十三話 はなればなれ
ゆづりが謎の鬼に拉致されて、数十秒後。
一通り瓦礫を撤去したいすずは、遠くて見ているであろうゆづりの姿を探していた。
しかし、どこを見渡してもゆづりの姿はなく、彼女の匂いもしない。
ゆづりが他の星に来たという好奇心に駆られ、何処かに行ってしまったのだろうか。いや、あり得ない。ここは土獣星だ。
ゆづりが勝手に動いたという線より、神になりたい奴らが攻撃を仕掛けた状況の方があり得てしまう星だ。
いすずはまだこの付近にゆづりがいることを期待して、一通り集落周辺を嗅ぎ回る。が、すでに遅かったらしく、ゆづりの痕跡は見つからなかった。
「………」
中継場には、自分の星にいる人物の居場所を割れるという装置がある。
だから、このまま星に滞在したままゆづりを探すよりも、中継場に戻り装置を使った方が間違いなく早い。
しかし、ここから中継場までは距離がある。それに、中継場に向かう道のりで、自分を殺そうとする人に襲われてもおかしくない。
「っ!」
だからなんだ。ゆづりの安否が掛かっているのだ。なよなよとした躊躇いは捨てて、一刻も早くゆづりを見つける必要があるだろう。
いすずは嫌な想定は切り捨て、勢い良く地面を蹴る。行き先は中継場と繋がっている且つ最初にいた場所である、彼岸神社だ。
土獣星には、ありとあらゆる場所に結界が張られている。
結界は種族を分け、部外者がその敷地内に入れば侵入者が大怪我を負うという仕組みが編まれている。
種族同士の争いを防ぐなら、他種族が関わる場所を失くせばいいという叛逆者様の意志の元作られたもので、彼が亡き今も残っている功績である。
そんな優秀な結界だが、例外はいくつかある。
一つ目は、結界は神に対しては無効ということ。
神は不老不死の体を持つ。だから、結界に触れた際のペナルティが、神には科されない。現在も、いすずは結界など意識せず、好き勝手に直進している。
二つ目は、今まさにいすずが目指している、彼岸神社だ。
あの神社には土獣星で唯一結界が張られていない。理由は不明だ。聡明な叛逆者のことだから、何か意図の元にそうしたのだろう。
しかし、すでに叛逆者は亡くなっているため、その訳を問うことは出来ない。おそらく、一生の謎として残り続ける。
「……っ……」
疲労を訴える足を無視し、ヒュウヒュウと息が漏れている首を手で抑え、鉄の匂いで充満する口に顔を歪ませる。
文字通りの決死の走りを見せたいすずは、たった数分で、ゆづりと三十分程度かけて進んだ道を引き返し、彼岸神社にたどり着くことに成功した。
不死といえども疲労の概念はある。しかし、いすずはすべての苦痛を無視すると、途方もなく長い石段を驚異の十段飛ばしで登っていく。
その努力あって、ものの五秒でいすずの目の前には鳥居が現れる。そして、その鳥居の奥に中継場に繋がっている社が静かに待っていた。
「………」
中継場に帰るには、鳥居をくぐって一番奥にある社に行く必要がある。多くの人で賑わう中を駆け抜けて、その中に紛れる襲撃者たちを躱して、走る必要がある。
端的に言う。いすずはそんなことしたくない。
この人ごみを走り抜けるための体力がないというのも理由の一つだが、一番の理由は喧騒を避けるためだ。
目の前の人たちが全員、いすずを殺そうとしている人なら、間違いなくいすずはこのまま突き進んだであろう。襲ってくる人を蹴散らして、投げ捨てて、前に進めばいいだけなのだけなのだから。
しかし、現実はそうじゃない。
自分と違う種族の人と関わるために、ここを訪れている人たちがいる。開催されている祭を楽しむために、ここに来て遊んでいる人たちもいる。いすずなんぞ関係なく、神社に来ている人が多くいるのだ。
そのような人たちがいる場所で、いすずは暴れたくはない。火種を放り込みたくない。平和を、唯一ある他種族同士が関われる場所を、潰したくない。
「………」
故に、いすずは鳥居に背を向ける。そして、横に逸れると神社を囲んでいる森に入った。
そこから社を目指していく。遠回りになるが、安全な道だ。いすずにとっても、温厚な土獣人たちにとっても。
雨が降ったのか、少し土が湿っている。木からポタポタと水滴が落ちる音が、いすずの警戒心を削っていく。
コンディションは最悪だ。しかし、引き返すことはせず、いすずはタンタンと軽快に踏み飛ばしていく。
体の小ささ故に、歩幅が狭くなってしまうのを跳躍力でカバーしながら森を駆けていく。すると、あっという間に目指している社が目に入ってきた。
人の姿はない。このまま行ける。
いすずはこのまま社に飛び込もうと、大きく地面を蹴りあげた瞬間。
「捕まえたぁっ!」
声変わり前の少年の声が、いすずの耳を刺す。直後、近くにあった木がしなり、何かがいすず目掛けて飛びかかってきた。
急に飛び出してきた人影に対して、いすずは咄嗟に回避の手を打うために体制を崩す。
その隙を少年は見逃さない。彼は乱暴にいすずの耳を鷲掴むと、勢いに乗せて体を地面に叩きつけた。
華奢ないすずの体は、少年でも簡単に扱えるのだろう。少年は一回では飽き足らず、何回もゆづりの耳を掴んでは、虫を叩き潰すように叩き込む。
「……っ…!」
体を強打し、顔を潰され、いすずの意識が飛び掛ける。
ただ、いすずは神だ。前代の叛逆者を殺して神座についた、正真正銘の強者だ。
だから、こんな少年ごとき露払いにするのは簡単だった。いすずは無理矢理手を伸ばして少年の腕を掴むと、爪を尖らせて肌に這わせる。
「あああぁっ!」
いすずの爪により、腕を深く引っ掛かれた痛みとショックで、少年は絶叫と共にいすずから手を離す。その隙にいすずは少年の横腹を蹴り飛ばすと、一気に距離を取る。
あの少年を殺すつもりは毛頭ない。一生残るような傷も負わせない。必要最小限度、防衛手段としてしか、いすずは戦わない。
爪についた血を手を振って払い、社に一直線に走る。置いていかれた少年はあっと気抜けた声を出したのみで、追ってこない。間に合わないと見なしたのだろう。いすずの逃げ足は絶望するほど早く、軽々しい足取りなのだから。
「………!」
しかし、そう簡単にいすずは逃げられない。
森を出て神社に戻れば、目標となる社の目の前に多くの土獣人たちが並んでいた。
それぞれ武器を構え、身の毛のよだつような殺意を垂れ流して、いすずを見つめていた。
「逃がさない!」
「次、神になるのは犬族だ」
「どけよ!鼠族がコイツを殺すんだ!」
どうやらいすずは失敗したらしい。
いすずがそう落胆すると同時、神の座を狙う獣たちが、容赦なくいすずに襲いかかった。
****
「土獣星の人間は醜い。
オレが神になって改めて気付いたことがそれだ。
異常なまで神の座へ執着し、種族にこだわり、争い続ける。
その環境に揉まれたのか、はたまた天性のものなのか、争いが好きなヤツも多い。
他の星のヤツもそういうクズはいるが、オレの星は格別だ。一個前の神『好戦者』も、争い好きで世は荒れてたらしい。
オレはそんな世を変えたかった。
だって、戦いなんてバカのやることだろ。
自分が弱いから、戦争がキライだっただけかもしれないけど。
とにかく、神になって種族同士の争いをなくそうとした。
神になって最初に改善しようとしたのは、神座剥奪の儀式だった。
どう考えても、争いの根元はこの悪習だ。
でも、創造者が設定した規定に触れるらしく、儀式を止めることは出来なかった。
なんで、創造者はオレの星だけこんな変なルールを追加したのか。
まるで争わせたいみたいに。
そう考え出すと、創造者について知りたくなった。」
「……ははっ、ここまでみたいだな」
「うん。終わり」
土獣星にひしめく喧燥の欠片もない、森閑な空間。
そこでは、さらさらと草が揺れる音と、二人の青年の声が響いていた。しかし、人影は声の数より少ない一つだけ。
「あー、疲れた。ひさびさに疲れた」
その一つはノアだ。
彼は大木に体を預けたまま、気だるげに上を向いている。その視線の先にあるのは、ふさふさと風に煽られ揺れる木だ。
それがもう一つの声の持ち主である、理解者である。彼はノアに寄りかかられていることに苦言を漏らして、人間の姿に戻っていた。
「ボクも久しぶり」
「え、何が?翻訳はゆづりに頼まれて、さっきしたんだろ?」
「ううん。キミがボクに会いに来たのが久々」
「あー、そうだっけか」
「うん。二週間と三日ぶり」
「そんな細かいことよく覚えてるな。俺様のこと好きなのかよ」
「ううん。嫌い。うるさいから」
「おい、普通に傷ついたんだが」
ノアは手に持っていた古びた紙で、理解者の頭を叩く。しかし、人の感性に疎い理解者は何故殴られたのか分からないようで、ポカンとした顔をしていた。そのせいで余計にノアのハートにヒビが入る。
「それで、内容は満足したの」
「あんまり。でも、まぁお前に会えたからいいやって感じだな」
「へぇ」
ノアが理解者の元を訪れたのは、資料室で見つけた一枚の紙を翻訳してもらうためだ。
この紙は達筆な筆体かつ鬼族の文字で埋められている。だから、ノアは即座にこれが叛逆者のものであることは分かった。しかし、読めなかったため、理解者を頼ったという事の顛末だ。
「魔法使うから見せてくれって、頑張るね」
「まぁな。俺様も創造者のことは気になってるからな」
理解者はゆづりに、木の翻訳は一日一回しか出来ないと伝えた。
しかし、正確に言うと違う。翻訳するための力が、一日貯めないと自然には貯まらないから出来ない、というのが正しい。
つまり、その力を人為的に補なうことが出来れば、翻訳機は一日何回でも使うことができる。
ノアは偉大なる大魔法使い。そのためのエネルギーを魔力で補なうことも容易いことだった。
「じゃ、また何か見つかったら来るよ。達者でな」
「うん。ばいばい」
ノアはヨロヨロと立ち上がると、理解者に背を向ける。正直もっと理解者と話をするのも悪くないが、今はゆづりに協力してやりたい。
「それも、まぁ面倒くさいんだけどな」
先ほどの古びたページは、資料室の本に挟まれていた。それを見つけるのに、ノアは一時間くらいかかった。
しかし、得た情報はないに等しい。創造者の正体については記述がなかったのだから。
「また一からなんだよな」
ノアはまたもあの膨大な本の中から、お目当ての文章を探さないといけないらしい。
途方のない仕事に、ノアはもう放棄してしまおうかと投げやりになる。しかし、やはり頑張ると決めたらやり遂げたいよなと、自分を鼓舞しつつ資料室に向かった。
「……血?」
が、その途中の廊下で、ノアは足を止める。
やる気が折れたわけじゃない。ここにあるはずのない血の匂いが、ノアの鼻を刺激したのだ。
匂いの根元は、土獣星の部屋。ノアは嫌な予感に顔をしかめると、躊躇うことなくいすずの部屋と繋がっている襖を開ける。
するとすぐ、全身ボロボロになった姿のいすずが目に入る。
彼女は誰かに引っ掛かれでもしたのか、顔の紅が傷跡に成り代わり、綺麗な着物は血泥が跳ね、勿体ない様態になっていた。
凄惨な有り様にノアは絶句して固まる。が、すぐに目を見開くと、いすずの方へと歩み寄った。
「あの地球人…いや、ゆづりは?」
「………」
「はぐれたのか?どこに行ったんだ?」
ここにあるべきゆづりの姿がない。いすずしか部屋にいない。
まさか、わざとゆづり一人を土獣星に置いてきた訳ではあるまい。はぐれでもしたのだろう。
いすずは焦っているのか泣きそうな顔で、地図を見上げていた。神に使用が許された装置で、ゆづりの居場所を探しているのだとすぐに分かる。
「焦るな。ほら、ここだ」
「……!」
ノアはずけずけと部屋に入ると、もたつくいすずを差し置いて居場所を探り当てた。
「鬼?」
ノアが見つけた場所には、ゆづりと一匹の鬼がいた。ゆづりはどうやらソイツに捕まったらしい。枷を付けられベッドの上に寝転んでいた。
「……っ!」
いすずは場所を把握するや否や、土獣星へと帰っていく。
ノアはそれを見送ることもせず、ただ地図を見つめていた。
目を奪われている相手はゆづりではない。近くにいる鬼の方だ。先端が赤い、特徴的な白髪。つり上がった赤い瞳。目元の赤化粧。額から生えた角。
「こいつ、生きてるのか……?」
その見覚えのある人物に、ノアは愕然と目を見開いた。