十二話 こわいおに
いすずに抱かれたまま、神社から撤退すること数分。
やっと落ち着いたのか、いすずの足がピタリと止まる。そして、ゆづりの足が地面に戻った。それと同時、ゆづりは腰かしてヘナヘナと地に尻をついた。
ここはどこだ。何が起こった。
ようやく張りつめていた緊張がほどけ、止まっていた思考が動き出す。
まず、どこに連れてこられたのかと辺りを見渡す。しかし、目立ったものは無く、視界は木でしか埋まらない。森か林だろうか。とにかく人気のない場所だ。
次に、何が起こったのか思い出そうとして。
「………」
いすずに肩をぽんぽんと優しく叩かれる。ゆづりは続いていた思考を絶つと、いすずを見上げた。
彼女の胸元にはだいじょうぶ?と書いてあるホワイトボードがぶら下がっている。そして、それに一緒に血も張り付いていた。
ギョッとしていすずの全身に目をやれば、彼女の至るところに血と思われる赤色がへばりついていた。白い狐のお面も壊されたのか、跡形もなく無くなっている。
「ちょっ、えっ?いすずは?大丈夫なの?」
ゆづりは慌てて立ち上がると、いすずの顔についている血痕を手で拭った。その拍子に、いすずの頬に描いてあった紅も歪んでしまう。血と紅で真っ赤になったいすずの頬に、ゆづりは申し訳なく思った。
しかし、いすずは気にするなというように首を振る。
「いすず、げんき。けがなし」
「そっ、そっか…それならとりあえず良かったよ…」
いすずの体に付着している血たちは、彼女から出たものではなく、返り血のようだ。だからといって、安心も出来なければ、良かったねと笑うことも出来ない。そもそもそんな血液が舞うようなシーンが物騒で危ないのだから。
「そ、それで、さっきのは……?」
「しゅうげきにあった、ぎしきのぜんちょう」
「前兆?」
「かんきん、らく。ぎしききたら、ころす」
「おぉ……」
いすずを殺して神になろうとする連中が、今のうちにいすずを拘束しておこうとしているらしい。
確かに儀式が始まる前に神を監禁してしまって、儀式の日になったら殺せばいいというのは確実な方法だろう。ゆづりも本気で神になりたいのなら、その手法を取る。
しかし、巻き込まれる身になってしまえば、最悪最低だと反吐を吐きたくなるような悪辣な手だ。
もしかしていすずといる限り、ゆづりはずっと狙われ続けるのだろうか。
ソフィーに掛けられた魔法により、ゆづりは死ぬことはないが、それでも襲われるのは勘弁だ。怖いし捜索が滞るし。
そんなゆづりの不安を感じ取ったのか、いすずはホワイトボードの文字を手で擦りとる。そして、新しく文字を書き始めた。
「あぶない、いまはまだまにあう、かえる?」
「……いや、大丈夫。平気だよ」
ゆづりは顔に出していた恐怖と躊躇いを一気に消すと、しっかりと首を降る。そして、このままページを探そうといすずに頷いた。
そんな堂々とした態度のゆづり。だがそれと裏腹に、ゆづりの心は怯えている。最悪な星に来てしまった、こんなところにいたくない、さっさと帰りたい、中継場に帰還したいと。
しかし、心に従って帰ったところで、創造者探しは進まない。現状、叛逆者の手記以外に創造者について知れることはないのだ。これを諦めたら、手詰まりになる。
さっさと叛逆者の残したページを見つけて、中継場に帰る。これがゆづりが打てる最善手だ。頑張るしかない。
いすずはゆづりの心の声でも読むように、しばらくじっとゆづりの目を見つめる。が、大丈夫だと判断したのか、キュッキュと音を立ててホワイトボードの文字を書き換えた。
「まずは、おにのしゅうらく、いく」
「鬼?」
「はんぎゃくしゃ、おにぞく」
「……なるほど。ちなみに、どれくらい歩くのか聞いてもいい?」
「ちかい、すぐいえ」
いすずはそう書かれたホワイトボードから手を離すと、ゆづりの手を取り前に進んでいく。どうやら、この近くに叛逆者の家があるらしい。あまり歩かなくてもよさそうで良かった。
そのまま閑散としている森を歩き回ること、十数分。
幸い襲撃に合うことはなく、順調に道筋を進んでいると、不意にいすずが足を止めた。そして、小さな指をまっすぐ伸ばすと、正面を指差す。
ゆづりはすかさずいすずの隣に並ぶ。そして、目の前に広がっている光景を目に写した。
「わっ…」
目の前には集落があったと思われる痕跡があった。思われるという表現をするのは、集落という形を成してない、ただの荒れた建物しかないからだ。
重いものに潰されたような家、燃えたのか灰まみれの家、なぎ倒されたように倒れた家。凄惨な戦いがあったのだろう、あちらこちらに獣がつけたような爪痕が散りばめられている。
まるで戦場跡のような場所だ。異様な雰囲気に当てられて、ゆづりは無意識に一歩足を引いてしまう。
「………」
一方、いすずは手馴れた様子で、崩壊した家の一つに近づいていく。そして乱雑に材木を拾って、遠くに投げた。華奢な体から出ているとは思えない怪力に、ゆづりは離れて様子を見守る。
何回か木材が空中を飛ぶのを観測すると、家の隙間に入れるようになったらしい。いすずは小さな体を穴に潜り込ませると、尻尾の先端を残して消えた。
ゆづりもその後を追おうとして、一歩足を進め。
「………っ?!」
後ろから口元を覆われる。
ゆづりは何が起こったのか理解するより前に、自分を押さえつける手を引き剥がそうと足掻く。しかし、相手の腕はゆづりの倍くらい太く、力も比べ物にならないほど強い。とても逃げられそうになかった。
ピンチ。危機的状況。絶体絶命。
色々と現状を表す言葉は出てくる。が、この状況を打破する手段は一切出てこない。脳はどうしようどうしようと悲鳴を上げて、ダラダラと冷や汗を垂らすことしか出来なくなってしまっていた。
真っ白になる思考を抱いたまま、ゆづりはガリガリと不揃いの爪で相手の甲を引っ掻き続ける。しかし、相手はそんな微弱な抵抗に怯むことはない。邪魔だとも鬱陶しいとも思っていないように、圧倒的な力を持ってゆづりを完封していた。
それでも、ゆづりは諦めずに足掻き続ける。が、やはりそんな弱い力じゃ何も変えられず、ゆづりの意識は呆気なく吹き飛んでいった。
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次にゆづりが目を開けた時、視界を占めていたのは薄暗い天井だった。そして、辺りを包んでいるのは、少し埃くさい湿った空気。
「……ここは…」
見知らぬ空間に、ゆづりはノロノロと起き上がる。すると、やけに自分の腕が重いことに気づいた。
普段とは違う腕の重さに、ゆづりは無造作に腕を上げる。すると、ジャラリと鉄同士が当たる音が高く響いた。その嫌な音にぼやけていたゆづりの頭が一気に覚め、慌てて腕に目線を送るよう促す。すると、自分の両手に鉄製の枷が嵌っているのが見えた。
捕まった。拉致された。監禁された。状況を察知したゆづりの全身から、さっと血の気が引いていく。
「起きたか」
暗闇から声がかかる。間違いない。この声はゆづりを拉致したヤツのものだろう。ゆづりが怒りを込めて声のする方を睨めば、灯りを持った人がゆらゆらと近づいてきた。
そして、先程は分からなかった姿が現になる。
「鬼…」
灯りによってくっきりと照らされた人物は、額から赤い角が生えた鬼人だった。
毛先の赤い長髪は乱暴に流され、着崩されている着物の背を隠している。真っ暗な中で光る深紅の目は瞳孔が開いており、殺意をダラダラと垂れ流している。
それに何しろ、この鬼、背が高い。二メートル近くは優にあるだろう。それだけでも畏怖させるには十分なのに、筋骨隆々な体までも持っている。だからだろう、この鬼から出る圧迫感にゆづりはひれ伏すしかなかった。
沸々と沸き立つ恐怖心に、ゆづりは怯み、じりじりと引き下がる。しかし、相手はその空いた分をすぐに詰め寄ってきたため、距離は変わらなかった。
「てめぇ、何者だ?」
「さ、佐々木ゆづりです」
「族は?その顔から見るに猿か?」
「違います。その、えっと…強いていうなら、ホモサピエンスです」
「ホモサピエンス……?」
何言ってんだというコイツと目で、鬼がゆづりを見てくる。
どうやら、ホモサピエンスは地球の人の分類方法で、土獣星にある名称ではないようだ。
余計なことを言ったかと、ゆづりが他に何も言えずに狼狽えていれば、鬼はなるほどなと一人呟いていた。
しかし、ゆづりは何も納得できていない。お前は誰だ。ここは何処だ。いすずはどうしたなど、色々聞きたいことがある。
「あの、すみません。なんで…なんで私は拉致されてるんですか?私は神じゃないんですけど……」
「てめぇは神の仲間だろ?それが理由だ」
「…すみません。も、もう少し説明をお願いします」
「あの狐娘が神の座を退かないなら、てめぇを殺す。そう狐に言って脅すんだよ」
「あぁなるほど…」
どうやらゆづりはこの鬼の人質になったらしい。その理由も単純明快で分かりやすいものだ。仲間を殺されたくなければ、神であるお前が投降しろという、それだけの話なのだから。
「…………」
相も変わらず、性悪な手を取りやがる。
いすずがどのような性格の持ち主なのかは知らないが、このように脅されて、何も動じずにいるような子ではないことは流石に分かる。
しかし、それだけなのだ。いすずを少し動揺させる程度で、この作戦は潰れる。
だって、人質であるゆづりが死なない身を持っているのだ。仮にいすずが紅玉の案を飲まず、激昂した鬼がゆづりを殺しに来ても、何ら問題はない。
紅玉の案は確実に実らない。ゆづりがこれを鬼に切り出せば、彼はゆづりを用無しと見し、解放してくれるかもしれない。
「あの…」
「なんだ」
「私は事情があって、人質として価値がない身なん」
「黙れ」
「申し訳ございませんでした」
恐る恐る口を開いたゆづりだったが、鬼の形相に押されてすぐ口を閉じてしまう。
怖い。何も言えない。恐ろしい。いくら死なない身であるといっても、自殺行為にはストッパーがかかるようだ。
もう会話するのは止めようと訴えてくる本能に従い、そこからゆづりは無言を突き通す。
相手もこちらに用はないようで、いつの間にか離席していた。
「というか、あれっ。なんであの鬼と会話できてるんだ…姿も見えてるし…」
鬼がいなくなり緊迫感が薄れたことで、ゆづりの頭が再び回りだす。そして、今のシーンにおかしいところがいくつかあったことに気づいた。
一つ目は鬼がゆづりを認知していることだ。
そんなこと当たり前だろと思うかもしれないが、水魔人であるノアが地球に来た時、彼の姿はゆづり以外の地球人に見えていなかった。
だから、異星人同士は認識し合えないと見なしていたのに、今ゆづりは土獣星の人に姿を見られている。
二つ目は、会話の問題だ。
地球と土獣星では使っている言葉が違うはずなのに、鬼と会話がスムーズに出来ている。
後者は推測が立つ。
いすずは日本語と土獣星の言葉が似ていると言っていた。だから、もしかして言葉が同じなのかもしれない。それなら、会話出来るのも普通だ。
ただ前者は分からない。なんで姿が見えないのか、ノアは説明していた気がする。でも意味が分からず、そのまま放置してしまった。あの時ちゃんと聞いておけば良かったと、後悔の念が湧き出てくる。
「……どうすればいいんだろうなぁ…」
何もすることがないため、思考は延々に続く。それをゆづりは大きなため息をついて中断した。
ゆづりが何を思おうと考えようと、ここから出られることは無い。まずは、どうにかしてここから脱出する方法を探った方が得策だろう。
最初に枷を外そうと、ゆづりがガチャガチャと音を立てながら枷を揺らしていれば、離席していた鬼が帰ってきた。
まさか鬼がゆづりが逃げようとしているのを止めにきたのかと、ギョッと身構えたが、どうやらそうではないらしい。
この証拠に、鬼の手の中にはお盆があり、白い湯気が上っていた。
「メシ。食え」
「えっ」
「腹、空いてるだろ。死なれたら困るんだ。食え」
「あ、ありがとうございます」
鬼はバンと乱暴にどんぶり鉢を置く。そして、ゆづりに手を出すよう促すと、手錠を外した。
ゆづりは鬼の視線に誘導されるまま、目の前の丼を覗く。すると、美味しそうな香りがゆづりの鼻を通り抜けていった。丼の中にはうどんのようなものだろうか、濁った水の中に白い麺が入っていた。
「うまそぉ…」
自分を拉致した人間から出された食事なのだが、美味しそうな香りと何が入っていても自分は死なないという慢心から、警戒心はゼロになってしまう。
故にゆづりは鬼の視線にのみビクビク怯えながらも、麺を口に運ぶ。
具は無く、麺とスープのみのシンプルな料理だが、味は悪くない。というか、美味しい。鬼の無骨な身なりの割には、繊細で淡い味がした。
空腹も相まって、夢中で腹にうどんをつめるゆづり。鬼は無言でその姿を見つめていた。
じっと見られていると、なんだか気まずい。なんとか話題を探そうと、ゆづりは口を開いた。
「あの、お名前聞いてもよろしいでしょうか…?」
「そうだな…」
鬼は手を顎に添えて、口をつぐむ。考えてるということは本名を教える気はないらしい。それもそうだ。教える義理なんてない。
何でゆづりは本名を言ってしまったのだろう。自分も偽名を答えればよかった。ゆづりがひしひしと後悔しつつ、麺を啜っている内に、鬼はいい名前が思い付いたらしい。鋭い歯を見せ、ニッと笑った。
「叛逆者」
「えっ」
「だから、叛逆者。そう呼べ」
鬼は高飛車に言い放つと、鼻を鳴らす。
ゆづりは過去の神の名前を名乗る、鬼の豪胆さと傲慢さに呆気に取られた。が、何も言わないと怒られそうだなと思い、「いい名前ですね」とだけ返した。