12話 行方不明のゆづり
謎の手に掴まれ、呆気なく扉の向こうへ連れ去られたゆづり。
彼女は自分の身に何が起きたのか、どれくらい時間が経ったのかも分からないまま、一人で花畑の上に立っていた。
「ここは……」
さらさらと流れる夜風。それに伴い、ふさふさと揺れる色彩豊かな花たち。その園の上をふわふわと漂う蝶々。
まるで天国を地に写したような景色。ゆづりはその神聖さに圧倒され、思わず感嘆のため息をつく。しかし、その感動は長く続かず、すぐにゆづりは現実を思い出してしまった。
「私、拐われて…」
ゆづりは皺のついた制服を払いながら、謎の手の持ち主を探す。
しかし、辺りを見渡せど、あるのは花畑のみ。近くに怪しい人物どころか、そもそも人間の姿が無かった。
なんで人がいないのかと混乱したのも束の間、ゆづりはむしろラッキーだということに気づく。だって拘束もされておらず、見張りもいないのなら自由に動ける。中継場に帰ることだって普通に出来るのだから。
ゆづりはなんだったんだよと苦笑しながら、中継場に帰ろうとして。
「ん?どうやったら中継場に帰れるんだ…?」
肝心な帰り方が分からないことに気づく。
地球なら教室のベランダから飛び下りれば中継場に戻れた。土獣星は社に近寄れば帰れた。しかし、火敵星は何をすれば帰れるのか、ゆづりは知らない。
ものの試しで、花に降れたり、ちぎったり、一緒に揺れてみたりしたが、何も起こらなかった。
「ま、いっか。ノアもじきに来るだろうし」
ゆづりは早々に自分で帰ることを諦めると、花畑に横になる。
大丈夫、ここで待っていればノアが助けに来てくれる。ゆづりは火敵星に連れてこられてからここを動いていない。だから、ノアもあの扉を通って火敵星に来れば、ここで会えるはずだ。
ゆづりは早くノアが来てくれることと祈りながら、雲とどちらが前に出るのかという争いをしている月を見上げる。
そして、その競争をぼんやり見つめること、十数分。何十回と雲が月を隠すのを見届けたゆづりだったが、ノアは一向に現れなかった。
「あれ、もしかして見捨てられた…?」
ゆづりが待てど待てども、ノアは現れない。
こんなのもう、ノアがゆづりを見捨てたとしか考えられないだろう。
しかし、ノアはそんなことはしないという、根拠の無い信頼はその考えを否定する。そして、この状況に矛盾しない新たな説を秒で叩き出してきた。
「まさか…この花畑と中継場は繋がってない、とか」
謎の手がゆづりを掴んだまま火敵星を徘徊し、この花畑に捨てたのだとしたら、ノアが来ないことに理由はついてしまうのではないか、と。
「ど、どうしよう」
ゆづりはムクリと起き上がり、辺りを見渡す。しかし、周りにはやはり花しかなく、ひっそりと静まり返っていた。
静寂と夜風も相まって、ゆづりの頭は冷静に回ってくれる。だからこそ、余計事態の不味さを理解し体が重くなっていった。
「………」
今、ノアに見捨てられてしまっているなら普通に困る。そして、ノアに見捨てられてなくとも、彼に会えないのなら困る。
いずれにせよ、ゆづりかここでゴロゴロしていて、中継場に帰れる可能性は無くなったと考えていいだろう。
「王城に行けばノアと合流できるかな……?」
ノアに『理想者』について知りたいとは伝えてある。そのために王城に行きたいとも話し合った。
だから、ノアがゆづりを見捨ていなければ、彼も王城を目指しているはず。だとしたら、そこで再会できるかもしれない。
「問題は王城の場所を知らないことか」
ゆづりは当然、火敵星の神が住んでいたという王城が何処にあるのかなんて知らない。加えて、城の場所を示す地図も持っていないし、案内をしてくれる人も近くにいない。
そんな状態で城を目指すなんて無理なのだが、やらないとしょうがない。
ゆづりは早速、東西南北どちらに進もうかと、辺りを見渡す。すると、ゆづりの視線の遥か先に、芸術が埋め込まれたような精緻な建物が建っているのが見えた。
あれが王城ですと紹介されたら、へぇそうなんですねと素直に答えられそうな建物だ。
「とりあえずあそこに行ってみるか」
花畑にいたところでどうにもならない。ゆづりはとりあえず進めばどうにかなるだろうという軽い気持ちで、王城であろう建物目掛けて一歩踏み出した。
****
ゆづりがすぐさま状況を見定め、呑気に進み出したのと同時。
ノアはというと。
「ゆづり!何処にいるんだ、ゆづり!」
お前が拐われたのかと突っ込まれそうなくらい、慌てふためいていた。
ノアはゆづりが拐われた直後、彼女を追いかけるように火敵星へ降りた。
すると、彼は豪奢なステンドグラスが光る、高貴そうな教会にたどり着く。そこには多くの信者が祈りを捧げていたが、その中にゆづりの姿はない。そこでノアは最初の狼狽えぶりになっていた。
「あ、あなたは…?!」
ゆづりの姿が見つからないことに動揺していたノアを上回る勢いで困惑していたのは、教会にいた信者たちだ。当たり前だろう。誰もいないところから人が現れたのだから。
驚きの余り呆然と立ち尽くす人、襲撃だと思い逃げる人、祈りを止めずに手を組み続ける人。反応は様々だが、ノアはどれも気にしない。
「アイツがどこかに行く時間はなかった。なら、違う場所に飛ばされたのか?」
この教会は中継場と星の繋ぎ目の場所だ。だから、素直に考えるなら、ゆづりはここにいるべきなのだが実際にはいない。
おそらく、あの謎の手がゆづりを星へ引摺りこんだ後、別の場所へと連れていってしまったのだろう。
「面倒だな……」
この周囲にゆづりの気配はしない。多分、彼女は何処か遠いところに行ってしまったのだろう。
なら、この辺を徒歩で探し回っても無駄だ。一回中継場に戻り、居場所を特定する機能を使って、ゆづりが何処にいるか判明させた方がいい。
ノアはそう結論付けると、すかさず祭壇の上に乗っている聖書に触れる。直後、ノアは中継場へと戻っていた。
「オッケー、合ってた」
遥か昔に『異端者』から教わった中継場への戻り方だったが、ちゃんと合っていたようだ。
ノアはちゃんと覚えていたことを自賛しつつ、火敵星の部屋の壁を叩き回る。すると、早速埃と共に大きな地図が姿を見せた。これは、いすずがゆづりがはぐれた時に使っていた、星にいるニンゲンの居場所を特定する道具だ。
ノアは何気なく起動させ、ゆづりの場所を特定しようと手を翳したが。
「そうだ。その星の神じゃないと、これ使えないんだった」
いくら地図を殴ろうと、相手は反応しない。それもそうだ。ノアは火敵星の神でないのだから。この機械は使えない。
ならばどうしようか。ノアは動かない地図を前に固まる。
ゆづりがいなくなった。彼女が何処に飛ばされたのかは不明。この機能で居場所は突き止めることは不可能。
「鬼畜仕様だな」
広い星の中からたった一人の人間を見つける。普通ならまず無理な話だ。
だが、火敵星は魔法が使える星。魔法使いのノアが最大限実力を発揮できる世界だ。ならば。
「まっ、なんとでもなる」
ノアは自信満々に言い切る。そして、迷うこともなく火敵星へ繋がる扉に飛び込んでいた。
****
ゆづりに続き、ノアも今度の方針を固めた。
とはいっても、ゆづりの意思はそこまで堅固なものではない。だから、彼女はどちらかというと観光気分で小さな町中を歩いていた。
「なんか、フランスとかイギリスみたいだなぁ」
道に敷き詰められた色とりどりのレンガ、その道を包むように広がる家々、近くに流れる澄んだ小川。地理の教科書で見たヨーロッパのような町並みに、ゆづりはまたも感嘆の声を漏らす。
しかし、観光にばかりかまけていたら、元の星に戻れなくなることは覚えている。そのため、ゆづりは一回足を止めて、少し近づいた王城のような建物をぼんやりと見上げた。
「あれ、王城で合ってるのかな」
花畑にいた時よりは、城のような建物にかなり近付いてはいる。しかし、そうは云っても建物の外装に「これは王城です」なんてことは書かれてはいないため、ゆづりの推理が当たっているのかは不明だ。
「一回、人に聞いてみるか」
もう夜になっていて物寂しい町になっているとはいえ、通行人はちらほらいる。その人たちにゆづりが目指してある場所が、王城なのか確かめてみた方がいいだろう。
実際行ってみて、やっぱり違いましたとなったら、徒労になってしまうし。
「あの、すみません」
ゆづりは早速、正面から来る屈強なおじさんに声をかける。しかし、彼は忙しいのか微塵もこちらに反応せず通りすぎていった。
おじさんの無愛想さにゆづりの心がバキリと折れそうになる。が、めげてはいられない。ゆづりはすぐに違う人を探すと、声をかけていく。
「すみません」「あの、お時間よろしいでしょうか」「道を聞きたいんですけど」「すみません」「あの」「おーい」
しかし、ゆづりが幾ら話しかけても反応する人は誰もいない。
おかしい。火敵星に無愛想な人が多いのだとしても程がある。ゆづりはまたしても無言で去っていった人の後ろ姿を呆然と見送った。
「まさか…私のこと見えてないのか」
地球人がノアを認知していないように、火敵人はゆづりを認識していないのかもしれない。そしたら、彼らから反応が貰えないことにも理由はつく。
ゆづりは自分の考察が正しいのか確かめるために、急に大声を出し道の真ん中で踊る。
静まり返った深夜の町中で響くゆづりの奇声。おそらく誰もが振り返り、最悪警察が呼ばれるような奇行だったが、やはり誰も反応しない。どいつもこいつも真顔でゆづりの横を素通りしていった。
「よし、見えてないな」
それを良かったとも残念だとも思いつつ、ゆづりは一人虚しくベンチに腰を下ろす。その側には地図のようなものが張ってあったが、文字は火敵星のものなのでとても読めそうにはなかった。
「人は頼れないし、文字も読めない」
最悪な縛りにゆづりは絶望的だと呻き、帰りたいと月を見上げる。しかし、そんなことしても月がこっちだよと案内をしてくれる訳もなく、ただ威圧的に地を照らすだけだった。
「とりあえず行くしかないか」
ゆづりは遥か遠くにそびえる金持ちが住んでいそうな城を仰ぐ。
あれが王城なのか、統治者が住んでいる場所なのかは確認する術がない。だから、行ってみないと分からない。
城までかなり距離がある。もしあれが王城でなかったら、相当の徒労になるだろう。しかし、なんとかあれが正解だと言い聞かせて鼓舞して動かした。
そのまま誰にも声を掛けず掛けられず、月夜の道を進むゆづり。かなりの時間歩いたのか、月が傾き始めた頃にようやく城に着いていた。のだが。
「これ、王城じゃない」
目の前に全体像を表した建物は、あからさまに王城ではなかった。と、いうかそもそも城ですらなかった。かなりこじんまりとしていて、人が住むような大きさではなかったのだから。
屋根のてっぺんに何かの宗教の象徴のような装飾が施されていることから、おそらく教会なのだろう。あまり人は訪れていないのか、立派な建物の割には寂しそうな雰囲気を醸していた。
「せっかく来たし見ておくか」
このまま新たな目的地を探す気にはなれず、観光ついでに寄ることを決める。少し疲れたため、足を休められたら上々だ。
ゆづりは入り口に絡まっている蔦を無言で千切り、力ずくで重い扉を開ける。すると目の前、多く並んでいる長椅子たちの奥に一枚の宗教画が描かれているのが見えた。
「なんかすごい」
大きな宗教画の真ん中にいるのは赤毛の美しい女性だった。
彼女は新緑の瞳を優しく細め、薄い唇を上げ上品に微笑んでいる。彼女が身に付けているドレスやチョーカー、指輪などはどれも豪華絢爛で高級そうだ。
しかし、本人の顔立ちにまだ幼さが残っているからだろうか、気品よりもあどけなさが勝って、可愛らしい娘という印象が残る。
この女性だけ説明すると、特に何の変哲もない絵だ。しかし、ゆづりの目は女性ではなく、違うものに向けられている。
「………蜘蛛?」
この女性の体には蜘蛛の糸が雁字搦めに絡まっていた。それだけではない。誰かの手のようなものが女性の腹に回され、抱きつかれてもいる。
まるで物の怪が無邪気な少女に執着して、永遠に付きまとっているような構図。
ゆづりはこの不気味な絵に魂を吸い込まれるような気がして、一歩後ずさる。そして、沸き立つ鳥肌に従うよう、扉を閉めて教会を去った。
どんどん小さくなる教会。しかし、後ろからあの女性が笑っているように思えて、とても振り向くことはできなかった。
登場人物
ゆづり…主人公。不老不死の体を持つ。『創造者』を探している。
ノア…水魔星の神。ゆづりの協力者。




