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異世界たちと探し人  作者: みあし
一章 土獣星編
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二十五話 だっかんせん


「ちょっ……」


 竜に片手で首を掴まれ、ゆづりは反射的に自分の首へ手を這わす。が、竜はそんなゆづりの抵抗をものともせず、ひょいとゆづりの体を持ち上げた。

 まるで猫を拾ったかのような、軽々しい仕草。あまりにも容易に持ち上がった自分の体に、ゆづりは抵抗さえ忘れてしまう。


「じゃ、お前、よろしく」


 しかし、ゆづりはすぐに我に返ると、爪先で地面を蹴って拘束から逃れようと足掻く。しかし、竜は淡々とゆづりの体を移動させ、近くに控えていた他の竜の口に彼女を投げ捨てた。


「ひっ」

 

 人体特有の生ぬるい息。唾液でテラつく赤い色。腹を貫く白い牙。

 竜の口にしっかりと意識を持ったまま入るという体験は、死への恐怖が麻痺したゆづりでも震えるくらい、恐ろしい。

 しかし、そんなことよりもゆづりが青ざめる原因は他にあった。

 いすずのことだ。このままゆづりが竜に連れさられてしまえば、いすずとゆづりが竜の人質として交換されただけで、状況が何も変わっていない。紅玉と組んで危険を侵してまで進めた計画が破綻する。


「もう全然抜けない……!」


 今までの行動がが全て無駄になる。それを悟ったゆづりは必死で体に刺さっている数多の牙から逃れようと足掻く。ガリガリと爪で歯を削ったり、どんどんと歯茎を叩いたり。

 しかし、何をしても体に深く突き刺さった歯は抜けなかった。というか、グラグラと揺れることもなかった。手の出しようがない。


 本格的に手の打ちようがないことを叩きつけられ、ゆづりの頭はじわじわと絶望に染まっていく。それでも竜は飛翔を止めることはなく、空気を切る音がしきりに響いていた。

 まるで反対方向の電車に乗った時のような気分だ。やらかしたとは分かっているが、何も手の打ちようのない、あの感覚。

 ゆづりがそう絶妙な現実逃避をしていれば、不意に竜が鳴いた。いや、悲鳴を上げた。

 そして、ポイと口からゆづりを吐き出す。


「は?!」


 一瞬、ゆづりの体が宙に浮いた。同時、手の掴む場所に白い雲と山脈が映る。刹那、体を貫くような重力に押され、ゆづりはまっ逆さまに落ちていた。

 内蔵がひっくり返るような浮遊感。耳が切れそうなくらい鳴る風切音。目が落ちていくかのように迫る地面。

 あまりにも急変した環境に、とうとうゆづりの体は壊れる。喉からはまともな言葉が出なくなり、瞳は固く閉じたまま開くことはなく、足は感覚が切れたのかブラブラと不秩序に乱れるだけ。

 言うまでもなく頭の回線はシャットダウンした。死にもしないのに死ぬ死ぬと警告を出してわめき散らす程には飛んだ。

 しかし、再び電源をつけて起動し直せば、また戻れる理性は残っていて。


「……!」

 

 トンと額に指先の感触が走った。凛とした輪郭を持つ声が聞こえた。ギュッと体を包むような、暖かい温もりも伝わった。

 その全ての感覚が狂ったゆづりの神経を整える。そして、目を開けさせるくらいの余裕を作った。


「い、すず…?」

 

 久しぶりに開いた景色の中央、黄金の瞳が光っている。少し赤く染まった彼女の瞳は、見間違うことなくいすずのものだ。彼女は小さな体を擦り付けて、ゆづりの胸にしがみついていた。

 だが、助けられているのはゆづりの方だ。いすずに抱きつかれてから何故か重力の力が弱くなり、落下が緩やかに変わった。

 それにゆづりの体をガチガチに凍らせていた恐怖やら絶望やらも解けて、体の自由が利くようになっている。だから、ゆづりはいすずを抱き返し、その顔を見ることが出来た。

 

「いすず…」

「………」


 色々聞きたいことがある。話したいことがある。助けてくれてありがとうとか、竜から逃げ出せたんだねとか、何で今こんな緩やかに飛べてるのとか。

 だが、手元には紙がない。ゆえに、口の聞けないいすずと会話は出来ない。だが、それでも何となくの以心伝心は可能だ。

 今はとにかくここを去って、安全な場所へ逃げようと。


「………」


 ゆづりがコクりと頷くと同時、いすず右手をゆづりの腰から虚空へと移す。すると、漢字のような詰まった文字が浮かび上がり、橋を作った。原理は知らない。護符とか呪いとか、そんな類いのものだろう。

 ゆづりはいすずに促されるまま橋に飛び下り、転がるようにして地面に走る。強風が身を殴ってきているため、気を抜けば足を踏み外しそうだが、いすずと繋いでいる手がしっかりと正しい道に引き留めてくれている。

 地に足が着くまで残り五十メートル、二十メートルと順調に詰めていく。そして、あとひとっ飛びで着地する高さまで戻って来た途端。


「おい、どこに行く」


 聞き覚えのある声が下かと思うと、足場が無くなった。

 ゴロリと雪だるま式に地面に落ちるゆづりといすず。二人とも痛み等は一切ないが、あまりにも急な落下に頭は真っ白だ。特にゆづりは五秒程度硬直して、ただ心臓を鳴らすことしか出来ないくらいには動揺していた。


「ん、よく逃げたね」

 

 訳も分からぬまま地面に寝そべる二人を見下ろしているのは、一匹の竜だ。あの、気だるげな喋り方をする竜がそこに立っている。

 すぐに危険だと分かった。が、ゆづりの体は動かなかった。竜の怒り一色の瞳の前に、反抗の意が奪われてしまった。

 しかし、いすずは違う。彼女は素早く起き上がると、ゆづりの前に出て鋭く尖った爪を向けた。

 睨み合ういすずと竜。もう話し合いなど穏やかな方法は二人の頭にはないのだろう。沸々と沸き上がる殺意が、二人の間を支配していた。

 いよいよ壮絶な殺し合いが始まる。ゆづりは立ち上がることも出来ないまま、ごくりと息を呑む。そして、襲い来る衝撃に手で顔を覆ったが。


「しつけぇよ」


 身を潰そうな風も吹かず、破壊音も響いてこない。代わりに聞こえてきたのは、場違いなくらい呆れたような男の声だった。

 恐る恐る手のガードを外して、薄く視界を開ける。すると、真っ青な空を背後に、真っ赤な着物が揺れていた。


「紅玉…」

「あいあいお疲れサマ」


 足元に竜を伏せて、鋭い視線を送っていたのは紅玉だ。彼は己の肩にまるで棍棒を担ぐかのように大きな刀が乗せ、ゆづりの前に立っている。そして、その近くには無傷のいすずも控えていた。どうやら彼が竜を倒してくれたらしい。


「おい走れるか」

「は、はい」

「ならさっさと引くぞ」


 地面に座ったままのゆづりに紅玉は一方的に言葉を放つと、ズカズカと先へ進んでいってしまう。そこにはやはり気遣いも愛想もない。だが、優しさがあるのはしっかりと分かった。ツキの言っていたことも今なら何となく理解できる。


「……?」

「あぁごめん。少しぼっーとしてた」


 ゆづりが紅玉の後ろ姿を見つめていれば、いすずがちょんちょんとスカートの裾を引っ張ってくる。そこでゆづりは現実に戻ると、差し出されているいすずの手を握った。すると、いすずはギュッと優しく握り返してくれる。

 初めて会った時の、骨を砕くような握手とはかなり力が異なる。

 いすずとの関係に少し進展があったと見なしていいのだろうか。ゆづりは戸惑いながらもいすずの隣に並び、紅玉の背を追う。


「そういえば、いすず。このまま紅玉についてっていいの?一応敵だけど」


 当たり前のように紅玉の指示に従っているが、彼はいすずの命を狙っている一人だ。つまり、いすずにとって、紅玉はそこまで心を許してはいけない存在なのだが。

 不安げな顔をするゆづりに、いすずはブンブンと首を振る。そして。少し辺りを見渡した後、地面にしゃがんだ。そして、爪でグリグリと土を返して文字を書いく。

 へいき、おれい、いう。と。

 

「……なるほどね」


 いすずがそう思うなら、ゆづりは何も言うまい。彼に助けてもらったのは事実だから、お礼くらいはすべきだろう。

 それにゆづりは紅玉の家に叛逆者の手記を探すという目的があるため、あの家をもう一度訪れることになっている。だから、そこにいすずもついてくると言ってくれるのはむしろ好都合だ。


 いすずは助かり、叛逆者の手記の居場所も何となく分かった。

 これで土獣星にあった全ての問題が解決したと見なしていいだろう。ゆづりは解放感から背筋を伸ばしつつ、あぁこれで終わったのだと区切りをつけた。





「あー、うぜぇ」



 が、終わらなかった。


 唐突に地面が揺れたかと思うと、ゆづりの体は宙に舞っていた。そして、一回食らったことのある暴風が木やら岩やら全てをなぎ払う。


 何が起こったのかは分からない。ただ、すぐに理解した。あの竜が這い上がって動き出したということだけは。


 ゆづりはいすずと己の手のみを頼りに、風を凌ぐ。そして、自由の効かない体で目だけ振り返れば、そこには見たこともない数の竜人が空に向かって吠えていた。


「どけ!」


 耳を裂くような咆哮の中、紅玉の怒鳴り声が聞こえてくる。その声にゆづりが反応するより前に、彼は乱暴にゆづりの背中を蹴っていた。

 途端、視界が土で埋まり何も見えなくなる。ゴロゴロと空が鳴ったことから雷が落ちたことと、あの独特の匂いと水で雨が降ったことまでは知った。


 しかし、それ以降のことは分からない。

 耳がまともに聞こえなくなって、目も砂嵐と雨でまともに開けなくなってしまったから。ただ、いすずが冷めたゆづりの手をしっかり握っていてくれたことだけは鮮明に残っている。


 そのまま長い年月が経ったと錯覚するほどの時を地面に這いつくばって控えていた後、不意に風が止み、咆哮が静まった。

 銃や爆弾が飛び交うような戦場から、涼しい湖畔の中に放りこまれたかのような変化。あまりにも不穏で恐ろしい静寂に、ゆづりはそっと目を開ける。


 そして、竜の鱗に埋め尽くされた腕が、残酷にも紅玉の胸を貫いている光景を、はっきり目に映したのだった。

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