二十話 さいかい
「おぉ、起きた」
ゆづりが目を覚ますと、目の前に紫根の髪と瑠璃の瞳があった。そして、いたずらっ子のような声と顔も間近に迫る。
言うまでもない。ゆづりの目の前にいるのはノアだ。
「おはよう。今日は随分朝早いな」
「うん。まぁ……」
いすずと別れ、一回自宅に戻った翌日の朝、ゆづりは起きてすぐ学校に向かい、ベランダから飛び降りた。
昨日はノアに無理矢理突き落とされないと中継場に行けなかったのだが、さっきは何事もなく体を外に投げ出せた。
三度目だという慣れにより恐怖が薄れたことに加え、いすずの安否が掛かっている状況だったからだろう。
それでも、かなり豪胆になったなとは思う。死なないとはいえ、四階から飛び下りているのだから。
ゆづりがズキズキ痛む頭を押さえて起き上がれば、開け放たれた扉から宇宙空間が見えた。目の前にノアがいるため疑ってはいなかったが、ちゃんと中継場に来れたらしい。
ゆづりは掛けられていた毛布を畳ながら、傍にいるノアに声をかけた。
「それで……いすずは?帰ってきてる?」
「いーや、まだ一回も帰ってきてないぞ」
「うそっ…」
てっきりいすずは中継場に帰って来ていて、平和におはようが出来ると思っていた。しかし、現実はそう甘くない。いすずはまだ土獣星で戦っているようだ。
ゆづりは顔を真っ青にするや否や、土獣星へ繋がる部屋へと走る。が、ノアに腕を掴まれて止められた。
「おい焦るなよ。儀式が始まるのは明日からだろ。それまでに助けられればセーフだ。だから、そんなに慌てるな」
「でも…」
「がむしゃらに動いたって、どうせ土獣星には行けない。冷静に道筋を描いてから行動すべきだろ」
正論でしかないノアの説得に、ゆづりは呆気に取られ、その場に立ち尽くす。
だってノアだ。いつもちゃらけた雰囲気で適当に生きてそうな男が、状況を俯瞰してて冷静沈着な言葉を吐くなんて信じられないだろう。
まさかコイツ偽物じゃないよなと、ゆづりが勘ぐる視線をノアに送れば、彼はドヤ顔で胸を張っていた。
「ふふん。俺様がこんなに冷静なのすごいだろ」
「うん。誰だよコイツって思った。でも、その顔見てやっぱりノアだって思った」
「おいどういうことだよ!」
五百年生きている神の貫禄を消して、いつもの騒がしい少年の姿に戻るノア。ゆづりはこっちの方がやりやすいなと思いつつ、話を進める。
「それで…やっぱり土獣星に戻りたいんだけど、何か方法あったりしない?」
「もちろんあるぞ」
「えっ、あるの。それなら昨日教えてくれても良かったのに…」
「時間がかかるんだよ。それに百パーセント入れる保証もない」
「なにそれ」
「それでも知りたいなら報酬をよこせ。タダ働きはごめんだからな」
「……うっわめんどくさ」
ゆづりが露骨に嫌がれば、ノアはふふんと鼻を鳴らす。
何故か知らないが、コイツは何をするにも報酬を欲しがる。創造者について教えてもらう時も、やれ動物園に行きたいだの、家に泊めてくれだの面倒くさかった。
しかし、どんな時もノアから得られた情報は満足のいくものだった。だから、今回も乗ってやろう。ノアの手の上で踊らされているようで腹は立つが。
「分かった。何が欲しいの?クッキーとか?」
「それでもいいけど、今回は家がいい」
「い、家を買ってくれってこと?」
「違う。ゆづりの家に行きたい。地球の様子をもっと見たいんだ」
「へぇ…」
どうやらノアは地球が気に入ったらしい。魔法のある星の住民からすれば、あんな夢も希望もない星は面白くて仕方ないのだろうか。
違う星の人なら価値観も当然違うのだなと実感しつつ、ゆづりはノアの報酬を承諾する。いすずを助けるためだ。家くらい入れてやる。
「よし!ついてこい」
ゆづりが頷くや否や、ノアはすぐさま立ち上がり宇宙空間部屋へと進む。そして机の上にあった缶を回収すると、迷うこともなく土獣星へとつながる部屋へ足を踏み入れた。
ノアの話通り、この部屋にいすずの姿はない。生活を送っていた痕跡もない。しんと静まり返った空気しか残っていなかった。
「お邪魔するぜ」
主のいない部屋にたじろぐゆづりに対し、ノアの神経は図太い。
彼は緩慢な動きで畳の上に腰を下ろすと、ちょっとくつろぎますかと言うように寝っ転がり始めた。
「えっ、ちょっと」
「まぁまぁ説明するから聞け。そんで座れ」
寝てないで扉を開けろと訴えるゆづりの視線を払うように、ノアは手を振る。そして指を纏めると畳を指差した。
ゆづりはノアの意図を汲み取れないまま、正座をする。そして傍でだらけているノアの顔を見下ろした。
「それで……どうするの?」
「待つ。ひたすら待つ」
「え」
「扉を閉めきるのにも、神は力を使うんだ。だから、時間が立てば力が緩んで扉の拘束が軽くなる。そうしたら、俺様が無理矢理こじ開けるよ」
「………」
ノアは任せておけと言わんばかりに、自分の胸を叩く。しかし、ゆづりははい任せますとは答えられず、曖昧な顔をしたまま固まった。
だって、やり方が姑息だろう。てっきり鍵で開けるとか、神同士の通信でいすずを説得して開けさせる、とかだと予想していた。
が、ノアが提示したのは、ルールの穴を突くような、正攻法とは到底呼びがたい方法だった。
犯罪スレスレのやり方に、ゆづりは当然躊躇いを示し、ノアをジト目で見下ろす。しかし、ノアは他に方法がないなら仕方ないだろと肩を竦める。そして、グタグタ言っててもいすずが苦しむだけだと、ゆづりの瞳を真っ直ぐに射貫いた。
「分かった。……けど、これ本当にいいの?なんか怒られたりしない?」
「平気だろ。創造者もどうせ来やしないんだから」
ノアは平然とした様子で持ってきた缶を開ける。そして、バリバリと頬張り始めた。かなり高級品なのか、こちらにまで良い香りが届いてきている。自然と涎も垂れてきた。
「ねぇ、なに食べてるの?」
「水魔星で流行ってるローズクッキーだ。ほれ」
「ありがとう」
ノアはクッキーの詰められた缶をゆづりに差し出す。ズラリと並んでいるクッキーたちは、形も名の通り薔薇を模していて綺麗だった。
ゆづりはコイツなかなか趣味のいいもの食ってるんだなと思いつつ、若緑色のものを一つ手に取る。すると触れたところからじわじわと朱色に変色していった。
「え、色が変わったよ」
「あぁ魔法だよ。それは朱だからストロベリー味だな」
「すごっ、おもしろっ」
どうやらクッキーの色が変わるだけでなく、味も変色することで分かるようになるらしい。
子供心溢れた仕掛けに、思わずゆづりの声が上ずる。さすが魔法の国のお菓子だ。見た目は言わずもがな、仕組みも面白いし、味も美味しい。完璧すぎる。
夢中でクッキーを齧るゆづりの横顔を、ノアは何故か不安そうに見つめてきていた。
「なぁ、ゆづり。本当に土獣星に行くのか」
「うん。もちろん。なんで?」
「だって行ったところでどうするんだよ。なんも出来ないだろ」
「それは行ってから考えるよ」
「……ゆづりって変なところで楽観的だな」
ゆづりが計画性皆無なことを言えば、ノアは馬鹿とシンプルな暴言を漏らす。
まぁ自ら戦争真っ只中な星に飛び込むのだ。普通に考えたら頭が正常に動かなくなったのかと疑うだろう。
ただ、ゆづりは死なないため、そこまで危ない場所に足を突っ込んでいく感覚はない。せいぜいちょっと深いプールに入ってみますかというくらいにしか思ってない。
「危なくなったらすぐ戻ってこいよ。中継場まで来てくれれば、俺様が魔法で何とかしてやるから」
「うん。分かった。ありがとう」
ゆづりは死なないため治療面でノアを頼ることはない。が、いすずが誰かに殺されかけた時には、ノアの魔法を信頼するしかない。
何か問題が起きたら中継場に戻る。それを頭に叩きいれつつ、残りのクッキーも口に入れる。その直後、不意に襖がガタガタ揺れ始めた。
「来た」
素早くノアが体を起こし、襖に手を掛ける。そして力ずくで隙間をこじ開け、こちらを振り返った。
ゆづりも即座に出来たその隙間に身を滑らせると、押し込むようにくぐった。直後、視界がブレ、生ぬるい風と共に意識が薄れていく。
「頑張れよ」
そんなノアの声が聞こえたかと思うと、今度は祭囃子に身を包まれていた。
「も、戻って来た…」
ゆづりの目の前にあるのは、真っ赤な鳥居、石畳の道、それに沿うように賑わう屋台。
いすずと土獣星に来たときと光景と全く同じだ。無事、土獣星についたらしい。
ゆづりは軽いノスタルジーに襲われつつ、動物のような耳やしっぽの生えた土獣人をぼんやりと見つめる。すると、背後から耳を指すような爆音が届いた。
花火でも上がったのか。そう、ゆづりは何気なく振り返った。が。
「えっ…」
幾つも並ぶ鳥居の向こう側に広がっているのは、これでもかというほどの殺戮と破壊だった。雨が地上を水没させるかのように降り注ぎ、その雨量に立ち向かえるほどの死体と鮮血が舞っては落ちる。微かに悲鳴やら咆哮やら絶叫やらも聞こえてきて、ゆづりの神経を削っていった。
嘘だ。昨日はここまで荒れてなかった。本当に戦場の中に舞い降りたような雰囲気ではなかったのに。
「ゆづり?」
ごちゃごちゃに混ざったゆづりの思考に一つの高い声が紛れ込む。ゆづりが無意識に振り替えれば、そこにいたのは灰色の耳を垂らした犬娘、ツキが立っていた。
「ツキ…」
「ゆづり。昨日ぶりね、会いたかったわ」
昨日のあまり印象が良くない別れを思い出し俯くゆづりに対して、ツキは友好的に駆け寄ってくる。
彼女はいすずに攻撃されても怪我はしていないようで、昨日の綺麗な姿のまま変わっていなかった。ふわふわの耳がぶつかる位近寄って来たツキに、ゆづりも会えて嬉しいと呟く。
「その、いきなりごめんなんですけど、いすず見てない?探して…」
「空上よ。竜人が拐っていったから」
「竜…」
「えぇ。空にいるでしょ。あの大きな子たちよ」
紅玉様から聞いたんだけどねと最初に加えて、ツキはゆづりが土獣星を去った後の詳細を話し始める。
いすずはゆづりが去った後、乱闘に放り込まれたこと、その際に竜族の結界が壊れて竜がそこに混入してきたこと。竜は周りを蹴散らしていすずを拉致し空に戻っていったこと。
予想以上にとんでもない状況になっているいすずに、ゆづりは呆然と荒れに荒れている空を見上げる。その中にうねうねと大きな蛇のような生き物が蠢いていた。おそらくあれが竜なのだろう。化け物にしか見えないアレと、ゆづりは立ち向かわなければならないのか。
「協力しましょう、ゆづり」
「え」
「最終的な目標は違えど、あの神を取り返したいのは同じでしょ?それに、うちらは情報と戦力がある。ゆづりを守ることだってできるわ」
それに、ここで突っ立っていたら死んでしまうわよ。
荒れ狂う世界をバックに語るツキの言葉には、説得力しかない。
ツキのいうとおりだ。ここで狼狽えていてもいすずは助けられない。何かしら動かないとこの星に来た意味はない。
いすずにとってツキたちは敵寄りの人間だろうが、敵だろうと味方だろうと使えるなら使わないといけない。
「分かった。改めてよろしくね、ツキ」
「えぇ、よろしく」
ゆづりは躊躇うことなく、差し出されたツキの手を掴む。すると、ツキはニコリと微笑み、手を握り返してくれた。