その方向には 誰もいない
レンズは醒めた俺と興奮した「彼ら」を隔てていた。
だけど、携帯電話越しに映し出される被写体と現実が重なり、楽しそうな空間を流れる空気がこちらに伝わってくる。
ぼんやり「彼ら」を眺めていると、なんとなく好きなことを好きだと主張することは、恥ずかしくない気がしてくる。
ここには、作詞家様を愛する方々しかいない。
例え、この場にご本人がいらっしゃっても、作詞家様を尊重されるだろう。写真の一二枚は撮られて厳重秘匿され家宝にされるだろうけど。
そう思ってしまうほど、来場された方々は楽しそうに、親近感を持ってこの方の言葉に接している。
アーティストという偶像であっても相手を尊重する方々。なんだろう。こういう時にアーティストの特性が出るのかもしれない。
長く続くというのは才能だけではなく、どれだけ真剣に大衆という見えない「なにか」であっても「相手」に向き合ってきたのかも、きっと大切なのだろう。
人は自分を写す鏡。
対を成すモノ。
その点において、作詞家様の真面目さは確かだ。これまでに3回、この方を30m以内で確認したが印象は変わらない。映像はともかく現時点のこの方は、大変綺麗だ。
携帯を下げ、レンズではなく眼鏡越しに「対象」を見ようとすると、肩の強張りを感じた。
意識して力を抜く。現時点においてスタンプラリーとしては順調。しおり、そして知らなかったインタビュー場所というシークレットボーナス。
事前に確認している欲しいデータは「直筆歌詞ノートの展示」「直筆歌詞ノートのコピー展示」「ここだけの言葉の断片映像」「解釈して構築したスタジオ模型」「出口にある彼の直筆サイン」。
結構、探すものがある。時間制限はないが人が多い。探し切れるかな。
今回、わざわざきた理由。
調べ物というより、俺自身の何かの発露としてどうしても「日付け変更線で聴いている曲」の歌詞コピーが見たかった。
ずっと、この曲に応援してもらってきた。
今までも、きっとこれからも。
だから詩集も買ったけど、コピーではなくこの方の直筆データが見たかった。
歌詞ノートのフロアは人だかり。
特に直筆歌詞ノートのあたりは、人が二重になっている。
みんなの視線の先はガラスケース。
人垣越しの隙間は、光がガラスを反射しており、ここからでは見えなかった。