十一話 まつり
一通りソフィーから小言をもらった後、ゆづりは大人しくノアの翻訳した文章に目を通していた。
「私は土獣星の戦争をやめさせる。神のしなければいけないことは、それです」
理解者のスーパー翻訳と違い、ノアの翻訳は辿々しく読みづらい。しかも字が汚いというオプションも付いている。ゆづりは難しい英語の長文を読んでいる気分になってきた。それでも諦めずに、何回も文章を読んで、どうにか内容を頭に入れる。
この資料は土獣星の神が残した手記のようなものだった。
土獣星は多種多様な人間で溢れ、お互い争いをしている。神はその争いを滅しようとしたらしい。結界を作って住み場所を分け、火種を強制的に減らした。
おそらく画期的なことが書かれているのだろうが、ゆづりが気になったのは他のところだ。
「『創造者の正体はなんとなく勘づいた。あとは証拠を探すだけ』って…」
「あっ、最後の所だろ?」
ゆづりが指差した部分をノアも覗き込む。その顔は明るい。どうやらノアも同じことを思っていたらしい。
この文章を書いた神はおそらく、創造者について何か知っているのだろう。証拠を探すと書いてあるため、この記録を取った時点では推測の範囲内なのだろう。が、そんなこと構わない。何でもいいから創造者についての情報が欲しいところだ。しかし。
「肝心なところがないね」
この後も文章は続いているはずなのだが、ノアの翻訳はそこで終わっていた。彼の翻訳が未完なのではない。元々の本から先のページが抜けているようだ。
その先が知りたいゆづりは、周りを囲む本棚を見上げる。本棚はゆづりの身長の倍の高さがあり、どれもびっしり本が埋まっていた。
「この中にあったら面倒だね」
「一通り探しはしたけど、本一枚一枚捲って確認はしてないな」
どうやらこれからは欠けたページを探すことになりそうだ。
他の星に行って、分かりもしない人を訪ね続けるよりは、遥かにマシだが、面倒なのには変わりない。
ゆづりは早速頑張ろうと近くの本を手を伸ばす。しかし、ノアは阻むようにその手を掴んだ。
「いや、待て」
「なに?」
「まずはいすずに聞いてみようぜ」
「いすず?なんで?」
「この手記は『叛逆者』のだからだよ」
「はんぎゃくしゃ…?」
「いすずの前に土獣星を治めていた神だ。三大賢神の一人でもあるな」
三大賢神とは、今まで八星を治めてきた大勢の神の中で、もっとも功績を上げた三人の神を指すという。今名前の上がった、土獣星の『叛逆者』に加え、地球の『開発者』、火敵星の『理想者』が当てはまるらしい。
「土獣星の神なら、いすずが持ってるかもしれないだろ」
「確かに」
ノアにしては珍しく有能な意見だ。逆らう理由がないため、ゆづりは素直に頷いた。
いすずは宇宙空間部屋で菓子を貪っているはずだ。ゆづりは資料室を出る。すると早速、いすずの愛らしい後ろ姿が目に入る。椅子が高いため、彼女の短い足は床につかずブラブラしていた。
「いすず」
ゆづりが手を上げて声をかけると、いすずは手にシュークリームを持ったまま振り返った。そしてひょいと椅子から降り、ゆづりの腰に抱きついてきた。可愛い。大きな黄金色の狐耳が揺れる。もふもふしていて触り心地がよさそうだ。
「いすずは本とか読む?探しているものがあって」
ゆづりは手に持っている叛逆者の手記をいすずに見せる。いすずは小さな手でそれを受け取ると、ペラペラと紙を捲る。そしてこくりと頷いた。読んだことがあるらしい。
「そうなんだ。じゃあ、この無くしたページがどこにあるか知ってる?」
「………」
いすずは首を振る。否定だ。知らないらしい。
ゆづりはそっかといすずに呟き、再び資料室に戻ることにする。彼女からこれ以上知り得るものはないなら、資料室で欠けたページを探した方がいい。
用がないゆづりに対して、いすずは何か言いたいことがあるらしい。小さな手を伸ばすと、ゆづりのスカートの裾を軽く引っ張った。
「どうしたの?なにか知ってる?」
ゆづりはしゃがみ、いすずと目線を合わせる。そして彼女の言いたいことを聞こうとしたのだが、いすずは何も言わない。口を噤んだままキョロキョロと辺りを見渡すだけだった。
何か伝えたいことがあるから、ゆづりを引き留めたのではないのだろうか。いすずの意図が読み取れず戸惑うゆづりの肩を、ノアがポンと叩く。
「いすずは喋れないぜ。喉を潰されてるからな」
「そ、そうなんだ」
「………」
いすずはそうだと言うように、己の首に掛けられているチョーカーをずらす。すると、首の中央に刃物で切りつけられたような、白い線状の傷がありありと残っていた。
痛々しい傷跡にゆづりが息を詰まらせる。が、いすずは気にするなと言うように首を振る。そして、再び傷跡を隠すとじっとゆづりの目を見つめてきた。
「ど、どうしようかな……」
いすずが声を出せないなら、ジェスチャーで答えてもらうしかない。そのため、はいかいいえかで答えられるような簡単な質問でなければ、意志疎通は難しい。
どうやって話を進めるかゆづりが思案していると、後ろにいたノアが前に出る。そして一枚の紙と筆ペンをいすずに渡した。
「ほら、これに書け」
「……」
いすずは受け取るとすぐに、椅子に飛び乗り紙に文字を書き始めた。当然、書いているのは日本語ではない。ゆづりの知らない文字だ。ノアがいすずの文字を読めるのかと、そっと視線を送れば、彼は問題ないと言うように親指を立てる。
「いすずは水魔星の言葉と、地球の英語、火敵星の人間語が分かる。当然、土獣星にあるすべての種族の言葉もな」
「おぉすごい」
想像からかけ離れた優秀具合に、ゆづりは感心を通り越して呆気にとられる。まさかいすずがマルチリンガルの天才だったとは。
菓子を食べているイメージしか無かったいすずへの印象がガラリと変わる。
「ちなみにノアは?」
「俺様も辞書を使えば基本は読めるぞ」
「全部の文字を?」
「当たり前だ。俺様は天才だからな!」
「あぁそうだったね」
そんな茶々をしている間に、いすずは書き終えたらしい。
彼女は紙を掴んで椅子から降りたかと思うと、ノアのそばでぴょんぴょんと跳ねた。ノアがひょいと紙を奪う。そして内容を一見すると、ははっと笑いだした。
「良かったなゆづり。いすずも手記が気になってるってさ」
「そうなんだ、じゃあ一緒に探そ…」
「でも、今は神座剥奪の儀で忙しいって」
「…かみざはくだつのぎ?」
「それは俺様が説明してやる。まぁ、名前の通りだけどな」
せっせと説明文を書いているいすずの手を押さえて、ノアが前に出る。
「神の座は基本は継承式だ。それはいいよな」
「うん。その星の人から適当に選ぶんでしょ?」
「そうだ。でも、いすずの治める土獣星は例外。五十年に一度の殺し合いで神を決める」
「こ、殺し合い?!」
「あぁ。神は三日間、神の地位を守れれば神継続。人間はその三日間で神を殺せば神になれる。面白いよな」
ノアは手をヒラヒラさせながらケラケラと笑った。
ゆづりは笑いどころが分からなく、ただただ困惑する。
いすずが治める土獣星。ゆづりは勝手に色んな獣人たちが平和に暮らしている星かと思っていたが、全く違いそうだ。
神の座を賭けて殺し合いをする星。物騒さで言えば八星でもトップクラスかもしれない。
いすずも前の神、叛逆者を殺しているのだろう。そして今度は殺されるかもしれない立場にいる。
「その儀式はいつからなの?」
「………」
いすずは指を三本立てる。三年後か、三ヶ月後か。もしかしたら三十年後かもしれない。まさか三日後ではないだろう。
ゆづりが悩んでいるのを察したらしい、いすずは筆ペンを掴んだ。そして、みっかごと書く。どうやら、もうすぐ始まるらしい。
それよりも。
「いすずは日本語も分かるの?」
書かれた文字はしっかり日本語だった。
地球の言葉だと、英語しか出来ないというノアの説明に反す。ノアも驚いたようで、不思議そうに紙を見つめていた。
いすずはその紙を奪うと、再び筆を取る。
「べんきょう、にほんご、いすずのことば、にてる」
「そうなんだ」
日本語を勉強して、少しなら分かるようになったとのことだ。まだ単語しか使えないようで文章は拙いが、それでも十分会話できる。
すごいねと褒め言葉を口にすれば、いすずは頭を差し出す。撫でて欲しいのだろうか。ゆづりはもふもふの耳の間に手を置く。すると、いすずは嬉しそうに笑った。愛らしい姿だ。
「んじゃ、二人でページ探してこいよ」
「二人?いすずは忙しいんじゃないの」
「すこし、てつだう」
「だってさ」
いすずが掲げた紙を見て、ノアはケラケラ笑う。
二人ということは、コイツは今回手伝う気はないらしい。それでも特に問題はないので改めて聞くことはない。
「あっ、俺様は今回はパスな。いすずが居るなら要らないだろ?俺様も忙しいしな」
「あ、うん。平気」
聞いてもないのに言ってくる。挙げ句の果てには寂しくないかとからかってきた。もちろん寂しくなどないため無視だ。
「………」
いすずは無言でゆづりの太ももに飛び付き、襖を指差す。そしてピラピラと「はやく、いこ」と書かれた紙を見せてきた。
ゆづりは頷く。そしていすずに手を引かれて、土獣星へと向かった。
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いすずに手招きされて土獣星の部屋を訪れ、鶴の描かれた高貴な襖を抜けた後。
「おぉ…」
ゆづりの目の前には、ざわざわと騒がしい雰囲気が広がっていた。
石畳に沿って押し並んでいる屋台。木や屋台の出先にぶら下がっている赤い提灯。キラキラとヒカル縁日の品。
そして次々とゆづりの目の前を走り抜けていく、少し変わったニンゲンたち。
「ウサギに鳥に…あれは犬か…?」
ピョンピョンと兎のように跳ね回る少女、背中に鳥のような羽をつけた少年、犬のような小さな尻尾が尻に着いているおじさん。
地球人とは異なった容姿は、彼らがいすずと同じ土獣人たちであると主張している。
「土獣星に来たのか」
ゆづりは違う星に来たことを痛感しつつ、ゆっくりと足を前に進める。そして目の前に繰り広がっている屋台を見て回った。
屋台には定番のわたあめやかき氷を筆頭に、飴細工や焼きそばなどが置いてあった。ヨーヨー掬いや金魚すくいなども縁日もある。異星に来たというのに、祭の様子は日本のものと大差ない。
更にふらふら歩きだそうとしたゆづりだったが、スカートの裾が引っ張られたことで阻止される。
「いすず?」
ゆづりが振り返り少し首を下ろすと、いすずの姿があった。少しゆづりが戸惑ったのは、彼女の様子が変わっていたからだ。
彼女の可憐な顔が、白い狐のお面で隠されている。しかし、大きな黄金色の耳はそのままのため、いすずだとまる分かりだ。そこまで隠密に隠す気は無いらしい。
「なんでお面しているの?」
「じぶん、いる、しられたくない」
いすずは首から下げているホワイトボードに文字を書く。これから会話はこの形ですることになりそうだ。
「いのち、ねらわれる、あぶない」
「へ、へぇ…」
そうだった。ここは物騒な星だった。神の座を殺し合いで決めるくらいには危ない星だ。この賑やかなお祭りの雰囲気に当てられて、忘れていた。
「じゃあ早く手記を探しに行った方がいいよね」
「ちょっと、まつり、みる。たのしい」
「えっ、いいの?」
いすずはいいよと言うように、こくりと頷く。ゆづりは、やったあと気抜けた声が出す。
叛逆者の手記の欠けたページを探すのが最優先だとは思っているが、少しだけなら祭を楽しむのも大丈夫だろう。
ゆづりは好奇心に駆られるまま石畳を踏んでいく。いすずもカンカンと下駄を鳴らしながら、ゆづりの手を握って屋台を覗いていた。
しかし屋台は綿飴に林檎飴、焼きそばにフランクフルト、ヨーヨー掬いや射的などといったものが多く、日本の祭とそう変わらない風景が続いている。
しかし、その中でゆづりの目を引いたものがあった。
「きれー…」
動物や花をあしらった飴細工だ。兎の耳が生えた職人によって練られ、発泡スチロールに刺されて展示されている飴たちは、どれも綺麗でゆづりは思わず見とれてしまう。
そんなキラキラしたゆづりの目線に、いすずはひょいとゆづりのスカートの裾を引っ張った。そしてどれがいい?と書かれたホワイトボードを見せる。どうやら買ってくれるらしい。
「じゃあ…このオレンジの薔薇がいい」
ゆづりが素直に甘えれば、いすずはコクコクと頷いて屋台の方へ向かった。
帰ってきた彼女の手には、夕方を閉じ込めたような薔薇と、深海に付けたような薔薇の二本咲いていた。
その片方をゆづりはありがとうと共に受けとる。そして、クルクルと回転させながら、精巧な花を見つめた。花弁の一枚一枚が提灯の光を反射して、チラチラ光っている。
食べるのが勿体無いが、そのまま溶かすのも忍びない。ゆづりは一通り視覚で飴を楽しむと、いただきますと呟いた。
すると、いすずが飛び出してゆづりを蹴飛ばした。
あまりの急のことで、ゆづりは何が起こったのかすら分からないまま地面に倒れた。その途中で、持っていた飴は手から滑り落ちてしまう。ゆづりが驚きえっと声を出す前に、いすずは動き出す。
「………!」
いすずはシャアと威嚇するような声を出し、長い爪を振り回す。
すると、何者かが咆哮を上げ、こちらに駆け寄ってきた。
いすずはその様子を瞳孔がかっ開いた瞳で睨む。そして、反対の手でゆづりの襟を掴むと、脇に担いだ。
「えっ、あっ?は?」
いすずはゆづりを担いだまま石畳を神速で踏みつけていく。ゆづりは自分より小柄な娘に抱かれていることにビビり、ビュンビュンと風を切っていく音にも体を震わす。
何が起きているのか、驚くほど何も分からない。
ゆづりはあまりにも急な展開に思考を放棄させ、振り落とされないよういすずの腰を掴むしかなかった。