二十九話 時を司る神
「それで?お嬢ちゃんはどちら様?新しい神とかかい」
「いえ…私は佐々木ゆづりといいます。その…ソフィーの助手みたいな存在です」
「へぇ、なら地球人かな。いいね、楽しそうだ」
在監者は愉快そうにけらけらと笑う。そこにも不審な要素は一切なく、親しみやすそうな雰囲気しかなかった。
「それで?お嬢ちゃんはここに何の用かな」
「その、紅玉っていう人の過去を知りたくて」
「過去を知りたいねぇ。いいよ、死体は何処だい?」
「死体?!」
「うん。死体を媒介にしてソイツの記憶を遡っていくからね」
見当違いの方面に進んでいく会話にゆづりが困惑する側で、在監者は部屋の奧に潜ると、一つの時計を手の中に入れて帰ってきた。
どうやらこの時計と死体を使って、過去を明らかにするらしい。しかし、当然ゆづりは紅玉の死体なんぞ持っていない。
オロオロと不審な動きをするゆづりに、在監者は事情を察したらしい。死体がないなら血や髪でも代理できると提案してきた。
「血と髪…」
「それもないなら、最終手段は所有物。出来るかどうかは時と場合によるけどさ」
「所有物……じゃあ、これとかどうですか」
「髪飾り?いいよ、やってみよう」
ゆづりは自分の頭から鬼の紋章が象られた髪飾りを外し、在監者に手渡す。この髪飾りが紅玉のものなのかは知らない。しかし、これが鬼族のものなのは確定だから、もしかしたら紅玉のものだという可能性に賭けた。
淡い期待にドキドキしているゆづりのことなんぞ、つゆも知らない在監者は淡々とした手付きで髪飾りを時計の上に置く。そして、針を反時計回りに回すように、人差し指をくるくる回した。
すると、ザーザーと壊れたテレビから鳴るような音がして、蝋燭の炎のような不安定さを抱えた映像が近くにあったスクリーンに流れ始める。
「うん。ちょっとガサガサしてるけど見れなくはないねぇ」
在監者はカチャカチャと時計を弄りながら、ゆづりが映像を見やすいように調節する。その甲斐あって、徐々に映像が鮮明化されていき、誰かが会話しているような声まで聞こえてきた。
「……くろ!」
誰かが何かを叫ぶ声がする。舞台が真夜中なのか映像は暗い。だから、ここが何処なのか、どんな人がいるのかは分からない。しかし、何かに追われているような荒い息遣いと、しきりに響く足音だけははっきりと聞こえた。
「兄貴!」
そのまま映りの悪い映像を見つめていれば、不意に声が近くなる。その野太い声には聞き覚えがあった。そして、映像に現れた靡く白髪と赤い瞳もゆづりの記憶を刺激する。
ゆづりはもしかしてと目を凝らしつつ、その人物がもっとこちらに寄るのを待つ。そして、そのまましばらく映像をよく身てめていれば、その人は映像の半分を支配するまで距離をつめた。
そこでゆづりは確信する。この人物は紅玉であると。
しかし、この映像の主人公は彼ではない。彼が兄貴と呼んだ人物こと柘榴が、ゆづりの見ている映像の主なのだろう。
「隠れてろ。狼が来てる」
「あぁ分かった」
この映像の主人公である柘榴は、コクりと一回顎を引くと、素早く体を翻し走っていく。しかし、同じ鬼族の紅玉の力強い走りと比べると、少々心もとない走りだった。
「儀式終わりまで、あと六時間か」
乱れた息と共に柘榴の呟きが聞こえる。
彼の言う儀式というのは、おそらく神座剥奪の儀のことだろう。これなら柘榴視点でも、五十年前の紅玉に何があったのかは分かりそうだ。
そのまま視界の悪い映像を見続けること数分。
思っていたより何も進展がないなと、ゆづりが首を傾げた途端、代わり映えしない映像の中央へ何かが突っ込んできた。
その直後、視界がブレてガチャガチャと映像が回転したり暗転したりし始める。どうやら柘榴の視界が乱れているらしい。
ゆづりが不穏な空気に狼狽えてること十数秒後、映像は元通りになった。しかし、写っていたのは血の気が引いていくようなものだった。
「っ…」
ポタポタと雫が浸り落ちるような水音。苦痛に喘ぎ乱れる吐息。暗闇の中、やけにテカっている赤い色。ズリズリと何かが這いずるような嫌な音。
襲撃だ。柘榴が何者かに襲われ、傷を負っている。おそらく致命傷だ。まるで死にかけだというように映像がぼやけ、ドンという音がしたかと思うと、視界が短い草に覆われてしまったのだから。
「……いすず…?」
朧気になる映像の奥の方、金色と赤を基調とし、花があしらわれている着物が揺れる。そして、剥き出しになっている細い足と、その先に伸びる黒いぽっくりも動いた。
いすずだ。彼女が柘榴を殺しに来ている。
「あぁ、死ぬねぇ。ふふ」
これから柘榴が死ぬのだと青ざめるゆづりに対し、映像の中の主人公は笑っていた。自分が殺されかけているという状況で、彼はおかしいだろうと云うように、フツフツと笑い声を漏らしていた。
「後はよろしく、紅玉」
そして、彼は負傷しているとは思えないくらい、はっきりとした口調でそう呟く。その直後、彼はカチャリという音を立てて、鞘から刃物を抜いた。
これでいすずに応戦するのか。ゆづりはキラリと暗闇で一度だけ光った銀色の行方を、固唾を飲んで見届ける。つもりだったのだが。
「あはっ……」
彼は刃物をいすずには向けなかった。それどころか、彼は立ち上がることすらしなかった。
代わりに、彼は抜いた刃を己の腹に差し込み、すぐに抜いたのだ。そして、それとほぼ同時にいすずの爪が心臓を指すように紅玉の背中を貫く。
「………」
自傷により開いた腹。いすずによって刺された背中。前後両方から致命傷を負った柘榴の体から、ビシャビシャと見たことがない大量の血飛沫が舞う。
あまりにも凄惨でグロテスクな光景に、ゆづりは耐えきれず一歩下がる。すると、柘榴が事切れてしまったらしい。映像がプツリいう音を立て消えた。
「自殺したねぇ」
ショッキングな映像に固まるゆづりを他所に、在監者は軽い口調で感想を述べる。まるでちょっとした映画を見たような空気だ。
ゆづりが平然としている彼に驚くのを気にせず、在監者は業務的に髪飾りと時計を分離させた。
「この映像は紅玉じゃなくて、柘榴…叛逆者のものだね。髪飾りは彼のものなんじゃないかな」
在監者から渡された髪飾りをされるがままに受け取るゆづり。しかし、彼女の頭の中は先程の映像のことしかない。
叛逆者もとい柘榴はいすずに襲撃を仕掛けられた。その攻撃により、彼は致命傷を負って地面に倒れる。
しかし、いすずにトドメを刺されるより前に、彼は刀で自分の腹を切っていた。自殺していた。
『注意。神が儀式の最中、事故死など誰にも殺されずに死んだ時、眷属がいるなら、一時的に眷属に神の座が引き継がれる。そして、その後にも儀式は同じように続きまする。』
ノアの翻訳通りに状況を解釈すれば、柘榴が自殺した後に、神の座は紅玉へ移った。その後、誰かが紅玉を殺せば、その人が神になるのだろう。
しかし、紅玉が現在生きていることを考慮すると、おそらくそうはならなかったのだろう。いすず含め土獣人たちは彼を殺すことはなく、いすずが神を殺したと見なし、儀式を終えたのかもしれない。
なら、現在の土獣星の神は紅玉だ。そしていすずは。
「紅玉の眷属……?」
になるわけだ。しかし、その結論も相変わらず腑に落ちない。
だって、眷属になるには特別な思いが必要だと、理解者は言っていたのだ。だから、二人の間に何か関係がなければおかしなことになる。しかし、二人の間に何か特別な感情があったとは到底思えない。
だが、ゆづりが一番気になったことはそこでもなく、もっと根底にあった。
「そもそも紅玉が神なら、私のこと誘拐しなくないか……?」
紅玉は己が神になるために、ゆづりを拉致したと言っていた。いすずがお前が神の座を譲らないと、ゆづりを殺すぞと脅すために、彼はゆづりを捕まえたのだ。
しかし、紅玉自身が神ならば、その説明が成り立たなくなる。彼が神本人なのだから。
単純に紅玉が自分が神であると気付いていなかったから、おかしなことになっているのだろうか。
「……分かんないなぁ…」
やはり、紅玉本人の口から話を聞かない限りは、真相は掴めそうにない。ゆづりは無駄足だったなとため息をつく。
「おや、見たいものは見なかったのかな?」
ゆづりの芳しくない態度に、在監者は肩を竦める。どうやら自分のため息が彼に聞こえてしまったようだ。
力を貸してもらったというのに、失礼なことをしてしまった。ゆづりが咄嗟にすみませんと謝れば、在監者はいいんだよと優しく微笑んでくれた。
「また何かあったら持ってきなよ。自分で良ければ力になるからさ」
「ありがとうございます」
こちらに対して友好的。そして、親切で気配りもできる。やはり、何も問題はなさそうな神だ。
ゆづりは何で理解者が彼を毛嫌いしていたのか分からないなと思いつつ、金時星の部屋から退出した。




