二十二話 ついてこい
紅玉が帰ってきた。
急に部屋の主が現れたことにゆづりは驚いて、手から写真が落としてしまう。
ゆらゆらと空中を漂い、紅玉とゆづりの位置の中間へ落下する写真。すぐに拾い何事もなかったかのように装うべきだろうが、ゆづりは呆然と紅玉を見つめるしかなかった。
「なんだこれ」
これから怒られることを自覚して固まるゆづりを差し置いて、紅玉はずけずけと部屋に入ってくる。そして、彼は放置されたままの写真を拾うと、気だるそうにため息を吐いた。
「んだよ。人のモン勝手に見てんじゃねぇよ」
「す、すみませんでした」
至極真っ当な説教だ。ゆづりは頭を下げるしかない。
紅玉は素直に謝ったゆづりに気を削がれたのか、そもそも怒る気は無かったのか、それ以上は何も言わずにゆづりの横を通りすぎていった。
その際に、彼の手に半ばでバッキリ折れた木刀が握られているのが見えた。そして、紅玉が着ているものに所々血のようなものが跳ねた痕跡も確認できる。
「ツキからてめぇの話は聞いた」
「は、はい」
「随分アイツらに気に入られたらしいな」
「えっ。あっ、はい」
紅玉の有り様に血の気が引いて、立ち竦むゆづり。そんなゆづりを無視して、紅玉はポンと折れた木刀を捨てる。そして、ドカリと腰を下ろし、押し入れを開けて何かを探し始めた。
「ツキとカケルが人を気に入るなんて滅多なことだ。だから、アイツらに免じて、てめぇの面倒も見てやる。ツキがてめぇと結んだっていう約束にも乗ってやるよ」
「ほっ、本当ですか」
「あぁ。アイツらと仲良くやってろよ」
紅玉はガチャガチャと押し入れを漁りながら、一方的に言葉を投げ捨ててくる。態度こそ無愛想でそっけないが、話している内容はかなり寛容だ。
紅玉もいすずを取り戻すため、ゆづりに協力してやると言っているのだから。
てっきりてめぇなんて居ても役に立たねぇ。さっさと失せろ。と言われるかと思っていた。が、無用の心配だったようだ。
これでいすずを助けられる。ゆづりが安心からほっとため息をついたその時。
「でもまぁ、てめぇが使えるなら使うまでだがな」
物置に向き合っていた紅玉がこちらを振り返る。直後、風を切る音がゆづりの前を通り過ぎた。それと同時に、銀色のナニかがゆづりの喉元に鋭く光る。
そして、ゆづりが何か反応するより前に、そのナニかは喉を突き刺さしていた。
「え」
いつの間にかゆづりの目の前に立っている紅玉。その彼の手に握られている刀。その刃の先にいる自分。
徐々に状況が飲み込めてきたゆづりは、恐れに身を任せて一歩後ろに下がる。すると、紅玉の持っている刃が伸びていくのが見えた。そこでようやくまともな恐怖心が襲いかかってくる。
刺された。紅玉に喉を刺された。殺された。
もちろんゆづりは喉を刺されようと、身体的には痛くもなければ痒くもない。ただ、精神面も普通でいられるかと言われれば、断じてノーだ。自分の喉から剣が抜けていく光景を見て、正気でいられる訳がない。
「ふん、やっぱりか」
気が可笑しくなる寸前のゆづりに対して、紅玉はいたって冷静に刀を引いた。そして、ずかずかとゆづりが作った距離を詰めると、刺されても傷一つないゆづりの首を掴む。
「ひっ……」
「おい、そこまでビビんなよ。なんともないだろうが」
何をするにも怯えるゆづりに、紅玉は呆れたようなため息をつきながら鏡を差し出す。そしてゆづりの無傷の首を指差し、同時に銀以外一切入っていない刀も見せた。
そこでようやく落ち着いたゆづりは、きっと敵意を込めて紅玉を睨む。
「な、何するんですか…!」
「てめぇが不死なのかを確かめただけだ」
「はっ……え?」
今、この鬼は何と言った。不死なのか確かめると、そう言ったか。
ゆづりは唖然として紅玉を見上げる。すると、彼は何だと言わんばかりに不遜な顔をしていた。そして、もう一度、てめぇの体を試すためだと口にする。
「え、えっ、なんで…」
間違いない。紅玉はゆづりが不死の体だと気付いている。しかし、ゆづりは紅玉に自分が死なない身であるとは一言も言っていない。
何で分かった。どうやって気づいた。
分かりやすく戸惑うゆづりを、紅玉は小馬鹿にするよう鼻で笑った。
「一般人にしちゃあ、てめぇは肝が太すぎるんだよ。普通のヤツならここにはテコでも二度と来ねぇ。よほど腕に自信があるか、死なねぇ確信があるヤツでもねぇ限りはな」
「………」
「それにあの狐娘と一緒にいたんだ。てめぇも神の関係者と見た方が普通だろ」
勘と論理が混ざったような紅玉の説明に、ゆづりは呆気にとられる。
紅玉は杜撰で力仕事しか出来ない人なのかと思っていた。が、違う。この鬼、人のことをよく見ている。
しかし、自分の説を確かめる方法は、彼の性格に適って杜撰で粗雑だ。不死なのか確かめるにしても、本人に聞くとか、斬るとしても致命傷を避けた場所にするとか方法は合っただろうに、紅玉は真っ先にゆづりの頚を落とそうとしてきたのだから。
「その、私が不死じゃなかったら、頚を斬られて死んでたんですけど、そのへんは…?」
「……あー、そん時は御愁傷様だったな」
「え」
てっきりオレの考えが間違っているワケねぇだろ的な、確固とした態度を確認できると思っていたのに、紅玉は言われて気づきましたというような顔をすると、気まずそうにボリボリと頭を掻く。
どうやらそこまで確証していたわけではないらしい。それなのによくもまあ、即死するであろう首を狙えたものだ。
「まぁ、実際は死んでねぇんだからいいだろ」
「…………」
紅玉はこれで話は終わりだと乱暴に区切りをつける。ゆづりは当然納得など出来なかった。が、だからといって、彼に言って欲しいこと、言いたいこともなかったため無言を貫く。
代わりに、これからどうするのかと紅玉の意図を汲み取るような視線を送っていれば、彼は唐突に窓を開け放ち、桟の上に飛び乗った。
「ついてこい」
「え」
「三度は言わねぇ。ついてこい」
ゆづりは紅玉についていく必要があるらしい。
急に何を言っているんですかとか、地球人は二階の窓から飛び降りて外には出ないんだよとか、外は土砂降りなのに傘は何処だよとか、文句をつけるところは多々あった。
しかし、紅玉はいずれの話も聞くつもりはないようで、こちらを見ることもなく窓から飛び降りる。
嘘だろとゆづりが窓に駆け寄り地上を見下ろせば、紅玉はすでに歩いており、どんどん家から離れていっていた。
「なんなんだよ、もう」
ワケが分からない。身勝手過ぎてついていけない。
しかし、このままでは置いていかれると焦ったゆづりは、素早く靴下を脱いでポケットにしまうと、紅玉の後を追うよう窓の外に身を投げていた。
二階から飛び降りる程度では、恐怖心も躊躇いも生まれてこない。ゆづりはここに来るまでに四階から飛び下りているのだから。
「はは、イカれてるでしょもう…」
二階から落下し、地面にうつ伏せで倒れていたゆづりは、歩いていたらちょっとよろめいて転びました、というような軽いノリで起き上がると、こちらを待つ気などさらさらなさそうな紅玉の隣を目指し歩き出す。
今のゆづりは傘を差さしていないどころか、靴も履いてない。だから暴力的な雨と風をもろに浴びて、髪も服もしっちゃかめっちゃかになっているのだが、今さら気にしてもどうにもならない。
ゆづりは何もかもを捨てて、紅玉の隣に並んだ。
「ちょっ、待っ……紅玉!」
「なんだ」
「こ、これからどこ行くんですか?」
「狐娘の場所だ。さっき場所割ったから突入できる」
「は、はぁ……。あの、一応言っておきますけど、私は貴方みたいに殴り合いとかは出来ないですよ」
「ふん。ハナから戦力になるとは期待してねぇよ」
「じゃあ何をさせるつもりなんですか。囮とかですか」
「まぁ、そんなもん」
紅玉は説明が面倒だというように話を曖昧に終わらせる。が、ゆづりはまだ何も理解出来ていない。竜と戦う紅玉を遠くから応援でもしてればいいのだろうか。
じっと紅玉の横顔を見つめていれば、それも気にくわなかったらしい。そんな目をするなと一言睨むと、億劫そうに口を開き始めた。
「てめぇも不死、あの狐娘も不死だろ。それを使うんだよ」
「……あぁ、なるほど。爆弾を持って敵に突っ込んで自爆すればいいんですね」
「はぁ?テメェ、頭のネジぶっ飛んでんのかよ。そんな危ないことさせるわけねぇだろ」
ゆづりがきちんと頭を使って出した答えを、紅玉は真っ向から否定してきた。それだけには留まらず、何か化け物でも見るかのような、得体のしれないものに向ける目も送ってきた。
一応、ゆづりの答えは地球で実際に使われた戦法なのだが、彼の反応を見るに不正解だったらしい。なら、他の戦法を考えるかと頭を捻っているゆづりに、紅玉は呆れたようにヒントをくれた。
「神は死なない。てめぇも死なない。じゃあ、なんだ」
「じゃあ、って言われても」
「ほら、てめぇとあの狐娘は同じ体を持ってるだろうが」
「………まさか」
一つの策がゆづりの頭に浮かぶ。しかし、それはあまりにも現実離れしていて、馬鹿けていて、突飛なものだ。
ゆづりはたまらず視線で紅玉に問う。正気かと。
すると、紅玉はそうだと言うように、白い歯を見せつけて笑った。
「てめぇが本当の土獣星の神を名乗れ。そんで、この盤面をひっくり返す」
ゆづりがいすずに成り代わって土獣星の神こと『継承者』を演じろという、無茶苦茶な案を。