一話 八星への招待状
ある日の早朝、ごく普通の中学生であるゆづりは教室のベランダから飛び降りた。
理由は知らない。自分のことなのに何故そんな他人事のような表現をするのかと思われるかもしれないが、そう表現するしかない。
ゆづりは気付いた時には欄干に足を掛け、外に体を投げていたのだから。
ゆづりはクラスメイトからいじめられていたわけでも、将来に希望が持てず苦しんでいたわけでもない。
ただ、なんとなくベランダに出て、コンクリートに敷き詰められた地面を見下ろし、冷えた欄干に手を掛け、身を投げただけだ。
不本意の自殺。端的に説明するならそうなるだろうが、何故か身を殴るような浮遊感の中でも、死への恐怖や生への後悔は沸いてこなかった。
つまり、ゆづりは死ぬべくして死んだ、ということだろう。
「………ぁ…」
一面に広がる青がどんどん遠ざかる。雲一つない晴天。いい天気だななんて思っている間にも、死はどんどん近づいてくる。それでも一切感情は揺らぐことはなく、むしろ暖かい布団で寝ているような安心感を覚え始めていた。
このまま死ぬ。ゆづりは物の怪が抜けたような清らかな心情と共に目を閉じ、死を待つ。が。
「待って下さい」
何処からか聞こえた声に、再び開眼を迫られた。
ゆづりがあっと驚く声を出すより先に、生ぬるい感触が体を抱きしめてくる。まるで死ぬなと訴えているように力は強く、熱い。
その温もりにゆづりは訳も分からぬまま辺りを見渡す。が、開いた目には何も映らない。ただただ中途半端にコンクリートと校舎の灰色が見えただけ。
しかし、声がした。死と騙るには、あまりにも優しい声が。
八星に招待しましょう、と。
そう囁いた。そして、気付けばゆづりの意識は奪い取られ、視界は真っ白に染め上がっていた。
****
妙な生き心地の悪さで、ゆづりはゆっくりと目を開けた。しかし、目の前の視界は真っ暗のままだ。どうやら、うつ伏せで寝ていたらしい。
そりゃ息苦しくもなる訳だ。
ゆづりははぁと息を吐きながら、重い体を動かす。体を横にして、いつの間にか掛けられている毛布を蹴る。そして、勢いのまま仰向けになって心臓が止まった。
「うぉ?!」
晴れたゆづりの視界の中央で、何者かがこちらをじっと見ているのだ。
驚いたゆづりは、カラカラに乾いた喉を潰して叫びながら、咄嗟に毛布に身を隠す。そして、バクバクと鳴る心臓を落ち着かせ、そっと毛布から外を伺う。
すると、じっとこちらを見ている少女がはっきりと見えた。
「………きつね?」
まずゆづりの目を奪ったのは、額にある金色の耳と、少女を後ろから抱くように生えている大きな金色の尻尾。
次に気になったのは、頬には施されているヒゲのような形を成した紅い化粧と、真っ赤な眼にカッ開いている黄色の瞳孔。幼い相貌から掛け離れた豪華な着物。
間違いなくヒトではない。だからといってヒトでないわけでもない。狐とヒトのハーフ。そんな表現が正しそうな娘だった。
「だれ?っていうか、私は死んだんじゃ…?」
ゆづりは目の前の狐娘に、ようやく沸いてきた疑問をぶつける。しかし、狐娘は答えない。代わりに、無言でゆづりへ小さな手を差し出した。その小さな手の先、紅く長い爪が光る。
「…握手ってこと?」
ゆづりは引っ掻かれないかと躊躇したが、狐娘が静かに手を出しつづけているので、誘われるようその手を握る。すると、小さな体から想像もつかないくらいの力で、ゆづりは引っ張られた。
「ちょ、痛っ。乱暴だな」
ゆづりはベットから転がるように、狐娘に引っ張られていく。狐娘はゆづりの悲鳴など聞こえていないように歩くと、ドアを乱暴に開けた。
すると、一気に薄暗い部屋の雰囲気を割り、全く新しい空間が見えた。
「な、なにこれ…」
一言で言うなら、壁一面ガラスの部屋だった。そしてそのガラスの先にあるのは、理科の教科書で見た宇宙空間だ。
ここは宇宙なのか。信じられない光景にゆづりは思考も足も止まる。
「起きましたか。おはようございます」
呆気に取られているゆづりに、暢気な声が掛かる。
聞き覚えのある声だ。ベランダから飛び降りる時に聞いた声とそっくり、いや同じ声。
ゆづりはその声に意識を戻され、前を向く。すると、この宇宙空間部屋の中央に誰かいた。正面に豪華なケーキスタンドとティーカップを携え、椅子に座っている女性が一人いる。
「…フツーの人?」
三つ編みにされ、豊満な胸に垂れている、艶やかな金髪。
博識の色を灯した、木漏れ日のような癒しも秘めた、翠の瞳。
スタイルが良いであろう肢体を、掴ませないように崩されている白衣。
狐娘と異なり、目の前のヒトはれっきとした人間の見た目をしている。しかも優しそうな人だ。話が出来るに違いない。
ゆづりがほっと息を付くと、 相手は白い手で来いと言うように手招きした。ゆづりは狐娘の手を離すと、指さしている向かいの席に腰掛ける。
「どうも。元気でしょうか?体はどうですか?」
「元気ですけど…その、ここは一体なんですか…?」
ゆづりは机の上から漂う甘い紅茶の香りに気を取られつつ、相手に首を傾げる。
おかしいのだ。こんなこと。さっき、自分は飛び降りた。なのになんで、自分は生きているのだ。
ゆづりが色々沸き立つ疑問と共に混乱していると、相手は無言でゆづりの前に置いてあるカップを手に取る。そしてなみなみと茶色の液体を注いだ。
「長い話になりますので、どうぞ。タージリンです」
「…ありがとうございます」
ゆづりは香りに釣られて、カップを手に取る。そして口を付けた。
飲んだことのある味がする。おそらく紅茶の一種なのだろうが、ゆづりはこんなお洒落なものは飲まないので、深くは分からない。
「改めまして、はじめまして。私の名前はソフィーです。ちなみにさっきいた狐の子の名前はいすずです」
「はぁ」
「貴方は佐々木ゆづりさん、ですよね」
「はい。そうですけど…」
なんでこの人が名前を知っているのだろうか。少なくともゆづりはこの人に会った記憶はないというのに。
だが、そんな些細な違和感はあっという間に流されていく。だってゆづりが今、一番知りたいことはそれではないのだから。
「あの、すみません、ここは一体なんなんですか?死後の世界とかですか」
「死後の世界?ゆづりは生きていますよ」
「えっと、どういう意味ですか?だって私は飛び下りて死んだんじゃ…」
「いいえ。私がここに貴女を呼んで助けました。なので貴女は生きてます」
ソフィーはゆづりの言葉を遮って、指をパチリと鳴らす。刹那、周りの景色が一転した。ガラスの外の景色が、宇宙空間からさまざまな系統の本のイラストの様に映り変わったのだ。
「これは……」
嘗て宇宙が広がっていたガラスの右側に、いすずのような獣人が昼寝をしている絵が浮かぶ。そして、目の前にはゆづりが通っている学校がどんと構えていた。
それだけではない。学校の左には魔法使いのような格好をした青年が空を駆けており、その上には未来的なロボットがズラリと整列してこちらを見ている。
その下には一本の大木が数多の鳥を携え揺れており、さらに下には優に百を超す時計がクルクルと回っている。近くにはヨーロッパの世界遺産にありそうな豪奢な城、そして隣に広がるは一面雪と氷に包まれた白銀の世界。
なんだこれ。ゆづりが呆然とガラスを見ていれば、ソフィーは面白がるような声を出した。
「この世界には地球の他に七つ星があります。総称は八星。此処はそれら八つの星を繋ぐ中継場」
「はちほし…ちゅうけいじょ…」
どうやらこの景色はただの映像ではなく、きちんと存在している星々の景色らしい。
本やアニメの中の世界を写したこの映像が現実だとは到底信じられないが、何故かすんなり理解はできた。自殺したのに助けられたり、いすずのような獣人をこの目で見てしまっているからだろう。
「星には神と呼ばれる人が一人ずつ存在しています。そして、私もその一人。貴女がいた星、地球の神こと『責任者』です」
「神?!」
「えぇ。といっても名前だけで、実際は星を管理しているだけですけどね」
ソフィーは少し恥ずかしそうに頬を搔く。
神と云われたら星を作ったり民を救ったりといったイメージを抱くが、この様子を見るにそこまで壮大なことをしているわけではなさそうだ。現に地球人であるゆづりが、神であるソフィーの名前を知らないし。
「これ、どうぞ。八星について詳しく書いてます」
ゆづりがソフィーとガラスの先の世界を見比べていれば、ソフィーはゆづりの目の前に一枚の紙を滑らせる。訳も分からぬまま視線を落とせば、ポップな字やイラスト見えた。まるでレストランのお子さまメニューのようだった。
これは何だと目で問いかけるゆづりに、ソフィーは自らの胸に手を当てる。
「私は神の権限で、貴女を八星の中から好きな星へ転生させることができます」
「転生?」
「はい。地球では天命を全うできなかったようなので、他の星で人生をやり直すのはいかがかな、と」
ソフィーは説明し終わると、ティーカップに口をつける。じっくり選べと暗に言っているようだった。
ゆづりは相変わらずたいして理解は出来ないまま、彼女の指示にのみ従って紙へ視線を下ろす。
紙にはソフィーの説明通り、八星の名前と詳細、そして星を管理している神の名前が二重カッコの中に書いてあった。
簡単に纏めるならこんな感じだ。
水魔星。魔法使いと人間の戦争世界。『中立者』
金時星。絶対平和な時計の世界。『在監者』
地球。 魔法のない戦争世界。『責任者』
火敵星。ヒトと魔族が争う世界。『統治者』
土獣星。物騒な獣人たちの世界。『継承者』
天機星。絶対幸福なロボット世界。『代表者』
月祈星。天災が襲い来る世界。『放棄者』
木黙星。人のいない静かな世界。『理解者』
「…色々あるんですね」
魔法使い、魔族、獣人、ロボット、天災。この短文の説明でも、星の個性や特徴などがなんとなく見える。
絶対幸福や絶対平和を謳う星もあれば、戦争だの物騒だの簡単に人が死にそうな星もあった。
「八星ですが、下二つは行けません。人間を受け付けていないのと、メンテナンス中なので」
ソフィーの手により、月祈星と木黙星が隠される。
ゆづりはメンテナンスとは何だろうと気になりつつも、目の前の紙にぼんやりと目を通す。
「さぁ、どの星に行きたいですか?」
「そうですね。どの星にも行きたくないです」
「……それはどうして?」
「もういいやって思ってるからです」
どの星も全部楽しそうではある。魔法を使えるのも、獣人と会えるのも、非日常で面白い人生を歩めるだろう。
しかし、ゆづりはそんな生活には興味をそそられない。生きて行ってみたいとまでは思えない。それよりも、また生きるのめんどくさいなという気持ちが勝つ。折角死んだなら、それで終わりでいいじゃんと。
ゆづりの限りなく後ろ向きの返事に、ソフィーは呆気に取られたらしい。目を真ん丸くさせて、呆然とこちらを見つめていた。
「そんなにあの人のことが…」
「え?」
「いいえ、なんでもないです」
ソフィーはしばらく何か呟いていたが、ゆづりが怪訝そうな目を送ればすぐに止め、首を振る。そして何処か悲しげな顔で「すみません」と謝ってきた。
「断られた以上、私は余計なことはしない方がいいですね。元の世界への帰り方だけ教えましょう」
「はい」
「あの部屋の奥にある黒い扉。それを開けて外に出れば、元いた場所に戻れます」
「それって…?」
「地球。もっと詳しく説明するなら、貴女がベランダから落ちた時、です」
ソフィーはこれ以上上手い言葉が見当たらないというように、語尾を呑む。そして何かに耐えるよう、目線を落とした。
「分かりました。ありがとうございます」
ゆづりは残された紅茶を一気に飲み干す。そして、空になったカップを皿に戻して、早速立ち上がっていた。
別にゆづりは死にたいわけじゃない。だからといって、生きたい訳でもない。
どうでもいいのだ。自分が死のうが生きようが、どっちでも。
でも、折角死ねたのならそれでいいだろう。ここから生き返る意味も価値もゆづりにはない。なら、いっそのこと、ここで人生を終わらせてしまえばいい。
今の自分が幸福だと思えば、幸せのまま死ねる。もう、それでいい。
「ゆづり」
我を殺して部屋へと進むゆづりの背後から、不意に声がかかる。同時、ドンと何か重いものが倒れるような鈍い音が響いた。
ゆづりはその大きな物音に驚き、反射的に振り返る。すると、さっきは座っていたソフィーが、机に手を置き立ち上がっていた。その足元には白い椅子が倒れている。どうやら彼女が立った拍子に倒れたようだ。
「…?なに…」
急に動き出してどうしたのだろうか。
ゆづりは戸惑いと驚きで足を止め、ソフィーのみに意識を映す。しかし、彼女は俯いているため、心情も表情も読めたもんじゃない。ただ、金の髪が綺麗だななんて、余計なことしか考えられなかった。
ソフィーは俯いたまま、コツコツとヒールを鳴らしてゆづりの方へ近寄ってくる。そして、あっと気づいた時には、すでに彼女の顔がゆづりの目の前にあった。
交錯するゆづりの黒瞳とソフィーの緑瞳。ゆづりが恥ずかしくなり目を逸らす前に、ソフィーは細い指でゆづりの顎を掴む。そして。
「…ぇ」
無理やり自分の舌をゆづりの口に捩じ込んだ。
急な襲撃に石のように固まるゆづりに、ソフィーは大胆に顔を近づける。そしてゆづりが動かないことを良いことに、グッと頭を掴み、窒息させる勢いでゆづりの口を塞いでいった。
「…ん…んぁ…!」
変な感覚。生ぬるい温度とタージリンの味でゆづりの口が染まっていく。
ポカポカして頭が回らない。息が出来ない。息苦しさにゆづりは正気を取り戻すと、ぐいとソフィーの顔に触れた。そして、どけと必死に顔を揺らすが、ゆづりの弱い力では彼女は微塵も動かない。
本当に死ぬ。ゆづりの視界が潤み歪んでいく頃、ソフィーはようやくパッと手を離した。
ゆづりは彼女から逃げるように地面に尻をつくと、自分の口を抑える。見上げた先、ソフィーの口から艶かしく白い唾液が垂れていた。
キスされた。それも上位の。
ゆづりの顔がかああと真っ赤になる。そして、口を数回無意味に開けた後、殴りかかる勢いでソフィーを問い詰めていた。
「な、な、なにするんですか!!」
「キスです。それがなにか?」
「問題しか無いですけど!」
ソフィーは悪びれる様子もなく、平然とした様子で立っている。その態度にゆづりはふざけるなと怒鳴りそうになった。しかし、ソフィーの一言にまたも固まることになる。
「これで貴女は死ななくなりました」
「は?」
「キスした時に魔法をかけたんですよ」
ソフィーはイタズラげに微笑む。ゆづりは実感のない魔法にゾッとすると、自分の身を確かめた。
体に違和感はない。変な模様も後も残っていない。
嘘だ。ゆづりが目線でソフィーに問うと、彼女は机の上からケーキのカット用ナイフを手に持つ。そして、ペロリととクリームを舐めとると、ゆづりに見せつける用にこちらに刃を向けた。
「本当ですよ」
ソフィーはゆづりに馬乗りになると、躊躇なく腹にナイフを突き刺した。そして、ゆづりが悲鳴を上げる前に、彼女は淡々と体を滅多刺しにしていく。
なす術なくゆづりは絶叫し、命を落とすはずだが。
「え」
全く痛みがなかった。変な感覚もない。なんともない。
ゆづりはギギギと壊れた人形のように首を下に動かす。そして、ナイフが刺さったままの腹を見下ろす。
が、そこにはあるのはいつも通り健全な腹だ。血も一滴も出ておらず、傷もない、普通の腹。
なんでと混乱するゆづりに、ソフィーは不敵に笑う。
「神の力です。貴女を死ねなくしてしまいました」
「…は?!」
ゆづりは衝撃のあまり、呆然と床に倒れたままソフィーを見上げることしかできなかった。
一話辺り4000~5000字になってます。かなりの長編になる予定です。八章までは行くと思います。
追記 2025年1月時点で3章全話、4章16話まで完成しています。
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