三十話 説教と怒り
「ゆづり!帰ってきてたのか」
金時星を出て、ぼんやりとこれからどうしようか考えていたゆづり。
そこにタイミングよく現れたのはノアだった。先ほどは水魔星の部屋にいなかった彼だったが、どうやら中継場に戻って来ていたらしい。
ノアは相変わらずの能天気な顔でゆづりに近づいてくると、コクりと首を傾げる。
「今、ゆづりはどういう状況だ?」
「いすずを助けて、土獣星から帰ってきたところ」
「え!いすずを助けられたのか。なかなかやるな」
「うん。でも、ほとんど紅玉に頼ったけど」
「紅玉と協力した!?あの意地悪野郎と?!」
「そう。色々あったけど」
ノアは信じられないというように口をあんぐり開ける。
まぁ確かに紅玉は協力なんぞする性格ではない。よほど追い詰められた時か、利権を得られるときにしか取らない戦法だとは思う。
「じゃあ、紅玉が生きてる理由は分かったのか?」
「ううん。それは分かってない。でも、叛逆者の手記は見つかりそうだよ」
「マジか!いつ持ってこれそうだ?」
「儀式が終わったら、探しにいくって約束してるよ。その時に紅玉のことも聞いてくる」
「おぉ、トントン拍子だな」
ノアはゆづりの頑張りに感心したようで、よくやったなと背中を叩く。
ゆづりも改めて物事が順調に言っていることを自覚し、誇らしい気持ちになった。
「それじゃあ、ゆづりは今、待ちの時間ってことか」
「うん。儀式終わるまではやることないね」
叛逆者の手記を探しに行くのも、紅玉と話をするのも、神座剥奪の儀が終わってからだ。
つまり、儀式が終了を迎える三日後まで、ゆづりはすることはない。ただ、いすずの無事を祈って待つだけだ。
ゆづりが何もないと手を揺らせば、ノアはにんまりとした笑みを見せた。
「じゃあ、今から地球に連れてってくれよ」
「……あぁ、そんなこと言ってたか」
そういえば、土獣星に行く前ノアとそんな約束をしていたか。ゆづりはてっきり忘れていたが、ノアはちゃんと覚えていたらしい。
「分かった。いいよ」
今日はまだ夜まで時間がある。それに、やることべきことはさっさと済ませたほうが良いだろう。
ゆづりはあっさりとノアにオッケーを出す。すると、ノアはよっしゃとガッツポーズを決めると、宇宙空間部屋へと走っていった。
「ソフィー!地球にお邪魔するぜ」
「はい。どうぞご自由に」
宇宙空間には本と共にソフィーがいる。彼女は騒がしいノアにも寛容な目を向け微笑んでいた。
「あと、星に降りたから、これやるよ」
ノアはソフィーの方に寄り道すると、自分の胸元を漁る。そして、トンと聞き心地のいい音を立てて、机にクッキー缶を一つ置いた。
「あら。いつもありがとうございます」
ソフィーは缶を受け取ると、早速皿にクッキーを並べていく。この手慣れた手付きと会話を見るに、この机の上に置いてある食べ物は、いつもノアが用意していたらしい。ゆづりはてっきりソフィーが持ち込んでいるのかと思っていたため、少しびっくりした。
「どうぞ。美味しいですよ」
ソフィーの手によって丁寧に並んでいくクッキーをぼんやりと見つめていれば、ソフィーが皿をゆづりの前に滑らせる。
食べていいと言っているのだろう。ゆづりは素直にクッキーを手に取り、口に入れる。すると、一気に素材の味が舌を包み、ゆづりの頬を緩ませた。普通に美味しい。おそらく高級品だ。
「美味し……あっ、その、ありがとうございます」
「いえいえ。…それで、ゆづりの知りたいことは知れましたか?」
「半分くらいは。在監者の所に行って、叛逆者の過去を見たんですけど、やっぱり本人に聞かないと分からないことも多くて」
ゆづりがそう言った途端、ガチャリと食器同士がぶつかる音が響く。耳障りな音にゆづりが肩を揺らして顔を上げれば、ノアの目の前にくずれたクッキーが散らばっていた。どうやら力を入れすぎて割ったらしい。
ゆづりは何をしているんだと呆れつつ、崩れたクッキーへと手を伸ばす。すると、ノアがガシリとその手を掴んできた。
「な、なに?」
「在監者には近寄るな」
「え」
「アイツはダメだ。お前には危ない」
ゆづりを見下ろすノアの顔は険しく歪められ、怒りに滲んでいる。そして、ゆづりの手を掴んでいる力も、華奢な彼が握っているとは思えないほど強く、痛い。
見たことのない顔。ガラリと変わった雰囲気。ノアの剣呑な表情に、ゆづりは驚きのあまりピシャリと固まる。そして、反射的にコクコクと頷いていた。
「ノア。ゆづりが怖がってますよ」
「えっ?……あぁ悪い。強かったか」
ゆづりがノアの豹変に我を忘れて立ち尽くしていれば、ソフィーが仲裁に入る。すると、ノアはさっとゆづりの手を解放すると、ごめんとしょぼくれた。
「言い方が悪かった。でも、これからは在監者に会いに行くなよ。絶対な」
落ち着いたノアは、ほとんどいつもの彼の雰囲気に戻っていた。
しかし、彼の言葉には今だ強さが見える。在監者へ対する嫌悪感と憎悪といった、ありとあらゆる負の感情に押し出されているように。
「…………」
なんでそんなにノアが怒っているのか気になった。在監者の何処が問題なのか聞こうとした。
しかし、ありとあらゆる疑問は、ノアの鬼のような気迫に呑まれ消えていく。そんなことを聞く意味はない。黙って彼の忠告に従えと怯えていたからだ。
「在監者には良くない噂があるんです」
ゆづりが大人しく指示に従おうとした矢先、助け舟を出したのはソフィーだった。
彼女は理由まで話さないと納得できないでしょうと言わんばかりに、ゆづりに向けて微笑む。その笑みに甘んじて、ゆづりが頷けば、彼女は皿にカップを置いて理由を話してくれた。
「といっても、彼が中継場に来たのは随分前なので、彼の過去に何があったとか、何処が問題なのかとか、具体的なことは分かりません。ただ」
「…ただ?」
「布で隠されている彼の瞳は、一代昔の金時星の神…『監視者』によって傷つけられたものだと聞きます」
「傷?喧嘩でもしたってことですか」
「いいえ。監視者が罰として、在監者の目を潰したようです」
「えっ……」
さらりとソフィーの口から出てきた「罰」というワードが気になったと思ったら、即座にそれを上書きする衝撃を送り込んでくる。
目を潰されるとは、なんだ。針でグサリと眼球を貫かれるとかそんなところだろうか。
とにもかくにも、相当憎まれるか怒りを向けられるかしないとされない所業だ。
「彼が何をして、監視者の怒りを買ったのかは分かりません。しかし、温厚で真面目だったといわれている彼女をそこまでさせた彼に、問題があるのは確かでしょう」
ソフィーも在監者に対して良い印象はないようで、困ったように眉を下げる。ゆづりは滅多に人を嫌悪することがなさそうなソフィーが、こうも味わい深い顔をしたことに目を奪われる。
理解者にゴミを見るのような視線をされ、ノアには憎悪を向けられて、ソフィーにもやんわりと嫌悪されていて、監視者には目を潰されている。
こうして箇条書きすると、いかに在監者が疎まれているかよく分かる。同時、何をしたらここまで嫌われるのかという、純粋な疑問も沸いてきた。
「…………」
あんなにお人好しで親切そうな彼に、一体何が隠されているというのだろう。
ゆづりがぼんやりと彼と話した時ことを思い出していれば、心を読んだのかノアに止めとけと制止された。
「あんなヤツのこと考える必要なんてない。無駄だよ、無駄」
「……」
「とにかく、在監者には近づかないでおけよ。危ない目に合いたくなければな」
「私からもお願いします」
ノアの呆れたような青い目と、ソフィーのゆづりの身を案ずるような翠の目。
その二つの瞳に見つめられたゆづりは、自分が悪かったと非を認めて素直に分かりましたと頷いた。