一話 八星への招待状 上
ある日の早朝、ごく普通の中学生であるゆづりは、教室のベランダから飛び降りた。
理由は知らない。自分のことなのに、何故そんな他人事のような表現をするのかと思われるかもしれないが、そう表現するしかないのだ。
気付いたら欄干に足を掛けて、外に体を投げていたのだから。
ゆづりはクラスメイトからいじめられていたわけでも、将来に希望が持てず苦しんでいたわけでもない。この行動も誰かから迫られたりしたわけでもないし、追い込まれて逃げようとしたわけでもない。
ただ、なんとなくベランダに出て、なんとなくコンクリートに敷き詰められた地面を見下ろして、なんとなく冷えた欄干に触れて、なんとなく身を投げただけだ。
不本意の自殺。端的に説明するならそうなるだろうが、何故か身を殴るような浮遊感の中でも、死への恐怖や生への後悔は沸いてこなかった。
ようは死ぬべくして死んだ、ということだろう。
「…………」
一面に広がる青がどんどん遠ざかる。雲一つない晴天。いい天気だななんて思っている間にも、死はどんどん近づいてくる。それでも一切感情は揺らぐことはなく、むしろ暖かい布団で寝ているような安心感を覚え始めていた。
このまま死ぬ。ゆづりは物の怪が抜けたような清らかな心情と共に目を閉じ、死を待つ。が。
「待って下さい」
何処からか聞こえた声に、再び開眼を迫られた。
ゆづりがあっと驚く声を出すより先に、生ぬるい感触が体を抱きしめてくる。まるで死ぬなと訴えているように力は強く、熱い。
その温もりにゆづりは訳も分からぬまま辺りを見渡す。
が、開いた目には何も映らない。ただただ中途半端にコンクリートと校舎の灰色が見えただけ。
しかし、代わりに声がした。死と騙るには、あまりにも優しい声が。
八星に招待しましょう、と。
そう囁いた。そして、気付けばゆづりの意識は奪い取られ、視界は真っ白に染め上がっていた。
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妙な生き心地の悪さで、ゆづりはゆっくりと目を開けた。しかし、目の前の視界は真っ暗のままだ。どうやら、うつ伏せで寝ていたらしい。
そりゃ息苦しくもなる訳だ。
ゆづりははぁと息を吐きながら、重い体を動かす。体を横にして、いつの間にか掛けられている毛布を蹴る。そして、勢いのまま仰向けになって心臓が止まった。
「うぉ?!」
晴れたゆづりの視界の中央で、何者かがこちらをじっと見ているのだ。
驚いたゆづりは、カラカラに乾いた喉を潰して叫びながら、咄嗟に毛布に身を隠す。そして、バクバクと鳴る心臓を落ち着かせ、そっと毛布から外を伺う。
すると、じっとこちらを見ている少女がはっきりと見えた。
「………きつね?」
まずゆづりの目を奪ったのは、額にある金色の耳と、少女を後ろから抱くように生えている大きな金色の尻尾。
次に気になったのは、頬には施されているヒゲのような形を成した紅い化粧と、真っ赤な眼にカッ開いている黄色の瞳孔。幼い相貌から掛け離れた豪華な着物。
間違いなくヒトではない。だからといってヒトでないわけでもない。狐とヒトのハーフ。そんな表現が正しそうな娘だった。
「だれ…?っていうか、私は死んで……えっ?」
ゆづりは目の前の狐娘に、ようやく沸いてきた疑問をぶつける。しかし、狐娘は答えない。代わりに、無言でゆづりへ小さな手を差し出した。その小さな手の先、紅く長い爪が光る。
ゆづりは引っ掻かれないかと躊躇したが、狐娘が静かに手を出しつづけているので、誘われるようその手を握った。すると、小さな体から想像もつかないくらいの力で、ゆづりは引っ張られる。
「ちょ、痛っ…」
ゆづりはベットから転がるように、狐娘に引っ張られていく。狐娘はゆづりの悲鳴など聞こえていないように歩くと、ドアを乱暴に開けた。
すると、一気に薄暗い部屋の雰囲気を割り、全く新しい空間が見えた。
一言で言うなら、壁一面ガラスの部屋だった。そしてそのガラスの先にあるのは、理科の教科書で見た宇宙空間だ。
ここは宇宙なのか。
信じられない光景にゆづりは思考も足も止まる。
「起きましたか。おはようございます」
呆気に取られているゆづりに、暢気な声が掛かる。
聞き覚えのある声だ。ベランダから飛び降りる時に聞いた声とそっくり、いや同じ声。
ゆづりはその声に意識を戻され、前を向く。すると、この宇宙空間部屋の中央に誰かいた。正面に豪華なケーキスタンドとティーカップを携え、椅子に座っている女性が一人いる。
「……フツーの人っぽい」
三つ編みにされ、豊満な胸に垂れている、艶やかな金髪。
博識の色を灯した、木漏れ日のような癒しも秘めた、翠の瞳。
スタイルが良いであろう肢体を、掴ませないように崩されている白衣。
狐娘と異なり、目の前のヒトはれっきとした人間の見た目をしている。しかも優しそうな人だ。話が出来るに違いない。
ゆづりがほっと息を付くと、 相手は白い手で来いと言うように手招きした。ゆづりは狐娘の手を離すと、指さしている向かいの席に腰掛ける。
「どうも。元気でしょうか?体はどうですか?」
「げ、元気ですけど…その、ここは一体……?」
ゆづりは机の上から漂う甘い紅茶の香りに気を取られつつ、相手に首を傾げる。
おかしいのだ。こんなこと。さっき、自分は飛び降りた。なのになんで、自分は生きているのだ。
いや、別に生きているのかは分からないのか。もしかしたら、ここは天国や地獄といった死後の世界なのかも知れないし。それにしては狐娘やら宇宙空間やらで意味不明なのだが。
ゆづりが色々沸き立つ疑問と共に混乱していると、相手は無言でゆづりの前に置いてあるカップを手に取る。そしてなみなみと茶色の液体を注いだ。
「長い話になりますので、どうぞ。タージリンです」
「…ありがとうございます」
ゆづりは香りに釣られて、カップを手に取る。そして口を付けた。
飲んだことのある味がする。おそらく紅茶の一種なのだろうが、ゆづりはこんなお洒落なものは飲まないので、深くは分からない。
「改めまして、はじめまして。私の名前はソフィーです。ちなみにさっきいた狐の子の名前はいすずです」
「はぁ」
「貴方は佐々木ゆづりさん、ですよね」
「は、はい」
なんでこの人が名前を知っているのだろうか。少なくともゆづりはこの人に会った記憶はないというのに。
だが、そんな些細な違和感はあっという間に流されていく。だってゆづりが今、一番知りたいことはそれではないのだから。
「あ、あの、すみません、ここは一体なんなんですか?死後の世界かなんかですか」
「いいえ。ゆづりは生きていますよ」
「ど、どういう……?だって私、飛び下りて」
「いいえ。私がここに貴女を呼んで助けました。なので生きてます」
ソフィーはゆづりの言葉を遮って、指をパチリと鳴らす。刹那、周りの景色が一転した。ガラスの外の景色が、宇宙空間からさまざまな系統の本のイラストの様に映り変わったのだ。
「これは……」
嘗て宇宙が広がっていたガラスの右側に、いすずのような獣人が昼寝をしている絵が浮かぶ。そして、目の前にはゆづりが通っている学校がどんと構えていた。
それだけではない。学校の左には魔法使いのような格好をした青年が空を駆けており、その上には未来的なロボットがズラリと整列してこちらを見ている。
その下には一本の大木が数多の鳥を携え揺れており、さらに下には優に百を超す時計がクルクルと回っている。近くにはヨーロッパの世界遺産にありそうな豪奢な城、そして隣に広がるは一面雪と氷に包まれた白銀の世界。
なんだこれ。ゆづりが呆然とガラスを見ていれば、ソフィーは面白がるような声を出した。
「この世界には地球の他に七つ星があります。総称は『八星』。ここはそれら八つの星を繋ぐ『中継場』」
「はちほし……」
どうやらこの景色はただの映像ではなく、きちんと存在している星々の景色らしい。
本やアニメの中の世界を写したこの映像が現実だとは到底信じられないが、何故かすんなり理解はできた。自殺したのに助けられたり、いすずのような獣人をこの目で見てしまっているからだろう。
「星には『神』と呼ばれる人が一人ずつ存在しています。そして、私もその一人。貴女がいた星、地球の神こと『責任者』です」
「か、神?!」
「えぇ。といっても名前だけで、実際は星を管理しているだけですけどね」
ソフィーは少し恥ずかしそうに頬を搔く。
神と云われたら星を作ったり民を救ったりといったイメージを抱くが、この様子を見るにそこまで壮大なことをしているわけではなさそうだ。現に地球人であるゆづりが、神であるソフィーの名前を知らないし。
「これ、どうぞ。八星について詳しく書いてます」
ゆづりがソフィーとガラスの先の世界を見比べていれば、ソフィーはゆづりの目の前に一枚の紙を滑らせる。訳も分からぬまま視線を落とせば、ポップな字やイラスト見えた。まるでレストランのお子さまメニューのようだった。
これは何だと目で問いかけるゆづりに、ソフィーは自らの胸に手を当てる。
「私は神の権限で、貴女を八星の中から好きな星へ転生させることができます」
「転生……」
「はい。地球では天命を全うできなかったようなので、他の星で人生をやり直すのはいかがかな、と」
ソフィーは説明し終わると、ティーカップに口をつける。じっくり選べと暗に言っているようだった。
ゆづりは相変わらずたいして理解は出来ないまま、彼女の指示にのみ従って紙へ視線を下ろす。
紙にはソフィーの説明通り、八星の名前と詳細、そして星を管理している神の名前が二重カッコの中に書いてあった。
簡単に纏めるならこんな感じだ。
水魔星。魔法使いと人間の戦争世界。『中立者』
金時星。絶対平和な時計の世界。『在監者』
地球。 魔法のない戦争世界。『責任者』
火敵星。ヒトと魔族が争う世界。『統治者』
土獣星。物騒な獣人たちの世界。『継承者』
天機星。絶対幸福なロボット世界。『代表者』
月祈星。天災が襲い来る世界。『放棄者』
木黙星。人のいない静かな世界。『理解者』
「……色々あるんですね」
魔法使い、魔族、獣人、ロボット、天災。この短文の説明でも、星の個性や特徴などがなんとなく見える。
絶対幸福や絶対平和を謳う星もあれば、戦争だの物騒だの簡単に人が死にそうな星もあった。
「八星ですが、下二つは行けません。人間を受け付けていないのと、メンテナンス中なので」
ソフィーの手により、月祈星と木黙星が隠される。
ゆづりはメンテナンスとは何だろうと気になりつつも、じっと星の説明に目を通していった。
一話辺り4000~5000字になってます。かなりの長編になる予定です。
追記 2025年8月時点で2章47話、3章40話まで完成しています。
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