二十三話 うそ
いすずを出し抜いて、ゆづりが土獣星の神を騙る。
そう突拍子もない作戦を明かした紅玉は、自分の言ったことの大変さが分かっていないのか、ゆづりを構うことなく足を進める。
ゆづりはそんな様子の紅玉に困惑して足を止めてしまった。が、すぐに正気に戻ると彼の着物の裾を掴む。
「あの、どうしたんですか。頭おかしくなったんですか」
「あ?オレはマトモだが」
「いやいやマトモじゃないですって!」
楽観的すぎる紅玉にゆづりは現実を見ろと、彼の裾を掴んで訴える。
だって、急に得体のしれない人間が神だと名乗って、誰が信じるのだ。頭のネジが飛んだヤツだと見なされて終わりだろう。
しつこく無理だ考え直せと喚くゆづりを、紅玉は鬱陶しそうにあしらう。しかし、ゆづりの無理だ無理だという声に根気負けして足を止めた。そして、ため息を吐きながら振り返り、説明するから聞けとゆづりの前に立ちふさがる。
「土獣星のヤツらがどうやって神を認識するか知ってるか?」
「神座剥奪の儀で神を決めてるんですよね。なら、神を殺した人が神になるんじゃ」
「じゃあ、神を殺した時に目撃者がいなかったらどうなる。死んだという事実のみ残されていたら?」
「それは……」
地球なら殺人事件が起きたときのように、防犯カメラを漁ったりDNA鑑定などで血痕を調べたりすればどうにかなりそうだ。しかし、間違いなく土獣星にそんな技術はない。
早くも返答に詰まったゆづりに、紅玉は早々に答えを開示した。
「儀式は神を殺して終わりじゃねぇ。神を殺した後、新しい神は彼岸神社に姿を見せる義務があるんだ。で、その時に神社に集まったヤツらが神を襲う。そんでボコボコにしても傷一つなく立ってたらソイツが不死で、神だと見なされる」
「……不死かどうかを実際に殺して確かめて、神認定してるってことですか」
「そうだ」
儀式で殺し合いをしたのに、儀式が終わっても殺し合う。
何処まで言っても土獣星の流儀を貫き通す判断方法に、ゆづりはいっそのこと感動してしまう。
「つまり、てめぇが不死ならいくらでも騙せるってことだ。これで納得したか?」
神か否かの判断は、その人が不死であるかどうかだけ。だから、ゆづりが不死なら騙せる勝機はある。紅玉はそう主張しているらしい。
確かに、殺しても殺しても死なないヤツが急に現れたら、驚いて突飛な発想に縋ってもおかしくはない。しかし、それでもゆづりははいそうですかとは頷けなかった。
「でも私が神だって名乗ったら、いすずが死なないのはなんでってなりませんか」
「そんなの、あの狐娘はてめぇの眷属だって言えばいいだろ。眷属も死なねぇ体になるからな」
「いすずに本物の眷属はいないんですか」
「いねぇ。いたとしても分かりようがねぇし」
「えっ?」
「はぁ?神が気に入った人間なんぞ、神以外に分かるわけねぇだろ」
眷属は神と違い、みんなに存在を知らせる必要はないらしい。だからいすずに眷属が付いているか否かは、紅玉含む土獣人たちは知らないという。なんなら、眷属という存在がいることも知らない人も結構いるらしい。
「じゃあ、紅玉が叛逆者の眷属だったってことも知られてないってことですか」
「…いいや、それは知ってるヤツもまぁまぁいたぜ。何せ兄弟だし、三代もの間、ずっと隣にいたからな」
「へぇ……ん?兄弟?」
「なんだよ」
「つまり…叛逆者って紅玉のお兄さん…!?」
「なんだよ、それも知らなかったのか」
くどい確認をするゆづりに、紅玉はしつこいのが嫌なのか、下手な勘違いをされるのが面倒なのか、自分から叛逆者について話し出す。
叛逆者は柘榴という鬼で自分の兄だということ、紅玉は柘榴の眷属として隣にいたこと、五十年前に柘榴はいすずに殺されて亡くなったこと。そして紅玉一人残されたこと。
淡々とした口調で吐かれた情報はどれも初耳だっだが、中でもゆづりが驚いたのはやはり叛逆者の正体だった。ゆづりは勝手に叛逆者は紅玉のような屈強な鬼だと想像していたが、まさか写真の中で穏やかに笑っていた優男が神だったとは。
「叛逆者は紅玉のお兄さん…」
「あぁ」
「ってことは、叛逆者の手記もあの部屋にあったりするのか…?」
紅玉と柘榴の写真が置いてあった、あの暗い部屋。紅玉の兄が叛逆者というのなら、あの部屋に兄の資料があったりするのではないだろうか。実際、鬼族の家系図などはあったのだ。そこに叛逆者の手記が紛れていてもおかしくはない。
思わぬ場所で、ゆづりが土獣星に来た本来の目標が達成されそうだ。
今のゴタゴタが全て片付いたらあの部屋を漁っていいか、紅玉に許可を取ろうとしたゆづりを遮って、彼が先に口を開く。
「そういうてめえはなんなんだよ」
「え?」
「なんで不死なんだよ。それになんでオレが眷属だって知ってる。まさか、ホントにどっかの星の神とか眷属なのかよ」
不可思議そうな顔でゆづりを見下ろす紅玉に、ゆづりはよく考えれば自分は訳の分からない存在なのだと思い出す。異星人だし、不死だし、神や眷属、八星について知っているし。
ゆづりは今ごろながら紅玉に、自己紹介を兼ねて今の境遇を伝えた。
自分は地球人であること。地球の神ソフィーに不死の体にされたこと。その呪いを解くため、創造者を探していること。そして創造者の正体のヒントがあるであろう叛逆者の残した手記を探しにこの星に来たこと。昨日、紅玉が叛逆者の眷属だとノアに教えてもらったこと。
多様な情報の要点を伝えただけのゆづりの説明に、紅玉は大変だなと一言感想を言うと、特に詳細を聞き出してくることはなかった。
「創造者ねぇ。まぁ、確かに柘榴のヤツなんかやってたな」
「ほんとですか?!」
「あぁ。頭だけはいいヤツだったしな、資料室漁りゃなにか出て来てもおかしくはねぇ。気になるなら勝手に調べろ」
「ありがとうございます」
叛逆者が創造者について知っていることが濃厚となり、ゆづりは思わずガッツポーズをしてしまいそうになる。しかし、そんなことをしたら紅玉に白い目で見られるのは確実だ。ぐっと堪えて、大人しく紅玉についていく。
そもそも、手記の探索の前にやるべきことは、いすずを救出することだ。わざわざ危険を侵してゆづり一人で星を訪れたのも、いすずを助けるためなのだし、今はそっちに意識を向けないといけない。
ゆづりは気持ちを切り替えつつ、紅玉の後を追う。彼はしばらく歩いた後に不意に道を逸れると、洞穴のような場所で足を止めた。
「ここは…」
「最初にてめぇを監禁してた所だ。入れ」
紅玉は短く説明するとずかずか暗闇へと潜っていく。ゆづりはあまりいい思い入れがない場所に怯んだが、もう終わったことだと切り捨てて走り寄った。
ゆづりを拘束していた手錠。固いベッド。放置されたままの丼。ぼんやりと昨日のことを思い浮かべるゆづりに、紅玉はポンと何かを投げつけてきた。
「着ろ」
「え」
「そんなトンチキな格好じゃ、何処の族だってなるだろ」
渡されたモノは赤い着物だ。金で花があしらわれている、高級そうな衣。確かに今の制服姿だと、神どころか土獣人だと見なされるのかも危うい。
ゆづりは服装で計画がパァになるのは嫌だったため、有無言わずに渡された着物に腕を通した。加えて着けろと言われて渡された髪飾りも頭に乗せ、ベールを被る。
たった三十秒程度で完成した変装。かなりお粗末で簡易的だったが、紅玉は問題ないというように頷いた。
「ま、これでも行けんだろ」
「ほ、本当ですか…?あんまり鬼には見えないんですけど」
「土獣人の頭ん中にあんのは喧嘩と戦争だ。人の容姿に目が行くほど、頭なんて回るわけねぇよ」
「えぇ……」
紅玉はさっさと次行くぞと言い残し、洞窟を去っていく。
鬼を名乗るのに、せめて角はマストじゃないのか。今のゆづりは適当に着物を着て、鬼族の紋章を着けた髪飾りをしただけなのだが、これでも十分騙せるという土獣星たちの目はどうなっているのだろう。
沸々と不安は込み上げてくる。しかし、それを口にすることはなく、大人しく紅玉の隣に並んだ。
そのまま紅玉の後をついて行くこと一時間程度。
慣れない召し物と長時間の移動に足腰が痛み始めた頃、沈黙を保っていた紅玉が口を開き始めた。
「今から計画を話す。よく聞け」
「は、はい」
「テメェはまず、あそこにいる連中に殺されてこい。で、己が神だと名乗れ」
紅玉は太い指で進路の先を指す。そこに竜の姿はない。代わりに猫や犬、鳥などの小さな土獣人たちがお互い睨み合っていた。
「テメェがアイツらに神だと認識されて地上が混乱してりゃ、竜も気になって降りてくる。そん時にオレが手薄になった竜の住処に乗り込んで、狐娘を回収してくる。いいな」
「分かりました」
紅玉のかなり優しい説明に、ゆづりは質問も拒否もすることなく頷く。
ゆづりの仕事は一言で言うなら囮だ。紅玉が竜のアジトに潜入するために、竜を引き付ける囮。
やることも注目を集めておけという簡易なもので、そこまで複雑なことはない。
むしろ紅玉の方が大変だろう。一人で何人いるのかも分からない場所に乗り込んで戦うのだから。
そんなことを考えている間にも、殺意高く立っている土獣人たちとゆづりとの距離が詰まってきている。一体、どのくらいの距離になったら突っ込んでいくべきなのかと戸惑っていると、不意に紅玉が足を止めた。
「さ、行け」
「うえっ?!」
紅玉はゆづりの心中など知らぬ存ぜぬというように、ゆづりの背中を突き飛ばした。かなり乱暴に押されたゆづりは抵抗することもできず、転がるように群れの中に突っ込んでしまう。
「………」
一気に集まる目線と敵意。ぐんと重くなり、呼吸音一つ聞こえない静寂な空間。
色々と耐えられない雰囲気に、ゆづりは恐る恐る自分の胸に手を当てた。そして、どうも神でーすと名乗ろうとしたその瞬間、ゆづりの体に殺意が迫る。そして、瞬きする猶予もなく手刀が入り込んできた。
冷たい手の感触。少し前に味わった、あの恐怖心。
ゆづりはいやに冷静に状況を伝えてくる頭脳に促され、自分の腹を見下ろす。すると、猫の細腕がゆづりの腹を貫くように埋まっているのが見えた。
「あ、死んだ」
ゆづりの口から出てきた言葉は、腹を抉られている状況にしてはあまりにも軽く、緊張感のへったくれもなかった。
しかし、このチープさが、ゆづりの得体のしれなさをアピールしたらしい。目の前の猫人は分かりやすく動揺して、えっと気抜けた声を上げる。そして、怪物を見るかのような恐怖と危機を混ぜたような表情をすると、撤退しようと手を引いた。
「おい、待て」
だが、ゆづりは腹に刺されている腕を握ってその場に引き留める。理由は特にない。なんとなく人を恐れさせるには、余裕を見せた方が良いのかなと思った故の手だ。
論理も欠片もない思惑だったが、効果覿面だったようだ。
猫はひゅっと喉から悲鳴を出し、身を強張らせる。それを見た周りの連中も、ゆづりが只者でないと察したらしい。そろそろと警戒心高めにゆづりから距離を取り出す。
おそらく彼らは、ゆづりが自分たちを殺して回ると思っているのだろう。しかし、ゆづりにそんなことができる胆力も技術もない。
このまま土獣人たちを警戒させているだけでいいのだろうか。ゆづりの胸にチラリと不安が過り、顔にまでそれが現れた瞬間。
「どけ」
鞘のついたままの刀が、ゆづりの手ごと猫人を弾き飛ばす。そして、ゆづりに集まっていた視線を散らすよう、ゆづりの目の前に堂々と舞い降りた。
「紅玉…」
「このまま行くぞ」
助太刀に来たのは紅玉だ。
彼はゆづりに耳打ちするや否や、動揺してざわついている群れの中に飛び込む。そして、時代劇の主人公のようにばったばったと敵を刀で殴り飛ばしていった。
死なない謎の女と、異常に強い鬼。
得体の知れない二人組の登場に次から次へと人は集まり、どんどん散らされていく。それでも人は止まらず紅玉とゆづりに突撃し続け、気付けば人の海が出来るくらいの集団が出来ていた。
「お前は一体…!」
悲鳴、怒号、称賛、笑い声。ガヤガヤとうるさい音の中に、最高の台詞が飛んでくる。正体不明の人物が名乗りを上げるのに、最適な言葉が。
すかさず紅玉がゆづりを流し目で見た。ギラギラと光る目は行けと合図していた。分かっている。刺すなら今、ここでだろう。
ゆづりは小さく息を吐く。そして、ピンと腕を伸ばして、堂々と向けられている目を睨み返して、笑った。
「土獣星の神、『継承者』だ」
ゆづりが腹から出した宣言は、雨を掻き消し、空間を揺らし、人々を驚きの色でのみ支配した。