三十四話 土から還る獣たち
ゆづりが土獣星へ行くと、星は一昨日のように平和へと戻っていた。
空は薄暗い陰鬱とした空気はなく、オーブンでこんがり焼いたような夕焼けで染まっていた。核兵器が落ちているのかと錯覚するほどの雨はもちろん降っておらず、代わりにカラスがカアカアと鳴いている。
昨日の戦争真っ只中ですという主張は消え失せ、代わりに学校帰りの空へと一変した土獣星。
やはり儀式は終わってしまったらしい。いや、終わったでいいのか。戦争が閉幕を迎えたのだから。
いすずと紅玉を代償として。
「いやいや、まだ死んだか分かんないでしょ……」
あからさまに変わっている雰囲気に、ゆづりはいすずの死を悟ってしまう。だが、その諦めを頭を降って断ち切ると、社から出た。
まだ生きてるかもしれない人を、予想だけで死んだことにはしたくない。生きているかもしれないのだから。
神社は昨日一昨日より人が増え、立ち止まれないほど賑やかに盛り上がっている。ゆづりは人の多さに胸焼けしそうになりつつも、人混みのなかに入り、流されるように石畳を踏んでいく。
「あ、おじょーちゃん!」
ぼんやりと人の流れに乗りながら境内を歩いていれば、不意に腕が引っ張られた。
もう儀式は終わったぽいのに、まだ襲撃はあるらしい。ゆづりが身構えながら自分の腕を掴む手を見下ろせば、その手は近くにあった屋台の前へと引き寄せる。そして、パッとゆづりから放すと、代わりに花を生やした。
ガラスで出来たような、橙色の薔薇を。
「え」
見覚えのある花にゆづりが顔を上げれば、そこには会ったことのある人が立っていた。
一昨日、いすずと土獣星へ来たときにいた、飴細工屋の店主だ。
ゆづりがあぁと繋がったピースをもとに記憶を掘り返していると、彼女はどうもといいながら持っている薔薇を揺らす。
「昨日、お嬢ちゃん食べられなかったでしょ?だから、どうぞ」
「えっ、いいんですか」
「えぇ。お代はもらったからね。ほら、貰っておくれ」
お姉さんはゆづりの指に竹串を絡ませると、まいどと言い残し屋台へと戻っていく。ゆづりはありがとうございますと頭を下げると、まじまじと橙色の薔薇を見つめた。すると、ぼわっといすずのことが思い出され、目頭の熱が再燃し始めてしまう。
「泣くな、もう泣くな…」
ゆづりの言葉とは反対に、目からはポタポタと涙が溢れてくる。挙げ句の果てには顎を伝った涙の一滴が、薔薇の花弁に落ちた。そして、綺麗な飴の形をグニャリと歪める。
その有り様に嫌悪感を覚えたゆづりは咄嗟に飴を口に放る。飴の味は分からない。そんな味わう余裕はすべて、呼吸の苦しさと顔の暑さの前に溶けてしまっていた。
「おねーさん?どした?」
飴を咥えて俯いていたゆづりの背中を、小さな手が叩く。ゆづりが一回涙を拭いてから振り返れば、いすずくらいの年の少年が、こちらを心配そうに見下ろしていた。
「なんでもないよ。ありがとう」
「ん?でも泣いてるよ、ほら」
何ともなくやり過ごそうとしたゆづりを阻止するよう、少年はやけに細い手を伸ばしてゆづりの頬を指差す。おそらく涙の跡を指しているのだろう。隠せていなかったようだ。
ゆづりは咄嗟に己の頬をこすり、その跡を消そうとする。しかし、それが余計に少年の心配心を刺激したようだった。
「大丈夫?困ってるなら話聞くよ!」
少年は屈託のない笑顔と共に、持っていたラムネの瓶をゆづりへ差し出す。買ったばかりのようで、表面が水で濡れていて冷たそうだった。
戸惑うゆづりをよそに、少年はぐいっと空いているゆづりの手にラムネを入れようともがく。その姿には純粋な善意しか見えない。ゆづりは素直にラムネを受け取ると、じゃあさと口を開いた。
「その、ちょっと聞きたいことがあって」
「うん、いいよ!なーに?」
「いすずって子がどこにいるか知ってる?」
「えっ狐はもう死んだでしょ?おねーさん見てなかったの?」
少年はなんでそんなことも知らないのと言い出そうな顔で、首を傾げた。あまりにも自然で、純粋な仕草に、ゆづりは呼吸すら忘れ、その場に立ち尽くす。
そんなゆづりの芳しくない反応に、少年はえっと驚いた声を出していた。
「あれ、知らないの?ついさっき、竜族の末裔が儀式を終わらせて神になったんだよ。名前は桃だったかなぁ…結構あっけなく終わったみたいだったよ。ほら、あそこ見て」
少年はおもむろに人差し指でゆづりの後ろを指差す。ゆづりが何も考えずに振り返れば、そこには大きな朱色の鳥居があった。
その足元に光る、テラテラとした赤黒い液体も。
「……あぁ」
自分でも驚くほど、ゆづりは冷静だった。
この液体は見紛うことなく血液だということを理解した。その近くに転がっている薄汚れた髪飾りは、いすずのものだと看破した。
この少年が嘘をついているわけではなく、親切心から事実を教えてくれたことも察したし、この平和な空気がどうやって成されたのかも悟る。
そして、いすずは既に此処にはいないということも、ゆづりは受け入れた。もう、受け入れるしかなかった。
「おねーさん?」
「なんでもない。その、ありがとう。助かったよ」
ゆづりは今にも吐きそうな心情を抑えて、少年に向けて優しく微笑む。本当に無理矢理だ。全く笑えなどしないが、ゆづりはなんとか笑った。
この少年はゆづりより年下だ。そんな彼に泣き顔を見られ、心配されている時点で、ゆづりの尊厳は無いに等しいが、最後くらいは年上の貫禄を見せておきたい。
「そっか!それなら良かった」
幸い少年はゆづりの作り笑いに気づく目は無いようで、どういたしましてと誇らしげに笑っていた。そして、ゆづりが祭に戻るよう促せば、彼はまたねと無邪気に笑って、その場を去っていく。
「……終わったんだな」
一人残されたゆづりは灯籠の側に寄って辺りを見渡す。
多種多様な人たちで賑わう祭。雨も雷もない、夕日にのみ支配された空。未だに残されたままの血痕。
儀式は終わった。平和になった。いや、それは分からないのか。桃がこれから星をどのように進めていくのかは、知る由もないのだから。
「ゆづり?」
やるせなさからまともに頭が回らなくなったゆづりの視界に、こちらを見つめている人影が一つ入り込む。
ゆづりがゆっくりと意識を掴んで、その人影を注視すれば、そこには灰色の髪とふさふさとした耳を持った娘が立っていた。
「あ、ツキ…」
「えぇ。そうよ。こんばんは」
ツキだ。彼女はこちらに近寄ると、あどけなく下から顔を覗く。そして、ニコニコと親しげに笑っていたのだが、ゆづりは微笑むことすら出来なかった。
「……その…」
昨日、ゆづりはツキにまともに挨拶もしないまま別れてしまっている。というか、毎回だ。前回も前々回もきちんとした別れはしないで、中継場に帰ってしまっている。
そのことに対する気まずさもゆづりの口を止めたが、それより重い理由があった。
紅玉のことだ。ツキと仲の良かった紅玉が亡くなっている。だから、ゆづりは笑えなかった。笑えるわけがなかった。
「ゆづり」
なんと慰めたらいいのか。どう励ましたらいいのか。
じっと冷や汗をかいて俯くゆづりの頬を、ツキは細い指でつつく。そして、弱々しい素振りは見せずに、気丈に微笑んで見せた。
「ウチは大丈夫。ゆづりは?」
「……もう落ち着いてるけど、ツキの方は」
「平気よ。紅玉様はいなくなってしまった。家も燃えてしまった。もう、何もかも大変だけど、いいの。これから頑張れば良いだけだもの」
「……えっ、家が燃えたって」
「そうなの。ゆづりと過ごしたあの家、燃えちゃったのよ」
家が燃えた。紅玉の死と並べているのだから、おそらく小火を起こしてしまったとかではない。
あそこに住めなくなるほど家に火が回り、全壊してしまったのだろう。
「な、なんで?」
「竜よ。結界が壊れた時、竜が襲いに来たの」
「あ……」
ツキはそれしか答えない。しかし、ゆづりにとっては充分だ。
あの竜はいすず奪還戦の際、紅玉が不死の体であると目の前で見せつけられている。だから、彼女は紅玉を敵であると見なしたのだろう。そして、彼の死を願って棲みかに火を放った。
地球だと凶悪犯なんて言葉がぬるいくらいの所業だが、ここは土獣星。もう、驚きもない。
「でもね、ウチもカケルもその時は家を出ていたの。だから、無事で済んだわ」
「そ、それは良かったけど、でも、家が無いならこれからは」
「いいえ。家はあるわ。紅玉様はいくつかアジトを持っているから」
「……そうなんだ」
それなら明日から野宿するといった悲惨なことにはならないだろう。それでもあぁ良かったねなんて、とても言えない状態だが。
「ゆづり」
「……なに?」
「色々あると思うけど……また土獣星に来てね」
「…え」
「ゆづりがここに来たのは、叛逆者様の調査のためだって、紅玉様から聞いたわ。だから、彼の痕跡が燃えた今、ゆづりはもう此処を訪れる意味はないんでしょう」
「………」
「でもね、それは寂しいの。悲しいのよ。だから、また遊びにきて欲しい」
ツキは少し照れ臭そうにはにかむ。そして、そんなこと言っている場合じゃないとは思うけどねと、自分の垂れている耳を掻いた。
物珍しい姿だ。いつも物事を達観していたツキが、年相応の照れを見せ、弱目を晒しているなんて。
ゆづりは驚きのあまり呆然とツキを見つめてしまう。が、すぐに目を細めて、いいよと一言呟いていた。
「分かった。また来る」
「うん。ありがとう。待ってるわ」
ツキが子供のように目を輝かせる。そして、いじらしげに自分の小指を差し出した。
指切りげんまん。いすずの時と違って即座に相手の意図に気づいたゆづりは、そっと自分の小指を差し出す。
「約束ね」
「うん。約束」
ツキの温度が伝わる。生ぬるくて、人の生を体感させるような、あの熱が。
「………」
どうか、この約束は破られないで欲しい。
ゆづりはそう祈りを込めて、ツキの小指から己の指を外した。
****
ツキとゆづりが再会を約束した時から、少し遡った今。
「またね!」
落ち込んでいた異星人に声を掛け、状況を一から説明した親切な少年。彼は年相応のあどけない口調と表情でゆづりに別れを告げ、鳥居をくぐった。
その途端、彼の雰囲気がガラリと変わる。
犬や猫のように素直で純粋だった面を隠し、まるで鬼や狼のような剣呑で鋭利な、本来の彼の顔が表に出ていた。
加えて彼が己の顔を覆えば、もうゆづりと会話した彼はいなくなる。体が蝋燭の炎のようにぐにゃりと歪んだかと思うと、彼は幼い少年の姿から、すっかり成長しきった青年の姿へと変貌していたのだから。
「この年になってあんなガキを演じるのはキツいな。色々と」
性格も姿も口調も、何もかも変えた青年は、ゆづりを振り返ることはせず、黙々と石段を下りていく。
すると、階段の下で一人の男が立っていた。
青年はその人影にふふと小さく笑うと、挨拶代わりに手を上げる。そして軽い足取りで残りの階段を駆け下りた。
「おはよう。てめぇも上手くいったみたいだな」
「あぁ。お陰様でな」
神社を出た青年が相手に声を掛ければ、彼は自分の身なりを見下ろし、傲慢に鼻を鳴らす。
着崩された着物、肩の上で荒々しく揺れる白髪、血を吸ったような紅瞳、細いが筋肉のついた体、額に生えている二本の角。
"とある人物"と瓜二つの容姿をしている彼は、長年の癖だと言うように己の髪を大胆に掻き分けた。
「で、あの狐娘はどうなった?」
「死んだ。今回新しい神になったのはボクの計画通り、あの紫竜だ」
「そうか。さすが兄貴」
「ふふっ、まぁな」
相手に褒められた青年は、自慢気に唇を歪める。そして、持っていたラムネの残りを豪快に飲み干した。
「これで今回の儀式も乗り切った。そして、神の座も目的の人物に引き渡せた」
「あぁ」
「全部、完璧だ。恐ろしいほどに」
男は空になった瓶を落ちかけている日に掲げる。ガラスによって屈折された光は男を差し、彼の笑みを影から引き摺りだす。
それは、ひどく歪んでいて、やけに愉快そうで、そしてキラキラと輝いていて。
「"叛逆"の時は近い。覚悟して待っていろ、創造者」
古写真の中で紅玉の隣に並ぶ、あの柔和な鬼と酷似していた。
一章の人たちまとめ
紅玉…土獣星の神『継承者』
いすず…紅玉の眷属
柘榴…紅玉の兄。前代土獣星の神『叛逆者』
ツキ、カケル…紅玉の弟子
今話で一章「土獣星編」は終わりです。
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