1話 無からの再開
今までに出てきた人たち
ゆづり…主人公。八星を作った創造者を捜索中。
ソフィー…地球の神。ゆづりを不死の体にした。
ノア…水魔星の神。創造者探しに協力してくれている。
いすず…土獣星の元神。儀式で既に亡くなっている。
桃…土獣星の神。いすずに代わって神になった。
在監者…金時星の神。皆から疎まれている。
シンギュラリティ…天機星の神。ロボット。
いすずは亡くなり、紅玉も殺され、創造者の正体を明かすための手がかりである手記は燃えた。
箇条書きにすると本当に悲惨だ。何もかも全て失敗しているのだから。こんなことがあるのかと叫びたいくらい、あらゆるものが最悪な道のみを進んで行ってしまった。
そのお返しと言わんばかりにゆづりに渡されたのは、途方もない喪失感と絶望感だけ。
もう何もかも全て捨てて、諸々のことを忘れて逃げたい気分だ。しかし、そんな道を選んでしまえば本当に終わる。ゆづりは死ぬことを許されず、永遠に生きる羽目になり、月祈星はこのまま壊滅するしかなくなってしまうのだから。
つまり、ゆづりのやることは一つ。全てを振り出しに戻してでも進むしかない。それだけだ。
「お、帰ってきた」
「…桃」
そんな悲壮な覚悟と共に中継場に帰ってくると早々、荒れたままの部屋の中央で桃が仰向けになって寝そべっているのが見えた。
また絡まれるのかとギョッとして身構えるゆづりをよそに、桃は視線だけゆづりに送ると、大きな尻尾で畳をベチベチ殴る。全身で怠いです、眠いですと訴えているようなだらけ具合だ。起き上がる気は全くないらしい。
桃は何が着火線となって攻撃してくるか分からない。だから、ゆづりは彼女がこちらに興味を持っていないことを幸運に、立ち去ろうとする。が。
「だっこ」
そう言われると同時、桃の手がゆづりの足首へと伸びた。骨を折る気なのかという強い力に、ゆづりはなす術なくよろける。
その勢いのまま、ゆづりはベタンと勢いよく桃の腹へと突っ込んだ。しかし、腹に顔を埋めたというのに、柔らかい感触は一切しない。代わりに固い鱗に頬を削られているような感覚がした。
「ご、ごめん」
「ん。どうでもいい。それよりだっこして」
「えっ。な、なんで?」
「え、なんでって何?」
桃はいいから早よしろやというように虚空に両手を投げ出している。
ゆづりはなんで私がお前をおぶらないといけないんだと小言を投げたくなったが、黙って従う道を選ぶ。桃と下手に揉めたくはない。彼女の機嫌を損ねて殴り合いに持ち込まれたら、ゆづりが確実に負けるから。
ゆづりはため息混じりで立ち上がり、伸ばされている桃の手を掴む。そして、持ち上げようと引っ張って。
「いや重っ?!」
パッと手を離すと、再び桃の腹へと倒れ伏した。
重い。ちょっと太ってますねレベルではない。何か重い石を引っ張ったのかと錯覚するくらい、桃は重い。
嘘でしょとゆづりがジロシロと桃の体を見つめていれば、桃は不機嫌そうにジト目で見返してくる。
「ねぇ、女の子に重いとか言わないで」
「ご、ごめん…でも重いものは重いよ」
ゆづりは申し訳なさを醸しつつ、絶対に出来ないと拒絶する。もうちょっと頑張ったらいけそうとか、そういう次元ではない。人間がトラックを持ち上げて運べと言われているようなものなのだ。
桃はえーと不満げにしながらも、分かったと頷く。
「じゃ、引っ張って」
「お、おぉ…?」
「ん」
桃はバタバタ足を動かす。どうやら足首を掴んで引きずって欲しいらしい。そんなことされるくらいなら自分で歩いた方が早いだろうに。ゆづりはこれでいいのかと不安になりながらも、桃の足を掴む。
重いことには変わりはないが、これなら少しは動く気がする。そう思ってよいしょよいしょと引っ張っていれば、桃が止めてと呟いた。
「ん、歩く」
「はぁ……?」
やはり心地が悪かったらしい、桃は急にゆづりの手を足で蹴ると、ひょいと立ち上がった。そして、スタスタと元気に歩いていく。
動けないと嘆いていたのにこの有り様。もう怒りどころか呆れが買って、ゆづりは無言でその背中を追うしか出来なかった。
「ん、なにあれ」
「どれ?」
先行く桃が不意に足を止め、先を指差す。後ろからゆづりがその景色を見れば、宇宙空間部屋の奥の部屋、初日にシンギュラリティとノアがいた部屋に大勢の神が集っていた。
まず、ドア付近にシンギュラリティが突っ立っており、その近くに在監者、そして一番奥にはソフィーがしゃがんでいる。
こんなにいっぱい人が集まっているのも珍しいが、それよりも気になったのは彼らの格好だ。三人ともいつもの格好ではなく、黒いスーツを纏っている。そして、手にはそれぞれ花が咲いているものだから、自然と姉の葬式が思い出してしまった。
「お、お嬢ちゃん。こんばんは。今日も来てたんだね」
「どうも、こんばんは」
ゆづりがじっと三人を見つめていれば、いつの前にか目の前に在監者が立っていた。彼はヒラヒラと黒手袋を揺らしながら、友好的に笑いかけてくる。が、隣にいる桃が気になっているようで、得体の知れない者を見るような奇特な目線を彼女に向けていた。
桃も在監者からの探るような視線に気づいたようで、顔をしかめる。そして、シャアと威嚇するような声を出していた。
なんだかこのまま放っておいたら、喧嘩が起きそうだ。ゆづりは素早く二人の間に潜る。
「えっと、あの……今は何してるんですか」
「あー、これはいすずちゃんの弔いだよ。土獣星の神が交代するときはやるんだ。他の星と性質が違うからね」
「な、なるほど……」
土獣星以外の星は基本、神の意思に基づいて神の代替わりが起こるが、土獣星は違う。意思も何もあったもんじゃない。神を続けたくとも殺されれば、強制的に座から引摺り下ろされてしまう。
なるほどなとゆづりがぼんやりと漂う線香を見ていれば、桃はその匂いが嫌だったらしい。プイと顔を背けると、宇宙空間部屋へ戻っていく。その手を在監者が掴んだ。
「それと、新しい神の歓迎会もするんだ。お嬢ちゃんもここにいてくれよ」
「え、めんど」
「そう言わないで。好きな食べ物を用意するよ。ケーキは好きかな?」
「ん、好き!」
在監者は近くの机に置いてあるケーキの箱を指す。すると桃はぴょんと飛んで、一足で空いた距離を縮め戻ってきた。そして、机から箱を奪うと、中にあるケーキを鷲掴む。あまりにも容赦なく掴むためケーキはぐしゃぐしゃだ。しかし、桃はそんなこと構わず、手と口の回りを存分にクリームで汚して貪っていた。
そういえば、いすずも同じような食べ方をしていた。ゆづりが複雑な気持ちになりながら無惨に潰されていくケーキを見ていれば、隣にいた在監者が声を出して笑いだす。
「あははっ!お嬢ちゃん、食べ方汚ないね。もっと上品に食べなよ」
「は、味は変わらんだろ」
「それはそうだけどさ」
珍しい生き物を見て目を輝かせている在監者と、ぐちゃぐちゃと心ゆくままケーキを掴み食いする桃。どっちもどっちだが、先ほどのバチバチとした空気ではない。喧嘩が起こることもないだろう。
ゆづりは桃がこちらに興味を失った隙に、そくささと部屋の奥へと足を進める。そして、その先でしゃがみ煙を漂わせるソフィーに声をかけた。
「こんにちは」
「...あら、ゆづり。来てたんですね」
ソフィーは手に線香を持ったまま、ゆづりを振り返る。彼女の顔には少し疲れが現れていた。ソフィーはいすずとも親しげだったし、今の現状に思うこともあるのだろう。
「いすずが亡くなったことは……その様子だと知ってそうですね」
「……はい」
ソフィーはそれだけ聞くと、後は何も言わなかった。彼女は手元に置いてある供え物に視線を落としたまま、ぼんやりと黄昏る。
彼女の目線の先にある供え物は、苺の乗ったケーキと白い菊と鶴が羽を広げる黒い杯だ。おそらくケーキはいすずの好物で、菊は献花なのだろう。しかし、黒い杯が何を意味しているのかは分からない。おそらく土獣星の葬儀で使う道具とかなのだろう。
ゆづりも無言でソフィーの隣にしゃがむと手を合わせる。
土獣星で死者をどう弔うのかは知らない。ただ、こういうのは形ではなく想いだ。安らかに眠れと、彼岸で幸せになれと、そういう想いは儀式が違えど伝わるだろう。
というか、いすずならゆづりの真意など読み取ってくれると思う。彼女は優しくて、こちらのことを真っ直ぐに考えてくれる善人だったから。
「………」
ゆづりは一回だけ憂いを含んだため息を吐く。そして、もう一度だけ目を深く閉じた後に、顔を上げて立ち上がった。
「あの、創造者のことなんですが」
「はい。なんでしょう」
「手がかりになりそうだった叛逆者の手記、燃えちゃいました。それ加えて、いすずもいないし、紅玉…助けてくれた人も、もういません」
「……それは」
「なので、最初からやり直します。新しい手がかりを探して、色んな神から話を聞いて、色んな星に行って。まだ方針は決まってないけど、その、頑張ります」
ゆづりは少し高いソフィーを見上げて、目を合わせる。そして、いかにも重要な話をしますというように、真剣な眼差しを向けた。
しかし、真摯な態度とは裏腹に、言ったことは至って普遍的だ。
全部パァになったから初めからやり直す。それだけなのだから。
「…………」
しかし、ソフィーにとっては違ったらしい。彼女は何か言いたげに口を半開きにさせると、ピタリと静止した。
「あの…なんか私、変なこと言いましたか」
「…いいえ。滅相もありません。何もおかしくないですよ。ただ、眩しくて」
「眩しい?」
「貴女がですよ」
ソフィーの瞳が真っ直ぐにゆづりの瞳を捉える。が、ゆづりはその瞳と言葉が理解できない。だから、ポカンとした顔を浮かべて固まるしかなかった。
しかし、ソフィーもゆづりからの反応を求めているわけではないらしい。彼女はすみませんと曖昧に笑うと、話を終わらせた。
「色々と頑張ってくれて、ありがとうございます」
「は、はい」
「でも、今日はもう遅いですからね。家に帰って休んで下さい」
「あぁそっか…」
現在地球はとうの昔に日が落ちて夜になっているのだろう。明日も学校はあるし、ソフィーの言う通りここは帰ろう。
ゆづりはソフィーに挨拶をすると、宇宙空間部屋へと戻る。すると、そこには相変わらずの食べ方でケーキを貪っている桃と、それを見守る在監者の姿があった。そして、それに加えてもう一人の神もいる。
「ノア……」
「お、帰ってきてたのか。おかえり」
ゆづりが小さく呟けば、ノアはこちらを振り返る。その手にはウサギが跳ねたカップがあった。どうやら桃の歓迎会に顔を出していたらしい。
ゆづりはノアの目の前でみっともなく泣いたことを思い出し、気まずい顔をして固まる。一方、ノアは何も気にしていないのか、あっけらかんと笑うと椅子から降り近寄ってきた。
「で、結局どうだったんだ」
「どうって…」
「儀式、終わってたか?」
「うん」
「…そっか」
ゆづりが素直に答えれば、ノアは長い睫毛で瞳を覆い下を向く。もうあまりショックはないようで、先程と比べれば冷静そうだった。
「それで、ノア。創造者のことなんだけど」
「おう。どうした?」
「手記、燃えた。だから、ない」
「えっ」
「けど、創造者は見つける。厳密なプランはないけど、調査は続けるから」
ゆづりははっきりと言い切る。
そんなゆづりの態度にノアの反応は奇妙だった。最初は目を真ん丸にさせて呆けていたが、すぐにケラケラと声を出して笑い出したのだ。
「え、なんで笑ってるの」
「いーや、意気消沈してなくて良かったなって。もう八星なんて知らないって逃げると思ってたからな」
「…いや、沈んでたのはノアの方でしょ。あんなキャラでもない、しみったれた顔してたし」
「はー、ピーピー泣いてたヤツの言うことは違うな」
「…………」
デリカシーの欠片もないやつめ。目の前でご満悦そうにしている顔を殴り飛ばしてやりたい。
ゆづりがしかめっ面でノアを睨めば、ノアは殺意を感じ取ったらしい。メンゴメンゴと手を合わせて謝ってきた。
「ま、何がともあれ、お前がやる気なら俺様は協力するよ。手記のことは残念だが、後悔してもどうしようもないしな」
「うん、何か新しい手を探すよ」
まだ諦めるには早い。
考えてもみろ。まだ創造者を探し始めて三日しか探していないのだ。逆にこれで見つかっていたら、最初からソフィーは困ってはないだろう。
ゆづりはリスタートを心に決めると、確かな足取りで地球へと戻った。