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ポチってみたら異世界情報システム  作者: うずめ
今度は職人の村?
66/81

今度の家には風呂が無い!

すみません。仕事が思っていた以上の量で押し寄せて参りました。


暫く落ち着くまでアップの間隔が開いてしまいそうですが……私にとって、この執筆活動は仕事で蓄積されるストレスの発散にもなりますので、これからも頑張って続けて行こうと思っております。


宜しくお願い申し上げます。

 ジュミは木製のノブを何やら緊張の面持ちで握って半回転程回してから、扉を押し開けた。しかしノブにはどうやら彼女が思っていた以上に埃が付着していたのか、顔を顰めてノブを左手に握り変えて、埃で汚れたであろう右手は「職人の前掛け」的な短いエプロンで拭った。


彼女によって開かれた扉の向こう側は、意外にも日光の光が入っていて、室内が見渡せるくらいに明るかった。しかし……室内が明るい事が、逆に状況をハッキリと浮かび上がらせる。


「君は……この部屋を掃除する事も無かったのかな?」


俺が尋ねると、ジュミは困惑した様子で


「はい……父さんの具合が悪くなって、そのまま……何も」


「なるほど。まぁ……看病なんかで部屋の掃除どころじゃなかったか」


暗い表情で答えた彼女の気持ちを慮って、俺は適当にフォローを入れた。


 室内の様子は、一言で表すと「放置」だ。作業部屋の中央には大きな作業机が置かれていて、机の手前辺には大き目の器具……あれは万力かな。それが作業机に装着された感じになっている。いかにも「木工職人の作業場」と言う風景だが……。


作業机には、生前の主が手掛けたままの状態で未完成と思われる弓幹が転がっていた。その周囲にも(のみ)(やすり)、他にもノギスや分度器のような小さな工具や道具も一緒に転がっている。


 どうやら主は弓幹に対して最後の調整でも行っていたのか?その弓幹自体は一見して新造品に見える。新しい弓を最後の仕上げ段階まで作り上げたところで病に斃れたのか。職人として、さぞ無念な最期だっただろうな。


しかし生き残った娘は、亡父の家業を継いでくれそうだが……その作業場は放置されてしまった。まぁ、彼女なりに両親を一気に喪った衝撃で、何もする気が起きなかったのでは無いだろうか。


しかし密室とは言え……4年もの年月の間放置された部屋は、やっぱり荒れてしまうのだろうか。俺がまず目にしたのは、扉が開いて空気が入り込んだ為か、一気に舞い上がった埃混じりの空気がカーテン越しに差し込む日の光でキラキラとしている光景だった。


 そして天井には幾つかクモが巣を張っており、巣の主も結構大物だ。俺はクモもそうだが、虫関係が苦手なので……このままでは部屋に足を踏み入れるのも難しい状況だ。


日の光を薄く室内に入れているガラス窓はタン爺さんの工房には無かったが……それが部屋の三方にあって、いずれもカーテンが引かれている。ジュミが一切手を付けていないのであれば、カーテンは元々引かれていた状態だったと言う事になる。


つまり主は日が落ちて夜の時間帯に作業をしていて体調の異変があったのだろうか。正直、こう言ってしまうのはアレだが……日中のカーテンも引かれていない状態で倒れなかったのは不幸中の幸いだった。多分、直射日光を遮らずに4年もの月日が経てば、部屋の中のあちらこちらが日焼けしたり、工具の劣化を起こしていたかもしれない。


 俺がクモを恐れて部屋に入る事へ及び腰になっているのとは裏腹に、ジュミはリビングの隅っこに立て掛けてあった短いホウキを持って、大胆にもクモの巣を払いながら室内に踏み込んで行った。彼女の3倍も歳を取っている自分が情けなく感じながら俺は彼女の後に続く。床にも大分、埃が積もっていて……彼女の靴跡がくっきりと残っている。


「この臭いは……埃なのかカビなのか……」


俺が呟くと、彼女も舞い上がる埃を手で払う素振りを見せながら


「今、窓を開けますね!」


と言って、3枚ある窓のカーテンを引き払って次々とガラス窓を開け放った。今日は、外でもそれ程風が吹いている日ではなかったが、窓が開けられて空気の通りが良くなったのか……埃がバッと舞い上がりながら、それでも風に押し流されて行く。これは風下の家はたまったもんじゃないな……と、風の通り道を目で追うと……風が抜けていく窓がある北側には裏路地に面していて、向かいの家の軒先には運が悪い事に洗濯物が干されていた。


俺はその光景に敢えて目を瞑り、改めて部屋の中を見渡す。ジュミの大胆な行動は尚も続いており、現在は部屋の天井の隅に張り巡らされているクモの巣を、持っているホウキで次々と絡め取っている。恐るべき度胸だ。


「あぁ……。私……脚の多い生き物は苦手なんですよね……」


不意に……後ろから声がした。見れば月野さんが身震いしながらジュミの行為を凝視している。


「あれ……?山の中では『脚の無い生き物が苦手』って言ってませんでした?」


「あ……脚の無いのも、沢山あるのも苦手なんです!」


なるほど……どうやら彼女も俺と同じく「虫やそれに類するもの全般」が苦手のようだ。


「まぁ……確かにアレは気色悪いですよね。なんか日本に居た時に見ていた奴よりもデカいですし……申し訳ないけどあの作業は手伝えないなぁ……」


俺が彼女に同調するかのように呟くと、その言語は日本語だったらしく


「あぁ……小河内さんもそうなんですね。安心しました」


と、月野さんも呟いた。一体何が「安心」なんだろうか。


 俺達がクモに恐れを成して入室を躊躇っている間に、家主は作業場のクモの巣をすっかりと取り払ってこちらに戻って来た。


「あの……これで何とか入って頂けそうですが、いかがでしょうか?」


「ああ、すまんね。何も手伝えなかった。実はクモがちょっと苦手でね……」


「そうなんですか?」


彼女は何と、巣を失って床に落下した巣の主(・・・)をホウキで叩き殺していた。俺にとってクモは苦手なのだが、確か……クモと言う生き物は大半の種類が人間にとって「益虫」と言うカテゴリに分類されていて、家の中ではハエや蚊、時にはGまで捕食してくれる者も居る。農家にとっても肉食であるクモは益虫である場合が多く、農作物に被害を及ぼす害虫の天敵として評価されている……と聞いた事がある。


なので、彼女がホウキでクモを駆除している光景は……俺を微妙な気持ちにさせた。まぁ……俺自身がクモを苦手としているので仕方ないか。


「道具は一通り揃っているみたいだね。埃を被ってしまっているので状態はよく分からないけど、ここからは俺が掃除をさせてもらうよ。部屋を借りる上に掃除までしてもらっちゃ悪いからね」


そう言って俺もまだ埃の積る部屋の中に踏み込み……作業机の上に置かれっぱなしになっていた未完成の弓幹を手に取った。


 俺の持つ「弓製作の知識」では、芯材に木材を使い、側材は動物由来の素材を使う……と言うのが通常の「複合弓」なのだが、先程のタン爺さんの工房でも見られたように、この地方では芯材も側材にも木材を使っているようだ。


俺がちょちょいと調整を施した「ジュミが作った5本目の弓」も芯材……恐らくはタン爺さんの工房にも置いてあったセイヨウトネリコのような弾力性(粘り)のある木材を逆に弾性の低い……それこそテンビル材のような堅い木材で挟んだ感じの造りをしている。


出来映えは悪くない……と言うよりも未完成ながら、かなり造りがしっかりしている。俺の見たところ……恐らくこれで8割程度の完成度だと思われる。


「君のお父さんは、相当に腕の良い弓職人だったようだね……。これ(・・)を見れば判るよ」


俺が弓幹の出来映えを見ながらジュミに伝えると、彼女は急に涙声になって


「皆さん……親方も、そう言ってくれるんです。私はまだ子供だったから……お父さんがどう言う仕事をしていたのか、全く憶えてないんです。そうですか……ユキオさんから見ても、お父さんの腕は良かったと……」


「そうだねぇ。タンさんの工房ではチラっとしか見られなかったけど、お父さんの作る弓は……タンさんとちょっと違う作り方をしているみたいだね」


「はい。生前のお父さんが作った弓を使ってくれている人が時々修理で見せてくれるんですが、親方も同じ事を言ってました。やっぱりユキオさんにも判るんですね?」


「うーん……。俺は俺でまた違う構造の弓を作るから、自分が知っている形とは違うもの程見分けがつくんだ。しかしこれは、明らかに良い(・・)仕事だと思うよ。誰かから頼まれていた仕事なのかな。惜しいねぇ」


「あ、ありがとうございます……」


ジュミは目に涙を溜めながら、頭を下げた。亡父への評価に対して、こうした態度を取れるのは14歳の少女とは思えない。俺達が元居た世界では14歳だと中2くらいか。思春期真っ只中ではないか。


思春期の頃の女子なんて、お父さんの存在を全否定してるだろう……などとトンデモない偏見を心中で呟きながら、俺はジュミに掃除用具を借りて、埃に塗れた作業部屋の中を掃除し始めた。


先程のジュミの父ヘイジが全う出来なかった「仕事の跡」は壁に造り付けられていたフックが並んだ弓棚に掛けた。ジュミは将来、師に腕を認められて独り立ち出来た時に、改めてこの「仕事」を引き継ぐのだと言っていた。父の遺した「未完の仕事」を目にし……改めて思う所があったのだろう。


 まずは埃だらけの工具を綺麗に拭き取ってから、元あったと思われる場所に戻すのに骨が折れた。何しろ娘のジュミも知らないのである。


作業場を残らず探索して、あちこちに棚や引き出しの存在を確かめてから、「勘によるこじつけ(・・・・)によって工具類を全て収納し終わった頃には、カーテンを開け放った窓の外が少し暗くなり始めた頃だった。


「よし。今日はここで一区切りとしよう。君は明日、ちゃんとタンさんの工房に出勤してくれ。俺は明日1日掛けて部屋の方を掃除するよ」


「なんだかすみません……私が変な拘りを見せずに、普段からちゃんと掃除をしておけば良かったんです……」


「いやいや、気にしないでくれ。おかげでこうして部屋の中にある道具の配置を確認出来た。やはりとても使いやすい仕舞われ方をしていた。君の親父さんは若いのに、心掛けがしっかりしていたんだな」


俺はこのように彼女の亡父を褒め称えながら、実際に心中で驚いていた。この作業場の効率的な配置は本当に良く考えられていて、俺が日本で暮らしていた仕事部屋を兼ねたマンションの一室とはエラい違いだった。


 道具は一通り揃っていた。俺の持つ「弓製作術」の技能に基いた知識に照らし合わせても重大な不足は感じられない。工具類のコンディションさえ回復させれば、あとは素材を調達するだけだ。


……しかし作業を開始するには、そこそこ時間を要するだろう。俺はまず、弓を実際に使う月野さんから「前の世界で使われていた弓」……つまり彼女が使い慣れていた「アーチェリー競技用の弓」について詳細な聞き取りを行う必要があるのだ。


 俺が現在有している「弓製作術」の技能、それに伴った技術的な知識は、俺にこの()を与えてくれた「システム」の元所有者(・・・・)であるセラニカ氏によって構築・蓄積されたもので、その実態は恐らくだが……彼(?)自身の「実体験」によるものだと思っている。


彼は何らかの「イレギュラーによって漂着」してしまったこの世界で、自力的帰還が果たせなくなり、「やむを得ない」と言う形で……この世界に1000年もの間留まったと説明が為されていた。


これだけの「システム」を構築する能力を有している彼の事だから、「この世界の住人」として社会に侵入するのは造作も無い事だろう。そしてその高度な知能によって、常人では測り切れない速度で、この世界の技術評価とその回収(・・・・)に努めたのではないだろうか。


 そしてその成果を「ライブラリ」へと蓄積する過程においては、彼自身の手によって概知の技術を更に洗練強化させたものも存在したようだ。


例に挙げると、俺が最近月野さんへの無断使用を慎んでいる次元術〈鑑定〉だ。


この技能(スキル)は、彼自身が「ライブラリ」で言及している「エルフ族の秘術」とされているものをベースにして、「魔道具による測定」の能力を組み込んでいる。いや、恐らくこの技能は両者(・・)を併せたものですら軽く上回るぶっ壊れた性能を持っていると言っても過言では無いだろう。


つまり〈鑑定〉は「エルフの秘術」に「魔道具の測定」を掛け合わせ、更に「異世界人の超越的能力」によって味付けされたものなのだろうと推測出来る。何しろ……〈鑑定〉だけでは無い。その他の「次元術」全てがぶっ壊れた……この世界のあらゆる「(ことわり)」から逸脱しているものなのだ。


それを加味すると……俺が習得している「弓作成術」にしたって、その技術と知識は少なくとも同時代において、この世界最高峰ではないかと推測され、しかもそれ(・・)を「巧緻評価:B」の俺が有しているのだ。


これは何とも手前味噌な感じになってしまうのだが……俺の「巧緻:B」と、こう言った「生産系技能」の組み合わせは、相当に高水準な結果を(もたら)していると思っている。


セリ村では「死体解体術」と言う……(おおよ)そ前の世界の俺の暮らしとは全く無縁の技術を、「ライブラリ」に表示された【習得】ボタンをポチっとやっただけで本職の猟師達さえも驚くような腕前を披露出来た。


あの技能を習得出来なかったら、俺はまず「獲物の喉を切り裂いて血を抜く」だの「腹を割いて内臓(わた)を出す」なんて言う時点でギブアップしていただろう。それがあの「ボタン」が押された瞬間に、忌避感から解放された……早い話が「見慣れている……気がする」ようになったのだ。


 そんな驚異の「システム」は1人?の宇宙人だか異世界人によって1000年と言う……常人が体験する人生の何倍もの時間を掛けて集積された。それをこんな「血を見るのも躊躇うオッさん」に「どうせ破棄するなら」と託された。


俺は獣の生皮を剥いだり、弓を削ったりしている宇宙人の姿を想像してしまい……不意に噴き出しそうになった。


 それにしてもだ……「ライブラリ」によって知識を得て、今日になって弓職人の工房を覗いて実地の経験、この地域の弓製作の技術的成熟度を見た上で、まだまだ(・・・・)俺の得た技術の方が上だと確信した今においても尚……月野さんの持つ「前の世界における弓に対する知識」の方が洗練されている気がする。


今後は彼女から、どれだけ前の世界で使っていた「アーチェリー競技の弓」についての技術部分を引き出す事が出来るのか……それに掛かっているだろう。


 まずは簡単な掃除を終えると、ちょうど日も暮れた頃になり、俺はとりあえずジュミが用意してくれたシーツを、割り当てられた部屋に遺されていたベッドに敷きながら月野さんへ「村下(オーガス)の世話になる事を辞退した」経緯を説明した。


彼女もやはり……慣れない異世界生活で、漸く馴染み始めていたセリ村から、この村に移動して来た途端に、あのような知性を感じない行動をする「(ヤカラ)」に遭遇するような場所に連れて行かれて……多少の不安はあったそうだ。


「確かに……もうあの場所(・・・・)に近付くのは……避けたいですねぇ」


と、俺の決断を支持してくれた。そもそも彼女は俺と違って奴らの言葉が解らないのである。多分、今日の昼に起きた出来事の半分も理解していないだろう。その最たるものが


「何故あの(・・)ハゲ2人に絡まれたのか?」


と言う事だろう。何しろ、前を歩く同行者がいきなり怒鳴り付けられたと思ったら、手荒く掴み掛かられたのだ。奴らの怒鳴っている内容が理解出来ないから、当然ながら掴み掛かって来た理由も分からない。


これはよくよく考えてみると、女性からしてみれば……とんでもなく恐ろしい事なのではないだろうか。


彼女は以前も訳の分からないままに奴隷の服(貫頭衣)を着させられて……セリ村の大通りを歩かされた。後でそれが「奴隷の服」だと知ってどう思っただろう。


あの時彼女は不安と怒りに満ちた顔で「私達は奴隷にされるのか?」と、俺に訴えて来た。俺を信頼してくれて、俺の後ろを黙ってついて来たら奴隷にされそうになっている……彼女があの時、そう思っていてもおかしくはない。


 つまり今回の件を含め、俺は彼女を2度も「理不尽な不安」に陥らせている。その「怒り」の鉾先が俺に向いていたっておかしくはないのだ。


「お前を信頼して付いて来てるのに、訳の分からないトラブルに巻き込ますんじゃねぇ!」


そう思われている可能性がある。何しろ彼女には「黙って俺の後を歩く」以外の選択肢が事実上存在しない。こんな前時代的な社会通念で動いている奴らの中で……彼女は言葉が通じないのだ。


これでは……異国から強制的に連れて来られた奴隷と大して変わらんじゃないか!


 俺は改めて自分の不甲斐無さと……鉱山の奴らの理不尽な蛮行に、怒りが湧いて来た。


「小河内さん……どうされたのですか?」


俺は俯いたまま、小刻みに震えていたらしい。


「アナタに……アナタにご心配を掛けっぱなしの自分が情けないんです」


「えっ!?」


「山の中で出会(でくわ)した、あのバカな冒険者達との事はともかくとして……セリ村の『御前様屋敷』での一件や、午前中の鉱山の事、それから俺の『好き嫌い』だけで木樵頭の親父さんが骨を折って手配してくれた村下に世話になる話を勝手に蹴っ飛ばしたりと……言葉が解らないアナタを差し置いて、俺は……」


「そ、そんな……。だってあれ(・・)は小河内さんに責任があるわけでは無いのでしょう?貴方が気に病む事では無いのでは……」


情けない……半分程の歳の女性に慰められているではないか。こんなオッさんに目の前でイジケられても、彼女にしてみれば鬱陶しいだけだろう。


「とにかくです。またもや大事な案件を俺の一存で勝手に進めてしまった事をお詫びします。せめて事前にご相談してから動くべきでした」


俺は彼女に頭を下げた。彼女はモジモジとしながら苦笑を浮かべた。


「そんな……謝らないで下さい。私も正直……あの鉱山の雰囲気は苦手でした。今こうやって結果的に寝起き出来る場所が見付かったのですから、それで良いじゃないですか」


「そう仰って頂けるならば……ありがとうございます。今後は可能な限り今回のような重大な岐路に出会した時は事前にご相談しますので……」


 とりあえず彼女から赦しを得られたので……俺は自分が思っていた以上にホッとして、自分自身で驚いた。やはり今回の件は成り行きによっては「野宿を強いられる」可能性もあったので、何だかんだで大きなプレッシャーを感じていたのだろう。


「しかしこの家には風呂がありませんね……」


俺が残念そうに呟くと、月野さんもどうやら同じ思いだったようだ。


「そうですね……お風呂場を造る余裕が無かったのでしょう」


確かに……。最初にこの家の間口を見た時、隣家との境界も分からないくらいに、この辺りの家屋密集具合は「みっちり」と言った感じだった。


そう考えると、セリ村における木樵頭邸は近隣には無い2階建だった事もあって今にしてみれば「豪邸」と言って良いくらいだ。猟師組合長のアギナ邸も平屋造りながら、随分と余裕のある建て込みをしていた。


 今居る嘗て弓職人ヘイジが経営していた弓工房は、一見して周囲を住宅地に囲まれていた。タン爺さんの工房は、木工系の工房が固まって建てられていたような立地だったが、この工房だけは別の地域にポツンと建てられていて、見方を変えると一種の「場違い感」すら覚える。


また、タン爺さんの工房には専用の井戸が設置されていたのに対して、こちらは近所の民家との共用井戸が4軒隣にあるのだと言う。


ヘイジがこの村に移住して来て、この(・・)場所に工房を構えたのは、彼が敢えてこの場所を選んだのか……それとも「新参の住民」であるが故に、あの工房地帯に構える事が出来なかったのか。


 この村は南側を鉱山とその関係施設が占めているが、村域そのもの(・・・・)の中心はどうやら俺達も午前中に訪れた村長邸であると思われる。


そして村長屋敷から西に通り1本隔てた「木工横丁」の北側に息子達の住居まで固まって土地を確保出来ているタン爺さんの工房は、村域の北西側隅から張り出した形になっているが、その部分を文字通りの「裏庭」として、専有している井戸や弓の試射場まで完備されていた。


但し、タン爺さんも生え抜きの村民ではなく……あの工房だって数十年前まで、この地で弓製作を担っていた双子の職人から譲り受けたわけで……隣村出身とは言え、当初の境遇はヘイジとそんなに変わらなかったのではないだろうか。


「風呂に入れないのはキツいですねぇ……」


「ええ……。でもそんなに贅沢を言っている場合では無いでしょう?」


 50前のオッさんよりも遥かに物分かりの良い彼女の言葉に、恥入りそうになるが……俺にとっては「毎日入浴出来ない」と言うのは結構キツい。特に今回も(・・・)若い女性と居室を共にするハメになったので、毎日の入浴は必須条件であると言えよう。


浴室……いや、せめてシャワールームの確保は今後の最優先課題である。明日、ジュミに相談してみよう。


「ところで小河内さん。私の事を鑑定して頂けましたか?」


自分のベッドのシーツを敷き終えた月野さんが、突然そのように尋ねて来たので……俺は「入浴の件」の思索から、強引に引っ張り戻される形となった。


「え……?」


「鑑定ですよ!昼間……あの鉱山のオジ様を治療した時にお話ししたでしょう?」


「鑑定……を?……ああ、そう言えばそんな話をしたような……?」


俺は曖昧に返答した。


「もう!私は結構楽しみにしてたんですから!」


彼女は頬を膨らませた。今時そんな顔をして遺憾を表す人が居るのか!


「ああ、すっ、すみません……。ちょっと色々あったものですから……えっと、今すぐ知りたいですか?まだこんな時間(・・・・・)ですけど……」


そう。時間はまだ18:51……夕飯時なのである。まず……今日は色々あって昼飯を食っていない。そして夜飯をどうするのかも不確定だ。


セリ村に居た頃は、全て木樵頭夫人のマリに任せていたわけで、そこ(・・)から出て来てしまったからには、今後の食事に関して自分達で考える必要がある。


 今居るジュミの家にはリビングに(かまど)と、小さいながらも流し(シンク)があった。当然だ。往時はそこでジュミの母親が夫と娘の為に食事を作っていただろうからな。


但しこのささやかな台所に給水能力は無い。近所の共同井戸から桶を使って水を汲んで来て、流し横の壺……と言うか(かめ)に貯めておく必要がある。


そう言えばジュミは食事や入浴をどうしているのだろうか。彼女だって育ち盛りの女の子だ。飯はそれなりに食いたいだろうし、身体だって身綺麗にしたいだろう。実際、俺が見たところ……彼女からは別に不潔な印象を受けない。


「まずは腹に何か入れませんか?今後は自分達で食事に関してやり繰り(・・・・)しなければならないでしょう」


「あっ……そ、そうですね……。ここにはもう、マリさんもいらっしゃいませんしね」


どうやら彼女も今の状況を飲み込んでくれたようだ。


「ちょっとジュミに聞いて来ます」


俺がそう言って部屋を出ると……リビングの片隅にある台所でジュミが鍋で湯を沸かしていた。聞けば俺達に茶を出そうとしていたと言う。


「ちょっと聞きたいんだけど、君は風呂はどうしているんだい?」


 今日は4年もの間、放置していた「開かずの間」を開け放って簡単な掃除までしたので、俺もそうだし……彼女も埃塗れだ。


「お風呂は……親方のお宅で使わせてもらってます。今日は早く上がってしまったので……」


「なるほど。タンさんの工房にあるのか……。さっきは目に入らなかったなぁ」


「ああ、いえ……親方が住んでいる家です。作業屋の隣にありまして」


「ああ……すまん。そう言う事か。タンさんは工房の隣に自宅を所有しているのか。なるほどな」


おかみさん(・・・・・)にご飯を頂いたりもしますし」


「おかみさん……?ああ!そうか!そう言えばタンさんには奥様が居るんだったな。君と一緒に工房で働いている、あの息子達の母上だな。そうかそうか……奥様の存在をすっかり忘れていたよ……ははは」


俺は思わず笑ってしまった。そりゃそうだ。タンはこっち(・・・)に移住してから妻を娶ったと、木樵頭の親父さんも言っていた。息子2人はあんなに大きくなっているが、母親が健在なのは何もおかしくない。


「今日はもう……こんな時間になっちまったしなぁ。しかし俺も君も、こんな姿だ。水くらいは浴びたいわな」


「それでしたら……ここを出て左にちょっと行くと、井戸がありますよ」


「うーん……井戸端で水を浴びるのは他人の目もあるし……ちょっと気が進まないなぁ」


 正直……ただ水を浴びるだけなら井戸まで行く必要は無い。どこか水を大量に流せる場所で〈ウォーター〉を最大半径で出して、その中に入って身体を擦ればいいだけだからな。


しかし、それ(・・)を実行するには、当然ながら、俺は裸になる必要がある。ご近所さん同士で共用していると言う……井戸端でいくら周囲が暗くなっているとは言え、そんな真似はしたくない。


「こんな時間ですから……親方の家の風呂も、多分お湯が無いと思います」


ジュミが申し訳無さそうに言った。時刻は間も無く19時になろうとしている。タン爺さんの家では既に入浴も夕飯も済ませて……風呂の湯も抜いているって事かな?


聞けば毎日17過ぎには、その日の作業を終えてタンの家に行くと「おかみさん」が風呂を沸かしてくれているのだと言う。ジュミは一番最後に風呂を借りると、浴槽の底栓を抜いて浴室を掃除するそうだ。


俺はこれまであまり気にしていなかったが、この世界……と言うか、この村で使われている風呂場の浴槽とは、日本でも昔から使われている所謂「大桶」の構造をしており、防水性の高いテンビルの板を何枚も組み並べたものを鉄製の(たが)で巻き締め上げて作られている。


しかし工作精度が昔の日本で作られていたような浴槽程に精密では無いので、組み合った板の隙間に「詰め物」をして水漏れを防いでいるらしい。


これら含めて浴槽の劣化を防ぐ為に、使用後はなるべく早いうちに浴槽の湯を抜いて、掃除をする事が推奨されるようだ。つまり浴槽には普段から水を入れっ放しにしない……日本人としては「風呂の残り湯も使わんのか?」と、少々勿体無いと思われる習慣である。


道理で木樵頭邸で世話になっていた頃、風呂を沸かそうとすると浴槽がいつも空っぽだったわけだ。


……で、あるならば


「ああ……湯を俺達(・・)が沸かし直すならタンさんのお宅で風呂がお借り出来るわけだな?ならば、そうさせてもらおう。君だって、その(・・)埃を落としたいだろう?」


俺が苦笑混じりに提案すると、彼女は対照的に渋い顔をした。


「今から風呂を……?こんな暗くなっているのにですか?」


彼女の表情には「面倒臭い」と言う主張がありありと窺える。正直な奴だなぁ。俺は思わず笑い出してしまった。


「ははは。風呂さえ借りられれば『風呂を沸かす』事は問題にならない。よし!これからタンさんのお宅に3人で伺ってみよう」


俺はそう言って部屋に戻り、月野さんに「タン爺さんの家で風呂を借りるので〈ヒート〉でお湯を沸かして欲しい」旨を伝えて了承をもらった。


 かくして……部屋から出て来た月野さんと、まだ少しウンザリした顔をしているジュミを連れて俺はすっかり暗闇に沈んだ家の前の路地に足を踏み出した。


* * * * *


「ジュミ。君は面倒臭いと思っているみたいだが、風呂は出来る事なら毎日ちゃんと入るべきだ。普段から、そのように衛生的に過ごす事で病気にも罹りにくくなる」


 俺は前の世界では決して言わないような説教臭い話をしながら……〈倉庫〉から「こんぼう」を取り出すと、何も言っていないのに月野さんが先端に〈ライト〉の光源を置いてくれた。


「うわっ!眩しい!」


ジュミは日も暮れ切って真っ暗になった戸口の外側に、突然煌々とした光の玉が出現して路地を照らし出した事に驚いている。


これ(・・)はアリサ様が作り出した灯りだ。他の人に言い触らさないでもらえるとありがたい。村人の間で『山神様』が話題になると面倒臭いからな」


そう説明した俺自身は既に〈ナイトビジョン〉を使用している。


「山神様……」


ジュミは灯りに照らされた俺の同行者の顔をまじまじと見つめている。


「こ、この人は……ほっ、本当に山神様なんですか……?」


「さあな……俺達2人は、ひと月近く前に……ちょっと遠い場所から、このアンゴゴの山の中に飛ばされて来たんだ。なので一応は俺とこのお方(・・)は、同じ国の人間なんだけどな。セリ村の木樵頭が勝手に『山神様』と呼び始めたんだよ」


「そっ、そうなんですか……?でも……この灯りは……?」


「ああ……まぁ、俺達の国では別に珍しい事じゃないんだ。でも、あまり騒がれたくないから、内緒にしていてくれるかい?」


「わ、分かりました……」


 俺はかなり雑な説明でジュミを強引に納得させた。俺は元より……この年頃の女の子が一番苦手な……はずだ。俺が特に(・・)女性に対して不信感を抱くようになったのは、ちょうど彼女の年齢の頃だったからだ。


大人になった今でも……「あの頃」の自分自身の境遇と心情を思い出すと震えが走る程だ。時折あの頃の情景が夢の中にフィードバックされる事があり、朝起きると嫌な寝汗を大量にかいている事もあった。


しかし考えてみると……こっち(・・・)の世界に飛ばされて来てから、「悪夢」は鳴りを潜めている。いや……「悪夢を見た」と言う記憶が無いだけかもしれない。


それでもこうして……ジュミと何とか会話が出来ているのは、彼女が我々の滞在先の「家主」である事もあって、俺もそれなりに割り切っているのもあるが……やはり月野さんのおかげだろう。


この1カ月弱もの間……彼女は一部期間を除いて、ずっと俺と行動を共にしている。これまで何度も実感しているが、俺の人生において、このような若い女性……それも「凄い美人さん」とビジネス以外で接触するのは初めてだろう。


彼女と毎日一緒の部屋で寝起きをして、食事も共にしているうちに……もしかしたら俺の中で「対女性」の免疫的なものが醸成されているのではないだろうか。


何しろ、前の世界では「元五輪代表候補の天才少女」にして「美人お天気キャスター」であった人だ。通常ならば俺みたいな引き篭もり志向のオッさんとは全く縁も接点も無かったはずだ。


そんな人と日常を共にしながら、今では当たり前のように会話を交わしている。「慣れ」とは恐ろしいもので、初めの頃は何を話すにも緊張感を伴っていたが……今では彼女と会話する分には、何もプレッシャーを感じていない……ような気がする。


しかしこれはあくまでも「こっちの世界限定」の話だろう。俺はこっちの世界に来て以来……自分でも意識して「元とは違う(・・・・・)自分」であろうと努めている。


そう言うわけで……俺は恐らくジュミとも普通に会話が出来ているんだろう……と、自分に対する考察を加えているうちに、我々は再びタン爺さんの工房がある「木工横丁」突き当たりまでやって来た。


 タン爺さんの自宅は突き当たりにある工房の手前左側にあった。ジュミの話ではその向かい側……工房の右手前側には爺さんの長男オルキスが嫁と暮らしているそうだ。そして今目指している左側の家に、「親方夫婦」と次男のトサンが暮らしているらしい。


ジュミはタン宅の玄関扉をコンコンと叩いた。木樵頭の息子であるハボに比べ、随分と控えめな叩き方だ。暫く待つと扉が開いて女性の声がした。


「あら?ジュミちゃん?どうしたの?」


「おかみさん……お風呂って、もう駄目ですよね……?」


「そうねぇ……。もう湯も冷めちまったから、沸かし直しになるねぇ。今日は早く帰ったって聞いてたけど?」


「うん……お客さんに泊まってもらう事になって……」


「ああ。聞いてるよ。本村の頭が連れて来なすったんでしょう?」


「実はもうそこに連れて来てるんです」


「えっ!?」


女性の声が驚いたものに変わり、直後に戸口の死角から年配と言うか……〈ナイトビジョン〉越しに見て、多分俺よりも若い印象の「声の主」が姿を現した。


 実際の見た目は……うーん。分からない。俺と同世代だろうか。この女性がタン爺さんの妻だとすると大分歳が離れているように見える。少なくとも「婆さん」と言う感じではない。


「あらまあ!お客様がいらしていたのに……失礼しました。アタシはタンの妻でテナスと申します。お二方の事は主人から伺っておりますわ」


「これはご丁寧に。このような時間に失礼致します。俺はユキオと申します。こちらの方はアリサ様。彼女はこの辺り(・・・・)の言葉が解らないので……俺が通事をさせて頂いております」


「おかみさん」ことテナスが丁寧に頭を下げて来たので、俺も丁寧な挨拶を返した。相手が少し驚いた様子を見せたのは、俺の持つ「こんぼう」の先端に置かれている光源の眩しさと……もしかすると、この辺りでは見かけない我々の服装が原因だろうか。


「こんな時間にどうし……あら?アンタ、随分と汚れてるわね?」


恐らく、家から出て来たら室内よりも〈ライト〉の光源の方が明るい為に、ジュミの顔が埃塗れな事に気付いたようだ。


「お客さんを案内してから、ウチの作業場を少し掃除したんです。あれから(・・・・)ずっと掃除もせずに締め切ってたんで……」


「ああ、そう言う事だったのね。分かったわ。もう一度お風呂を沸かしましょう」


 おかみさん……テナスが風呂の使用を許可してくれたので、俺は横から口を出した。


「使わせて頂けるならば、湯は我々が沸かします」


「え……!?お客さんに?いえいえ!お客さんにそんな……」


「ははは。お気になさらず。多分我々が沸かした方が早いと思いますので。風呂を沸かすのは得意なんですよ」


俺は笑いながら風呂焚きを引き受けた。テナスは「そこまで言うのでしたら」と、アッサリそれに同意してくれた。正直……「普通の手段」で風呂を沸かそうとしたら、かなりの重労働だ。こんな夜飯も食い終わったであろう時間帯に、再びそんな事をしたくないだろう。


彼女も恐らく俺から風呂焚きを申し出られて、案外ホッとしているんじゃないかな。


 テナスに案内され、家の中入ると……リビングにタン爺さんと次男のトサンが、毎度お馴染みの木を組んで造られたベンチに向かい合って座っていた。


言うまでもなく彼らの間には大きなテーブルがあるのだが、夕飯は既に終わって片付けられていて、その後で2人が晩酌をしている様子もない。その代わり、机の上には1本の矢が置かれていた。


 2人は多分……先程まで、この置かれた矢について何やら話をしていたんじゃないだろうか。しかし「夜分の来客」が来た為に、2人共こちらに視線を向けている。


「やぁこれは……風呂ですか?……ああ、確かに酷い格好をしてますなぁ!」


玄関でのやりとり(・・・・)を聞いていたらしい爺さんは、無遠慮に笑い始めた。どうやら俺達は自分で思っていた以上に埃汚れに塗れているらしい。


「ははは。ジュミの家の作業場の様子が気になってしまいましてね。家主の彼女に無理を言って見させてもらったら……この(・・)有様ですよ」


俺も笑いながら言葉を返し、この20畳程もあるリビングは笑いに包まれた。


「では風呂を沸かすので……風呂場はどこかな?」


ジュミに尋ねると、彼女はタンに「風呂場に連れて行ってもいいか」と一応お伺いを立てた。


「いや、まぁそれは構わんが……本当にユキオ様が自分で沸かすんですか?」


「ええ。厳密に言えば湯を沸かすのはアリサ様の『お力』をお借りするわけですが……」


「えっ!?山神様の!?山神様が風呂を沸かすんですかい!?」


 この老人も月野さんの事を「山神様」と呼び始めやがったな……。恐らく俺達が昼に一旦辞去した後も木樵頭の親父さんから色々と話を聞かされたのだろうか。


「ええ……まぁ……。その『山神様』のお力をお借りすれば5分も掛かりませんので」


「えっ!?」


「まぁ……その、『山神様』の事はくれぐれも他の人々には内密にして頂けますでしょうか。アリサ様を『山神様』と呼ばれるのは、この際俺もとやかく(・・・・)申し上げませんが、彼女の噂が広まってしまいますと、鉱山に居るような連中が何やら悪さ(・・)をしてくる可能性もありますんで」


俺は苦笑しながらジュミを促し、月野さんも連れて裏庭側にあると言う風呂場に向かった。


 風呂場は確かに裏庭に面した場所にあったが、別に屋外にあると言うわけでもなく……これもタン爺さん宅が専有していると思われる井戸の近くに部屋が作られていた。風呂釜もちゃんと設置されており、裏庭側に焚き口が開けられていた。


それ程狭いと言う印象ではないが……流石に木樵頭邸のそれ(・・)に比べて幾分狭い。それでも大人1人が入るには、浴槽の大きさも洗い場の広さも充分だった。


「風呂釜は使わない。浴槽に入れた水を直接(・・)沸かして頂く」


そう言って、俺は裏庭には出ずに風呂場に入り、俺の言葉の意味が理解出来ずに困惑しているジュミの方へ振り返った。


「今から俺とアリサ様がやる事は他人に言うなよ。まぁ……ここ(・・)の家主であるタンさん達に知られるのは仕方ないが……その他の村の人々には内緒にしてくれ。分かったか?」


 俺は一応……気休めだとは思ったが、目の前の少女に口止めを頼んだ。しかし正直それ程期待していない。セリ村に居たハボのように、口が軽い奴は幾らでも存在するからだ。


「は、はい……わかりました」


それでも彼女が了解してくれたので、俺は隣で浴槽を眺めていた月野さんに


「とりあえず、この娘には他言無用を言い聞かせたので始めてしまいましょう」


「そうですか。わかりました」


 月野さん自身は先程の作業部屋の掃除には殆ど参加していないので、俺の視点から見てジュミ程に汚れている様子もない。俺は幅150センチ、奥行き100センチ、高さ80センチ程の浴槽に、いきなり〈ウォーター〉で最大量の水玉を落とした。


ボチャン!ザバァァァ!


高い位置から落とすと浴槽に余計な圧力を加えてしまうと思い、()()()置いたつもりだったが、水は大きな音と波を発てて浴槽の中ぐらいの高さまで一気に貯まった。


「えええっ!?」


案の定……この光景を見たジュミが仰天して声を上げる。


「静かにしてくれ。周りに知られたくないんだ」


「すっ、すみません」


俺が注意すると、彼女は慌てて自分の口を自分の手で塞いだ。しかしその目は忙しなくキョロキョロしている。


 俺の〈ウォーター〉はそれなり成長しており、体積最大で2つ目の水玉を落とすと、浴槽から溢れ出てしまい、ジュミを更に驚かせた。


縁ギリギリまで水が注がれた浴槽を見て……俺も笑ってしまったが、減らすのも面倒なので、そのまま月野さんに加熱をお願いした。


月野さんも笑っていたが、口元でブツブツと呟きながら〈ヒート〉を使ってくれた。


「よし。これで後ちょっとすれば、いい湯加減になるから、君が先に入ってくれ」


俺がまだ口を押さえて呆然としているジュミに話しかけると、彼女は目を白黒させながら


「えっ!?もう沸くんですか!?でっ、でも……私が先に使わせてもらうなんて……」


「いいから。君には家に泊めてもらうんだし、そもそも俺が作業場の掃除を言い出さなければ、こんなに汚れる事もなかったし、いつもの(・・・・)時間に風呂へ入れたはずなんだ。遠慮しないでくれ」


やたらと遠慮する彼女に、そう申し付け……俺は月野さんに声を掛けて、風呂場を後にした。


 リビングに戻った俺達をタンが不思議そうに見ているので


「先にジュミが入るように言っておきました。我々は彼女の後にお借りします」


「え……?しかし……湯はもう抜けていたでしょう?」


「ああ。湯は今頃……適温じゃないですかね」


「え……!?もう沸かし直したと?」


「ええ。まぁ……沸かして下さったのは、こちらのアリサ様ですが」


「そんなバカな……今風呂場に行ったばかりじゃないですか!」


 タン爺さんの狼狽ぶりを見て、テナスが風呂場を見に行く。今はジュミが入浴中のはずだが……まぁ女性同士だから問題ではなかろう。


暫くすると、風呂場に続く廊下の方からテナスが何か言っている声が聞こえたと思ったら、驚きの表情を貼り付けたままリビングに戻って来た。


「沸いてる……風呂がもう沸いて……」


彼女はそれっきり声を失い……夫と俺の方を交互に見ながら立ち尽くしている。


 俺はその様子を敢えて無視して家主に尋ねた。


「こちらで待たせてもらってもいいですかね?」


ベンチを指し示すと、タンの向かい側に座っていた次男が慌てて場所を譲ってくれた。俺は彼に礼を言って、月野さんに座るように促し、その隣に腰を下ろした。


「い……一体アンタらは……ほ、本当に山神様なのかい……?」


 今やタン爺さんが我々を見る目に……こっちの世界に来てからすっかりお馴染みになった「畏れ」の色が浮かんでいた。

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