試される俺の弓
シュッ!……タンッ!
その見慣れない形状の……と言っても製作したのは俺自身なんだが……弓から放たれた普通よりも短い軸の突先矢は短い風切り音を残して的に向かって飛んで行き……着弾した。
そして……その最初の矢は見事に約50メートル先に据えられた直径70センチ強の木製射的の中心を塗り潰して描かれた、直径10センチ程度の小円部分に突き立った。加齢から来る視力低下を起こしている俺の眼で見ても矢は小円に着弾した様子がありありと見える。
「いいですね!この前お借りした弓よりも……私は使いやすいと思います。鏃が重いのはもう分かってましたから、今回は最初から修正できましたね」
月野さんは珍しく上機嫌な様子だ。しかし我々はその光景を未だ呆然と見ていた。俺だけじゃない。俺の後ろでこの試射を見分しているタン爺さんとジュミも驚愕の表情で50メートル先の弓的を凝視していた。
「そ、そうですか。その……ドローウェイトについてはどうですか?」
「うーん……そうですね……。正直ちょっと重い気がしますが、私が現役の頃はこれくらいのウェイトを引いていたかもしれません」
俺が若干困惑気味に応えていると、彼女の言葉が理解出来ないタン爺さんが我に帰ったらしく
「あのような不思議な形の弓で……大したもんじゃ……」
と、妙に感心している。あの弓の製作状況を一部始終見ていたジュミも
「凄い……」
と言ったきり絶句している。「鏃の重さを意識していた」とは言え、1射目でいきなり50メートル先の直径10センチの円に矢を突き立てるのは並大抵の技倆ではないだろう。俺は「ライブラリ」によって「弓製作術」というチート能力を手に入れたのだが、製作能力は獲得出来ても……射手による弓射の様子を見分した経験が殆ど無い。
前の世界では高校生時代に学校近くの区民センターの中にある弓道場に何度か訪れた際に利用者の老若男女が和弓を使っていた光景をチラっと見たくらいだった。後は動画サイトで時折現れる「おすすめ動画」で何となく観たかなぁ。
そして……こっちの世界の飛ばされてからは、他人の弓を借りた月野さんが矢を放つ姿しか見ていない。嘗て山の中で女冒険者が俺に向かって矢を放って来た事があったが、あの時の俺は奴が矢を放つ瞬間を遠目で見たくらいで、その詳細な射撃姿勢を見たわけじゃない。
そう言うわけで俺にとっての「弓射見分体験」は実質的に今目の前で初射からいきなり文字通り「的中」させた元天才アーチャーのものだけなのである。
彼女の実力が、こっちの世界において実際どんなものなのか……その比較対象を目にした事が無いので分からない。しかし、その昔「弓の名手」と呼ばれていたタン爺さんの驚き様を見れば、やはり彼女の実力は相当に高いのだろう。
俺が色々と勝手に考察している間に、月野さんは再度腰の矢筒から次の矢を取り出して弓を引き絞った。ドローイングから静止1秒……再び放たれた矢は先程と同じく鋭い風切り音を残して的の中心円の更に内側に突き立った。
「凄いですね……また円の中に入った……」
「この弓……凄く引きやすいですね!こっちの世界で引かせてもらった中では一番ですよ!」
「そ、そうですか?」
「ええ。やはりこの……ウインドウ越しにエイミング出来るのがいいですね。やはり私はこのスタイルに慣れていたのでしょう」
なるほどなぁ。グリップを作り込んだ時にも述べたが、アーチェリーの場合……持ち手を握り込む事をせず、押し出すようにして矢を引き絞る。
この際に親指と人指し指の間にある「水かき部分」が当たるグリップの深さで3パターンの形状を試作した中から彼女が現役時代に使用していた愛弓に「もっとも近い感触」のものを選んでもらった。
彼女が3つのパターンの中で選択したのはピボットポイントが最も深いものだったのだが、彼女の要望によって更に深く削り込んだものだった。
何しろ俺の「弓作成術」による知識の中にも含まれない……「知らない部品形状」だっただけに、組み上がった時の全体的なフォルムに俺自身はちょっと不安を覚えたのだが、月野さん目線ではどうやら慣れ親しんだ「感触」だったのだろう。
彼女から見ても恐らくこの弓の中央連結部分は特異な形状をしているのだろうが、弓幹越しに照準が付けられると言うアーチェリー競技の特性は維持された上で、「手を添えて押し出す」と言う感覚が当《・》時《・》と変わらなかった事が功を奏したようだ。
彼女はその後、4本の矢を放ち……その全てを小円の中に的中させた。遠目に見える豆粒のような印なので実際にはその円内のどの辺りに着弾しているのか、現時点で確認しようがないのだが……あの直径の小円の中に入っているだけで十分だろう。
都合6本の矢を全て「的中」させた時点で、タン爺さんから声が掛かった。振り向くと彼の顔が若干青褪めているように見える。
「そ、その……山神様の弓を見せて頂けませんでしょうか」
「あぁ、ご覧になります?」
「はい……是非!」
まぁ、爺さんから見ても特異な形状だろうからな。そんな見たこともない形の弓で、これだけ眼の前でバンバン50メートル先の10センチの小円に矢を打ち込まれたら、そりゃ職人としてではなく「射手」としても興味が湧くわな。
俺はたった今7射目を放って再び矢を的中させた月野さんに
「月野さんすみません。タン爺さんがその弓を見せて欲しいと言ってまして……。少しお借りしてもよろしいですか?」
そのように声を掛けると、彼女は振り向いてご機嫌な様子で
「あっ、すみません。勝手にどんどん射ってしまって。どうぞ」
そう言って「ユキオ式複合弓」を快く渡してくれた。それをそのままタンに渡しながら軽く「予防線」を張った。
「どうぞご覧下さい。まぁ……これは我々の故郷で使用されていたものに可能な限り近い造りをしているので、この地の方々には見慣れない形状でしょうけど」
「これはこれは……ありがとうございます。」
タンは弓を受け取ると、すぐに射出を擬して構えた。「ここを持つのですな?」と言いながらその特徴的なグリップを握り、弦を軽く引いている。
ああ……やっぱりグリップをしっかりと握り込んでいるな。月野さんは女性ながら掌が大きいので、男性であるタンが握ってもそれほど違和感は感じないようで、グリップを握りながら弦を引いてはいるが、小さく首を傾げている。
その原因は恐らくグリップの角度だろう。この世界の一般的な弓にはこれ程にあからさまな「握り」の形状をした部分は無く、射手は通常……弓幹の中央か、構えた時に若干下側になる位置を握る。まぁ、基本的に上下対象となる造りをしているので、自然と中央部分を握る人が多いだろうな。
しかしアーチェリー競技弓を模して作られているユキオ式複合弓のグリップには、若干の角度が付けられており……まともに握り込んでしまうと、真っ直ぐに握れずに親指側がかなり前傾するような感覚になるのではないだろうか。
このグリップは前述した通り、握り込まずに上部のピボットポイントに親指と人指し指の間にある水かき部分を当てつつ掌の部分は「添えるだけ」のような保持の仕方をするので、まともに握り込んでしまうと相当な違和感を感じるのではないだろうか。
実際、弓を番えずに弦だけ引いているタンは何とも言えないような微妙な表情になって首を傾げてさえいる。嘗ては猟師組合を率いて「名人」とも言われていた手練の射手として、ずっと引き続けて来たこの地の弓に比べれば前述の通りかなりの違和感を感じるはずだ。
「これは……変わった感覚ですな……。ワシには上手く扱えそうにないですわい」
「ああ……持ち方が違いますね。その持ち手には手を添えるだけなんです。握り込まないで、ほら。アリサ様が持っている紐で弓を支えるんですよ」
タンは顔を顰めていたが、俺の説明を聞いて「えっ!?」と言った表情になって月野さんのが手にしているストラップを見た。
「あの紐を……?」
「ええ。ちょっともう一度アリサ様に弓を持って頂きましょう」
俺はそう言ってタンから弓を返してもらい、月野さんの方に振り向いて
「月野さん、お手数ですが……弓の持ち方とストラップの使い方をタンさんが見えるように教えて頂けます?」
そう言って彼女にもう一度弓を渡した。
「あぁ……はい。分かりました」
彼女は再び左手に弓を持ち、手慣れた動作で親指と人指し指にストラップを掛けた。俺もこの際なのでじっくりとその様子を見学させてもらう。彼女はごく自然な動作で親指と人指し指にそれぞれ紐を掛けている。
「あの……もう一度お願い出来ます?」
俺は苦笑を漏らしながら彼女にお願いした。俺が見ても彼女が手慣れた動作で何やら指を複雑に動かして紐を掛ける動作が理解出来なかったのだ。このストラップを掛ける動作……一見してかなり複雑に見える。
「え……分かりました。ゆっくりとやりますが、ストラップの掛け方って、選手それぞれですし……色々と掛け方があるんです」
「ほう……?」
「ストラップ……『スリング』とも呼ばれてますが、私は指にだけ掛ける『フィンガースリング』と言う方法でずっとやってました」
「フィンガー……スリング?」
「はい。他にはまず手首に掛けてから最終的に親指に掛けるやり方もありまして、そっちは『ボウスリング』と呼ばれてましたね」
「なるほど。手首に掛けるやり方もあると。両者の違い……と言うか採用する理由とかってあるんですか?」
もう……まるで「アーチェリー入門講座」である。そもそも弓を構えた際に「弓幹を握らない」と言ってる時点で俺も含めたこっちの世界の住民の理解を超えているのだ。
彼女の説明によれば、ストラップ(スリング)を弓に対して掛ける際に、彼女の言うように「指にだけ掛ける(巻く)」スタイルと「手首にも掛ける」スタイルがあるらしい。
彼女が今、人指し指にだけ掛けている紐……ストラップは先程見せてもらった感じだと一周り40センチくらいだろか。素材は細い革、つまりは革紐だ。
手首に掛けるボウスリングの場合、ストラップは更に長いものになるので長さ90センチくらいになるのかな?彼女は一応ボウスリングも実演してくれたのだが、持っていたストラップでは短か過ぎて上手く巻けなかったようだ。
「フィンガーとボウの違いは……正直あまり無いのですが、初心者の方とか、フルドロー(弦を引ききった状態、会)からリリース(矢を放つ)の際に力が入ってしまう方はボウスリングを選択するみたいですね。一応、リリースの時に弦が戻る力を弓が吸収する瞬間にストラップが手首に固定されているのでフォームの乱れをある程度防いでくれます」
「と、言うことは……こっちの世界の射手は弓を握り込んで矢を放つ癖がありますから、この弓を扱う際にはボウスリングの方が安定するんですかね?」
彼女の説明を聞いて、俺なりに理解した部分を話すと彼女は「あっ!そうかもしれませんね!」と首肯してくれた。矢を放つ瞬間……と言うか弦が戻りつつ矢を押し出している瞬間に弓幹を持つ手が慣性に負けてブレたりすれば、矢をレストに乗せて発射されるアーチェリーボウだけに、数十メートル先の着弾も大きくズレる可能性がある。
なので2つのスタイルは人それぞれの感覚なのだろう。月野さんはアーチェリーを始めた頃からフィンガースリングを使っているのだとか。
この説明を、可能な限り解りやすくタンに通訳し……月野さんにも手伝ってもらって弓をタンに持たせた状態でストラップを指に掛けてあげたが、結局タンは違和感が拭えなかったようだ。
試しに3本の矢を放ってみたが、いずれも的に当てる事さえ出来なかった。
「ははは……これは……ワシには無理ですな。『弓を押し出す』と言った感覚が難しいですし、弦をここまでしか引かずに、こんな短い矢を射るなんて……」
嘗ては猟師組合でも「弓の名手」と呼ばれていた老人は苦笑いと共に首を振りながら弓を返してきた。なるほど……伝統的な弓と、現代技術によって生み出された競技アーチェリー弓では、そこまで差があるのか。
「しかし、これを使い慣れた山神様であれば……あそこまで素晴らしい結果を出せるのですな。いやぁ……どうやらユキオ様や山神様のお国の技術はワシらなんかでは足下にも及ばんようですなぁ」
タン爺さんが少しだけ無念さを窺わせる様子で話すので
「まぁ……俺達の居た国と、この辺りの地域では弓の技術の進み方がちょっと違うようですね」
俺も仕方なく苦笑交じりでそれを認めた。我々が居た世界……特に日本は、月野さんの話によればどうやら弓を使った狩猟を法律で禁じているらしいので、弓と言えば「競技」になっている。
海外であればまだ弓による狩猟を愛好されている方々が居るそうだが、日本で生まれ育った俺のような「一般的な日本人」には日々の暮らしにおいて「弓で矢を射る」と言う行為自体に殆ど馴染みが無い。
そんな社会状況の中でも伝統的な「武士の嗜み」としての弓道を体系化させて残して来たのは「狩猟」とか「戦争」とは違う「文化」としての側面だろう。西洋世界においても、狩猟や戦争では既に銃器が中心であるにもかかわらずアーチェリーが競技として生き残ったのは、日本の弓道と似たような事情だったのではないだろうか。
しかし……この世界、俺達が飛ばされて来た「ファンタジー混じりの前時代的世界」では今でも弓は武器として使われている。俺はこの世界でまだ戦乱の様子を毛程も感じていないが、北部の帝国周辺地域では今でも帝国の膨張への抵抗が続いているとも聞かされた。
そしてこの地域では山中での狩猟に今でも弓が大きな役割を果たしている。聞けば……狼や熊、イノシシにはあまり殺傷効果が見られないらしいが、それ以外の鹿や小動物、そして鳥類に対しては罠猟よりも効果を上げているらしい。
弓の製作技術はまだまだ発展の余地が残っているが、弓はこの世界の人々の活動にとって切っても切れないものなのだ。
月野さんには思う存分試射してもらう事にして、その場に予備の矢を20本程置いて俺は一旦、タン爺さんやジュミと工房に戻った。
タン爺さんは月野さんの弓射の腕に余程驚いたようだが……既存の弓と構造も、持ち方すら違う「ユキオ式複合弓」に対して理解する事を諦めた様子で、難しい顔をしている。
「おかげさまで、アリサ様の弓を誂える事が出来ました。ありがとうございました」
俺がそう言って頭を下げると、爺さんは恐縮気味に
「いやいや……ワシは特にアナタ達を助ける事が出来なんだ。もう少し手が空いていれば……それなりに手伝えたのかもしれんですがの」
「いえ。素材も分けて頂きましたし。何より我々がこの村に滞在出来るようにジュミに言ってもらえたり、お宅の風呂や井戸までお借りしましたので……」
俺が笑いながら尚も礼を述べると、爺さんは漸く愁眉を開くと言った感じで、微笑を浮かべた。技術レベルの違いから来る我々への屈託に対して割り切った様子だ。
裏庭からは時折「ターン!」という音が聞こえて来る。月野さんはどうやら夢中になって試射を続けているのだろうか。以前の川原で女冒険者の弓を使っていた時もそうだったが、弓の練習を始めると周囲の事を忘れてしまう感じなのだろうか。
彼女をこのまま一人置いて行くわけにもいかないので仕方なく俺も工房に残り……何もしないでいると気拙くなるので、簡単な修繕を手伝う事にした。ジュミは自宅工房に戻り、矢の作成を続けると言う。
俺自身も少し手伝ったので、ジュミ宅の工房には250本分程度の部材が準備出来ている。彼女は今日からその組立を行うつもりだろう。
工房の奥にある作業台ではタンの長男オルキスが相変わらずこちらに興味を示す様子も見せずに弓の修繕に従事している。
俺はタンに現在の注文の進捗を聞いてみた。
「半月前から、修繕と新造の注文が一気に入ってきましてな」
「どれくらいの件数なんですか?」
「半分が修繕ですな。新造を依頼してきたのは7人ですわ」
7人……つまり7張か。アギナ親方も弓を喪った一人だ。まぁ、彼の場合は弓どころか自らの身体もズタボロにされて木樵頭親子に担架で運び出される事態に陥ったのだが……。
そもそも、自力で村に帰還出来た者達が辛うじて持ち戻れた自らの得物(弓)は15張。そのうち「修復可能」なものは8張だったそうだ。
そして残り7張は「新造した方が早いな」と言う判断だったそうで、7人の猟師はそのまま「では新造を……」と言う流れになったらしい。
弓そのものは、道具屋でも完成品が販売されている。恐らくは「汎用製品」としての品質なんだろうと思われるが、「あの件」に参加した者達は3村でもそれなりに「選抜された弓の腕自慢」な精鋭だっただけに、店売りの弓では満足出来ないのだろうか。
「つまり新造注文が7張、修復注文が8張。合わせて15張ですか。『あの件』で山中に赴いたのはえっと……伝令役含めて32人でしたっけ?」
「ええ。確かそれくらいの人数だったと聞いてますな」
「確か……オオカミの襲撃で最終的に6人亡くなったんですよね。なのでまぁ……生存者は26人。そのうちどれくらいの人が弓猟師として復帰可能なんですかね?」
「さぁ……そこまでは聞いとらんですのう。ワシとしてはアナタから先日、アギナの命が助かったと聞かされたのが最後の消息でしたからなぁ」
「アギナ親方も弓を失ったと言ってました。それに彼はまだ往時の体力を取り戻せていませんから、猟師として復帰するのは多分……来年の春以降でしょう」
「それでも弓を新造や修復して猟に復帰しようと思っているのは15人ですか。アギナ親方を含めた残り11人は……猟師として復帰出来ないくらいの大怪我を負って療養中って感じなのでしょうか」
「そうらしいですな。腕を噛み千切られた者や千切られなくとも動かなくなってしまっている者も居ったと聞いとります。あの者達はもう……弓で食ってくのは無理でしょうなぁ」
タン爺さんは暗い表情で話した。なるほど……そう考えると瀕死の重傷を負ったとは言え、結果的に四肢が残ったアギナは不幸中の幸いだったとも言える。但し彼の場合は……そもそも俺達が現れなかったら生命を保てたかは微妙だ。
タン工房へ注文を出さなかった者達の中で、何人が「猟師生命」を奪われたのかは爺さんも把握していないらしく、もしかしたら「新造や修繕を必要としないコンディションで持ち戻れた」者だって存在するかもしれないのだ。
ちなみに、セリ村の道具屋で売られているのを見た……恐らくはタン爺さんの作である汎用品の弓は2400ラリック……つまり銀貨24枚で売られていた。俺の独自換算だと日本円で約24万円と言ったところか。
確か……あの女冒険者、ジーヌが持ってた弓はミランドの弓屋だか武器屋で大銀貨3枚にて入手したと聞いた。結構な金額である。彼女は冒険者ランクがDに上がった時に奮発して買ったとか言ってたな。
但し、今思えば……彼女の弓は「オーダー品」だったのかは不明である。店頭で汎用品……つまり既製品を買ったのかもしれないな。
「これ……今タンさんが手掛けていらっしゃる新造弓はおいくらで注文を受けているんですか?」
俺がちょっと訊き辛そうな感じで思い切って尋ねてみると、彼は軽く笑いながら「新造注文の相場」を教えてくれた。
「まぁ……ワシの場合、と言いますかワシの師匠の頃から村の雑貨屋には1本2300ラリックで納めております。今作ってるコレは……ちょっと待っとって下さい……あぁ、4000ラリックで請けとりますな」
ほぅ……俺が聞いたジーヌの弓よりかなり高いな。日本円で約40万円……。この地域で活動する猟師が、そんな金額を支払える能力がある事にちょっと驚いた。
ジーヌの弓を手にした時はまだ俺自身が「弓製作術」のスキルを取得していなかったので、専門家としての鑑定眼を発揮出来なかった。なので……あの弓の出来栄えや性能についてあまり評価出来ないんだよなぁ。
俺はまだ、タン爺さんが「受注品」として手掛けた品質の弓を手にした事が無い。ジュミが作った弓は手に取って……簡単なバランス調整まで施したが、タン爺さんが作った弓は「店売りの既製品」しか見ていないのである。
なので彼が製作した弓が、どれくらいの品質・性能を持っているのかを俺はまだ知らないのだ。我々がこの村にやって来て……確か今日で13日目なので、この老職人に出会ってから半月近くが経過している。
それでも俺は、まだ1張すら彼が誂えたオーダー弓の完成品を見れていないのには一応理由がある。
こっちの世界の弓は基本的に半月やそこらで完成できる代物ではないからだ。
一番の理由は複合素材の接着、その定着に日数が掛かるからである。恐らくは季節によって温度や湿度に差があると思うが、弓幹の素材を接着剤で貼り合わせ、それを強固に定着させるには……それこそ半月を要する。
矢を作る際に矢羽根を接着剤で仮付けするなら1日程度で済むが、弓幹の貼り合わせの場合は、素材を接着しつつ……「弓反りの型付け」を同時に行う。接着剤を塗布して素材を貼り合わせつつ、複数の万力で構成された型付器に嵌めてまずは数日放置し、大まかな型癖を付けてから更に組み紐で作られた細い縄を弓幹に巻き付け、巻き締めて固定した部分に楔を差し込む事で形状の微調整を行う。
道具屋などに納品する汎用機製品と、オーダー品の違いはこの型付けによる顧客の体格や筋力、癖に合わせた弓幹形状の微調整を行うところにある。
この微調整の工程は弓職人にとっても、多分……長年の経験が必要なものだと思われ、タン爺さんの長男オルキスがまだ新造を任せてもらえないのも、これが理由ではないだろうか。
現在、俺の見た感じでは弓の新造作業について複数の注文が同時に進行中のようで、微調整の為に縄を巻かれて大量の楔が打たれた弓幹部材が既に4本、壁のラックに掛けられている。更には別の作業台に設置されている2台の型付け台にも恐らくは接着直後の部材が嵌められていて、こちらも並列進行しているように思える。
俺達が今日訪問した際、タン爺さんは手前の大きな作業場で木材を削っていて、既に作業を再開しようとしている。これが多分……注文を受けた最後の新造品っぽいな。都合7本目の新造弓、これは……その芯材を成形していたのではないかと思われる。
この部材成形が終わると、釜で加熱しながら芯材と側材をタンバ汁を使って貼り合わせる。貼り合わせる前にも加熱するが、貼り合わせた後にも釜で加熱を再度行い、そのまま型付器に嵌め込んで万力を締める。
この状態で7日から10日間放置して芯材と側材を定着させる。定着した弓幹部材を再び加熱しながら縄を巻いて楔を打ち込み、最終的な弓反りを決めるわけだ。形状を決めたらそのまま5日程度放置する。これで漸く弓幹の「粗組み」が終わるわけだ。
その後は細部を削って全体の撓みを調整したり……薄革を巻いたりと、仕上げに3日程掛けて一応の完成となる。最初の芯材や側材の削り込みを含めると、概ね1本の弓を仕上げるのに20日程度は必要だろう。
但し……この作業場の様子を見れば分かるが、タン爺さんは何本もの弓を同時進行、並列的に製作工程を進めている。なので彼自身の月間生産能力は何だかんだで10本くらいは作れるのではないだろうか。
これに対し、現在は修繕を担当しているオルキスは……修繕の程度にもよるが、恐らく平均3日程度で1本の弓を修復していると思われる。
そもそも、弓幹が「折れている」なんて状態だと「修繕不能」と判断されるはずだ。一番大きな修復としては側材のみ割れたとか……弓弭(弦を掛ける部分)が割れたとか、その程度であれば側材の貼り替えとか、ヒビの修復なんかで対処すると思われる。
オルキスが作業している奥の机の横に筒型の容器が置かれていて、弓幹が何本か差し入れられている。数えたら5本入っており、どうやらこれが「未着手の修復予定品」かと思われた。
オルキスは今も修復作業中で1本の弓幹を手にしているので、未着手含めて6本の弓を修理予定……過日修繕を請け負ったのは8本なので、恐らく彼は既に2本の弓の修復を終えた……と見ていいだろう。
彼とは未だ一言も言葉を交わしていないので、『嫌われているのかな……?』と思わないでもなかったので、正直こちらから声を掛けるのが躊躇われたのだが、今日は修繕を手伝う事になったので、彼と話さないといけない。仕方なく思い切って声を掛けた。
「オルキスさん……。ここから自分で選んでいいですかね?」
未着手品が入っている筒型の入れ物を指さしながら訊いてみたところ、彼は自身が手掛けている弓幹を相手にしていて無反応である。
おいおい……シカトかよ……。と思いつつ、流石にイラっとしたので……やや声を高めてもう一度声を掛けた。
「オルキスさん!今日は修理を手伝おうと思ってるんですけど、どうしたらいいですかねっ!」
すると、彼は初めて気付いたような素振りでこちらに振り向いた。
「えっ!?てっ、手伝う……?」
彼の素振りと物言いに、俺は多少の違和感を感じた。すると一番入口側の作業机で矢軸を削っていたトサンが慌てたようにこちらに来て
「ユキオ様っ!すみません。兄貴は耳がちょっと悪いんです……」
と……申し訳なさそうに教えてくれた。えっ!?そうなの?真ん中の作業机で芯材を削っていたタン爺さんも手を止めて
「おぉ……そう言えばユキオ様には言ってなかったですな。倅、オルキスは耳を患ってましてな……」
ちょっと物悲しい感じで教えてくれた。なるほど……どうやら全く聞こえなくなっているわけではなく、聴覚に障碍があるのか。俺を嫌って無視していたのではなく……単に気付いていなかっただけなのか?
「それはそれは……大変失礼しました」
俺は急に申し訳ない気持ちで一杯になりオルキスに対して頭を下げると、彼も慌てた素振りで頭を下げてきた。どうやら思ったよりもイイ人っぽい。
その後聞いたのだが、少年時代の彼は普通に聞こえていたらしい。しかし父の下で弓職人の修行に入った直後から段々と耳が聞こえなくなってきたとのこと。生まれつきの障碍ではなく、どうやら後天的なものらしい。
うーん……月野さんに診てもらおうかな。彼とは色々と話してみたが、俺が見たところ……両耳が同じ程度に聞こえないようだ。今も言ったが、修行に入った15歳頃から多分徐々に聞こえなくなり、「気付いたら聞こえなくなってた」みたいな感じらしい。
成長と共に何らかの後天性障碍が進行したのか。元の世界での経験だが、知り合いの子供が成長に伴って心臓の周辺の循環器に異常が出てきて手術に至った……と言う話があった。心臓含め他の器官は成長に伴って機能が強化されていったが、心臓血管の弁?だけが成長せずに機能不全に陥ったとか聞いた記憶がある。
やはりそう言う成長過程に発生した障碍なのだろうか。俺は医療知識に関しては全くの門外漢なので憶測で考えるべきじゃない。
オルキスは実際に話してみると気さくな好青年だった。俺が修繕の手伝いを申し出ると、「オラの手が遅いばかりに……」と申し訳なさそうな表情で「そちらにあるものの中からユキオ様が好きにお選び下さい」と筒状の入れ物に入った未着手の破損弓を指さしてくれた。
俺は5本ある、まだ修繕の手が入っていない弓のうち……弓弧の内側の側材がリム部の端から剥がれた上に20センチ程のところで折れて欠損してしまっているものを選んだ。
これは恐らく……あのクロスジオオカミの群れに襲撃を受けた際に、弦が掛かった状態で棒のように振り回して打撃武器のように使ってしまったのだろうか。5本あった未着手品の中で、これがもっとも損傷が激しいように思えた。
時間はまだ正午前なので、今日1日掛けてこれを修繕しようと思い、欠損部の延長にある内弧の側材部分を平鑿を使って接着剤ごと剥がした。
「全部剥がしたのですか?欠けてるところだけ直すのではないのですね」
俺の作業を見たオルキスがちょっと驚いた顔をしている。
「ああ……あの長さ部分だけを貼り直したところで、両端のリムの撓みに狂いが大きく出てしまうので、これなら側材全てを貼り直した方が調整も楽ですからね」
当たり前だが、俺自身は「弓製作術」スキルを習得する前は弓に関して全くの素人だったので、このような弓の修繕作業にしたところで初体験だ。それでも俺の手は熟練の職人の如く勝手に動いて側材と接着剤を鑿で綺麗に剥離させ、残った弓幹を釜に突っ込んだ。
弓幹を温めている間に、作業机の横に転がっていたハルモ材の成形を行う。ハルモは既に幅5センチ、厚さ2センチ程度の冊のような板状に切り出されており、これを切り離した芯材に貼り合わせる為に削り込んで形状を出す。
ハルモ材を削る手がまたしても勝手に動く。ユキオ式複合弓のグリップ部分を削り出した時も、自分が頭の中で描いているイメージ沿って手が勝手に動いている……と言った感じなのだが、元々はこうしたこっちの世界で使われている弓を加工する為の技術であるわけだから、寧ろ「弓製作術」としては違和感が無い。
木材を1時間程削っていたのだが、その間も裏庭側から「ターン!」という音が規則正しく聞こえてくる。月野さんは他に誰も居ない射場で、誰の目も気にせず、ずっと集中しているようだ。
結局、俺は夕方までに3本の弓の修繕を行ったが、接着剤が定着しないと仕上げ工程に移れないので、あくまでも「下作業」と言う形で縄を巻き付けて、型を付ける為の楔を打ち込んだ状態で壁面に備え付けられた棚に並べた。月野さんの〈ヒート〉を使えば……この接着剤も1日で定着しそうだが、この後の仕上げ工程はオルキスに任せる事にした。
この工房にはガラス窓が無く、板窓しか無いのだが……気付くと窓から漏れてくる外の光が翳っている。時計を見ると16:07だった。
今日は洗濯をする日ではないのでこのまま一旦帰ろうと、月野さんが居る裏庭に続く扉を開けると……彼女は今も矢を引いていた。
シュッ……スターン!
彼女が放った矢は、夕暮れに向かって薄暗くなり始めている裏庭の中、ちょっと見えなくなりつつある50メートル先の的に吸い込まれて行き……着弾音を発した。
「月野さん。16時を過ぎたので、今日はこの辺で一旦切り上げませんか?」
それでも俺は彼女の邪魔をするのを恐れるかのように声を掛けた。恐らくは今も的に対して集中している月野さんは、意外に驚いたりする事なく俺の方へ振り返ったが
「あっ!もうそんな時間ですか!?ホントだ!空が暗くなってきてますね!」
空を見上げて今更ながらに声を上げている。夕暮れに近付いている事に気付かないくらいに集中してたのか。俺も以前は自宅に引き籠って仕事をしている時や、ネットオークションに出品するフィギアに色を塗ったりヤスリを掛けてる時は時間を忘れて没頭してしまう事があるが、頭が痛くなったり、目が乾き切ってる感覚になってたなぁ。
彼女は俺が予備として置いていった20本の矢を使わず、最初に渡した10本だけを使い続けていたようだ。的から回収してきた矢は羽根部分が結構傷んでいた。羽根がここまで消耗しているのに的に当て続けていたのか……。
「どうでしたか?使い続けた上で何か弓に問題はありましたか?」
「うーん……今のところはありませんね。操作性や感覚にも随分慣れました。今の私には凄くフィットしていますよ!」
彼女は嬉しそうに言った。机上の設計とぶっつけ製作なのにもかかわらず……ユキオ式複合弓の試作第1号は、なかなか好評を得たようだ。しかし従来の弓を使い続けて来た「嘗ての弓名人」であるタン爺さんには扱いが難しかったようだ。
これでひとまず……俺がこの村に来た目的も達成された。隣の村で肉製品が出来上がるまで6日も残っている。どうせなら最終日までジュミの家に滞在させて欲しい。
洗濯や風呂でお世話になるので、この際だからタンの工房を手伝うか……。
ジュミの家へ帰る道すがら……この村で残された時間を意識し始めるようになった。




