十八話 とうそう
神の座を狙うやつは多くいる。そして、その目的は色々だ。
この星を自由に操ろうとするためだとか、偉そうだからとか、最強の地位だから、とか。しかし、大半の場合メインは違う。
神になることで、その一族の力を誇示するのが目的なのだ。
前々代に竜人が神の座についたが、その時は竜族全体がこの星の覇権を取ったという。それ以前にも同様の現象は起こり、神の座を得た神の種族は地位をあげる事と等しくなった。そのため、神座剥奪の儀は一族が一丸となって取り組むものと化している。
「それで、てめぇはなんだ。やっぱ犬狼族の繁栄か?」
紅玉は折れた木刀の断面を真下で寝ている男に向ける。
男は紅玉に掛けられた術により、身動きが取れない。ただせめての反抗と言うように、忌々しいものを見る目で紅玉を見上げていた。
この男は紅玉が家に帰った時から、家の側で待機して、いすずを襲おうとした襲撃者だ。彼は犬狼族お得意の気配を隠す術を用いていた。そのため紅玉に見つかっていないと踏んでいたのだろう。
確かに術は機能していて、あの異星の娘にはちゃんと効いていた。が、紅玉には無意味だった。いつも傍に犬狼族の双子がいることと、術を克服しようと跑いた過去がものを言ったのだろう。それに。
「狼にはもう後を取りたくねぇしな」
「……なんだよ、狼に会ったことでもあるのかい?オレの前で狼が出たのはもう百年以上前のはずだが」
「あぁ。昔、最悪なタイミングでな」
「はぁ」
狼は百年に一度生まれるか生まれないかの戦闘の天才だ。ポンポン会える存在ではない。そのため、以前狼に会ったことがあるという紅玉に、狼は不審そうな顔をする。
しかし、紅玉にその疑問に答える気はさらさらない。そして。
「帰れ。そんで二度と来るな」
紅玉は狼の身を縛っていた術も解く。
当然、彼に殺されると思っていた狼は、細めていた目を大きく開け不思議そうな顔を見せた。
しかし、狼も逃げるチャンスを見逃すバカな真似しない。彼は素早く立ち上がると紅玉と距離を取る。
その間も紅玉は動かず、刺し殺すような目で狼を見つめているに納めていた。
「逃がすなんてイカれてんのか」
狼は変な鬼だと呟くと、雨で濡れた髪をガシガシ掻いて水を飛ばす。そして、紅玉との打ち合いで弾かれた刀を拾った。木刀とぶつかり合ったのに、こっちの銀刃も折れていることに狼は苦笑しながらも、紅玉を振り返った。
「お優しい鬼さんに、一言やるよ」
「なんだ」
「竜族が神を狙ってる。お前が神を目指すなら気を付けるこったな」
そのまま狼は残滓一つ残さず姿を消す。ただもう不要と言うように折れた刀はその場に置き去りにされていた。
紅玉はフンと鼻を鳴らすと、目に水が入るのも構わず上を向いく。彼の視線の先にある空は、黒い雲が多く重なって光一筋見えなかった。絵に描いたような曇天だ。
「竜ねぇ」
昔は鬼と並ぶ戦闘力があったというが、叛逆者が作った結界により威力を落とした一族。地上に干渉出来ない竜など恐れるに足らない。そう思いたいが、最近天気が荒れだしたのは事実だ。
「やっぱり結界は壊れちまうのか」
結界は争いを減らす画期的なモノだ。しかし、神座剥奪の儀の近くで一度全部壊れてしまう。これには叛逆者もかなり手を焼いていた。そして、今も頭を痛める要因になっているわけで。
「まぁ、治すのは簡単だがな」
結界は土獣星たちの血液で出来ている。量としてはヒト百人をギュッと絞って出た分くらいだ。簡単に考えるなら、紅玉がヒトを百人殺してその血を全て捧げれば難なく結界は戻る。
が、それはあまりにも倫理観が欠如しているし、何しろ争いを無くすために作ったものに対して死を与えるのは本末転倒だ。だから、叛逆者も結界を維持するために違う方法を使っていた。それが。
「神の血を使う」
現在神の座についている神を殺し、血を地面に捧げる方法。儀式が来れば、不老不死の神も血を流し、痛みに悶え、死に苦しむことができる。その時に流れた血は一滴で民何十人の絞り血と等しい効果を持っている。
過去、叛逆者も儀式が来る度、自傷して流れた血を結界に捧げていた。
が、この世に叛逆者はいない。そして、血を捧げる贄もいない。
だから紅玉の目標は、今の土獣神の『継承者』を殺し、その血を捧げることに定まっている。
「まぁ、どうとでもなるな」
紅玉は視線を下げ、折れた木刀を拾う。
周りにはもう誰もいない。いたとしても狼がこてんぱんにやられたのを見て、引き返しただろう。
もう平気だ。紅玉はしっかりとした足取りで家に戻った。そして、ツキやカケルに出迎えて貰うつもりでいたのだが。
「誰もいないのか?」
玄関に二人の姿はない。というかそもそも人の気配が全くしない。
紅玉は素早く廊下を駆け抜け、手当たり次第に襖を開ける。そして、居間へと繋がる襖に手に掛けた時、ようやく一人の姿を見つけた。
「ツキ?どうした?」
縁側に続く襖が開け放たれた先で、床に寝転んでいるツキが見える。紅玉は木刀を捨てると、畳が濡れるのも構わず走りよった。
ツキはぐったりしていて意識がない。しかし、外傷は無く、何か術を掛けられたのかと推測できた。紅玉はツキの額に触れると呪術を解除する。さして難解なものではない。どうやら相手にそこまでの殺意や敵意はないようだ。
不審に思いながら辺りを観察すれば、部屋の中に揉めた痕跡がない。どちらかというと内部からか襲われたような。まさか。
「カケル!」
紅玉は無事を確かめたいもう一人の名前を呼びながら、階段を駆け上がる。そして、神が寝ているであろう部屋に飛び込む。案の定、神の入っていた布団は脱け殻に化していた。
どうやら逃げたらしい。そういえばあの異星人の姿も見えない。
「はっ!これから面倒になるな」
カケルの返事が来ない。アイツは紅玉と同じく外で見張りをしていた。カケルも襲撃に合ったのだろう。なんにせよ、すぐに見つける必要がある。
紅玉は神を意識の範囲外におくと、カケルの姿を探しに窓から外へ飛び降りた。
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今は声をかけるべきではないと分かっている。
自分はもう中継場に戻るべきなのも分かっている。
いすずがこうして走っているのも正しいし、ツキを傷つけてでも逃げたことも正しい。全部全部正しいとは分かっている。
それでもツキを見捨てるような形で家を出てしまったことに、胸はチクリと痛んでいた。
そんな複雑な心境から躊躇いが生まれてしまっているゆづりに対して、いすずは真剣そのものだ。彼女は振り返りもしなければ声を出すこともなく、ただ前だけを見つめ、耳を立てて走っていた。
「…………」
そうだ。ゆづりは不死だが、いすずは違う。再び捕まれば今度こそ彼女の命は終わりなのだ。ぐちゃぐちゃ言っていられない。彼女の足を止めさせることは、彼女に死ねと言うのと同義だ。
ゆづりは一回だけため息を吐く。そこで頭を支配している面倒な考えは捨てた。そして、いすずの足を引っ張らないことのみに頭を切り替える。
「………」
二人が木の葉を踏み締める音だけがひたすら響く。
どれくらい走ったのかは知らない。ただ足の感覚が無くなり、口の中いっぱいに鉄の味が広がるくらいには走った。
その効果あってか、進行方向の先に赤い鳥居の頭が見えてきた。もうゴールは近い。このまま死力を尽くして走りきろう。いすずも同じことを思ったのか、少しスピードを上げる。そして、しばらく走った後、ようやく長く高い石段が前に並んだ。
その直後。
「見つけた、神だ!」
石段を数段登った先にいた、背中に羽の生えた男が目を見開いてこちらを見た。そして、石段を振動で壊す気なのかと言わしめるほどの大声でいすずの名前を呼ぶ。
ゆづりはその大声と見つかってしまったという危機感から、一瞬足を止めてしまった。しかし、いすずは止まらない。さっとゆづりを脇に抱えると、一気に階段を駆け上がった。
いすずの足取りは羽が生えているかのように軽く、そして風と同じくらい速い。ゆづりの体重は四十キロ近くあるのだが、それをものともしないスピードで駆けていく。
どこから力が出ているのだろう。そんなことを思っている間に、あの男の前を通り過ぎていた。そして、石段も気付けば全部登りきっていた。
「は、はやっ」
化け物だ。こんな華奢な娘がどうやって神になったのか疑問に思っていたが、ゆづりを軽々と持ち上げ、風のようなスピードで駆け抜けられるスペックがあるなら当然だなという気すら起きる。
「神だ。ソイツ、神だ!」
狛犬を過ぎた辺りでもう一度、鳥族の男の声が背後から響く。しつこいなとゆづりが振り返れば、男は空中に留まり、背中の羽を揺らしていた。そして、彼の足元では。
「殺せ」「殺せ」「殺せ」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」
耳を刺す怒号が鳴り響き、異常なまでにこちらを向いた瞳が並ぶ。
通りすがった人、屋台を見ていた人、立ち止まって立ち話をしていた人。神社にいる土獣人すべての目がこちらを向いている。その目には敵意敵意敵意敵意……敵意しかない。そして、その敵意は目だけには収まらず、怒号や絶叫に代わり、最終的には襲撃という形でいすずに迫った。
「…………」
それでもいすずは止まらない。まるで宙に足場でもあるかのように、人混みの上を跳躍してすり抜け、社に突っ込む。
そのまま無事に帰還できる。そうゆづりがどんどん大きくなる社にほっと息をついた直後。
「え」
不意にいすずがゆづりの手を離した。
ふわりと宙に浮くゆづりの体。まるで世界の時が止まったように、何もかもが遅く見える。だから、いすずが反対の手でゆづりの背中を押したのも、ありありと見えた。
そして、いすずの背中に数多の手が伸ばされていたのも、はっきりと見えてしまう。
「待っ……!」
社に雪崩れ込むように吸い込まれていくゆづり。その目の前で、多くの土獣人たちの群れに呑まれていくいすず。
体は全く動かせない。しかし、頭だけは笑えるほどグルグル回った。
だからだろう。いすずが自分を犠牲にしてでも、ゆづりを中継場に返してくれたのだと、すぐに分かった。このままだといすずは拐われ、命の危機に陥る未来も察してしまった。
ゆづりは咄嗟にいすずに手を伸ばした。しかし、何も掴めない。ゆづりの手は虚空を掠めて、喉からは情けない声が漏れて。
気付いたときには、ゆづりの意識は消えていた。