二十四話 りゅう
神だと名乗ったゆづりに、民の反応はそれぞれだ。
素直に信じ畏れを抱いて逃げた者、信じずに襲いかかってくる者、様子を見ようと絶妙な距離を保つ者。
最初は嘘だと鼻で笑って殺そうとしてくる輩が多かったが、殴っても刺しても潰しても斬っても、なにをしようと一切傷つかないままのゆづりを見て、どんどん彼女が神だと見なすものが増えていく。当然、ゆづりを捕まえようと立ち向かってくる連中もどんどん集まってきていた。
「信じては貰えたみてぇだが、捌くのキツいな」
そんな風にわらわらと襲いかかる土獣人を捌いているのは紅玉一人だ。
彼は鞘に収めたままの刀を振り回して、ゆづりを拐おうとするものを全てはね除け、地面に転がしている。その数は軽く百は越えているだろう。体力の限界が来た言うにはむしろ遅すぎるくらいだ。
雨でぐしゃぐしゃになった髪を忌々しく掻き上げながら舌打ちを繰り出した紅玉に、ゆづりはこっそりと耳打ちをする。
「大丈夫ですか」
「アホが。殺り続けんぞ」
紅玉はゆづりの心配を一蹴すると、バンという鈍い音を鳴らして刀を腹に叩きつける。どうやらまだ戦えるらしい。
「早く竜が来てくれないと…」
ゆづりたちの目的は土獣人をボコボコにすることではなく、いすずを取り返すことだ。竜がゆづりへ気を反らした隙に、紅玉がいすずを助けてくるという筋書き故、竜が来ないことには何も始まらない。
地上は十分沸いたと思うが、空にいる竜にもこの混沌が届いているのだろうか。
「おいボケッとするな!てめぇまで拐われたら面倒だろ!」
竜の出現を祈り空を見上げるゆづりを、紅玉が怒鳴って引き留める。ゆづりは一言ごめんと謝ると、背後から迫る鳥人からワタワタと逃げ惑う。大方の敵は紅玉が処理してくれているが、それでも漏れは出る。そんな彼らから必死で逃げるのも、ゆづりの役目だ。
「キツいキツいキツいキツい」
得意でもない運動を強いられて、散々色んな殺し方をされて、ゆづりの体はボロボロだった。今も背後にいる鳥人に大動脈を食い千切られている。不死でなかったら、もう何回死んでいるのか想像もつかないくらい殺されている。
竜は早く姿を見せてくれ。さもないと先にゆづりが自滅する。ゆづりが竜の出現を祈った直後、その時は来た。
「雨が……」
ザアザアとけたましく降っていた雨が、サッと溶けるように無くなった。その代わり姿を見せたのは、目映い太陽。そして、堂々と灯る太陽の前には、さらに偉そうな雰囲気を持った巨体な何かが蠢いている。
間違いない。竜だ。竜がやっと来た。
待望の人物にゆづりは恐れを忘れ、喜びに頬を緩める。その隣で紅玉もはっと白い歯を見せ、愉快そうに笑っていた。
「計画通りだ。動くぞ」
「はい」
素早く鞘を捨て去り刃を晒した紅玉は、躊躇いなく跳躍すると竜の背に乗った。彼はそのまま竜の背中を渡り歩いて空上へ行き、いすずを迎えにいくのだろう。紅玉が次の竜に飛び乗ったのを合図に、ゆづりも動き出す。
今からゆづりがやることは、竜含む襲撃者たちから逃れること。紅玉が帰ってくるまで誘拐や拉致などされずに、逃げ惑えばいいだけ。
こう書くだけなら簡単そうだが、成功するかはほとんど運だ。なにせ、この鬼ごっこの鬼役は何十といて、それぞれが一発でゆづりを仕留められるような武器を持っているのだから。
「先手必勝」
ゆづりは最強種族の竜の出現にどよめく土獣人の群れに隠れて、一人沸き立つ戦場から離脱する。
行き先は近くの森だ。手入れがされておらず、小道すらない森に紛れてしまえば、ゆづりにも勝ち目はある。
そう安易に考えて、ゆづりは茂みに飛び込んだのだが。
「へぇ、君ね」
ゆづりの耳に、ふと囁き声が入り込んだ。気だるげで、それでいて愉快そうで、それでこちらを憐れむような声が。
ゆづりは無意識にも足を止めて後ろを振り返っていた。そして、大きな竜が口をかっぴらいているのを見てしまう。
ギョっとして足をもつらせて転んだゆづり。そんな彼女に、怪物は空気を揺らすような咆哮を添えて、何もかも全てを吹き飛ばす暴風を浴びせた。
「うぉっ…」
とても生身では抗えない暴風に、ゆづりはなす術なく空中を舞う。そして、木やら地面やらにボールが跳ねるよう次々とぶつかっていく。
ぐるぐる回る視界、軋む体、絶えなく変わり行く進路。今自分がどうなっているのかもまともに分からないまま漂っていると、急に腕が掴まれ飛行が終わった。
「あ…?」
がくりと揺れた体にゆづりが視界を取り戻す前に、その手は乱暴にゆづりを地面に叩きつける。そして、その手の持ち主は無抵抗に仰向けになったゆづりの太ももに飛び乗ると、片手でゆづりの首を絞めにかかった。
「う、え、えっ?」
「ありゃ本当だ。死なないね」
たった十数秒で起こった出来事が飲み込めずに狼狽えるゆづり。そんな彼女の視界には中華服を纏った少女と、彼女の手がゆづりの首を掴んでいる光景が写る。そこでゆづりはようやく自分が良くない状況にいることを悟った。
「君が神ね。ふーん」
「お、おぉ…」
鼻息がかかるほど顔を近づけ、ゆづりの瞳を覗いてくる少女。その娘の頭には竜のような角が付いており、尻からはどっしりとした尻尾が生えていた。この気怠そうな声も、先程の竜が囁いた時と同じ声。つまりこの子が爆風を引き起こした竜なのだろう。なぜ少女の成りをしているのかは知らないが、地球とは根底が違う星の人だからで理解を済ませる。
そんなことよりもゆづりがやるべきことは、今すぐこの竜から逃げること。そう思か否か、ゆづりは全力で竜の下から抜け出そうと足掻く。しかし、まるで岩に押し潰されているかのような重圧の前に全て無駄に消え去っていった。
「あれ、力無い。弱いね」
バタバタと手足を動かしながら呻くゆづりに、竜は不思議そうな顔をすると小首を傾げる。まるで神のくせにこんな無力なんてと物語る目に、計画の破綻を感じ取ったゆづりの血の気がさっと引いていった。
このまま神として疑わしい態度を取ったら、またいすずが狙われる。そう直感したゆづりは何とか喉を振り絞ると、目の前の竜に声を掛ける。
「あ、あなたは…」
「え、知らないの。一応竜の族長なんだけど」
「ぞ、ぞくちょ…?」
「うんうん。族長。強い竜」
少女は先端がピンクに染まった長髪を指でいじりながら呟く。その隙に拘束が緩み、少しは軽くなったかと思ったが、相変わらずの重さで指を折り曲げる程度しか動かなかった。
そんな細やかな抵抗を竜は黄金の目を細めて見届けると、ゆづりの首を掴んでいた力を強くする。しかし、ゆづりに目立った反応がないのを確かめると、潔く手を引いた。
「うん死なないね。え、本当に神なの。君」
「……うん」
「じゃ、あの狐は。あの子も死ななかった」
「い、いすずのこと?いすずは眷属だから死なないよ」
「ふーん」
竜は訝しげにゆづりを見ていたが、何を思ったのか不意に着物の襟を鷲掴んでくる。そして、ゆづりが抵抗するより前に、竜は着物も制服も下着も引き裂き、そのままひん剥いた。
急に上半身を裸にされて、あんぐり口を開けて固まるゆづり。しかし、竜はそんなことは構わずペタペタと胸を触ったり、髪を掴んでぐしゃぐしゃにしたり、耳をつまんで引っ張ったりしてくる。
抵抗したい。が、怖くて出来ない。
ゆづりがそのまま無抵抗になぶられていれば、竜は満足したらしい。顎の骨を粉砕する勢いでゆづりの顎を掴むと、じっと目を合わせてきた。
「ねぇ、君どこの族?」
「…お、おに」
「うん、紋章はね。でも、体は全然鬼っぽくないよ」
「それは……」
ふにふにと柔らかいゆづりの胸をつつきながら、至極真っ当な指摘をしてくる竜。
鬼がどのような体をしてるのかゆづりは知らないが、間違いなくこんな柔和な体ではないだろう。体つきを除くにしても、ゆづりの頭には紅玉のような角もなければ、耳の尖りもない。鬼なのか疑われるのは当然といっちゃ当然だ。
土獣人は戦闘しか能がないから気付くわけねぇ、とほざいていた紅玉を心の中で呪っていると、竜は返答を急かすように顎を掴んでいる力を強くしてくる。
「ねぇ」
「そ、その…」
当然自分は地球人でホモサピエンスという種族です、なんてことは言える訳がない。適当な種族を答えて乗り切ることも考えたが、ゆづりは鬼と犬と狐しか知らない。
だらだらと冷や汗を垂らしつつ、目を背けるしかないゆづり。そんな様子を見下ろした竜は、まぁいいやとぼやくと顎から手を離した。
「うん。この子も持ち帰って殺せばよろし」
「えっ…」
「ってことで、じゃあね。死ね」
竜はさらりと殺害宣言をする。そして、ひょいとゆづりの上から退き、力任せに彼女の首を締め上げた。