二十一話 おかえり
ゆづりがツキとの協力関係を結んですぐ、ツキは傘をゆづりに差し出した。上品な紅の上に、桜のような薄桃色の小花が咲いている古風な番傘だ。
あまり見慣れない傘にゆづりが感嘆している間に、ツキは素早く傘を広げ鳥居の前で振り返る。
「ついてきて。とりあえずあの家に行きましょう」
あの家というのはツキやカケルとご飯を食べた場所だろう。特に不満もない場所なので、ゆづりは傘を広げると素直にツキの後ろをついていく。
「いすず、大丈夫かな……」
雨は日本では滅多に見られないレベルで土砂降りだ。加えて、雷もたびたび鳴っている。現在、空にいるといういすずへの心配は増すばかり。
「平気よ。これから、どうにでもなるわ」
「ほ、本当?」
「えぇ。もちろん」
ツキはゆづりを安心させるよう微笑む。しかし、ゆづりの不安はほどけない。
だって具体的に、ツキがこれからどうやっていすずを奪還するつもりなのか読めないのだ。
失礼かもしれないが、彼女に敵を殲滅する力があるようにも、この状況を変えるリーダーシップがあるとも思えない。
もしかして、紅玉に頼ればどうにでもなると踏んでいるのだろうか。確かに武道面では彼は力がありそうだが、そもそも紅玉がゆづりに協力するのかすら怪しいというのに。
「……というか、協力するっていっても私は何すればいいんだ……?」
ツキやカケル、紅玉の三人は、いすずを取り返すために戦える。
しかし、ゆづりが彼らに提示出来るものは何もない。戦闘なんて全く出来ないし、この星の情報も対して持ってない。
今のゆづりは驚くほどなんも出来ない、ただの異星人。よく考えたらツキ側になんの利益ももたらさない協力者だ。
結論として自分の無能さを自覚し困惑するゆづりに、ツキはふふと小さく声を漏らして笑つ。
「そうねぇ。じゃあ家事でもやってもらおうかしら」
「えっ」
「お料理とか洗濯とか掃除とか。色々大変だからね」
「そ、そんなので……?」
勿論、料理も洗濯も面倒で大変なのは、ゆづりも身をもって知っているが、相手は命をかけて戦っているのだ。これを踏まえると些かゆづりの負担が軽い気がする。
正気かと問うゆづりの視線に、ツキは冗談よと口を着物の裾で隠して笑った。
「あのね。本当は協力なんてどうでもいいの。ゆづりといれればそれでいいから」
「えっ?」
「一緒にいれて楽しかったから、隣でまた過ごしたいってことよ」
何気ない様子で、ゆづりをどぎまぎさせるような言葉を紡ぐツキ。ゆづりは何でこんなことを言われるのか理解できず、呆気にとられてしまう。
だが、不思議そうな顔をしたツキが此方を見上げたのを認識すると、すぐに笑ってありがとうと返した。
ツキは土獣星の人間。どんな人を必要とするかの判断基準が地球の人間とは違うのだろう。そうじゃないと意味が分からない。
こんな自分と一緒にいたいと思う人間など、存在しないのだから。
「ゆづり?」
「…ごめん、なんでもない」
「そう?」
色々面倒なことを思い出して顔を歪めるゆづりを、ツキは下から覗き込んだ。その表情には心配が表だって描かれていて、全く邪気などないのだと分かる。
それでも芳しくないゆづりの顔を見て、ツキはどうやらゆづりがいすずの身を案じているのだと理解したらしい。彼女はあの娘のことなら平気だと微笑んだ。
「今、いすず様のことは紅玉様が探しているから、もしかしたら、もう戻っているのかもしれないわよ」
「えっ」
「あくまで希望よ。ただそれがあり得るくらい、紅玉様は強いから安心して頂戴ね」
どれだけ紅玉は強いのだ。
ゆづりは、いすずがすでに帰って来ているという微かな期待に、そわそわと落ち着きなく足を回す。すると、ツキも急ぎましょうとゆづりの手を掴んで駆け足で道を駆けていった。
そのまませかせかと足を進めていれば、目の前には見覚えのある一軒家が立ち塞がった。昨日、ツキとカケルに出会った、あの家だ。
「ただいま」
ツキがガラガラと古風な音を立てて、玄関を開ける。すると、遠くからドタバタと何が駆け寄ってくる音が聞こえた。
「おかえりー!ってあれ、ゆづりも!」
「カケル…」
迎えに出てきたのは予想通りカケルだった。相変わらず屈託のない笑顔で尻尾を降っている。どうやら廊下の雑巾がけでもしていたのか、手には布が握られていた。
「おかえり!」
「うん、ただいま」
天真爛漫なカケルの笑みに、ゆづりはつられて微笑む。そして、伸ばされた掌に自分の手を合わせた。
「カケル。紅玉様は帰ってきてる?」
「ううん。まだ帰ってきてないよ!」
「あらそう…ごめんね。まだみたいだわ」
「いえいえ…。そんな簡単に戻せるとは思っていませんから」
いすずはまだ取り返せていないようだ。
残念だが、竜族とかいう化け物から、一人の少女を取り返すのなんてホイホイといくわけがない。時間がかかって当然だ。
ツキは紅玉様が帰ってくるまで家にいてと、居間へとゆづりを導く。そして、湯気の立っているお茶と茶菓子を机に乗せると、部屋を出ていった。
こんな客人のような対応をされてていいのだろうか。ゆづりは遠慮から出されたものに手を出せないまま、落ち着きなく部屋を見渡す。
すると、さっと襖が開いて、ひょこりとカケルが顔を覗かした。
「ゆづり、ひま?」
「うん。どうしたの」
「一緒に掃除しよ!ボク一階、ゆづり二階!」
「わかった」
ゆづりは素早く立ち上がる。ここで待っていても落ち着かないから、仕事が貰えてよかった。
さっさと部屋を出ようとするゆづり。しかし、カケルは待ってとゆづりの腕を掴む。そして、反対の手で机の上を指差した。
「あれ、食べないの?めっちゃ美味しいよ?」
「…じゃあ頂きます」
ここまで言われたのなら、食べない方が失礼だろう。
ゆづりは再び座布団に尻を戻すと、紅葉の形をした茶菓子に手をつける。かなり高級そうなものだ。表面に銘柄を示す判が押されている。
こんないいものゆづりが食べていいのだろうか。なんだか申し訳ない。茶菓子の前で葛藤していれば、カケルがこちらをじっと見ていることに気付いた。
「あげる」
「わーい!」
ゆづりは逃げるように、半開きになっているカケルの口に茶菓子を突っ込む。すると、カケルは一口で食らい目を輝かせた。そして、うまうまと上機嫌に歌まで口ずさむ。
こんなに美味しそうにものを食べる人がいるんだ。ゆづりはカケルの満面の笑顔を見つつ、茶を啜る。これならあの高い茶菓子も食べられて喜んでいるだろう。いいことをした。
「うまかった!ありがとう」
「うん。私もお茶、美味しかった。ありがとう」
カケルは満足したようで、雑巾をゆづりに手渡すと部屋を出ていく。ゆづりも空になった皿と湯飲みを台所にまで運んだ後、後を追った。
「やり方は地球と同じか」
先に廊下を雑巾掛けをしていたカケル。その姿は地球での雑巾掛けと何ら変わりない。星は違えど、掃除の仕方は同じようだ。
雑巾がけなんて小学校以来だなと思いつつ、階段を一段一段拭いて登っていく。毎日掃除しているのか、汚れは少なく少し拭いただけで艶が出る。それが面白くてキラキラと光る廊下を夢中で磨いていれば、いつの間にか二階へついていた。
「あの部屋はいすずが寝てた部屋か」
雑巾を畳み直しながら二階の廊下を見渡すと、その先に一筋の光が揺れていた。どうやら空いている部屋から光源が漏れているらしい。ゆづりが吸い込まれるように部屋を覗けば、乱暴に刀やら書物やらが置かれているのが目に入った。
骨董品店さながらの雰囲気にゆづりは感嘆の声を漏らすと、そっと部屋に入る。そして、そっと放置されている本を捲ったり、刀をじっと見つめたりする。
そして、色褪せた写真集を捲っていた時、あるものを見つけた。
「この写真って…」
大きな木の前で、手を繋いでいる幼い二人の鬼の写真。
かなり昔に撮られたもののようで、相変わらず虫に食われたり、色褪せたりしている。が、片方の鬼が紅玉だということは、目付きや表情から難なく分かった。そして、もう片方が昨日見た柘榴という鬼だということもすんなり察せる。
「こんな頃から一緒にいるんだな」
ペラペラと本を捲っていれば、二人が一緒に写っている写真の多さに気付く。そして、撮られた時代の範囲も広い。三歳程度の幼少期から、二十近い青年の頃まで、二人の写真は網羅していた。
「幼馴染み…ってよりは兄弟か…?」
こうしてまじまじと写真見ていると、前見た時は気付けなかったことに目がいく。
その一つが二人の顔だ。最初見たときはパッと見で受ける印象が真反対だったからか、あまり似ているなとは思わなかった。
しかし、こうして多くの写真を見ていると、双子なのかと錯覚するほど顔たちが似ていることに気付く。紅玉の笑った顔は柘榴のような柔和な雰囲気を出しているし、反対に柘榴の真剣そうな顔は紅玉のような粗雑な印象を与えていた。
「おい、何してんだよ」
ゆづりが二人の顔を見比べていれば、背後から無愛想な声がかけられる。
聞き馴染みのある声に、ゆづりがぎょっとして振り返れば、紅玉が襖に凭れてこちらを睨んでいた。