俺が作った弓
ジュミ宅に帰って来た俺は、早速弓幹の接続金具と他の部品を作業机の上に並べ直して、再度その「完成予想図」を思い浮かべた。
……うん、悪くない。
月野さんの解説を俺なりに解釈した「非対称複合弓(改)」は黒錆加工された文字通りの「黒鉄」で補強されたハンドル部の両端に各々長さ約60センチの複合素材によるリムが接続される。
ハンドル部の長さも60センチ弱になると思われるので、完成した時の弓幹の全長は180センチ弱、リカーブさせて弦を掛けた状態で170センチ程度になると思われる。
身長168センチだと言う月野さんが現役競技者として扱っていたものと、ほぼ同じ長さだ。
問題はドローウェイトだが、元々顎先までしか弦を引かない月野さんのフォームならば徐々に慣らす事が可能かもしれない。
ただ問題は……先程入手したハンドル部の形状や接続……と言うか接合金具の存在だ。
今回作ろうとしている弓幹に関して、両端のリム部分と中央のハンドル部分の接合は主に「枘」を使用して組み合わせ、枘穴に込栓を打ち込む事で弓を引き絞った時に掛かる弓力、即ち「ドローウェイト」にも負けない接合状態を作り出せる。
まぁ……元の世界の神社仏閣などの伝統的な日本建築に見られた「釘を使わない」アレを想像してもらうと分かりやすいか。
ジュミ宅の作業場の壁に掛けられた亡父ヘイジが造り掛けていた弓にもこの技術が使われているし、俺の「弓製作術」スキルで得られる知識においてもハンドル部分とリム部分の接合には「枘を利用する」としている。
枘によって接合する利点としては、弓を引き絞った際の弓力を枘の仕口部分全体の表面積で支える事で、撓んだ際に接続点に掛かる「曲げ応力」を分散できるからである。
解りやすく言うと、単に接合部分を釘やら鋲などで固定してしまうと、弓幹が撓んだ際に掛かる力が釘や鋲を打った「点」に集中してしまうために、弓力に抗する事が出来ずに接合部分で破断して(折れて)しまう可能性があるのだ。
どうやらこれは、一本物の「丸木弓」から改良を重ねていった先人達が、増大していくパワーに負けない弓本体を造り上げる過程で身に着けていった知恵であり、「ライブラリ」における弓製作術もこの部分を踏襲しているものと思われる。
しかし……この点において今回採用したハンドル部分の構造は、俺が元から持っている弓製作におけるものとは大きく異なり、こっちの世界の人々にとっては全く見た事がない外見をしているのではないだろうか。
端部に接合されるリム部分を除いた、所謂ハンドル部分の長さは概ね60センチ前後。このサイズについてはそれほど珍しいものではない。特徴的なのはハンドル=持ち手部分の形状で、弓幹の中心にはっきりとした「握り」が形作られている。
この世界の弓……ヨーイス村で伝統的に作られている「森の民の弓」や、ヘイジがアンテラでの修行によって得た技術をヨーイスに持ち込んだ「平地の複合弓」もそうだが、ハンドル部分中央の「持ち手とされる位置」に滑り止めの薄い革を巻き付けられた仕上がりとなるので、大半の射手は弓幹の向きを「どちらが上」と決めて使っていないのではないかと思われる。
つまりこの世界の弓は一般的に「上下(左右)対称のもの」と認識されており、向きに拘って使用している者は少数派であるようだ。
実際、この件に関しては月野さんやタン爺さんといった身近な「使い手」に聞いてみたが、元の世界で非対称形状のアーチェリーボウ(リカーブ)を使用していた月野さんでさえ「こっちの弓ではあまり意識していませんでした」と言っていた。
そのような常識の下に弓を操っていた者たちにとって、今回俺が製作している弓は一見してかなり奇異な形状だろうなぁ。
明らかに「ここを握ってね」と言わんばかりの形状をしているグリップが弓幹の中心部分に形作られ、その直上に何やら金属でゴテゴテした部品が取り付けられている。これが金属加工職人オデラに作ってもらった「ハンドル部の継手」である。
全長約60センチのハンドル部はグリップを含めた長さ約40センチの下側部分と、接合金具を介して幹部が左から右に向かって抉られたような形状をしている約20センチの上側部分で構成され、接合金具はこの「抉り込まれた部分」を補強するように装着される。
金具は上側の抉り込まれて細くなった部分を補強すると同時に、グリップが配された下側部分との接合を担っているわけだ。
この抉られたように欠けている部分は、この弓を作っている俺から見ても非常に奇妙な形状なのだが……この部分こそが今回、月野さん専用の弓として最も象徴的な……そして苦心した機構である。
抉り込まれた部分には今回別途製作してもらった「レスト」と言う……矢を番えた際に矢の先端を乗せる金具が取り付けられる。
その形状は一見して左側がやや欠けたようなU……いや、J文字の方が近いだろうか。
月野さんから聞いた説明では、このレストと言う部品も様々な形状があるらしく、更にはレストの他の部品と組合わせて取り付けられるそうだが、今回はひとまず矢が載せられる部分があれば良いとの事だったので、このJ文字形状のレストが採用された。
この機構によってこの弓は……こちらの世界の一般的な弓とは違って射手目線で弓幹の中心部分に矢が保持された状態で照準が付けられ……引き絞られた弦が戻って行く同一線上の角度で矢が押し出されて行く事になる。つまり弦が真っ直ぐに矢を射出するわけだな。
元の世界に存在した競技アーチェリーボウの本物には及ぶべくもないが、これで何とか月野さんが使い馴染みのある感覚で弓を使えるならば……今後はこのスタイルで素材の改良を目指せばいいわけである。
そもそも、弓幹本体に金属部品を使う事に馴染みの無いこちらの世界の住人と違い、月野さんが元の世界で扱っていたアーチェリーボウには、多少なりとも金属が使われていたり、その他にも主に樹脂製だとは思うがゴテゴテとした補機類が装着されていたので、今回作ろうとしているような弓幹の中央部を金属部品で覆われているような外見に対して彼女はそれほど違和感を持っていないようである。
現に、午前中にも並べ置いた各パーツの中に受け取って来た金属接合部品を置いて
「ハンドルのこことここをコレで接合して補強します」
と説明したところ
「なるほど!レストを入れるスペースがここで確保できるわけですか!」
などと、寧ろ感心されてしまった。彼女が現役時代に使っていたリカーブボウに比べて非常にスッキリとした見た目だと言う。
「敢えて言えば……やはりベアボウに似ていますね。雰囲気がですけど」
こっちの世界における「弓製作術」の知識を素地としている俺の感覚では……未だに違和感のある形状をしているんだが、月野さんには意外にも見慣れたものに近いらしいのだ。
「ベアボウ」と言うのは月野さんが取り組んでいたターゲット競技で使われていた「リカーブ」とは違って、補機類が殆ど装着されていない形状の弓だそうで、主に競技場ではなく野外のフィールド……山中や森林等で設置された的を狙うと言う競技スタイルのようだ。
前述の通り、補機類が装着されていない弓を担いでターゲットを求めてフィールドを歩き回る必要があり、競技場とは違う肉体の疲労に晒されながら的を狙わないといけないので、ターゲット競技には無い難しさもある……らしいのだ。
月野さんが在籍していた高校の洋弓部にはベアボウ競技に参加していた部員が居なかったので、現役当時に彼女がベアボウを使ったフィールドアーチェリーを体験する機会が殆ど無かったそうだが、中学生時代に地元の洋弓愛好会で2度だけフィールドアーチェリー大会に参加した時に体験させてもらったのだそうだ。
まぁ……こっちの世界に来たからには、恐らくもう競技アーチェリーなど開催されているとは思えないので、今後はフィールドアーチェリーの体験を活かして頂きたい。
机の上に並べられた弓幹のパーツを改めて点検してから、まずはリム部分の完成を目指す。……リム部は複合素材を貼り合わせるので接着が利くまで時間が掛かる。弦を掛けた状態でリムの外側に繊維状に解した牛脛の腱を、内側に午前中に形を整えた冊状の牛大腿骨をノロの芯材として貼り合わせる。
この組み合わせによって、弓を引いて弓幹が撓んだ際に……外側に貼った腱が「引っ張り」に対して縮もうとする力が生じる。そしてリムの内側では大腿骨が圧縮に対して元に戻ろうとする反発力が生じる。
この内外でそれぞれ撓むリムに対して「元に戻ろうとする力」が働く事で大きなエネルギーを生む……これが「動物由来素材」による非対称複合弓が大きな威力を生み出す仕組みである。
モンゴル弓騎兵やオスマン軽騎兵は、この複合素材が生み出す反発力の大きさによって弓幹の長さを大幅に詰める事で、騎射戦法を大きな武器として中世〜近世初期の欧州を席捲した。
こちらの世界でも隣のゼビロス大陸の一部で馬上弓術が発展しているとの記載が確か「ライブラリ」にあった。一応、同じような考え方をする民族は存在するようだ。
リム製作については、弓製作術で習得した作業工程そのままなので俺にとっては矢の製作と同じように「勝手に手が動く」らしく、作業机を挟んでジュミが目を瞠りながら注目する中、乾燥した腱をタンバ草を叩くのに使用する棒で叩いて繊維状に解した上で細かく裂く。
芯材となるノロ材と牛の脚骨から整形した骨材を先に貼り合わせ、更にタンバの汁と一緒に鍋の中で加熱して柔らかくなった腱をノロ材の反対側に貼り付ける。これを乾燥させるとリム部分の原型が出来上がる。
通常、この複合素材を貼り合わせて接着させる作業は乾燥時間を伴うので、長いと2週間くらい掛かってしまうのだが、俺は月野さんにお願いして100度に設定された〈ヒート〉でリム全体を3時間程加熱してもらった。
タンバ汁は加熱することで接着力と硬化性が増す性質があり、通常は工房内にも設置されている部材を曲げたりする際に使用する蒸気で加熱する釜に突っ込んだりするのだが、外部からではなく内部全体を加熱する事で接着力の向上を期待したのだ。
実際、加熱を終えたリム部品は骨材と腱材が強固に接着されており、弓製作術スキルを持った俺からみても「見た事が無いくらい」の仕上がりとなっていた。
上下2本のリムの形状を揃え、端部の弦を掛ける部分……弓弭の形を整えてから反対側の端にV字型に枘を彫る。もちろんそれを受けるハンドル部分側にも同様に山型に彫る。
枘と言っても長さは10センチ程にも及ぶ大きさで、リムとハンドルはこの10センチもの枘で噛み合う形となる。先にタンバ汁で接着してから直径5ミリ程の枘穴を開け込栓を打ち込む。
10センチの長さで噛み合っているV字(谷型)と山型の枘部分に対して3カ所に枘穴を開けて栓を詰めれば、リムとハンドルは強固に接合される。完成した弓幹が撓む際に、この込栓3本で固定された10センチの枘が接合部全体に掛かる弓力を面で分散して受けてくれる……そう言う構造だ。
リム部の素材貼り合わせを月野さんに協力頂いて夕方までに仕上げ、洗濯や入浴、夕飯を済ませた後も形状の仕上げと枘切りの作業を続けて、上下2組のそれぞれリムとハンドルに込栓を打ち込んだ時は3時を回っていた。
作業が一区切りして……ふと顔を上げると、作業部屋は俺だけになっていた。ジュミはともかく、月野さんよりも遅くまで作業したのは初めてかもしれない。この村に来てから、ここまで夜更かしをしたのも初めてかもしれない。最近ずっと無理をしない健康的な生活を送っていたからなぁ。
正直ここまで工程が進んでしまえば、残された作業は殆ど無い。まず例の接合金具を使って上下のハンドル部を繋げる。これで漸く部品が全て組み上がって弓幹の全体像が具体化するわけだ。
後は月野さんが使っている作業机の真後ろに設置されている釜と型付け台を使い、リム部に反りを与える。「反り」と言ったが、厳密には「逆反り」と言う事になる。言うまでもなく、実際に弦を掛ける際にはこの反りとは逆方向に撓めるからだ。
型付けには通常、2枚1組の型枠で部品を組み上げた弓幹全体を挟み込み、万力で締め上げる。この時、型を付ける為に弓幹材を釜で蒸気を当てて加熱しておく。以前も述べたが、加熱する事で材料の組織結合を緩めて型に沿って曲げやすくなるのだ。
この型付けの加熱も月野さんにお願いして〈ヒート〉を使ってもらった。月野さんは4台の万力によってみるみる型に嵌っていく弓幹を興味津々といった様子で眺めている。
そしてこの〈ヒート〉による加熱は非常に有効だったようだ。通常、型付けは1週間程型に嵌めたまま形が固定されるまで放置するのだが、月野さんに断続的に加熱をお願いしたところ、ほぼ一晩で型が固定されていた。
8月23日。月野さんのお力をお借りして、俺が初めて手掛けた弓がついに形を現した。まだ細部の仕上げや、月野さんに引いてもらって上での調整が残っているが、構造上はちゃんとした弓である。
「とりあえず……これで一応試してもらえます?」
俺が麻糸を撚った弦を掛けた「ユキオ式複合弓」を手渡された月野さんは暫くの間、弦を触る事もせずに弓幹全体を眺め回している。
「何だか……不思議な形をしてますね」
彼女はちょっと笑いを堪えているように見える。まぁ……言われるようにユキオ式複合弓は、この世界で一般的に見られる弓とは明らかに異なる外見をしているし、彼女が見慣れている「元の世界の競技弓」とも似つかない印象を受けているのだろうか。
「一応、こっちの世界の弓製作技術の範囲でアーチェリー競技弓のスタイルを復元しようと試みました。まぁ……『プロトタイプ1号』的な感じですかねぇ。今後はアナタの感想を取り入れながらバージョンアップを重ねる事になるでしょうね」
俺も思わず苦笑が漏れる。この世界、そして元の世界でも見られないであろう異質な外見にならざるを得なかったが……今後は素材の研究を進めて可能な限り月野さんが使い慣れた前の世界の競技弓を目指して改良を重ねるつもりである。
こっちの世界に飛ばされ、何の目的も与えられず事もなく当面は放浪生活を送るであろう我々が、現時点で自発的に設定している目標は「月野さんの言語問題解決」を筆頭に「我々以外の魔法使用者(もしくは素質者)の捜索と観察」、この辺りが有力だが……今後はこれに「ユキオ式複合弓の進化」を俺個人の目標に加えてもいいかな。
「まぁ……よろしければ実際に的へ矢を射って試していただけますか?そして些細な事でも気付いた点をフィードバックして頂きたいです」
そう言って、この弓専用に作った軸長が通常よりも短い矢を10本程入れた矢筒も渡す。午前中に皮革職人のトビィから受け取って来た短い矢に合わせて全長を詰めた特注品である。
他にも一緒に引き取ったフィンガータブも渡す。トビィは俺が渡した設計図と、口頭による説明をよく理解してくれたようで……弦を引く部分に程よく柔らかく鞣した鹿革を使い、裏側を硬く厚めに作った牛革で指の保持部分を作り、両者を鋲止めで連結して仕上げてくれた。黒染めした牛革に銀色の鋲が3つ打たれた何とも厳つい外見である。
「あ……!凄いですね。ここまで再現してもらえたんですね!」
どうやらサイズ的にも問題なく裏側の突起部分を人指し指と中指で挟んだ状態で月野さんが興奮気味に話す。俺にはその使い方が「弓製作術」の範疇から外れているので図面上の構造しか理解出来ていないので、彼女がそれをどうやって使用するのか解らないのだが、何やら納得したような表情なので安心した。
トビィは「この村をお発ちになられる際に、是非もう一度お立ち寄り下さい」とも言っていた。どうやら俺が渡したクロスジオオカミの毛皮を使って仕立てた木樵頭のベストを受け取ってくれと言う事だろう。
アギナに渡される予定のジャンパーは、彼自身がまだリハビリを伴う療養中であり、元の体格に戻るまで……まだまだ時間が掛かりそうだとの判断で、先に木樵頭のベストを製作する事にしたらしい。まぁ、アギナは多分……今年の冬は猟をやらないだろうから、時間的な余裕はたっぷりあるだろう。
「今晩の入浴の際に、タンさんに工房裏の射場を使わせてもらえるように交渉してみます。一応ここを発つまでまだ数日ありますので、その間に試射をしてみて下さい」
彼女にこの弓を使ってもらい、現時点で行える調整をした後に弓本体の仕上げを施す予定だ。具体的には弓幹表面の処理と加工だ。セリ村の製材所長であるウォーレンの歯の治療にも使ったテンビル樹脂から作られたニスを表面に塗布する事で防水効果を期待したいのだ。
今後は世界を巡りながら、元の世界では工業的に必須の素材であった樹脂系材料を実用したい。実は樹脂……それも合成樹脂については「ライブラリ」にも記載されており、素材そのものを得る方法については一応の目処が立っている。
しかしどうやら……この樹脂について、この世界での技術力ではまだまだ不明な点が多いらしく、この先進的な素材を得るのに工業的なアプローチは難しいらしい。
「ライブラリ」にはその処理方法まで言及されているが、その内容は工業的なものではなく……「錬金術」とかいう怪しいスキルを利用するとされている。錬金術は、俺も既に習得している「製薬術」から主に魔法工学的に踏み込んだ技術のようで、その内容は文面的に俺には理解が難しいものだ。
これは恐らく……この世界には「魔法」、「魔道具」、そしてこの錬金術が「超自然科学」として存在し、これらを研究、修養する団体や機関も存在している。
この世界の住民は、一応「常識」としてこれらの力を認識してはいるようだが、実際にそれと接するには上記の団体や機関の門を叩く……そのような必要があるっぽいな。
多分この世界のどこかに、研究所とか大学みたいな教育機関があったりするのかな?
存在するのであれば、是非とも「外側」から覗いてみたい。決して当事者として関わるのではなく、「どの程度のレベルなんだろ」程度の興味本位な希望である。
まぁ、まずはミランドで治療院を経営しているらしい「光属性」の魔法使いと言う人物を見に行ってみたい。
以前から再三述べているが、現状……俺達が知っている「魔法が使える人」は我々自身しかおらず、自分としては相当無理のある「回数の暴力による修練」のような、どう考えても不安しか生じないやり方が「魔法使い界隈」の標準と比べて問題無いのか是非確認したい。
暗くなる前にタン邸の裏庭で洗濯を済ませてから、改めて夜に出直して風呂を借りた。月野さんが風呂を使っている待ち時間にタン爺さんへ弓が仕上がった旨を報告すると、彼は驚いていた。
「えっ!?もう削り終えたのですか!?」
「ええ、まぁ……この地方で使われているものとは構造も形状も異なるものですしね」
「そうですか……。宜しければお見せ頂く事は出来ませんか?」
「ああ、もちろん構いませんよ。実は試射の為にタンさんの工房の裏手にある射場を使わせて頂ければなと思いまして」
「おお。あそこで試射を?どうぞお使い下さい。では、その際にワシも見分させてもらいましょう」
こうして、射場の使用許可はあっさりもらえたので、風呂から出てきた月野さんにもそれを伝え、俺自身もさっさと風呂を使わせてもらい帰宅した。一応、明朝から好きな時に射場は使っていいと言ってもらえたので、彼女は何やら上機嫌で今夜もジュミ宅の工房で手掛けている被服の縫製を続けるようだ。
俺は昨夜、かなり夜更かししてしまったので急激な眠気が襲って来てしまい……今夜も矢製作の作業を続けると言うジュミにも謝った上で21時前に寝室に入った。やはり齢50に差し掛かってくると……徹夜したわけでもないのに疲れが残るなぁ。
翌24日。昨夜あまりにも眠かったのでアラームを設定せずに寝てしまい、目が覚めたら何と7:17になっていた。10時間くらい爆睡していた事になる。もちろん……隣のベッドの主は既に起床しているようだ。
ちょっと慌て気味に服を着てリビングに出たが誰も居ない。ちょっと焦り気味に作業部屋の扉を開けると……手前の作業机にはジュミが、そして奥の作業机には既に月野さんが〈ライト〉の玉を浮かべて座っていた。
俺がちょっとバツが悪そうに挨拶の声を掛けると、矢羽根を仮付けしていたジュミが顔を上げ
「今起きたんですか?珍しいですね。こんな時間まで……」
と、笑われてしまった。
「ははは……一昨日の夜更かしの疲れがまだ残ってたみたいなんだ。歳をとると、こうなっちゃうんだよなぁ」
「ユキオさんがそんなになるなんて……ちょっと驚きました」
「えっ?どう言う事?」
「いやぁ……ユキオさんはもっとこう……何と言うか凄い人だから夜更かしなんか全く気にしないと思ってたので……」
ぇ……。この娘は俺を何だと思ってるんだ?何やら超人じみた感じで見られてたのかな。こんな小デブのオッさんに幻想を抱きすぎだ。
「いやいや……俺は普通のオッさんだから。君の親方よりかは若いけど、これで十分歳をとってる。もう『初老』と言われてもおかしくないよ」
「えっ!?そうなんですか!?」
彼女は何故か俺の年齢を聞いて驚愕している。「もっとずっと若いのかと思ってました……」なんて言ってるので複雑な気分になる。
俺は容姿については最悪なのだが、元の世界でも何故か「小河内さんて、若く見えますよね」とか言われていた。別に童顔であるわけでもない。が……老け顔であるとも思わない。そこら辺は至って普通だと思っている。
但し、これも再三述べているが俺は何故か頭髪については今のところあまり思い悩む事が無い。鏡で見える範囲ではあるが白髪も全く見られないし、特に「薄い」と言う事も無い。こればかりは若い頃から自分で見てもまるで変遷が感じられない。
引き籠っているような日常を送っていたが、時折訪れる理髪店でも「いやぁ、お若いですね。とても40代後半には見えませんよ」などと言われた事もある。
ああ言う客商売の店の人が客の外見年齢に対して言及するのはあまり褒められる事じゃないと思っていたが、そんな連中が思わず口にする程度には俺が若く見えるのだろうか。
月野さんにも朝の挨拶をすると、彼女は何やら黒っぽい服を作っていたようだ。いつもなら作業中の彼女にこう言った挨拶をしても、軽くこちらに目を向けて挨拶を返す程度なのだが、今朝はその黒い布地を机に置いて向き直ってきた。
「おはようございます。相当お疲れだったようですね」
「ああ、すみません……。セリ村でも夜中に魔法の練習とか、結構な無茶をしたのですが……こんなに眠り込んじゃったのはあまり記憶になかったです」
俺が苦笑しながら応えると、彼女もちょっと笑い出しながら
「あまり無理をされないで下さいね。私も最近ずっと夜更かしをしているので他人の事を言えたものでは無いですが……」
「そうですね。久し振りに自分がもう若くないと自覚しましたよ。ではちょっと顔を洗って来ますので、戻ったら朝食にしましょう。遅くなってすみませんでした」
俺はそう言って頭を下げ、近所にある井戸に向かった。時刻は間もなく7:30になるが、6時台……場合によっては5時台に起きてもほぼ無人だった井戸の周辺に、今日は何人か近所のご婦人方がいらっしゃるようだ。
実際、彼女達は毎朝5時には起き出して来て何らかの家事をやっているので、俺は滅多に遭う機会が無かったのだが……この時間になるとどうやら朝食を終えて夫を外に送り出した後、食器を洗ったり、洗濯を始める時間……それがこの時間になるようだ。
井戸端でテキパキと働いている彼女たちに混じって顔を洗うのは非常に気拙い。俺は努めて平静に挨拶を行い、恐縮しながら顔を洗わせてもらった。こんな事ならジュミ宅のリビングにある小さな流しで〈ウォーター〉を使えばよかった。
そんな俺の小心さに構う事なく、彼女達は笑顔で挨拶を返してくれ、手押しポンプの前の場所を譲ってくれた上に洗顔しようとする俺の為にポンプで水を汲み上げてくれた。
彼女達に何度も礼を述べながら足早にジュミ宅へ戻り、リビングの机の上に毎度お馴染みの薄切りにしたパンとハムやチーズ、マヨネーズの入った小さな壺を並べていると、いつもは俺が声を掛けないと作業に没頭し続ける月野さんが、珍しく自分で作業部屋から出てきた。
「すみません。遅くなりまして」
余程腹が減っていて、俺が起き出して来るのを待っていたのかと思ったのだが、どうやらそう言うわけではなく……何やら別の理由だったようだ。
「タンさんのお宅……工場でしたっけ?今日はあそこに行かれるんですよね?」
「えっ……?あぁ!そうですね。射場をお借り出来たので、これを食べたら早速行ってみます?」
そうか。今日から射的場を使えるのが嬉しいのかな?こっちの世界に来て、更に人間の領域に入ってからの彼女は1日の大半を屋内に籠って服作りをしていた。俺であれば別にそんな生活でも苦にならないと思うが……まぁ、普通の人なら気が詰まるわなぁ。
俺の提案を月野さんは嬉しそうに了承してくれたので、ひとまず朝食終えてから、彼女と……俺の作った弓の出来栄えを見たいと願ったジュミを連れてタン工房に向かった。
数日ぶりに工房に入ったのだが、その忙しさは相変わらずで……タン爺さんとトサンは作業の手を止めて我々を迎えてくれたが、工房の奥の作業机で弓の補修を担当しているタンの長男オルキスだけはやはり自分の作業に集中している様子だった。
考えてみると、この生真面目な長男と俺は殆ど言葉を交わしていない。一応目が合えば会釈くらいはしてくれるのだが、もしかすると俺はこの男の声を一度も聞いていないかもしれないな……と妙な思いが突然湧いて困惑してしまった。
矢も持参している事を伝え、改めて許可をもらってから工房の裏庭に出る。この村を初めて訪れた日以来、久々……と言っても10日程度だが、改めて眺めてみると左側の30メートル程の矢道はともかく、新しい射的が据え直された右側の射的は約50メートル離れているだけに、あの日と同じく俺からは豆粒程にしか見えない。
「うーん……やっぱり50メートルは遠く感じるなぁ」
俺が思わず呟いた言葉は日本語だったようで、横に居た月野さんがそれに応じた。
「まぁ、そうですねぇ……。それでも80歩ですから、競技としてはそうですねぇ……中くらいの感覚でしょうか」
「ほぅ……そんなもんですか?」
「えぇ。最近の競技では主に70メートル……私の身長だと100歩程度になりますから。本来はもっと短い距離も含めて何十本も射るんですけど、それだと競技時間が長くなりますからね。近年の国際大会ですと女子は70メートルだけを狙う競技が増えてました」
「なるほど。現役の頃は、あれよりも遠くの的を狙っていたわけですね?」
「そうですね。でも……的の大きさは122センチと言う決まりがありましたので、あの射的はそれに比べてずっと小さいですけどね」
「おぉ……競技の的ってそんなに大きいのですか」
「はい。でも……あの中心に塗られている円の大きさはそんなに変わらないと思います。まぁ……色が違いますけど」
もう10年近く前になる現役時代を思い出しているのか、月野さんは50メートル先の的を見つめながらアーチェリー競技について色々と話してくれた。これまでアーチェリー競技に使う弓については色々と教わったのだが、競技そのものについてはあまり聞いた事がなかったので、俺も暫くその解説に聞き入った。
「では……そろそろ適当に始めて下さい」
そう言って俺は〈倉庫〉から昨日の昼下がりに組み上がった弓と、皮革職人トビィから受け取った長さを詰めた革製の矢筒を彼女に渡した。矢筒にはとりあえずこの弓に合わせて標準的なこの世界のものよりも20センチ程、軸を詰めた矢を10本入れてある。
予備も20本程作って〈倉庫〉に入れてあるが、実際に持ってみると天然素材と鉄の鏃で作られた矢ってのは、思っていた以上に嵩張る……と言うか重いのだ。これまで元の世界で漫画や小説なんかで描写されていたアーチャーの世界には、俺が思いもよらなかったリアルな要素が多い事に改めて驚かれる。
月野さんは俺が渡した矢筒を、肩から背負うような事はせずに肩紐の長さを金属製のバックルで調整しながら、腰に巻き付けるように装着した。
肩から斜めに背負うのではなく、背中の腰辺りの高さに矢筒の口を右側に向けてほぼ水平に装着した形だ。俺の記憶にはあまり無い装備スタイルだが、違和感はあまり感じない。寧ろちょっとスタイリッシュにすら見える。
彼女に言わせれば、矢筒は俺が通常思い浮かべる……肩口から背負うように吊るす(ショルダーアローバック)と右側の腰から剣の鞘のように吊るしたり、尻の上に乗せるように固定する(ヒップアローバック)の2種類のスタイルがあり、ショルダーバックは主にベアボウを使ったフィールド競技で使われる事が多いのだとか。
彼女が取り組んできた「ターゲットアーチェリー」ではヒップアローバックスタイルが主流だったらしい。
「ではまず1本引いてみます」
そう言って俺から受け取った弓の弦の張り具合を確かめている。一度矢を番えずに弦を引き
「私の記憶にある感覚でもあまり違和感ないですね。弦の張り加減は悪くないと思います。ウェイトも……うん。大丈夫じゃないですかね」
「おお!そうですか?ドローウェイトもフィットしていると?」
「ええ……今のところは。これから実際に矢を射ってみますので」
今度は腰の矢筒から矢を1本引き抜いて、この弓の特徴的な機構であるグリップ上部の「レスト」に矢軸を乗せた。そして弦を引く。これまで何度も見てきた美しいフォーム……背筋をやや反らせながら弦を顎先辺りまで引く、この世界の射法とは少し違う独特の印象を受ける姿だ。
ついに俺が手掛けた初めての弓で……彼女が矢を放つ瞬間が来た。




