18話 友人との遭遇
火敵星の部屋を出たゆづりは、一回地球へと戻っていた。
現在、地球も火敵星と同じように朝のようで、久しぶりの教室には穏やかな日が差し込んでいた。
「風呂に入って、掃除して、洗濯して……」
ゆづりは学校から家への帰路を辿りつつ、帰宅したらやるべきことを頭の中で纏めていく。
昨日の放課後から今に至るまで、ゆづりは家には帰っていない。だから格好は制服のままだし、風呂にも入れていない。
だから、まずはシャワーを浴びて体を綺麗にしよう。そうゆづりが考えつつ何気なく玄関のノブを捻れば、抵抗なく隙間が出来た。
「……え」
ドアに鍵が掛かっていない。もしかして昨日の朝、鍵をし忘れたか。いや、ちゃんと鍵を掛けた。忘れるはずがない。
ゆづりはまさかと震えながら、静かにドアを引く。すると、見覚えのないハイヒールが玄関に脱ぎ捨ててあった。
「うっわ……」
母が家にいる。大抵は日曜日に帰ってくるから、土曜日である今日は平気だと踏んでいた。が、まさか今日に限って例外をついてくるとは。
母はいつ帰ってきたのか。彼女はゆづりが昨夜家に帰っていないのを知っているのか。怒っているのか。何を考えているのか。
ゆづりが必死に頭を巡らせる最中、無情にもリビングに繋がるドアが開いてしまう。そして、ゆづりの予想通り母がこちらを見下ろしていた。
「ねぇ何してたの」
「あ、今帰ってきて…」
「そう。何処行ってたの」
「えっと…」
困った言い方だ。母が今来ただけならなんとでも言えるが、昨日から家に来ているのなら、それ相応の理由を言わないといけない。一夜家に帰っていないわけなのだから。
母が昨日ではなく今来た方に賭けて説明するかと、ゆづりがギャンブルを仕掛けようとした刹那、母は「まぁいいや」と話を切った。
「これやっておいて」
母は床に置いてある籠と袋を指差す。籠には母の衣服が乱雑に詰められ、袋には分別もされていないゴミたちがぎゅうぎゅう詰めにされている。どちらも片付けておけの意味だ。
ゆづりは話が逸れたことに内心で喜びつつ、表では淡々と分かったと答える。そして、部屋に入ると、こちらも一つ袋を差し出した。
「あの…これ…」
袋の中身は先週母から渡された衣服だ。すでに洗濯は済んでおり、綺麗に畳んである状態。文句はつけられないはず。
「…………」
怯えるゆづりをよそに、母は服を無言で受け取る。そして、袋の中を一瞥すると、ゆづりの横を通りすぎていった。どうやら満足してくれたらしい。
その後、母は何も言うことなく家を出ていく。ゆづりは完全に母がこのアパートから離れたことを確認してから、はぁとため息をついた。
「助かった…」
母の機嫌が良くてよかった。万が一、荒んでいる状態だったら、今頃面倒なことになっていただろう。運がよかったとしかいえない。
ゆづりはもう一度ため息を吐きつつ、母の洗濯物を洗濯機に放りこむ。そして、そのまま制服を脱ぎ捨てると、下着をその上に乗せた。
衣服で埋まった洗濯機を起動させ、向かう先は風呂場。ゆづりは無造作にシャワーを掴むと、己の細い体に何遍なく温水を掛けた。
「そういえば、水掛けても痛くなくなったな」
ポタポタと垂れる水滴が、ゆづりの体に残っている数多の煙草跡と切り傷を掠めるが、痛くもなんともない。昔は風呂に入る度歯を食い縛っていたが、随分と傷が癒えたようだ。
「あーもーこれからどうしよっかな…」
髪から落ちる水を見つめつつ、ゆづりはこれからのことを考える。
燃えて無くなった可能性の高い『叛逆者』の手記。古くて読めない『理想者』の残した本の内容。徐々に翻訳は進んでいるが未だ確信に迫れていない『開発者』の本。
どれに頼ってもあまり収穫がなさそうだ。しかし、それしか頼れるものがない。
「そろそろ他の方法見つけないと…」
現状、創造者のことを知るための手段が少なすぎるのだ。本だけではなく、何か他に確信に迫れるものを見つけたいところだが、見つかりはしないだろう。
今いる八星の神たちは創造者のことは把握しておらず、昔の神でも創造者のことを知っていた人物はいないのだから。
「天機星の交代を待つか…」
約一年後に控えているという、創造者と会えるチャンス。
今の所、創造者探しに大きな進展がありそうなのはこの時なのだが、魔法で対象出来ない暗闇が創造者と共に出現するという不穏な話が纏わり付いている。これもまぁ一筋縄ではいかなそうだ。
「とりあえず中継場には行ってみるか」
学校のある日は中継場に行っても時間が足りず、たいしたことはできない。しかし、今日のような学校のない日は一日フルで創造者探しに費やせる。
ゆづりは何となくの方針を決める。そして、もう一度シャワーを掛けるとシャンプーを手に取った。
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風呂から上がり、制服に着替えたゆづりは特に躊躇うことなく、学校へ赴き、ベランダから飛び下りた。すると。
「よっ、待ってた」
そんな気さくな声と共に、ゆづりの腹が潰れた。いや、誰かに抱きつかれた。抱きつかれたといっても、ドシリと骨が潰れるような勢いと重さで押し潰されたの方が近い。
「ちょっ、桃…」
ブンブンと動いている尻尾と紫紺の髪をゆづりは睨む。説明するまでもないが、現在ゆづりに飛び乗っているのは桃だ。彼女はゆづりを粉にしたいのかという力で、腰にしがみついてきていた。
「桃。ど、どうしたの?」
「や、ゲームの充電が無くなった」
「あぁ、なるほどね…」
ゆづりが細やかに桃を剥がそうとすれば、相手は呆気なく離れた。代わりにゆづりの目前にゲーム機をぶら下げる。画面は真っ黒だ。桃の言う通り、充電がなくなってしまったらしい。
確か桃にゲーム機を渡したのは四、五日前だ。充電なんぞとうに尽きていてもおかしくない。
「ねぇ」
「うん、わ、分かった。家に帰ったら充電しておくよ」
ゆづりはゲーム機を受けとり、返事を返す。すると、桃はんと一言だけ返事をして、こちらに背を向けた。
「…………」
あまりにも呆気なく離れていく桃に、ゆづりは拍子抜けさせられる。
てっきり、桃は今ゲームをしたいんだ。だから今すぐ充電してこい。そう要求されるかと思っていた。それなのにこんなにあっさり手を引くとは。
「え、何?その視線、鬱陶しい」
ゆづりが呆気に取られて桃を見つめていれば、視線が不愉快だったらしい。桃が機嫌悪そうにこちらを振り返った。
露骨に嫌そうな桃の瞳に、ゆづりは咄嗟にごめんと謝る。そして、桃に別れを告げようとして、とあることを思い出して止めた。
「そ、そのさ。私も一個お願い言ってもいいかな」
「は、なに?」
「土獣星に行きたいんだけど、行ってもいい…?」
現在、創造者について知れそうな一番の手がかりは叛逆者の手記だ。すでに居場所を特定して、尚且つ叛逆者が創造者について調べていたという情報も得ているのだから。
だからこそ、ゆづりは土獣星に行きたい。しかし、星にはその星の神の許可が無いと降りれない。そのため、桃にゆづりが土獣星へ行くことを認めてもらう必要がある。
果たして桃は許可してくれるのか。ゆづりがドキドキしながら桃の顔を見つめれば、彼女はふんと鼻を鳴らした。
「ん、いいよ」
「…え」
「勝手にすれば」
桃はこちらのやることに興味はないらしい。心底どうでもいいと良さげな反応を示すと、再び背を向け去っていった。
「………なら行くか」
神様から許しをもらったのなら、躊躇うことはないだろう。
ゆづりはゲーム機をケーキスタンドの隣に預け、土獣星の部屋に入る。部屋は荒らしたままのようで、廃墟のようになっていた。
あんなに静まった空気の部屋だったのに、こうも無惨な姿になるとは。神が変わったことを痛感しつつ、破られた襖を開けて星に降りる。すると、ゆづりをガヤガヤとした人声が包んだ。
「まつり…」
体感したことのある雰囲気に、ゆづりは思わず息を漏らす。そして、周囲を見渡せば、ありとあらゆる種類の耳や尻尾が人並みに乗って揺れていた。そして、その回りには屋台と提灯が並んでいる。
相も変わらず賑わっている場所だ。
ゆづりは通行人の波に突入すると、抗うことをせずに流されていく。すると鳥居の方へとたどり着いた。
「どーしようかな……」
人並みから逸れ、灯籠の側へ移動したゆづり。そこでようやくこれからのどう動くか考え出す。
いすずも紅玉も亡き今、土獣星で頼れる人はツキとカケルしかいない。
二人の家の居場所は三回目となるため、何となく覚えてはいる。しかし、すでにその家は燃えてしまっているため、二人は違う場所にいるに違いない。
さてどうやって二人に会いに行こうか。ゆづりが無言で頭を回していたその時。
「ゆづり」
背後から声がした。心にストンと落ち、それでいて波紋を立てる、一つの声が。
聞き馴染みのあるその声に、ゆづりは勢いよく後ろを振り返る。
すると、視界の中央、赤い番傘を差した犬娘が照れくさそうにこちらを見上げていた。
2025 6/9…タイトル変更しました。
「八星への招待状」→「異世界たちと探し人」
登場人物
ゆづり…主人公。八星を作ったとされる『創造者』を探している。
桃…火敵星の神。ガサツな竜娘でゆづりとは仲がいい。
ツキ…土獣星の犬娘。ゆづりの友人。
カケル…土獣星の少年。ツキの弟。
紅玉…先代土獣星の神。ツキとカケルの恩人。現在は神座剥奪の儀により亡くなっている。
いすず…紅玉の眷属だった狐娘。紅玉が死亡した時に、彼女も亡くなった。




