十話 ニンゲンのいない星
膨大な情報が頭に流れ込み、ゆづりは強制的に意識を連れ戻された。
どうやらいつの間にか、ゆづりは寝てしまったらしい。しかし、寝たというのに疲れが取れるどころか、逆に溜まった気がするという、奇妙な感覚がした。
ゆづりが痛む頭を抑えて体を起こすと、近くにいた鳥たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
その時に鳥から抜けたのであろう、色とりどりの羽がゆづりの目の前を舞う。その羽をぼんやり見つめていると、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。
「あ、おきた」
「理解者…」
「うん」
理解者は相変わらず抑揚のない声だった。そのために、まだそこまで会話はしていないというのに、彼の声だとはっきりと分かる。
ゆづりは理解者の姿を捉えるため、あたりを見渡す。しかし、どこにも彼の姿は見えなかった。
「あれ、どこから話してるんですか」
「何言ってるの。ボク、隣にいる」
やはり、声はすぐ近くから聞こえる。しかし、ゆづりの付近に理解者の姿は無い。木の後ろにいるのかと周りを一周すると、呆れたような声色が聞こえた。
「木。木だよ」
「はっ、木?」
「ボク、もともとは木だから」
「へぇ」
存在を示すように木がフリフリ揺れる。おそらくブナの木だ。揺れた拍子に、葉っぱが一枚二枚ヒラヒラ落ちてくる。
どうやら理解者は木になったようだ。彼は人の姿と木の姿を使い回せるらしい。
にわかには信じられないような話だが、もう突飛な話に耐性がついた。ゆづりはたいして驚くことなく受け入れる。
「それで本の内容は分かったの」
「あぁ、この日記の…」
先程の情報は理解者の力によるものだったらしい。てっきり音読かなんかで話を教えてくれるのかと思っていたが、まさか頭に叩きつけられるとは。
ゆづりはようやく治ってきた頭痛を意識しつつも、持っている日記を見返す。
これは創造者が神たちに残した日記のようで、八星についてのルールが色々と長く書いてあった。正直、細かな内容までは覚えていないが、ソフィーの弟が寝たきりになった要因は記されていた気がする。
「…そういえば、あの日記だと十個の星って言ってたような…」
色々と気になることはあった日記だったが、ゆづりが一番気になったのは星の数だ。ソフィーの説明の時に、存在を教えられた星は八個だった。しかし日記に書いてあるのは十個だった気がする。
「あの、ここって元々十星だったんですか?」
「そう。ふたつ消えた」
「消えた…ちなみにどんな星だったんですか?」
「死人の国の『日無星』。あと、腕が無い人間の星『空手星』」
前者はまだしも、後者はなかなかクセのある星に思える。
他の星は獣人がいる星だったり、夢を見せられる星だったりするのに比べて、腕がない星というのは少し些細な変化の星だ。そんな星を作って、創造者は何をしたいのか。全く想像がつかない。
「因みになんでそれらの星は壊れたんですか?」
「さあ。創造者が壊したから知らない」
「……え、創造者がですか?」
「うん。星が壊れて一年経ったとか、そんなんじゃなくて、急に創造者が壊した」
「えっ」
もしかして、創造者は気まぐれで星を壊すような人なのだろうか。そんなことされたら普通に困る。星には多くの人が住んで生きているのだ。明日、星を壊しますなんて言われて、誰が納得できるのだろう。
それに。
「……創造者を見つけても、助けてもらえない可能性が出てきたか…?」
ソフィーは創造者を見つければ、月祈星を助けてもらえると踏んでいる。なのに、肝心の創造者が星に対して執着のない性格の持ち主だとしたら、中継場に連れてきても星を治してはくれないような気がする。
そんな風にゆづりが不穏な未来を想定しているのを察したのか、理解者はフルフルと首を振った。
「それは昔の話。今は違う。多分」
「はぁ」
「変な事しなかったら大丈夫」
「……二つの星は何かやらかしたんですか」
「ううん。何も」
なら、この神は何を根拠に大丈夫と言っているのだろうか。
あまりにも適当な話に、ゆづりは思わず半目で大きな木を見つめる。しかし、木は些細な感情のブレなど気にしないというように、一方的に警告を示した。
「あっ、そろそろ出ないと、形が無くなる」
「えっ?」
「早く。出て。ヒトじゃなくなる」
理解者が言い終わると同時、木が暴風に煽られ軋み出す。
ゆづりはどうやって出るのか、そもそも出るとはなんなのかも分からず、ただ困ったような顔をして狼狽えた。すると理解者は触ってと囁く。ゆづりはノータイムで手のひらを木の幹に当てた。
すると生温い風がゆづりを包み、今度は緩やかに意識を霞ませていく。
「あ、う…」
「おきた」
ゆづりが呻き声を上げながら起き上がれば、正面に青年の形をした理解者が座っていた。
「な、なにが起こって……」
「予兆」
「え」
「木黙星には人間いない。ここにいる人間は、鳥に、花に、蝶になる。だから、さっきのはその予兆」
「……つまり、あのまま私が星に居続けたら、私が人間じゃなくなってたとですか」
「うん」
「嘘でしょこっわ」
唐突なカミングアウトに、ゆづりは戦く。
そういう危ないことは一番初めに言うべきだろうに、よくこんなギリギリまで黙っていたものだ。
色々と危なかっしい神だなとゆづりが距離を取れば、理解者は悪気は無かったようで、ごめんと謝ってきた。
「そんな驚くって思わなかった」
「お、驚きますよ。なんか怖いし…」
「皆そうなのに」
「……え」
「草も花も鳥も、みんなキミと同じニンゲン。星にいたニンゲンは皆、ニンゲンじゃ無くなった」
「………」
なるほど。
今までゆづりがこの星で見てきたものは、全部人間だったらしい。花や地面に這えている草、空中を舞っている虫たちも全部、元ニンゲン。
「…………」
普通なら叫んだり泣いたりするところなのだろうが、ゆづりは一周回って冷静になってしまう。
恐怖を感じとるセンサーが、致死量の脅威を浴びて壊れたのだ。今なら自分が踏んでいる草がニンゲンだと知った上で、踊れるような気もしてくる。
「大丈夫」
「は、はい、なんとか」
「そっか」
無言で立ち尽くすゆづりを不安に思ったようで、理解者が顔を覗いてくる。その拍子に、彼の肩に乗っているピピがピッと鳴いた。
鳥がニンゲンだというのなら、例に漏れずピピも元々は人間なのだろうか。
ゆづりがじっとピピを見下ろせば、ピピは甲高く鳴いて羽を広げた。何を言っているのかは流石に分からない。でも、不幸には見えなかった。
「あ、ピピは特別。眷属だから」
「けんぞく?」
「そう。神を支えてくれる唯一の存在。ボクと同じで不老不死」
「へぇ。眷属ってホイホイできるんですか?」
「ううん。仲良くならないとできない」
神と仲良くなれば、その人も神と同じで体になれるらしい。
なら、他の神にも眷属がいたりするのだろうか。
そんなことを考えながらぼんやりと理解者とピピが戯れているのを見ていれば、理解者はあっと声を出しゆづりの手元にある本を指差す。
「本持ってきたら、読む」
「あ、いいんですか?なら、是非お願いします。今また持ってきますね」
「今は無理」
「えっ?」
「読むのボクじゃなくて、木の記憶。記憶はホイホイ掘り出せない。一日一回が限界」
「…なるほど?」
日記は理解者が通訳している訳では無く、木という翻訳機を使って音読している。しかし、その翻訳機は使い勝手が悪い。少し休ませる必要がある。こんなもんだろうか。
八星に来てから、相手の言いたいことを汲み取る力が育っている気がする。もしかしたら訳の分からない論文や、古文なども分かるようになっているのかも知れない。今度ある国語のテストがちょっと楽しみだ。
「また来てね。バイバイ」
「待って!あの、もうちょっと話聞きたいんですけど」
「なに」
「創造者と会ったことはありますか?」
「……ない。最初来た時からいない」
「でも、五十年に一度来ている。そうですよね?」
「うん。でも会えない。ボクはここから出られないから」
理解者の本体は木。この青年の姿はハリボテの作り物。
木はその地に根を張り、動き回ることが出来ない。木である理解者も同じ、とのこと。なかなか難儀な体だ。
知りたい事が知れずに少し落胆するゆづりに、理解者は少し悩む様子を見せると、木から葉を一枚千切った。そして風に乗せてゆづりの手の中に渡す。白い葉だ。ピピと同じように先端が緑の葉っぱ。
これはなんだと無言で小首を傾げれば、理解者はあげると言った。
「ボクも創造者は気にかけてる。だから、キミを応援してる」
「ありがとうございます」
どうやら応援の意を込めたプレゼントのようだ。
ゆづりはありがたく受け取り、破れぬよう丁寧にポッケに仕舞う。
理解者は相変わらず顔や声に色を灯す事はない。ただちょっとした仕草には優しさが滲み出ているように思えた。
****
「ただいま」
「おかえり。ふん、やっとか」
理解者と別れた後、ゆづりは資料室に戻った。ノアもゆづりが読めない本などを翻訳している。その仕事の成果を見るためだ。
ノアはさっき会った時同様、床で寝転んで本を手に取っている。しかし、怒っているのか不貞腐れた態度を取っていた。
おそらく理解者に本を渡しに行くのに急いでいた際、コイツを蔑ろにした事に腹を立てているのだろう。
五百年生きているというのに、融通の効かない子供のような態度だ。ゆづりはめんどくさいなと心で唱え、ごめんねと申し訳なさそうに言った。
「ふん。思って無いことを」
「……はぁ、子供みたいなやつ。めんどくさい」
「こら!わざわざ言わなくていい」
ノアが心を読めることを思い出し、ゆづりはストレートに言うことにした。すると、ノアはますます機嫌が悪くしていた。が、いちいち付き合ってたらキリがない。
ゆづりはノアを適当に宥めると、彼が広げている書物を見下ろす。何かの日記のようだ。途中まで訳したらしく、隣にあまり綺麗とは言えない字で日本語が書いてあった。
「結構進んでるね」
「だろ?俺様もバカじゃない。これくらいどうってことないね!」
「わーすごい」
ゆづりはパチパチと手を叩く。普通に褒めたのだが、その後の偉そうな態度を見てその気が冷めた。大人しくしていれば顔もいいの相まってモテそうなのに、こうも態度が子供じみている。その顔が勿体ない。
下手に物事を考えるとノアに心を読まれ、また面倒なことになる。ゆづりはバッサリ思考を断つと、無造作にノアの書いた日本語訳を読もうと紙に手を伸ばす。しかし、バシッとノアに手を叩かれた。
「な、なに?」
「俺様、タダ働きは嫌なんだが?」
「………」
つまりノアに何かお礼をしないといけないらしい。理解者が無条件で手を貸してくれたのと比較すると、ノアは本当に面倒なやつだ。
ゆづりはいすずのいる部屋に戻ってクッキーでも取って来ようかと思ったが、ノアの好きに動かされるのは腹立たしい。
ゆづりはそれならと、ノアが抱えている本を見つめた。
「分かったよ。はいはい…」
「おっ、なにくれるんだ?」
「なんて言うわけないでしょ」
ゆづりはノアに従うフリをして、彼に襲いかかる。
ノアはゆづりの奇襲に驚いたようで、守っていた紙束を床に放り投げた。ヒラヒラと纏めてある紙が舞っていき、バラバラになる。
空を自由に飛ぶ紙たちを、ゆづりは次々と拾い上げていく。ノアに紙を奪い返されるより前に読んでしまえば、ゆづりの勝ちだ。
ゆづりの身長は決して高くないが、ノアも身長は大して高くない。ゆづりが手を挙げて読めば届くのは難しいはず。
「バカめ!ここは魔法が使えるんだよ!」
「あっ!」
ノアはゆづりのそばでぴょんぴょんと跳ねて紙を奪い取ろうとしたが、それだと取れないと判断したらしい。一回引いてゆづりに人差し指を向ける。そして真っ直ぐの指を先を下に向けた。
直後、ゆづりを押しつぶさんとばかりの重力が襲いかかる。頑張って耐えられるものでは無い重さに、ゆづりはなす術なく床に倒れた。紙も当然、ゆづりの手から離れて床に散っていく。
「よっしゃ!紙、ゲットだぜ!」
「……も、もういいから、魔法…魔法をなんとか…」
ノアは魔法を解かないまま、せっせと紙を回収していく。その間ゆづりは訳の分からない重力で圧死しそうになっていた。
正直ノアが強い魔法使いどころか、まともに魔法を使えるのか怪しんでいた節があった。しかし今なら分かる。ノアは正真正銘腕の立つ魔法使いだと。
ノアは紙を全部回収したというのに、魔法を解こうとしない。ゆづりは珍しく本気でイライラしながら、さっさと止めてくれと怒鳴った。しかしノアはベーと舌を出し、挑発するだけ。コイツもなかなか腹が立っているらしい。
このままノアの気が晴れるまで解かれないと思っていたが。
「二人とも何してるんですか!」
不意に冷ややかな空気が流れ込み、叱責するような鋭い声が場を支配する。
開き放たれた扉の先、ソフィーが呆れたような顔でこちらを見下ろしていた。その太ももにいすずがしがみついている。どうやら彼女が騒ぎに気付いてソフィーを呼んできたらしい。
ノアの顔がたちまちに青くなっていく。血が昇っていたゆづりの頭もさっと冷めていった。
ノアの魔法はいつのまにか解けていた。
その後、ソフィーによって二人はしっかり怒られた。