めたらしい。トンと軽い音を立てて、椅子から立ち上がっていた。
「早いな。もう済んだのか」
「あぁ。現在、私が火敵星の神の座を預かっている」
「ふーん。上手く行ったのか」
「……色々とあってな」
イルゼは含みのある目を長い睫毛で隠して微笑む。
彼のその仕草から見るに、扉の先で何があったのだろう。アリーセともかなり手早く分かり合えたようだし。
少し気にはなる。が、今は後回しだ。
神でなくなったアリーセの治療に取りかからないと、呪いが進行して彼女の命が危うくなるのだから。
「アリーセはこっちだ」
ノアもそのことは頭にあるようで、イルゼに深い追求はしない。黙々と隣の部屋に移動して、ソファーに寝ているアリーセの傍に跪く。
ゆづりもひょこりとノアの後ろをついていく。そして、アリーセの様態を見ようとノアの背中から前を見て、ひっと息を止めた。
「これは…」
アリーセの肌に咲いていた呪いの証。
前までは腕の一部にしかなかった黒花の刺青が、今は右腕全体に広がってしまっていた。最悪なことに、首の下部にもうっすらと呪花が咲きそうになっている。
かなり呪いが進行している。思わず青ざめたゆづりより青く、イルゼの顔が悪くなっていた。
「おい、本当に大丈夫なのか?これで呪いを解けるんだよな?」
「問題ない」
狼狽えるイルゼに対して、ノアは冷静だった。淡白としすぎていた。ノアは詠唱等は何もしないまま、トンと一回アリーセの腕に触れていた。
刹那、黒花の呪紋が蒸発するように縮小していく。そして、ものの十秒後。呪いはアリーセの腕から逃げるよう空気中へ溶けていた。
「終わりだ」
「おぉ……」
汚れも装飾も何もない、アリーセの白い肌。ノアの反応を見るに、どうやら呪いは解けたらしい。
百年どうにも出来なかった呪いが、こうもあっさり解かれるとは。
あまりにも人間離れしているノアの技量に、ゆづりは驚きと畏れで、感動することさえ忘れてしまう。
イルゼもノアの魔法に動揺したらしい。少し声を詰まらせて手を止めていた。が、すぐにハッと正気に戻り、アリーセの隣にしゃがみこんでいた。
「もう、アリーセ様に神の座を返してもいいのか?」
「いいぜ。早くやってやれ」
ノアはコクりと一回首を縦に振る。すると、イルゼはそっとアリーセの頬に指を置いた。
神の身分は渡したい人物と接触すれば移せると聞いた。だから、アリーセの頬にイルゼが触れた時点で、アリーセに神の座は返せるはずなのだが、イルゼは止まらない。
彼は無防備に寝顔を晒しているアリーセの唇に、己の唇を重ねていた。
「おぉ……」
キスだ。
恥じらいも何もなく、流れるように行われた愛の行為に、ゆづりの口からは声が漏れる。
隣にいるノアもこれには意表を突かれたらしい。「うおっ」と野暮ったい声を出して、半笑いで固まっていた。
しかし、イルゼはどちらの反応も気に留めていない。一人、アリーセから顔を離すと、ノアの方を振り返った。
「神の座を返しても、アリーセ様が起きないのだが」
「それは体力不足だろ。しばらく寝たら目を醒ますはずだぜ」
アリーセは目こそ開かないが、きちんと生きている。胸は上下しているし、微かに呼吸音もしているし、命が脅かされている状況ではなさそうだ。
イルゼもアリーセの生死に不安はないようで、静かに「そうか」と顎を引いていた。
「アリーセ様はこのまま私が城に持ち帰る。こんな粗末な所で寝かせているのは忍びないからな」
「あぁ。そうしろよ。もし体調が急変したら此処に戻ってこい。診てやるから」
「承知した」
イルゼは手慣れた様子でアリーセを抱き上げる。そして、カツカツと革靴を鳴らして、外へ外へと歩みを進めていった。
一歩進む度にヒラヒラと揺れる、アリーセのドレスとイルゼの燕尾服。
このまま去るのかとゆづりが二人を見守っていれば、イルゼはピタリと足を止めた。そして、くるりと体を半分翻して、目を合わせてくる。何か思い出したようだった。
「そういえば、貴様らは別邸に行きたいんだったか」
「あぁ。『理想者』についてまだちょっと調べたいからな」
「なら、時間が出来たら中継場に戻ろう。その時に、貴様らを別邸に案内する」
「ほ、本当ですか」
「あぁ。貴様らには世話になったからな」
イルゼは微笑む。その笑みには、いつも見せていた殺意や敵意などは一切ない。薔薇のような品のある美しさで魅せていた。
その美に思わず見惚れたゆづりをよそに、イルゼは踵を返す。そして、またも靴を高く鳴らして、火敵星に帰って行った。
「アイツから俺様たちの好感度、結構上がったっぽいな」
「うん。そうだね」
一瞥するだけでゆづりたちを殺そうとしてきたイルゼを、こちらに協力してもらえるくらいの関係に改善したことは大きい。
これならもう火敵星に行っても追い出されることはないだろうし、なんなら創造者探しに協力してくれる可能性もある。
まぁ、時間はかなり使っており、心労の方も痛わしい負担になってはいるが。
「まぁ、アリーセが第一なのは変わってなさそうだけどな。目の前でイチャイチャイチャイチャと…挙句の果てにはキスまでしやがったぜ」
「ま、まぁ…二人がちゃんと元の関係に戻れた証拠だよ。百年ぶりっぽいしさ、看過してあげなよ」
「そうかぁ?何があってもアイツらは仲良くなっていただろうし、感動もへったくれもないぜ」
「そんなに確信してたの?まるで未来でも見たような言いきりの仕方するじゃん」
「そうだよ」
「えっ?」
冗談で言ったのだが、まさかの肯定。
また魔法でも使ったのかと、勝手に納得しようとしたゆづりの心をノアは読んだらしい。いやいや魔法じゃないぜと人差し指を立てていた。
「実はゆづりと別れた後、金時星のところでアリーセの過去をもうちょっとだけ見てたんだ」
「そ、そうなの?全然知らなかった」
「言ってないしな」
どうやらノアはゆづりが桃と地球を散策していた間、金時星に残ってアリーセの過去を洗っていたらしい。
ノアは在監者のことを毛嫌いしていた。だから、さっさと金時星から退散していたと思いこんでいたが、裏で仕事をしていたとは。
「その結果、アリーセもイルゼのこと結構気に入ってるぽかったからな。イルゼのことも許すと思ってたぜ」
「じゃあ、あの時もそれでってことね」
「あの時?」
「イルゼを説得というか、洗脳してたときのノアの姿だよ」
「……あっ、あれか?あれは、話を無理にでも進めるためにやった演技だ、演技!」
ノアは軽快に笑う。
どうやら、イルゼと対峙した時に見せていたノアの狂気じみた顔は、ただの演技だったらしい。
確かに、イルゼの杞憂が無駄だと知っていたのなら、あの迫り方は正しかったのかもしれない。
「アリーセはお前のこと好きっぽいから、何でもかんでも許してくれると思うぜ」と一方的に語るよりは、効率的で効果的そうだ。ゆづりは人の説得なんてしたこと無いため、本当にそうなのかは知る由もないが。
「っていうか、洗脳ってなんだよ!俺様の魂のこもった最高にあっちぃ演説だっただろうが」
「…演説ねぇ……」
「なんだよその顔」
「いや別に」
あの時のノアは、ただただ怖かった。
心を鼓舞して前を向かせるというよりは、無理矢理闇落ちさせて前しか見れないようにするという感じだった。
だから、とてもじゃないが熱い演説とは呼びがたい。良くて、恐怖の演説といったところだ。
しかし、素直な感想を言ったらノアが不機嫌になるだろう。だから、黙っておく。心を読めるノア相手には無駄なことかもしれないが。
口をギュと閉ざしたゆづりとは対称的に、ノアの口は半開きになっている。が、声として彼の口から出てきた言葉は洗脳云々の話ではなく、これからの計画のことだった。
「あとアイツらにしないといけないことは……月祈星の修復を手伝ってもらえるよう誘うことだけだよな」
「うん。そうだね。多分、了承してくれるとは思うけど」
「それでも約束はしておかないとな。ま、今日はとりあえず解散ってことで」
「うん。お疲れ様」
ノアは疲れているらしい。はぁと大きな欠伸をしながら、部屋を出ていく。
今、日本は日が落ちて夜になりかけているところだろう。
ゆづりは明日は学校かと舌打ちをする。そして、宇宙空間にいたソフィーに「さようなら」と挨拶をして、地球へと戻っていった。
登場人物
ゆづり…主人公。八星を作ったとされる『創造者』を探している。
ノア…水魔星の神。ゆづりの創造者探しに協力してくれている。
アリーセ…火敵星の神。イルゼのことが好き。
イルゼ…火敵星の魔族。アリーセの眷属。
『在監者』…金時星の神。危ない噂がある。




