十五話 ふたりめのいぬ
「ちょ、えっ、いすずって…」
犬人の口から唐突に出てきた、ゆづりの同行人の名前。それに加えて襲ったという不穏なセリフ。
ゆづりは分かりやすく動揺を示すと、犬人の少年を見返す。すると、彼はゆづりが自分の言葉を聞きそびれたと思ったらしい。「いすず様に引っ掛かれちゃいました」と明るく宣言すると、生々しい傷跡を見せつけてきた。
「そ、それは分かったから…その、いすずは何処にいたんですか」
「彼岸神社!」
「彼岸神社……?」
「そー!みんな神社に集まって、いすず様のこと襲ってるよ!多分、今も!」
「えっ」
彼岸神社とは何処のことなのだろう、なんでこの少年はいすずと会ったのだろうなど、様々な疑問が少年の最後の言葉の前に全て吹き飛ぶ。
彼が云う、襲われているというのは、あのことだろう。ゆづりが土獣星に降りて直後、土獣星たちが襲撃を仕掛けてきたような、あの鮮烈な戦い。
この犬人の言うことを信じるなら、いすずは再びあんな危ないことに巻き込まれているようだ。
ゆづりがいすずの身を案じて青ざめれば、隣にいた紅玉がチッと舌打ちをする。そして、忌々しいものを見るのような尖った視線でゆづりを睨んだ。
「そんなことでいちいち動揺してんじゃねぇよ」
「そ、そんなことって……」
「そんなことなんだよ。ここ、土獣星だとな」
なんて酷い言い回しをするんだと咎めるようなゆづりの視線を、紅玉は真っ向から自前の威圧感で潰してくる。そして、ゆづりが怯んだ隙に、ネジが外れているとしか思えない土獣星の常識を叩き込んでくる。
「土獣星の神は星に降りたら、毎回命を狙われる。儀式までに三日しかなかろうが、十年近くあろうが関係ねぇ。常に殺され、襲われる存在だ。だから、神が襲われた殺された位でいちいち騒ぐんじゃねぇ。死ぬわけじゃねぇんだ。そんな小心者はここじゃやっていけねぇぞ」
「…………」
暴論だ。神は襲われるのが常だから、殺された程度で悲しむな騒ぐなんて、人間としておかしいとは思う。
しかし、ゆづりは紅玉に反論はしない。
だって、その淡白な態度が土獣星の常識なんだと言われてしまえば、何も言えないだろう。星が違い、文化が違い、考え方が違うのだから。
仮に、ここでゆづりが紅玉に何を訴えたところで、土獣人に蔓延る伝統や考え方が変わるわけでもない。いすずが戻ってくるわけでもない。ゆづりが逃げ出せるわけでもない。
何をしようと無駄なのだ。ゆづりは無言を貫いて引き下がるしかあるまい。
紅玉は何も言ってこないゆづりに気を直したらしい。彼はそれ以上は何も言わずに、改めて犬人へ向き合った。
「で、なんでてめぇは狐に手ぇ出したんだ?てめぇじゃ勝てねぇぞ」
「うっ…その、紅玉様が喜ぶかなって…」
鬼に見つめられた犬は、きまり悪そうに身を捩る。それと一緒に上機嫌に上がっていた尻尾もしなしな下がっていった。感情と尻尾が直結しているようだ。素直に動いている。
あからさまに落ち込んだ様子を見せる犬に対して、紅玉はバカと罵ると額にデコピンを叩き込んだ。鬼の太い指で叩かれたら痛いだろうなとゆづりは見守っていたが、威力はそこまでのようだ。一回コンと可愛らしい音が鳴っただけで済んでいた。
「後でちゃんとツキに見て貰えよ」
「はい!」
犬人は紅玉に打たれた額に手をやると、大きく首を縦に振る。その時に再び尻尾が上がり、嬉しそうに揺れていた。何故喜んでいるのかは知らない。
「カケル」
「はい!」
「あともう一つ、頼みたいことがある」
紅玉はじろりとゆづりへ視線を移す。その目にゆづりが何事だと身構えれば、彼は乱暴にゆづりの腕を掴む。そして、ドンと勢いをつけて犬人の方へゆづりの体を投げ飛ばした。
「うぉ?!」
「おぉ?!紅玉様?」
紅玉の作った流れのまま、犬人へぶつかったゆづりの体は派手な音を立てて床に転がる。そして、犬人もゆづりを受け止める力はないのか、それとも不意に来たため対応出来なかったのか、一緒に地面に転がった。
「オレはしばらくここを離れる。だから、コイツを家に持ち帰れ」
しかし、紅玉はゆづりとカケル、どちらのことも気にすることはない。泰然とした様子でカケルに指示を出すと、踵を返して離れていく。
「えっ、待って紅玉様!何処に行くんですか!」
「外。すぐに帰る」
「分かりました!」
犬人は突然の命令に即座に反応し、元気よく手を上がる。
一方、今だ地面に倒れたままのゆづりは、ここでようやく紅玉の言葉を咀嚼し、信じられないと口を半開きにさせた。
「え、マジで……」
ゆづりは今、鬼たちの人質だ。それなのに、紅玉はゆづりを放置してどっかに行くと宣言している。
こんなの、ゆづりが逃げる絶好のチャンスだろう。好機がようやく巡ってきたようた。
「あぁそうだ」
ゆづりがラッキーと心の中だけで呟き、ニヨニヨと頬を緩ませていれば、不意に紅玉がこちらを振り返る。そして、ピシャリと低い声で牽制してきた。
「一応言っておくが、逃げるなよ。てめぇなんぞ捕まえるのは簡単だからな」
血に染まった紅玉の瞳が、喜ぶゆづりの心を抉る。ゆづりは彼の圧倒的な圧に負け、コクコクと頷くしかなかった。
「じゃ、任せた」
「はい!ご達者で!」
紅玉はゆづりに恐怖心を受け付けると満足したらしい。ざっと地面を蹴り背中を向けると、森の中へ消えていった。
「っことで、これからよろしく!」
ゆづりがその場から動けぬまま、犬人が手を差し伸べてくる。しかし、警戒心からゆづりが手を掴めずにいれば、犬人は自分からゆづりの腕を掴むと引っ張り上げた。
「家に案内するから、ついてきてね!」
「は、はぁ……」
「あっ、そういえば、まだ自己紹介なかった。ボクの名前はカケル!よろしく!」
「えっ?あ……ど、どうも、佐々木ゆづりです…」
「ゆづり。いいお名前ですね、きれい!」
「あ、ありがとうございます…?」
カケルは一方的に喋りきって笑顔を見せると、どうぞどうぞと云わんばかりにゆづりの手を引いていく。
ゆづりは何でこの子はこんなに親しげなのかと若干引きつつ、大人しく引っ張られていった。
「あの狐さんのこと心配?」
「え、まぁ心配だよ。何処で何してるのかも分かってないし…」
「平気だよ!儀式はまだ始まってない、取られても取り返せるから!」
「…そ、そうなんだ……」
「うんうん!」
「は、はぁ」
本当に馴れ馴れしい。この少年はゆづりが敵だということを分かっているのだろうか。
策略も悪意も微塵もないカケルの笑顔に、ゆづりの心中に貯まっていた敵意やら憎悪やらが霧消していく。それと同じく、ピンと張り詰めていた警戒心もゆっくりとほどけていった。
機関銃に投げ受けられるカケルとの会話を続け、道と呼べるのか分からないような小道を通り抜けること数分。
ゆづりの目の前には小さな一軒家が建っていた。
「とうちゃーく!」
どうやらここが目的地らしい。カケルが急ブレーキを駆けたように足を止めた。そして、ゆづりの手を解放すると、引き戸に手を伸ばしバンと開け放つ。
「ただまー!」
「…おかえり」
カケルは下駄を脱ぎ捨てると、たったたったと裸足で廊下を駆けていく。返事があったことから、奥に誰か居るのだろう。
おそらくカケルはその人を呼びに行ったのだろうが、捕虜であるゆづりを放っておくのは無用心だ。まぁ、紅玉に釘を刺された手前、逃げる気はないが。
ゆづりは自分も家に入っていいのだろうかと悩みながら、廊下に飾ってある絵をぼんやり見つめている。すると、しばらくしてカケルが玄関へ戻ってきた。
「ゆづりも入って!」
「……はい、お邪魔します」
なんだか捕まりに来たと言うより、友達の家に遊びに来た雰囲気だ。ゆづりはこれでいいのかと不安になりつつ、素直に家に上がる。
ピカピカと光沢を発している廊下をペタペタと踏んで進んでいけば、突き当たりの襖の奥から賑やかな声が聞こえた。
ゆづりは様子を伺うように少し襖を引くと、中の様子を覗く。すると、反対側からカバリと全開にさせられ、ゆづりは倒れるように部屋へ入り込んでしまった。
「ツキ!この子だよ!」
「あら」
うつ伏せに倒れたゆづりを越すように、二つの声が飛ぶ。ゆづりが居心地悪く立ち上がれば、カケルの隣に同じく犬族であろう少女が立っていた。
「はじめまして。ウチはツキ。カケルの双子の姉よ」
犬族の少女、ツキははんなりと頭を下げ上品に微笑む。
彼女の髪色や目の色、顔立ちは、驚くほどカケルにそっくりだ。双子なんだろうなと言われなくとも分かるくらいには、ありありと血の繋がりが見える。
しかし、雰囲気は全く違う。カケルが元気いっぱいのポメラニアンに例えるなら、ツキは凛と澄ましているシェパードだろう。それくらい相反したイメージを沸かせる。
「貴女のお名前は?」
「ゆ、ゆづり……」
「ありがとう。いい名前ね、きれい」
「………」
ゆづりの名前に対して、ツキもカケルと同じような感想を述べる。流石双子といったところだろうか。
「ゆづり!」
ゆづりがじっとツキを観察していれば、背後から背中を叩かれた。何だよと恨めしく振り返るゆづりの目の前、カケルがニコニコと微笑んでいる。
「な、なに…?」
「あげる!」
カケルがゆづりの上から小さな手を差し出す。彼の手にはブレスレットのような紐が乗っていた。ゆづりはなんだこれと警戒しつつも、受け取る。
「これ、なに?」
「発信器!一応捕虜だからね」
「……なるほど」
「あっ、首輪もあるけどそっちがいい?」
「いやこれでいいです。こっちがいいです」
まじまじとブレスレットを見つめていたゆづりを見て、カケルは気に入らないと思ったらしい。健気に首輪を持ち出してきた。
なんの変哲もないただの犬の首輪。流石にそれを着けるのは嫌だった為、ゆづりは素早く腕にブレスレットを通す。
改めて見ると、なかなか装飾が細かくて綺麗なブレスレットだ。
ゆづりは装飾品などに微塵も興味はないが、貰ったら素直にありがとうと心から思えるくらいには綺麗で洒落ている。発信器と言われなかったら、おしゃれで着けている人もいるかもしれない。
「ゆづりの部屋はあっちよ。好きに過ごしていて」
「はい、ありがとうございます……?」
ツキは鶴が描かれた襖を開け、ゆづりを招待する。
部屋の中には木で出来た机と座椅子、そして、けん玉やおはじきなどといった懐かしの玩具が並べられていた。
昭和の時代の一般家庭はこんな感じだったのだろう。ゆづりはノスタルジーに襲われつつ、座椅子に座る。
「……なに、この状況……」
鎖で繋がれているわけでも、監視の目があるわけでもない。旅館にいるのではと錯覚するほどの厚遇だ。
堅牢な檻に入れられても落ち着かないが、こんな普通の待遇をされても気が気でない。
そのまま何もすることなく、部屋でそわそわしていると、トントンと包丁で何か切る音が聞こえてきた。
ゆづりはなんの音か気になり、そっと襖を開けて様子を伺う。すると、割烹着を来たツキが釜戸の前に立っていた。
どうやら料理しているようだ。時間的に夕食の準備だろうか。
何を作っているんだとゆづりが様子を伺っていれば、不意にツキが振り返る。そして、ゆづりの黒瞳と琥珀の瞳がぶつかった。
ゆづりは先に目を逸らすと、やっべと呟き襖を閉じる。そして、何事も無かったかのようにやり過ごそうとするが、無情にも襖が開けられてしまっま。
「ゆづり、どうしたの?」
「その…なに作っているのかなって…」
「夕食の準備中。もうすぐ日が暮れるからね」
ツキは食欲をそそる美味しそうな匂いを纏わせていた。それに反応して、ゆづりの腹が食べ物をくれよと訴えているのがひしひしと伝わってくる。
「あ、そうだ。もしよければ、ウチのこと手伝ってくれないかしら。四人分だからちょっと大変で」
「……四人?紅玉とカケルとツキ以外にも住民がいるんですか」
「なに言ってるの。ゆづりの分よ」
「えっ、私の分もあるんですか」
「えぇ。だってお腹空いてるでしょ」
ツキは当たり前のように答える。ゆづりは飯まで貰えるのかとしばし呆気にとられた挙げ句、コクりとうなずいた。
ここでじっとしても落ち着かないのだ。何かしていたほうが気は紛れる。それに、ツキから鬼の弱点などが聞き出せたら、ゆづりの逃走に役に立つ。
ここは手伝った方が色々とメリットがあるだろう。
「ふふ、ありがとう」
ツキははんなりと口を手元に送ると、ゆづりを連れて台所へ向かう。
すると、机の上に唐揚げのようなモノが放置してあった。多分メインディシュだろう。かなり美味しそうで、思わずゆづりの喉がごくりと鳴った。
「どう?美味しそうでしょう?」
「……は、はい」
「それならよかった」
ツキは上機嫌に微笑むと、じゃがいもを指差し、皮を剥いてと指示してきた。その近くには包丁もある。ゆづりは正気かとたまらずツキを振り返るも、彼女は黙々と豆腐を切っていた。
「………」
ゆづりはこの包丁を構えてツキを脅し、自分を解放しろと訴えることが出来てしまう。最悪、これで彼女を殺してしまうことだって、そう難しいことではない。
それなのにツキは平然と料理を進めて、ゆづりを見ることさえしない。
ゆづりが馬鹿なことをしても何とか出来る自信があるからか、それともゆづりが襲ってこないと見なしているのか。
いずれにせよ、ゆづりは包丁を本来の目的から離れた用途で使うことはしない。包丁を構えてツキを危害する勇気が、何故か芽生えてこなかった。
「あらら、お料理は苦手なのね」
「す、すみません」
その代わり、黙々とじゃがいもの皮を剥いていたのだが、これもまぁ出来なかった。
技量がないのだ。ゆづりは料理なんて家庭科の調理実習でしかやったことがない。包丁を握ったことですら、数えるほどしかない。
そのため、ゆづりの手にかかったじゃがいもは、見るも無惨な姿に成り果てていた。
「こうやるのよ。こう」
見かねたツキはゆづりの手から包丁をもらい受ける。そして、ゆづり目の前で皮剥きを実践してくれた。
今頃かもしれないが、ツキはかなり親切だ。カケルも優しい。今まで出会ってきた土獣人たちとかけ離れた性格をしている。
「……ツキはあんまり土獣人っぽくないですね」
「まぁ、そうね。紅玉様が優しいから移ったのかも」
「あ、あの鬼が優しい…?」
この娘は何を言っているのだろう。
ゆづりは紅玉のぶっきらぼうで偉そうな態度を思いだし、半笑いで固まる。拉致監禁している時点で、間違いなく優しい人ではない。
でも思い返せば、うどんをくれたり、毛布掛けてくれたりしてくれた一面もあった。確かに心遣いは出来る人なのかもしれない。言葉遣いと行動は最悪だが。
そんなゆづりの葛藤にツキは気づいたらしく、ふふっと愉快そうに笑う。そして、確かに誤解されやすいけど、と前置きをした。
「紅玉様はあぁ見えて結構優しいのよ。今度会ったら雑談でも持ちかけてみたらどう?きっと笑って答えてくれるわよ」
「はは…考えときます」
あの鬼がニコニコしている絵など一切思い付かない。むしろ、雑談など吹き掛けたら、うるせぇと怒鳴られそうだ。
しかし、ツキの反応を見るに冗談を言ってそうな雰囲気はない。本当に紅玉は彼女の前では笑うのだろう。
もしかして、紅玉は身内には甘い人なのかもしれない。ゆづりはボンヤリと紅玉の笑顔を妄想しつつ、皮剥きに再び向き合った。