十六話 あめ
ゆづりとはぐれてしまったいすずは、中継場の示した場所へ降り、ゆづりの姿を探していた。
しかし、ゆづりがいると装置が示していた洞穴の中に、すでに人の気配はなかった。残っているのは汁の入った丼や毛布、手錠などの無機物だけ。
どうやら、誘拐犯は既に場所を移したらしい。まだ毛布に人の温度が感じられるため、つい最近まではいたのだろう。
「………」
いすずはもう一度中継場へ戻って、ゆづりの居場所を確認しようと足を進める。しかし、数歩進んだところで足を止めた。
襲ってくる人間を追っ払って中継場に戻り、ゆづりの居場所を特定する。その後、再び星に戻って、またも襲い来る人間をあしらいつつ、特定した居場所へ赴く。
どう考えても効率が悪い。誘拐犯とゆづりのいたちごっこになる気がする。
なら、この星に留まったまま、ゆづりの痕跡を探して特定していった方が、早く見つけられるだろう。
「…………」
それに、いすずはゆづりを見つけることだけに手を取られている訳には行かない。
いすずは神として、結界の修復の準備も進める必要があるのだ。
叛逆者の遺産の一つである結界は、種族の領地を平等に分け、他種族同士の干渉を一切遮断している。
顔を見れば理由も何もなく戦争をおっ始める土獣人にとっては、結界は革命的な平和装置だが難点もある。
その一つが儀式の日付近になったら、全壊してしまうということだ。どう足掻いても対策しても、儀式付近になると結界は必ず壊れる。だから、壊れた瞬間すぐに修復に入れるよう、いすずは準備をしないといけない。
「………」
現在最初に壊れそうな結界は、不幸にも鬼族と並ぶ戦闘力を誇る竜族の近くのものだ。
竜は古き時代、空を翔けて天気を操り、地上を荒らし回ったため、空上の天災と呼ばれ恐れられている。
竜は結界が壊れればすぐさま領地から出て、人を遊戯のように殺し歩き、死体の山を作るに違いない。
間違いなく、この星に辛うじて残っている平和を否定し、戦火を振り撒く。
「………」
儀式まではまだ時間がある。ゆづりが拐われたのは、おそらくいすずに降伏を強要するためだから、ゆづりの方は儀式が始まってからが本番だ。それまでは少し猶予がある。その間に、いすずは手早く結界の修復に向かおう。
今後の方針を定めたいすずはくるりと踵を返す。そして、薄暗い洞窟から脱出しようとして。
「……っ!」
いすずの頭上から風を切る音が聞こえた。直後、いすずの目をチカリて鈍い光が刺激する。そして同時に、身を震わせるほどの殺意を浴びた。
襲撃だ。
いすずは一気に後ろへ跳躍すると、背中を壁にくっつける。背後を取られたら死ぬという本能が、彼女の体に染み付いているのだ。
いすずがシャアと威嚇するように鳴き、襲撃者を睨み付ければ、相手はしゃがんだままこちらに首を傾けていた。
その手には刀が握られており、銀色の刃がチラチラ光っている。黒いフードを被り、骨格も隠されていて何族なのかは読み取れない。ただ、強者であるということはひしひし感じられた。
「……っ」
いすずは爪を尖らせると、敵意を込めて相手に向ける。殺す気はない。ただ怯んで退いてくれることを祈っているだけ。
しかし、襲撃を仕掛けてくる輩にそんなものが通じるわけがない。相手はノータイムでいすずへと突っ込むと、バンと刀を振り上げた。
「…!」
柄頭で額を横から殴られ、いすずは跳ね飛ぶ。刀身は避けた。それなのに逃げきれてない。まさか力が落ちているのか。
いすずはすぐさま反撃の選択を消すと、逃げることのみ徹す。大きく左に逸れながら前に直進し、洞穴から離脱。そして、すぐさま翻し、後ろ歩きのまま相手と距離を取る。
いすずは小柄故、逃げ足は早い。それに加え、姿を隠す術も使えば相手が彼女に追いつけるわけはない。
「……チッ、消したな」
案の定、相手はいすずを見失ったようで、全く違う方向に走り去っていく。
いすずはその姿を見届けると、自分の手を見下ろす。そこには変わらず何かを守るには小さすぎる手があった。
いすずは戦闘は苦手だ。でも、あんな連中をねじ伏せるくらいの実力はあった。そのはずなのに、力が上手く入らない。
「…………」
理由は分かっている。星の命運が自分にかかっているという重圧、失敗したら多くの弱者の命が踏みつぶられるという責任。
そして何より、数日後誰かに殺されるかもしれないという不安。
これらの感情が、いすずを縛って震わせているのだ。
「……」
おそらく、いすずは今回の儀式を乗り越えることはできないだろう。
今、いすずがこうして生きていられるのは不死の身だからで、それがなかったらもう百回は死んでいる。
だから、儀式が始まれば一刻と経たず、いすずは誰かに殺されるだろう。
それはもういい。死ぬのは構わない。未練もなければやりたいこともない。本当なら寿命で三十年前には消えていた命だ。惜しくもない。
だが、神としての仕事は放棄しない。結界はどんな手を使ってでも継続させる。戦争だらけの土獣星を変える、唯一の平和の遺産なのだから。
自分は死んでも結界は守る。そう、覚悟は決めていたはずなのに。
「……っ…」
今もいすずの手はガタガタ震えている。
無理だ。死ぬことに何も思わないなんて、ムリだ。
死にたくない。生きていたい。痛い思いをしたくない。辛い、さみしい、こわい、しにたくない。
「おい」
いすずの悲痛な叫びを斬るよう、一人の鬼がいすずへ木刀を向けていた。
****
その時同じくして。ゆづりはというと。
「わー!雨が強くなってきた!」
「カケル。奥の方から片付けよう」
「あいあいさー!」
急遽降ってきた雨から洗濯物を守るため、カケルと一緒に庭で奮闘していた。
なんでゆづりが庭にいるのだ、料理はどうしたという話だろうが、これは簡単なことだ。ゆづりはいくらツキに料理のコツを教わっても、料理の腕が上達しなかったため、降板させられた。
そして代わりに課された仕事が、不意に降り始めた雨から洗濯物を守れという依頼だったという顛末である。
「喰らえ、紅玉様の着物殴り!」
「ちょ、ちょっと!」
カケルと一緒に洗濯物を取り込む仕事なのだが、彼はあまり役にたたない。
彼は家事を普段やっていないのか、はたまた性格が原因なのか、洗濯物を放ったらかして水溜まりでぴょんぴょん跳ねてははしゃぐだけだから。
故に、ゆづりと雨の一騎討ちになるわけだが、ゆづりには多くの洗濯物を捌く実力はない。またもゆづりが悪戦苦闘していると、後ろからツキが様子を見に来ていた。
「お疲れ様。洗濯物は大丈夫かしら」
「無事!全部無事!」
「いや、カケルは何もしてなかったじゃない」
「うん!そうだよ!」
カケルが鬼の大きな服を被って、服の山から顔を出す。ゆづりも最後の衣服を廊下に下ろすと、ツキに確認してくれと目配せをした。ツキはざっと確認すると、大丈夫ねと呟く。セーフだったらしい。
「ゆづり。ありがとう。適当に置いといてくれればいいわ。先にご飯を食べましょう」
「はい」
「よっしゃあ!」
ツキに促されるまま、二人は座敷を離れお茶の間に向かう。すると、完成した料理で多い尽くされているちゃぶ台が目に入った。
肉じゃがに味噌汁、唐揚げにきんぴらごぼう、中央には白米が山ほど入った大きな釜。どれも出来立てで湯気が立ち、食欲をそそる香りを放っている。
ゆづりが感嘆の声を上げる横で、カケルが料理へ一直線に飛び込んだ。そして箸を掴むと、手を合わせる。
「いただっきまーす!」
「いただきます」
ゆづりも一礼して箸を掴み、まず肉じゃがが入っている小皿を手に取った。そして、ぱくりと一口食べる。その瞬間、美味しいと口から感想が溢れていた。
「すっごい美味しいです。今までで一番美味しいです」
「そう?それなら、よかった」
ゆづりが素直に感想を述べると、ツキは嬉しそうに微笑む。
「紅玉様が私を拾ってくれたときに、役に立ちたいと決めたの。それでお料理を頑張ったのよ」
「ボクは戦い!紅玉様には劣るけど、ボクも強い!」
「へぇ。二人ともすごいですね」
拾われたということは二人とも孤児だったりするのだろうか。
よく考えれば、紅玉は鬼でツキとカケルは犬で種族が違う。土獣星では違う種族同士はよく喧嘩すると聞いているのだが、三人のような例外はあるらしい。
「そういえば、まだ紅玉は帰ってきてませんけど、いつ帰ってくるんですか?」
「もうすぐだと思うわ。あの人、気まぐれだから」
「雨酷いから、じきに帰ってくるよ!」
カケルは釜からご飯を掬い、空っぽのお茶碗に積み上げる。
何気なくカケルの前の皿を見れば、もう全部食べたらしくすっからかんになっていた。食事開始三分で起こった出来事に、ゆづりは手を止めてカケルをガン見してしまう。
ちょうどその時、ガラガラとドアが引き開けられる音が部屋の外から聞こえてきた。そしてドシドシ家に上がる音もする。紅玉が帰ってきたのだろう。なかなかいいタイミングだ。
「あっ、帰ってきた!」
「紅玉様!」
二人も気付いたのだろう、ピクリと耳を揺らすとそれぞれ動き出した。
真っ先にカケルが箸を机に投げ捨て、さっさと部屋を出ていく。そして意外なことに、ツキもパッと表情を変えて、子犬のように玄関へと駆けていった。
「………私も行ったほうがいいのか…」
ゆづりは一人で黙々と食事を進める気にはならず、義務感で立ち上がった。なんでわざわざあの鬼を迎えに行かないと行けないんだと、当然の思いが足を引っ張ったが、気合いで玄関に移動する。
ゆづりの視線の先では、カケルとツキがおかえりなさいと、紅玉を囲んでいる。ゆづりもそろそろ近付いて、おかえりと言ってやるかと紅玉を見れば。
「いすず?!」
ここにいる誰よりも大きい声が、ゆづりの口から漏れた。
紅玉の腕の中に、狐娘の姿がある。大きな黄金色の耳、身を覆うほどの九つのしっぽ、泥と雨にまみれた絢爛な着物。顔はこっちを向いていないため見えないが、いすずと分かるには十分だった。
ゆづりが駆け寄ろうとすれば、隣にいたツキが制すように手を出す。
「ツキ…!」
「勘違いしないで」
ゆづりは怒りを込めてツキを睨むも、彼女はものともしない。圧倒的な握力でゆづりを掴み寄せると、そのまま己の胸元に迎え入れた。
なんで邪魔するんだと抵抗しようとした際に、ゆづりは己の手が目に入れる。そして、一緒にカケルに渡されたブレスレットも再び認識することになる。
「……ちくしょう」
そうだ、あくまでゆづりは捕まってる身なのだ。悔しいが、ここで暴れても、一介の人間であるゆづりに勝ち目なんてあるわけがない。ゆづりは不満げにしつつも、引き下がるしかなかった。
「紅玉様!その娘は?」
「寝てたから拾ってきた。ラッキーだろ?」
「はい!流石紅玉様!」
カケルは一通り紅玉を崇めた後、いすずの耳に触れる。いすずは意識が無いのか、ピクリとも動かなかった。
まさか死んでいる、なんてことは。さっと不安で青ざめたゆづりの顔を見たのか、ツキは幼子を諭すような声で、生きているわと囁く。神座剥奪の儀が始まるまでは何があっても死なないから、と。
「カケル、コイツを部屋に閉じ込めておけ」
「了解でーす!」
カケルはひょいといすずを担ぐと、階段を上って二階へと消えていく。ゆづりは追いかけようとしたが、ツキに腕を捕まれていてはどうしようもなかった。
「いすず…」
「おい、そんな顔すんなよ。生きてんだからよ」
「紅玉…!」
「なんだよ。雨に濡れてた所を拾ってやって来たんだぞ。むしろ、オレに感謝するべきだろ、てめぇは」
紅玉はうるさいと言わんばかりの眼光でゆづりを一瞥する。その目にゆづりは怯み、口を閉じた。すると紅玉はそれでいいと言わんばかりに鼻を鳴らし、階段を登っていく。
「大丈夫よ。しばらくしたら会いに行けるわ」
シンと静まり帰った玄関。ゆづりがやるせない気持ちで突っ立っていれば、ツキが掴んでいた手を離した。が、逃げたり追いかけたりする気は出てこない。紅玉に怒鳴られて終わりそうだなと、諦めてしまった。
それでも抵抗の意思が消えているわけではない。だからだろう、そんなことしたってどうしようもないのに、ツキへ恨み言を吐いていた。
「……私は今、いすずと会いたかったのに…」
「それはダメよ。お互いにね」
「お互い……?それ、どういう意味ですか」
「そのまんまよ。今のあの子には血がついているから」
「……?」
いすずに血がついているからなんだ。あの血はいすずのものではなく、襲ってきたヤツらのもの。だから、彼女に傷がついているわけではない。
まさか血が跳ねてて汚いから触れないでしょ?みたいなことを言っているわけではあるまいな。ゆづりは苛立ちからツキを目を細めて見返す。すると、ツキは予想外だというように首を傾げた。
「ゆづりみたいな土獣星以外の人は、他人の血に触ると病気になるんでしょ?昔、紅玉様がそう言っていたわ」
「……ん?」
色々訳が分からない。
ゆづりは沸々と込み上げていた怒りを全て忘れ、ただただ困惑する。それはツキも同じようで、ゆづりの反応に面食らっていた。
まず、ゆづりは血に触れただけで病気になるほど貧弱じゃない。もちろん血を舐めたり吸ったりすれば体調を崩すだろうが、少し怪我をした人に触れても大きな問題は起きない。
そこの知識の過ちも十分突っかかった。しかし、ゆづりがそれよりも気に止まったのは前半部分だ。ツキの言った、土獣星以外の人という言葉。
こんな言い方、まるでゆづりがこの星の人ではない事を知っていないと出てこないじゃなきか。
「………ツキは私が土獣星の人じゃないことに気付いてた…?」
「それはすぐに分かったわよ。貴女、地球か月祈星の人でしょう?」
「えぇ?!なんで他の星の存在を知っているんですか?」
「紅玉様が昔言ってたの。世の中には伝わってない話だけどね」
「…………」
どういうことだ。なんで紅玉が八星について、土獣星の他に星が存在することを知っているんだ。八星なんて、どう勉強しても調べても、知り得る事が出来ない情報のはずなのに。
「…………」
パッと出てきた理由は三つほど。
一つはいすずが紅玉に八星について教えたから。
しかし、まぁこれは違うだろう。険悪そうな二人が、まともに会話している場面なんて想像がつかない。いすずが紅玉に教えてやる理由もない。
二つ目は前代の叛逆者が紅玉に伝えたから。
これも答えはノーだろう。叛逆者は五十年ほど前に亡くなっているため、どう見ても二十代の紅玉と面識があるわけがない。
三つ目は昔の神が八星について記録でも残していて、それを紅玉が見たから。
一番あり得るのはこれだろう。土獣星は地球と違って神の存在が大っぴらに明かされている。地上に神が残した記録が残されていてもおかしくはない。
ゆづりは勝手に三番目の理由で違和感を拭うと、いすずを迎えに行こうとする。が、不意にあることを思い出した。
叛逆者と呼べと、紅玉がそう名乗った時のことを。
「……いや、まさか…」
四つ目の理由。
紅玉が八星について知っているのは、彼が前代土獣星の神『叛逆者』であるから。
「いや、あり得な……えっ?」
いすずは叛逆者は鬼族だと言っていた。そして、紅玉もまごうことなく鬼の血が流れた人間だ。
愚論だと片付けるには、共通点があってしまう。
「え、マジでそういうことなの……」
まさか、ゆづりの探している手記の持ち主は、すぐ傍にいたのか。
ゆづりは自分の考えを否定できずに、あっけらかんと立ちつくすしかなかった。