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ポチってみたら異世界情報システム  作者: うずめ
商人だらけの村
51/81

結局は魔法の鍛錬に

 村の大通りをブラブラとしながら木樵頭邸に戻ると、時刻は17:47。そろそろ夕飯の時間だ。俺は2階に上がる前にリビングを覗くと、親父さんが帰って来ていてベンチに腰を下ろしていた。


親父さんと、台所に居るマリにも挨拶をして「アリサ様を呼んできます」と断ってから2階の客間に向かう。ノックをして、彼女の返事を聞いてから扉を開けると……彼女はすっかり暗くなっている部屋の中に〈ライト〉の光源を幾つも浮かべながら、テーブルで服作りを続けていた。


「おかえりなさい」


「ただいま戻りました。下ではそろそろ夕飯の準備が終わるようです。もし宜しければ下に降りませんか?」


「あっ……もうそんな時間なんですね。わかりました」


彼女はそう言って机の上を整理し、椅子から立ち上った。服作りは既に裁断の工程に入っているようで、机の上には彼女によって生地から切り離された各所のパーツが並べられている。どうやら「痩せた」と言われた俺の身体のサイズも、今の状態で一旦確定されるようだ。彼女曰く「服が出来上がった後に、小河内さんがまた痩せても直しはいくらでも出来る」のだそうだ。


 彼女を連れて客間を出てリビングに入ると、親父さんはやや緊張した様子で「山神様」に挨拶をしている。昨日の昼とは違って幾分その緊張は解けているようだが、相変わらず畏敬を払っている様子だ。


「それで……?商人達の様子はどうでした?」


親父さんの向かい側のベンチに俺達は腰を下ろし、彼が持っているシウロの入ったジョッキに〈アイスドロップ〉で作った氷を1つ落としながら、早速「今日の首尾」について尋ねてみた。ちょうどマリが夕飯の配膳を始めたので、月野さんが手伝おうとベンチから立ち上がったが……マリはいつものように「座っていて下さい」というようなジェスチャーで彼女を押し留め、そのまま台所を行ったり来たりしている。


「これはどうも……。交渉は成功ですわ。アンテラ商人15人で明日の朝一番にセリを開くと……村長の屋敷に申請を出しに行っとります」


「ほぅ……では予定通り、明朝からセリは開かれるんですね?」


「ええ。ただ……あれだけの数ですからねぇ……。多分2日に分けないといけないでしょうな」


「いつもは、一度にどれくらいの原木がセリに掛かるんですか?」


「うーん……そうですなぁ……。原木で30本分……。切り分けして60本くらい出せれば『大セリ』と呼べるんじゃないですかね」


「え……?そんなもんなんですか?」


「いやいや、ユキオ様……。普通でしたら山からの運び出しなんて1日に15本くらいが限度なんですから。15本ですよ?崖から降ろすだけで大変なんですから」


「あ、ああ……そうか。エレベーターでの作業があるんでしたね……。なるほど……」


「山の中では計画に沿って伐ってますし、伐って枝枯れ(放置)させてから運び出しをやってますから、『次はどこの木が下りて来る』って言うのはもう10日も前に分かっているんですがね。それでも伐った場所から橇道までの距離なんかもあるから、毎日次々と山から木が下りて来るなんて事も滅多に無いんですわ」


なるほど。そりゃそうだ。村から歩いて1日で着く場所もあれば5日かかる場所だってある。更には橇を通せる道が整備されている位置から遠い場所で伐った木を、橇まで十数人の木樵や人夫が協力して引っ張って来ないといけない場所だってあるわけで、改めて考えると原木1本……主副切り分けて運び出すだけで大変な労力を必要としているはずだ。


 親父さんも配下の者達に無理をさせるわけにはいかないので、概ね10日以内に山から下ろせるだけの量をセリを開く商人達に告知して「どの辺からどんな木がこれだけ下りて来る」という情報だけで、現物が到着する前にセリで「買主」が決まる。本来であればこの「落札出来た」と言う結果を見てから、その量に応じてアンテラやミランドに荷馬車を繰り出す手配をする商人が大半で、今回のような「運び出すアテも無いのに」動かせる荷馬車を掻き集めて村に押し寄せてきたアンテラ商人側の行動がいかに異常であるかが窺い知れる。


通常は概ね10日間隔でのセリ市開催。昼間が長くなる初夏から秋に掛けての最盛期には5日間隔でセリ市が立つ事もあるらしいが、その際にタイミング良く「山から降ろせる原木」は多くても30本が限界……と言う事なのだろう。山のあちこちから橇を使ってどんどん押し出して来たところで、崖からそれ(・・)を降ろせるエレベーターは1基しか無いのだ。実際、最盛期になると崖上の幅の広い橇道には「原木を積んで上から降りて来る」橇で大渋滞を起こすのが例年の風景らしい。


そう考えると……こんな小太りのオッさんが独りで原木300本分を「おかしな技」で村に持って降りて来たのがいかに「ぶっ飛んだ話」であるか……なるほどなぁ。


「では2日に分ければ120本分……いや、分けて240本か。それ(・・)を全部セリで捌けるわけですね?」


「いや……判らないです。何しろそんな数の(モク)を一度にセリに掛けるなんてやった事ねぇですし……何より問題は……あの木の品質です」


「品質?」


「ええ。昨夜、ユキオ様と山神様でウォーレン達が加工した木を乾かしてくれたでしょう?」


「あ……ええ。乾かしたのは俺じゃなくアリサ様ですけどね」


俺がニヤっとしながら彼の言葉を訂正すると、親父さんは「そ、そうですか……」と多少怯えた顔になった。


「そ、その……山神様が手を入れて下すった木の質が……あまりにも見事だったんですわ」


「ん……?まぁ、確かにウォーレンさんは褒めて下さいましたけどね」


「今、川の向こうに積まれている木も……あんな感じで乾かしてくれるんですよね?」


「ええ。既に2割くらいは加工済みですね。今夜残りの木を全てアリサ様に乾かして頂く予定ですけど」


「あれだけの見事な原木……しかも今年伐ったばかりの新木だ。あり得ねぇ……。商人達も、あの仕上がった木材を見て大騒ぎでしたよ……」


「なるほど。それで?あの品質の原木をセリに出すと何か拙い事が?」


「い……いやいや!逆ですわ!あんな質の木がセリに出されるなんて前例が無いんですわ」


「でもそれは、アレでしょう?昨日打ち合わせた通り、『山の中で貯め置いた秘蔵の木を出す』と説明してくれたのでしょう?」


「ええ。もちろんです。そうでもしないと、あんなベラボウな品質の木を出せる『言い訳』が立たねぇです」


「へぇ……。でも、質の悪い木を出すよりは全然マシでしょう?」


「いや……それどころの話じゃねぇんですよ。あれだけの質の木ならセリの『始め値』が違ってくる」


「ああ……なるほど。開始の時点で例年のものより相場が上がって来るって事ですね?あの……今更こんな事を聞くのもアレですけど……。そもそも例年の落札価格って、いくら(・・・)くらいになるんですか?」


 そういえば、俺はこれまで……この地域で伐られた「アンゴゴ産木材」のブランド価値が高いと言うのは聞いていたが、その金額が具体的にどれくらいになるのか……全く知らないまま動いていた。この世界に放り込まれてから20日。俺が体験した商取引は布生地や2人の靴、食堂の「おすすめ定食」は別として、「クロスジオオカミの毛皮6枚が2万5千ラリック(大銀貨25枚)」で売れた事くらいだ。それでもこの「2万5千ラリック」が相当な大金であると言う感覚は何となく持っている……そんな程度なのだ。


「ああ……ユキオ様はセリを見た事が無かったですな。そうですな……例えばホダの主材なら……いつもの(・・・・)始め値ですと、5万ラリック(金貨5枚)ってところですかね。まぁ……場所の良い所から伐ったやつですと6万とか……そこら辺から始まる場合もありますけど」


「ご……5万!?」


俺はその金額を聞いて仰天した。金貨5枚……つまり元居た世界だと500万円くらいの価値があるって事だ。


「ホダの主材1本で……5万ラリックですか?そこからセリが始まると?」


「ええ。で……どうですかね。その年にもよりますけどいつもですと6万5千とか7万とか。そんくらいで落とされるんじゃないですかね。まぁ……たまに奴ら(・・)も熱くなって8万とかになる事もありますし、良い場所から伐り出したものだと10万を超える事もありますがね」


「そんなに価値の高いものだったのですか……」


俺は思わず絶句してしまった。元居た世界では特に林業について詳しい知識は持ち合わせていなかったが、俺の知る限り、大きさは全く比較にならないが平均的なサイズの国産杉丸太の卸価格で1本1万円するかしないか……それもブランドのような付加価値を付けて、そんな値段だったような記憶がある。いや……これも20年くらい前の会社員時代の話なので相当に怪しい認識だが、それに比べ……ホダの主材は1本500万円からだと言う……。


俺はこの「アンゴゴ産」と言うブランドをかなりナメていたようだ。


「テンビルですともうちょっとしますな。主材だと始め値で7万くらいが普通ですわ。まぁ、副材はね。安くなりますんで。ホダもテンビルも2万くらいから始まりますわな」


「副材でもそんなにするんですか……」


 驚きを隠せない俺の顔を見た親父さんは「ユキオ様がそんなに驚くなんて……」と逆に訝しむ顔をしている。1本で5万ラリック以上の金額が動くブランド産木材が年に550本……いや、これはあくまでも主材だけの話で、副材を加えるとその総額は更に上がる。


なるほど……このブランド木材による経済効果はこの山に隣接する「クソ田舎の村」を裕福な土地柄にしているわけか……。正しく「勇者アンゴゴ様と山神様の契約」によって子孫は潤い続けているわけだ。


セリから得た収益は、村人である親父さんの手許に一度集められ、村長家に税として3分……つまり3%が収められる。それだけでも相当な金額になるはずだ。そして残った収益分の3割を3村の木樵衆、2割を猟師組合の者達で分配し、残った5割のうち2割を「その他のセリ村人」に、3割を他2村の住民に分配するそうだ。意外にも木樵以外の村人にも林業で得られた利益をかなりの割合で分配しており、これによって地域全体が一応は林業の恩恵を受けている事になる。


どうやらこの「やり方」は隣の2村でも似たようなシステムが採用されており、マルノでは酪農、精肉、そして酒造による利益の一部を村長家に税として収め、残りを村人で分配しているらしい。


ヨーイスでは生産した工業製品をアンゴゴ地域内で消費する他に、少量だが主にアンテラに輸出しているらしい。村域で産出する鉄を使ったものはもちろん、セリ村から木の端材を回してもらい、原材料としているものも多い。魔物オオカミによって山に入れなかった時期に親父さんが自宅でやっていた内職で作られた木製品もヨーイスを経由して各地に売り出されていたのだそうだ。


このように、3村ではそれぞれの生産品によって得られた利益を3村全体で分配する事で、村人は他の地域と比べて随分と恵まれた生活を送っていた。特筆されるのは農業に適さない場所での生活が、却って短期的な天候不順による「飢饉」に影響される事無く安定した暮らしを送れていた事……なのだが、今回の「山封鎖」によってこの地域の生活が初めて脅かされたのは皮肉な話である。


「で……?春の『空セリ』ではそれがどれくらいの値段で買い叩かれたんですか?」


「ああ……あの時は……。そうですねぇ……ホダで始め値が3万とか。そんでもってあのミランドのクソ野郎どもがですね……口裏合わせたかのようにまるで競る事無く、3万5千とか……テンビルでも4万なんて値段で落としてましたわ。俺はもう……情けなくてね……」


「そりゃ酷い……俺が想像していた以上ですね。いやちょっと……村長はそんなバカバカしい話に乗ったわけですか?酷過ぎますね……」


「いや、もうそれはいいんですよ。何しろ……山神様のおかげで、今度のセリは軒並み始め値が倍以上(・・・)になりそうですからな」


「え……?」


「昨夜やってもらった加工木材を商人達に見せたらですね……奴ら、相当驚いてましてわ。あの木の乾き具合……普通に乾かしていたんじゃ、ああ(・・)はなりませんからな」


「だから俺は『先祖代々伝わった秘蔵の木だ』って言ってやったんですわ。だからいつもの(・・・・)値段じゃ『始められない』ってね」


親父さんはニヤニヤしながら商人達とのやり取りを話してくれた。


「結局、奴らはこっち(・・・)の言い値で始める事に納得してくれましたわ。ユキオ様に教わった『その後のやり方(・・・)』を説明したら……奴らも大興奮でしてね。がははは」


そうか。競り落とした木材をそのまま「東海岸に持ち込む」というやり方に奴らも乗って来たか。ならばセリの開始値を倍に引き上げられても、恐らくはそれ以上の利益を上げられるのだろう。


「いやぁ……ユキオ様のおかげで、今年の伐採の遅れを取り戻せただけじゃなく……ミランドの奴らに搔っ攫われた儲け(・・)まで取り返せそうですわい」


親父さんはシウロの入ったジョッキ片手に上機嫌だ。まぁ……俺としては親父さん達に色々と世話になったお返しが出来て満足だし、俺達の名前さえ出さなければ……最終的にミランドの商人達に一泡吹かせてやれるのは心情的にも嬉しい事だ。


「空も暗くなったので、この後また木材置き場に行って残りの原木の水をアリサ様に脱いてもらいます。木樵の皆さんは、夜も見張りに立ってもらえるんですかね?」


「ええ。交代で夜中ずっと見張る奴らにこの後交代すると思います。木を動かす『滑車櫓』も6台据えたので明日のセリ落としが終わったそばから、どんどん引き渡して行く予定ですわ」


「そうですか……。運び出しはなるべく急いで頂きたいですね。240本を運び出したら、後はミランドの連中に渡す分を置き直しますから」


ミランドの連中に渡す主副合計319本の原木に関しては乾燥処理は施さない。つまり連中には「生木」で渡される事になる。明日、明後日と2日間開催されるセリ市で放出される240本はウォーレン曰く「完璧に水が脱けている状態」であるので、恐らくそれら(・・・)に関しては完全に「売り手商売」になるだろう。


仮に東海岸の造船各社が「過去の取引実績が無い」と言う理由でアンテラ商人達を締め出そうとした場合、後悔するのは造船会社側の方で、アンテラ商人達は「自分達の言い値」で買ってくれる「他の相手」を探せばいいわけだ。アンテラ商人との商売を拒んだ者達は、その後遅れてやって来るミランド商人から「いつもの(・・・・)生木」を買わされる破目になるはずだ。


「ご安心下さい。アンテラ商人達に、落札した者は速やかに木材を運び出して……特にテンビルはミランド方面に持って行くように伝えてあります。ただアンテラ側も建材が不足しているらしいのでホダの一部はアンテラに持って行くとの事でした」


「そうですか。まぁ……この村としては明日のセリで高値のセリ値が出ればいいわけですから。運び出された木材を、いかに高額で東海岸に売り付けるのかは商人達の才覚の問題ですからね。あははは」


俺が笑い出すと親父さんも「そりゃ尤もですな」と一緒に笑い出した。我々は、汚い手段で暴利を得ようとしたミランド商人達への意趣返しと、春の損失を補填するのが目的である。そう言った意味でチャンスを与えてやったアンテラ商人達の器量次第なところなので我々がそれに責任を負うものでは無い。


 月野さんも食事を終えたようなので、我々は席を立って一旦客間に戻り今後の予定を改めて説明する。月野さんとしては今夜の「水脱き」が、恐らくこの村での最後の作業になると思われ、その後はもう「出発」の時まで自由時間にしてもらう。彼女は多分……明日からずっと、服作りを続けるのではないだろうか。


窓から見える外の景色がすっかり暗くなっているので、19:24になって木樵頭邸から出発した。すっかりと暗くなった道を〈ライト〉の光源を先端に置いた「こんぼう」を俺が持って川がある西側のエリアに向かう。昼間は余程賑やかだった西地区に入る路地も、日が暮れて真っ暗になったからか、ひと気(・・・)が全く無くなっている。


製材所と猟師小屋に向かう路地の途中で何度か木樵の恰好をした者達と出会った。彼らは交代で関係者以外の者がこの先のエリアに立ち入らないように見張ってくれているのだろう。彼らはどうやら山の中で俺の姿を見たらしく、特に何か言われる事も無く路地を通してくれた。もしかしたら親父さんが気を使って、俺の顔を知っている者達を選んで配置してくれているのかもしれない。


 我々は猟師小屋の北側から回り込んで川岸に出た。するとそこには……見上げる程に高い櫓が視界の中に4棟建てられており、景色が一変していた。〈ナイトビジョン〉が効いている俺が櫓を見上げて驚く横で、月野さんも見上げている。彼女にも俺が持つ「こんぼう」の先端の光源によって、その偉容が目に映っているのだろうか。


「凄いですね……。これだけの櫓を組む材料をどこから持って来たんですかねぇ……」


「これって、木を吊り上げて移動させる為のものですか?」


「そうらしいですね。親父さんは『滑車櫓』と呼んでました。どうですか?上の方まで見えます?この櫓の上に……更に何か載ってますね。クレーンですかね」


「そうなんですか?私にはそこまで見えないですけど……」


彼女には櫓の上の方までは見えないようだが、櫓の上には何か……垂直に立てられた数本の柱と、斜めに伸びる梁のようなものが見える。恐らくはクレーンのようなものだと思うのだが、柱と梁は5本並んでおり……推定で何トンもある原木の吊り下げ荷重を分散させるのだろう。なるほど……あの造りならホダの主材も吊り上げられるのか。


櫓はこちら(・・・)側の川沿いに2棟、対岸の原木置き場側に2棟建てられている。そして辺りを見回すと下流側……恐らくは村の外の荷揚場の辺りに、やはり川を挟むように両岸にそれぞれ1棟ずつ建てられている。どうやらこの櫓型のクレーンで、あの向こう岸に積み上げられた240本の原木をどんどん捌くつもりか。


但し……先程の親父さんの話によれば、この「滑車櫓」と呼ばれる人力クレーンの能力では「水の脱けていない生木の主材」を吊り上げるのは難しいのだそうだ。あくまでも我々が原木から水を脱いて軽くする事が前提の設置となっている。


しかし毎度の如く大半の原木は、まず製材所に送られて加工されるだろうから……ウォーレンやハボを始めとして、製材所はここ何日かフル稼働になるだろう。まぁ、ほら……彼らはこれまで半年も仕事が無くて暇をしていたのだろうから、それを取り戻すつもりで頑張って頂きたいものだ。工場長の虫歯もひとまず治ったしな。

2人で橋を渡り、川の西側……原木が山積みされている端に建つ例の「蒸煮小屋」の前まで来て月野さんに尋ねる。


「昨夜どこまで処理したのか憶えてます?」


「ええ……こちら(・・・)から13列目までは終わらせたと思います」


「なるほど。30……36本目まで乾燥しているわけですね」


「あ、一番上の段のこっちは終わってますから37本ですね」


「ああ、そうなんですね。まぁ、では既に3割程終わっている計算ですね」


「そうですね。今夜中にはちゃんと終われそうですね」


朝のあの(・・)時、〈鑑定〉で確認した感じでは……今の月野さんの〈ヒート〉の性能ならホダの主材も10回くらいで処理出来るようだ。俺がこの場所に積み重ねた「空セリ落札分」以外の120本の原木の内訳はホダが70本、テンビルが50本である。今この置き場には南端にある蒸煮小屋の脇を起点にしてホダ主材70本、テンビル主材50本をそれぞれ3段積みにし、更にホダ副材70本、テンビル副材50本の順で4段積みにする事でなんとかこの場所に収めている。


ホダの主材は24列に渡って積み並べられていて、彼女はこのホダ主材の半分程を昨夜のうちに処理したと言う事になる。ホダの主材は直径120から30センチ、長さ20メートルと……積まれている原木の中では一番体積が大きい。その分手間も一番掛かるので、逆に言えばこのグループの処理が終わってしまえば、全体の進捗としては半分済んだようなものだろう。


 月野さんが最上段の原木の上にポツポツと〈ライト〉の光源を置き始めた。それと同時に「14列目」の原木から濛々(もうもう)と煙が発ち上り始め……「あの臭い」も一層濃く漂い始めた。その臭いを嫌ってか、〈ナイトビジョン〉の視界に映る彼女の顔は顰められている。


「月野さん、臭いがキツいなら……昨夜みたいに川の向こう側から……」


川の幅は10メートル弱。今の月野さんの〈ヒート〉であれば35メートル先まで効果を与えられる。川を隔てても十分にその効果を発揮出来るのだ。


「そ、そうですね……。そうさせてもらいます……」


俺もこの臭いにはいい加減うんざりしていたので、彼女を連れて橋まで戻り先程の場所のちょうど対岸に移った。彼女は〈ヒート〉の再使用が許す限り、次々と原木の加熱を続けている。1時間もすると、キツい臭いは収まり、今度はまた見覚え……いや嗅ぎ覚えのある臭いが発ち始めた。ホダのようにグイグイと主張して来るような強い臭いではないが、元の世界でも嗅いだことのあるような……有機溶剤(シンナー)のような臭いだ。


昨晩もウォーレンが小屋でテンビルの樹皮を蒸煮していた時にこの臭いが辺り一面に漂っていたのを思い出した。まぁ……毒性は無いようだが、あんまり長時間吸いたくない臭いだな。


 月野さんは積み上げられた原木を視界に入っていない部分までしっかり加熱するコツを掴んだらしく、有効加熱範囲を無駄にしないように積まれた木材全体に対して加熱範囲を割り当てているようだ。効率良く加熱している証拠に、上がる煙の量が明らかに最初の頃より増えている。


俺のやれる事と言ったら、〈探知〉を使って周囲の状況を監視するくらいだ。


暇なので、俺が臭いを散らす為にあまり得意ではない〈ウィンド〉を使って空気を押し戻していると、月野さんがそれ(・・)に気づいたようで


「あっ!なるほど!臭いを風で!」


と……自身もどうやら〈ウィンド〉を使い始めた。俺のショボいものよりか余程強い風が川の対岸に向かって吹き出す。


「あぁ……やっぱり俺の(・・)よりもしっかりした風が吹きますねぇ。やはり属性に対する適性で差が出るんですなぁ」


「彼女の風」が吹き始めたので、俺は燃費の悪い自分の〈ウィンド〉を2回の使用でやめて……代わりに今度は〈ウォーター〉と〈アイスドロップ〉を交互に川に向かって落とし込むように使い始めた。我々の周囲からはピューピューと風が吹き荒ぶ音と、何か(・・)がザブンザブンと水に落ちる異音が断続的に夜の暗闇に響き始めた。


 月野さんは、俺の目の前の空間から数秒おきに対岸の光源にキラキラと反射する水玉と透明な氷の球が現れては川に落ちていく様子に目を丸くしながら


「でも私には、その……『水の魔法』が使えませんものね……。小河内さんは色々な魔法が使えて羨ましいです」


「そうですか?まぁ、俺の場合は『色々』と言われても……苦手な属性を無理に使うとガス欠を起こすような有様ですからね。月野さんも、その様子を何度もご覧になっているでしょう?」


「俺から見れば、『光』、『風』、『火』を操って判りやすく『生活に役立っている』魔法が使えるアナタの方が人々からすれば喜ばれる存在でしょう。俺の得意な魔法で人の役に立てそうなのは唯一……水や氷を作り出す『水魔法』だけですよ。他に使えるやつなんて、目潰しだの毒だの睡眠誘導など……まぁ、あまり胸を張って威張れるようなものじゃないですなぁ」


そう考えてみると、彼女が行使する魔法は便利なものばかりだ。現在(いま)だってこうして巨木を乾燥させる為に使われて大いに役立っている。〈ライト〉にしたって、その光源は周囲に居る者にも「暗闇を照らす」恩恵を与える事が出来る。


俺の場合は……まず使っているものの大半が俺自身にしか効能を感じられない「次元術」であり、魔法の場合だとさっきも言ったが「水魔法」で水や氷を作り出している程度だ。「闇魔法」である〈ナイトビジョン〉は「俺だけが暗視効果を得る」と言うもので、他の者には何の利益にも与れない代物である。


 俺は〈ウォーター〉が再使用出来る合間に久々の〈ストーン〉も川の中目掛けて使ってみた。射出速度を最低の「時速50キロ」、石のサイズを「半径1センチ」に抑えて、川の真ん中辺りの水面を狙って放つと、ピュッと飛び出した小石が川の真ん中にポチャンと音を発てて着水する。「土属性」の相性は「B」評価なので……あまり消耗は起きていない気がする。


「この前もお話しましたが、俺は多分……元々魔法使いとしての素養の無い人間なんですよ。それが異世界(こっち)に飛ばされて来た拍子に変な形で付与されてしまったと言いますか……」


「そっ、そんな事は無いと思います!小河内さんは、現にこうして川の向こうに……あんな大きな木を、あんなに沢山積み上げているじゃないですか!凄いと思います!」


「ははは……。まぁ、確かにあれ(・・)はおかしな力ですね……」


俺としてはもう苦笑いするしかない。「魔法」の事ならばともかく、「次元術」に関しては彼女にも迂闊に説明する事は出来ない。俺はいつもあれ(・・)を「魔法」だと言い張っているが、〈倉庫〉やら〈集中〉、もっと言えば〈鑑定〉にしたって、「じゃ、それは何の属性なんですか?」と聞かれたら回答に窮する。何しろあれは「魔法」ではないからなぁ。


答えを誤魔化すかのように〈ウォーター〉と〈ストーン〉を交互に川に投げ込む。「相性B」の「土魔法」は意外にも使い続けられるな。


 こうしている間にも原木の乾燥作業はどんどん進んでいる。時間的にはまだ23時にもなっていない。そろそろテンビルの主材も終わりそうなので、この後は4段積みになっているが長さが精々10メートルちょっとしか無く、直径も1メートル前後の副材を乾燥させるだけだ。


ホダの副材は長さ10メートルちょっとあるが、テンビルは元から25メートルのものを伐採しているので副材は5メートル前後のものしか採れない。それでもこのテンビルの副材は船材としては竜骨を支える肋材や、喫水下の舷板として使われるそうなので、やはり造船業界としては喉から手が出るほどに欲しい木材なのだそうだ。


俺達は川に沿って徐々に下流側へ移動しながら、更に乾燥作業を続ける。〈鑑定〉で月野さんが使う魔法の性能を確認すると、現在の〈ヒート〉は射程が35メートルと長いので川を挟んでも十分に届くようなのだが、〈ライト〉は11メートルしか設置距離が伸ばせないので、彼女は主に向こう岸の先ギリギリの地面に、やや強めの光源を置いている。それでも最初のスペックでは5メートル先にしか置けなかったのだ。それを考えると倍以上に距離が伸びている事になる。凄まじい成長速度だ。


相変わらず暇な俺は川の水面に水玉と小石を落とし続ける。数秒ごとに聞こえる「パシャン」とか「ポチャン」という異音に月野さんも最初こそ驚いていたが、そのうち慣れてきたのか全く見向きもせず〈ヒート〉と〈ウィンド〉、更には〈ライト〉の設置に集中しているようだ。


〈ヒート〉による乾燥の対象がテンビル主材を経て、再びホダの副材に移ったので……本来であれば「あの異臭」が我々の嗅覚を脅かすところなのだが、上手い具合に〈ウィンド〉の風がそれ(・・)を押し返してくれているので、今ではあまり気にならない。月野さんの「風を操る」塩梅も、毛皮の枠伸ばしをやっていた時に大分慣れたのか、風向きの調整も非常に巧妙となっている。


 こうしているうちに、お互いの魔法熟練度がどんどんと上がって行く。月野さんの〈ヒート〉は何百回と繰り返されているせいか、もう23%にまで上昇している。それにしても、これだけ魔法を連発しているにもかかわらず彼女は全く疲弊しているようには見えない。まぁ……それは俺にも言えるのだが。


俺は川の水面に投げ込む〈ウォーター〉と〈ストーン〉の間隔に慣れたので、更に〈アイスドロップ〉も混ぜてみることにした。水面から発つ音の間隔も狭まって行く。


水面……なるほど。〈ストーン〉の照準を水面に向けられるのであれば、他の「弾丸系」も水面をターゲットにして撃てるのではないか?


試しに〈ダークバレット〉を撃ってみる。「バシャン!」と、若干派手な音は発ったが問題無く発射されるようだ。そうか……〈ストーン〉は所詮、その速度は時速100キロ程度だが……〈ダークバレット〉は確か「秒速300メートルで固定」だったはずだ。秒速300メートル……音速には及ばないが、並の拳銃弾くらいはあるんじゃないか?〈ナイトビジョン〉による視界では放たれる「闇の弾丸」は直径3、4センチくらいに見える。その形状は速過ぎて不明瞭だが、別に先端が尖っているようには見えないので、貫通力は無いのだろうか?


まぁ、その解説文にも「衝撃ダメージを与える」としているので、対象を貫通させるような効果までは発揮しないのか。それでも……そもそもが「何を飛ばしているのか判らない」と言うのが、この魔法に対する俺の印象だ。「闇の弾丸」って何よ……?


 そんな事を考えながら、「定時」の〈鑑定〉で自分を見てみた。すると……何時の間にか「水魔法」の熟練度が20%に達しており、新しい魔法が習得可能となっていた。


―――《ウォーターバレット》(水魔法):うぉーたーばれっと 【習得】

指定した場所に水属性の弾丸を発射する。弾丸が生物を含む物体に命中した場合、熟練度に応じた衝撃ダメージを与えた上で水属性による物理効果を与える。

使用回数に応じて熟練度が上昇し、射程距離や水の体積が上昇する。

射程距離:術者を起点に20メートル(200メートル)

弾丸体積:半径1センチから半径5センチまで1センチ刻み(50センチ)

射出速度:秒速300メートル(固定)

再使用時間:10秒(1秒)


これは……水を撃ち出す魔法かな?〈ダークバレット〉や月野さんが今朝習得していた〈ファイアバレット〉のような属性弾かな?月野さんのは「火の弾丸」を撃ち出して「対象を燃やす」効果があるみたいだが、この魔法の説明にも「水属性による物理効果」と記されている。「衝撃ダメージ」と「水属性の物理効果」がわざわざ(・・・・)別個に記載されていると言う事は、両者は重ねて効果を発揮するのか?


「水属性の効果」という字面で俺が連想するのは……まぁ「消火」だよな。〈ファイアバレット〉が対象を燃やすのであれば、その燃焼を打ち消す効果を発揮する……そんな感じの解釈でいいのかな?他にも、「水に弱い」物体、生物なんかに追加でダメージを与えるとか?


 まぁ……とりあえず【習得】はしておこう。今まで使っていた〈ウォーター〉は水を作り出す事は出来るが、それをぶっ飛ばしたりは出来なかった。今後も「水が欲しい」と言う場面では〈ウォーター〉の方を使うのだろうが、「水属性による効果」が必要な時が訪れるかもしれない。


「月野さん、俺は新しい魔法を覚えましたよ」


「えっ……!?小河内さんが?」


「ええ。まぁ、さっきから水と氷を交互に川に落としてたら、『水魔法』の熟練度が成長したようですね。ははは」


「『水魔法』を新しく覚えたのですか?」


「ええ。『水の弾丸』を飛ばせるようになったようですね。今朝……月野さんが習得した『火の弾丸』と似たようなものかもしれませんね」


「ああ……なるほど」


 そう言った会話を交わしている間も、彼女の魔法使用は止まらない。相変わらず風は吹き続けているし、対岸の地面に新たな光源がポツっと発生している。そのくせ、まるで消耗している様子は見えない。もちろん、原木の乾燥も続いている。そろそろホダの副材の山が終わりそうだ。主材の方はホダとテンビルで太さも長さもそれ程差が見られない。切り口の色が……ホダの方は典型的な感じで中心部が「赤身」、外側に寄るにつれて「白身」に変わっていくような感じだが、テンビルの方は樹皮の下から中心に掛けて一貫して黄色味を帯びた色をしている。


しかし副材の方は、そもそも長さが違うので見分けがつきやすい。ホダの場合は伐採時に概ね全長30メートル、そこから主材20メートルを計って切り取るので副材は10メートル前後になる。それに比べテンビルの場合は、伐採時の全長が25メートル程なので、同じサイズで主材を採ると副材の長さは5メートルしか無いのだ。


今はその「長さ10メートルのグループ」が終わりかけていて、残るはちょっと奥に引っ込んだ形の「長さ5メートルのグループ」……つまりはテンビルの副材だけが残っている状態になっている。この作業もそろそろ終わりに差し掛かっている……と言う事だ。


〈ウォーターバレット〉!


俺は先程新たに覚えた新魔法を「半径5センチ」で設定して、川の中程の辺りに向かって撃ってみた。


バシュっ!……バシャン!


〈ナイトビジョン〉の視界には、やはり俺の胸の前辺りから黒っぽい球状の物体……明るい場所見れば透明な水玉なのだろうか。それ(・・)がやはり凄まじい速度で撃ち出されて水面を弾いた。速度は「秒速300メートル」で固定……やはり拳銃弾と同じような速度で飛んで行っているようで、これを「反射神経だけで回避しろ」と言うのはちょっと無理っぽい気がする。熟練値が成長している俺の〈集中〉を使えば、単純に100倍速の感覚を得られるので「秒速3メートル」、時速換算で10.8キロか?それならば注意すれば目視出来そうだし、回避も難しくは無さそうだ。


しかし……「次元術」は恐らく俺しか(・・・)使えないはずだ。なので俺以外の者はまずこの「属性弾シリーズ」を生身で回避するのは難しいのではないだろうか。そうなると……「回避」では無く「防御」と言う線で考える必要があるだろう。物理的な「盾」とか、そういうもので防護しなければいけないのだろうか。


 今夜の作業、俺は月野さんと違って暇なので……暇なりに色々な魔法の鍛錬が行えた。この前の時のように、周囲に標的に出来る人間が居なかったので〈ブラインド〉や〈スリープ〉を使用する事は出来ず、また〈ポイズンショット〉も、川に毒を撃ち込むのは何かヤバい気がしたので使えなかったが、「水魔法」はかなり伸ばせた気がする。久しぶりに〈ストーン〉を使ってみたが……相性が「B評価」であれば、それ程「精魂の消耗」は気にならないのも一つの発見だった。


と……言う事は、月野さんにとっても相性「B評価」である「火魔法」の単独使用でも、それ程消耗が発生しないのではないだろうか。今のところ、彼女が使える「火魔法」は〈イグニッション〉と〈ファイアバレット〉である。このうち、〈イグニッション〉は彼女も何度か使用しているのを見た事があるが、あまり消耗している様子は見られなかった。


 俺はまた、川に向かってボンヤリと水や氷を落としたり、小石や各種弾丸を撃ち出したりしながら魔法による消耗度合について考えていると、彼女の声が聞こえた。


「多分……これで全部終わったと思います」


どうやら彼女は主副合計240本の原木全てに対して〈ヒート〉による脱水処理を終えたようだ。確かに……対岸に積み上げられている原木の山からはさっきまで濛々と上がっていた煙が見えなくなっている。臭いはまだ発ち込めているので〈ウィンド〉による送風は続けているようだが、じきに(・・・)それも止むだろう。


「そうですか。お疲れ様でした。すみません……今夜()月野さんにばかり働いてもらってしまいました。俺なんかずっと川に向かって遊んでたようなもので……」


「ふふふ……そんな事はありませんよ。小河内さんには、いつも『魔法の成長度合』を教えてもらえてますし、新しい魔法も使えるようにしてもらってますし。今夜だって、元はと言えば私も魔法の練習に来ているようなものですから」


「あはは……そうですか。今夜はお互いかなり成長しましたね。やはりこれだけの量に対して魔法を使い続ければイヤでも熟練度は上がるでしょうね」


 月野さんは原木240本に対して1本当たり何度も〈ヒート〉を使い続けたにもかかわらず消耗している様子が無い……。やはり「相性」と言うものは魔法使用にとって非常に重要である事を思い知らされる。俺にしたって、今夜は不得意な属性の魔法を使っていない。精々「相性B」の〈ストーン〉を数十発撃っただけだ。これが恐らく「相性C」の「光魔法」を使っていたのならば、今頃はこの前のように消耗によって立ち上がるのも困難になっていただろうな。


「時刻は00:47……。日付は変わりましたが、夜明けまではまだ結構時間がありますね。このまま帰って寝てもいいですし、魔法の練習を続けたいのであれば別にそれでも構いませんよ」


「魔法の練習ですか……。〈ヒート〉はもう使いようが無いですねぇ」


「いや、〈ヒート〉を続けて鍛錬したいのであれば簡単です。川に向かってヒートを使えばいいと思いますよ。多分、回数さえこなせば熟練度は上がるでしょうから……別に今までのように100℃とかにする必要も無いですしね。〈ウィンド〉も同様です。別にこの辺りで風を吹かせるだけなら誰にも迷惑は掛かりませんよ」


俺が笑いながら話すと、彼女も「なるほど……!」と頷いている。


「ああ、そう言えばこの時間帯でしたら〈ヒール〉の鍛錬が出来るかもしれませんね」


「えっ!?〈ヒール〉ですか?傷を治す……あの?」


「ええ。ほら……。何日か前に、俺だけ夜中に魔法の練習だって言って外に出掛けた後……明け方になってフラフラになって帰って来た事があったでしょう?あの時は俺にとって相性がそれ程良くない〈ヒール〉を連発していてああなった(・・・・・)んですよ。ははは……」


「ああ……!あの時の!あれは〈ヒール〉の使い過ぎで?」


「そうです。俺は光魔法の相性が『C』なんで、30回くらいでしたかね……。それくらい連続して使ったらフラフラになってしまいまして……」


「そうだったのですか……。そう言えば起きてからそのような話をされてましたね……」


「でも、月野さんなら……ずっと使い続けても大丈夫そうですけどね」


「ところで……どこでそんなに〈ヒール〉を沢山使ったのですか?傷を治していたんですよね?ご自分で何か傷でも付けたのですか?」


「いやいや……俺のような小心者には、そんな恐ろしい練習法を実践出来ませんよ……。この村には『傷痕だらけの者』が大勢居る場所があるんです」


「え……!?怪我人が大勢居るのですか?」


「いや……怪我人じゃなくて。奴隷です。ほら……あっち(・・・)にある村の柵の向こう側に奴隷が大勢寝泊りしてるんです。そう言えば月野さんは行った事が無かったですかね」


「奴隷の人達って……昼間ですと大通りを歩いてますよね?」


「ええ。商人が連れてますね。しかし夜の7時になると村の門が閉められるので、奴隷達はみんな村の外に追い出されてしまうんです。そこで……奴隷達は門や柵の向こう側にテント村みたいな所を作って、そこで寝泊りしてるってわけです」


 俺はそれから、昨日の夕方前にジェイクから聞いた「奴隷システム」を月野さんへ簡単に説明した。彼らが魔道具による「奴隷紋」によって思考と行動の自由が奪われている事……である。


「なるほど……奴隷の人達って、そういう感じなのですか……。何だか可哀想ですね……」


「ええ。実際、俺もアナタと同じ世界……日本で生まれ育ってますから、奴隷に対する見解は今でもやはり肯定的になれませんね。しかしこの世界では、奴隷と言う『単純労働力』が社会にとって必要不可欠である事も理解しないといけないでしょう。しかし無理に奴隷に対して肯定的になる必要は無いと思います。『社会に必要ではあるけど可哀想』……俺はそれでいいと思いますよ」


俺自身は今後、どれだけ裕福になろうが奴隷を所有する気は無い。これは仕方ないと思う。月野さんにも言ったが、俺は「奴隷は悪」と言う教育と社会通念の世界で育った人間なのだ。但しそれと同時に「人類は皆平等である」と考え方にも懐疑的である……。


「ふふっ……小河内さんらしいですね」


彼女はそう言って笑ってくれた。


「で……その奴隷達がですね。身体にそこそこ(・・・・)色んな傷痕を付けてるんですよ。まぁ……色々あったのでしょうが……」


「なるほど……」


「この前は、寝静まっている彼らの身体に付いた傷痕を村の柵越しに〈ヒール〉で片っ端から治してたってわけです。但し……〈ヒール〉とか〈セラフィ〉は効果を発揮する際に光を放ちますので、そのままだと周囲で起きてる奴が居たらバレてしまい大騒ぎになると思います」


「た……確かに……。あれって、結構光りますね……」


「なので、先に周辺の奴らを〈スリープ〉で眠らせつつ、〈ブラインド〉で視界を奪ってから〈ヒール〉を使うわけです。俺はこの前、この手順で練習してました」


「なるほど……そうする事で光が出ても周りに気付かれないんですね?」


「ええ。実際、完璧に周囲の目を欺けていたかは分かりませんが……あの時は結局、周囲で騒ぎになった気配は感じられませんでした。なので上手く行っていたと思います。但しご周知のように、調子に乗って『やめ時』の見極めを誤った為に精魂が尽き掛けてエラい目に遭いましたが……」


俺が苦笑しながら話すと彼女も笑い出した。あの時は悲しそうな顔で説教されたが、今はもう水に流してくれたようだ。


「もし〈ヒール〉の練習をされるならば、周辺の工作に対してお手伝いします。まぁ、俺にとっても『闇魔法』の練習になるので」


「いいんですか!?」


「ええ。構いませんよ。それより、眠くはないのですか?」


俺が聞くと彼女は首を横にブンブン振って


「全然大丈夫です!」


と、力強く応えた。俺は笑いながら


「ではこのまま川沿いに村の外柵まで行きましょう。予め言っておきますが……ここ(・・)とは少々異なりますが、あの辺りも相当に臭います(・・・・)。なので無理だと思ったら遠慮せずに言って下さい」


そこまで説明して、彼女を連れて川の下流側に向かって歩き始めた。


今夜も晴れた夜空には半円に近い月が明るく浮かんでいた。

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